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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
四 わびぬれば 今はた同じ
27/54

相通ず、故に相違う 一

2025.08.17 後半を若干変更

 無骨な岩肌を晒し、目抜き通りに姿を表す赤鬼。記憶にある姿から大きく傷ついていた。

 赤黒く盛り上がった胸板には無数の(えぐ)れた肉痕。自らが流す濁血で身体を深い色に染める。

 何よりも腕が一本()い。左肩から先にあった巨木の幹は赤茶けた肉肌が陥没し、白い骨が出血の合間から(うかが)えた。()れでも、痛む素振りなど微塵にも見せぬは異形の証左か。

「うわぁぁっ!」

 生き残った黒武者が腰()めに発砲した。軽く乾いた破裂音が繰り返し響き、別の銃声が重なる。気付けば近くに居た全員が拳銃を構え、赤鬼に向けて引き金を引く。

 万雷の拍手と(まが)う、密度の詰まった発砲音。立ち(どころ)に湧いた喝采を、赤鬼は(かば)う仕草も見せず浴びた。(たくま)しい岩盤の表皮が削り取られ、山嶺(さんれい)(おぼ)しき肉片が()ぜる。

 秩序の反撃に、赤鬼も(たま)らなかったのだろう。歓迎とは程遠い拒絶の嵐を一身に受け、膝を折る。(よこしま)に従う大蛇も翻筋斗(もんどり)打って地に倒れ伏す。

 動きを止めた赤鬼に対し、警官達も射撃を止めた。

 ふたつの光点も消え、息吹の消えた巨躯に近づけず、()りとて離れられず。畏怖とも恐怖とも取れる顔で、赤黒き潺湲(せんかん)に染まった丘陵を(あお)ぎ見る。

「死んだ、よな?」

 誰かが漏らした期待の声は、不意に鳴り出す電子音によって裏切られた。

 嗚呼(ああ)、あの時と同じだ。

 もぞり。出し抜けに赤鬼が大きく身を(よじ)った。何かが(きし)(おぞ)ましい音と共に、細かい鮮血を周囲に撒き散らす。

 赤い光点が(とも)った。岩盤と(うり)ふたつな厚い胸板が前後に動き出す。鉄の匂いと黒い怒気に当てられ、警官達は一斉に息を止めてしまった。

 ()れが、彼らが見た最後の景色だった。

 くぉぉぉっ!

 赤鬼が(いなな)く。片椀に従えた大蛇が(たけ)る風を(まと)った。巨腕を(しな)らせた横()ぎの一撃が、群青の制服を次々と巻き込む。近い者は大樹の(ごと)き太い腹で()り潰され、遠い者は鎌刃に寸断される。

 たった、ひと振り。勇者の一団の(ことごと)くが(ひしゃ)げ、切り刻まれ、人の形を留めず路傍(ろぼう)に転がる。彼の肌と同じ色に染まった世界。()せ返る程に新鮮な死臭の中、大蛇を(たずさ)えた異形の鬼は、頭を振り乱し次の得物(えもの)を探す。

 さて、どうするか。

 薄く吐いた息は()がれ、指が自然に隠し物入れへと伸びる。

 最早(もはや)、赤鬼を止められる者は()らず。あの鬼と(こと)を構える理由が無い今、()えて死地に飛び込む必要は無い。

 大丈夫。相手も(かつ)て命を狙った者が()(そば)に隠れているなど、(つゆ)とも思わぬであろう。隠れ通す自信は十分。

 くおおおっ!

 祈りが通じたか、ひと(しき)り吠えた後、赤鬼は身を(ひるがえ)した。鮮血の沼を越えて小道へ、大黒(だいこく)が消えた細い脇道へと悪意に(いろど)られた巨躯を(もぐ)らせ消える。




 後に残されたのは、破壊し尽くされた目抜き通り。

 赤く彩色された道路に投げ出される(むくろ)の数々。隙間から怪我を負った者の(うめ)き声が聞こえる。

 何処(どこ)に隠れていたのか、運良く生き延びた者が戻ってきた。先程まで語らっていた友の亡骸(なきがら)へ、必死に声を()ける女性。何でこうなった、と(いきどお)る薄髪の男。両足を(かか)え泣き(じゃく)る老女の姿。警察官は何もせず、呆然と立ち()くす。

 何もかもが奪い去られた荒地を(のぞ)き見しつつ、額に指を()える。脳裏は先を思考し始めていた。赤鬼と大黒が争う理由を探しに。

 (かた)や命を奪われかけ、もう一方には身を(さら)われかけた。因縁浅からぬ両名が仕掛ける命懸けの(いくさ)、興味を(そそ)られぬ(わけ)が無い。

 何故(なにゆえ)に争うか、理由など皆目、分からぬ。が、どう転んでも得する結末を迎えるだろう。相打ちでも良し。ひとり残った所で事情を尋ねるのも良し。

 後を()けるか?

 いや。仮にするにしても、懸念が残る。

 ふたりの力量差を考えれば、長引く事は無いだろう。贅肉で身を固めた男の相手は、大蛇を生やした人外。どう贔屓(ひいき)しても、大黒が出し抜く未来など見えない。

 となれば、結局は赤鬼が相対する事となる。先の通り、積極的に(まみ)えたく無い。

 此処(ここ)は関わらぬのが吉。なのに、背筋を凍らせる寒気は依然として残った。冷ややかな不安を浴びせる小さな棘。

 分かっている。隣で(いや)しく嘲弄(ちょうろう)する異相のせいだ。

 あの気色(きしょく)悪い笑みを見せつけてくる虚像の顔。不幸を呼び寄せる伝承の通り、奈落の底へ落とさんと目論(もくろ)む双眼を向け続ける。企みはまだ終わらぬ、と言いた()に。

 薄鏡の向こう側から送られる不吉な挑発は、腰を上げるに十分であった。どうせ(ろく)でもない奸計(かんけい)なのだろう。良い、乗ってやる。

 覚悟を決め、既に用を()さぬ帯紐を乗り越えた。赤鬼の背中が消えた今、脇道を(ふさ)ぐものはない。失意の合間を抜け、赤鬼の跡を追った。見つからぬよう慎重に。だが急いで。




 不可視の触覚を(もち)いれば、赤鬼を探し当てるなど容易。小道の隙間を埋めて進む巨躯の背を追い、物陰から物陰へと渡り歩く。随分と緩慢な(あゆ)みに、気付いた素振りは無い。左足を引き()るのは、廃工場での(いさか)いが原因か。

 ()れでも赤鬼が大黒に追いついたのは、相手が息を切らせた(ため)に他ならない。

「クソッタレぇっ!」

 膝に手を付き一息入れた半裸の男が突如、怒鳴り声を上げる。(たる)んだ脂肪の隙間から取り出した拳銃で狙いを引き絞る。鼻の長い、大きく口を開いた黒い掌砲(マグナム銃)。先端から()く火柱が空気を震わし、低く重い轟音が小路(こうじ)に響く。

 二発、三発。逃げ場の無い赤鬼は鉛の雨を残らず浴びた。其の度に硬き岩肌が爆ぜ、血潮を撒いて肉が(まく)り上がる。

 (しか)し、それでも恨み骨髄に徹した鬼は足を止めず。

 くぉぉぉっ!

 赤鬼の咆哮。怪我を押して速度を上げ、大黒へ肉薄する。大蛇の牙が動き緩慢な贅肉に襲い掛かった。大きく振り(かぶ)った、袈裟()けの一撃。(あわ)れ。身を守る手立(てだ)て無き大黒は、肩口から下腹へと切り裂かれ、片腕も胴から離れた。

 当然とも言える結末。命の()り取りにかけては、明らかに赤鬼に()がある。

 だが――

「っ()ぇっ!」

 大黒の()がる、断末とは違う絶叫。(ゆが)めた顔に深い皺を刻むが、末期に見せる表情では無い。身体をふたつの刀傷で引き裂かれ、真っ赤な臓物(ぞうもつ)を散らすにも関わらず。

 そうか。こ奴も異形の一員か。

「コノぉっ、(ばく)のオモチャがぁっ!」

 赤い唾を吐き捨て、残った手で何度も撃鉄を起こす。空気の壁を打ち壊す重音の雄叫(おたけ)びが、怨憎会苦(おんぞうえく)たる相手を捉えた。うち一発が額に命中し、邪悪な仁王の顔面を()く。絶壁の(ごと)き上半身が激しく()()り、砕けた岩像から白い脳漿(のうしょう)が散る。

 新たに穿(うが)たれた傷口から血潮(ちしお)が噴き、山水となりて(いわお)を紅く染めた。()れども、太く大きな両脚は地を掴み、決して倒れず。

「クソぉっ!」

 互いに致命傷を受けても(なお)、死闘は終わらず。大黒は空砲を投げ捨て、贅肉(ぜいにく)の隙間に再び指を入れる。

 迂闊(うかつ)。大きな隙を赤鬼が見逃す(はず)も無い。大蛇から剛腕に戻し、ふた振りの鎌刃を大黒のだらしない胸板に突き刺す。

「っがぁ!」

 大黒の口から、再びの悲鳴。構わず、赤鬼は串刺した脂肪の(かたまり)ごと腕を天に掲げる。万有の法則に従い、重々しい肢体が凶刃を(つた)って滑り落ちた。背を貫いた先端が顔を出し、局地に鮮血の雨が降る。

「うごぉぉっ!くっ、クソッタレぇっ!」

 口から真っ赤な泡を吹きつつ、密接した赤鬼の半顔を睨んだ。神を(かた)る顔に悪鬼が乗り移り、(まさ)に自分を(ほふ)らんとする相手へ拳を振り上げる。

 丸く、黒い玉を握りしめた拳。先端に張り付いた鉄片が宙へと(おど)る。

 いかんっ!

 寸時(すんじ)、手近にあった壁の(すみ)へ張り付く。手足を屈め、首も縮めた。万川集海にもある(うずら)隠れの術。「伊賀の(しの)びは石になる」の言葉通り、(しも)の音を聞く様に(うずくま)る。

 軒端(のきば)の石に化け終えた刹那(せつな)()ける程の熱を首筋に感じた。続いて内耳を潰しかねん強烈な爆発音と、皮膚を震わす衝撃。

 刻み続ける秒針が、突如として吹き飛ぶ。

 ずん、と一瞬だけ沈む地面の感触を前に、身を伏し隠形の(まじな)いを繰り返すしか無い。爆発を遮るものが無ければ、果たしてどうなっていたか。

 気付けば嵐は過ぎ去っていた。時計の針が再び、淡々と動き出す。

 狂った時間に()もれた(ゆえ)()れ程の時が経ったか推し量れる自信は無い。救いなのは五体が無事であったこと。少々、埃に塗れたものの、身に着けたものも含めて扠したる傷は無い。

「さて」

 少し熱が残る壁際から、そっと周囲を(うかが)う。

 相争う二人の姿は消えていた。焦げた跡も生々しい、少し熱の残る小道。その中心に、ふたつの黒い炭塊。

 赤鬼であった遺骸は左の上身(うわみ)を完全に失い、焼け(ただ)れた肉と骨が剥き出しとなった。(すす)で汚れた下半身は両脚を地に踏みしめた(まま)。せめてもの意地を見せたのだろう。

 一方、地面に転がる大黒と(おぼ)しき塊は、腰から上が見当たらなかった。内臓も(すみ)へと変わり、元の形も分からぬ。唯一、識別できる足先が小刻みに痙攣する。

 痛み分け、にしては凄惨たる終幕。大黒からすれば大殊勲だろうが、始末が悪かった。

 真逆(まさか)、あ奴も異形の(たぐい)だとは。

 となれば、妖怪どもの合戦に、(はか)らずも巻き込まれた事となる。だが、斯様(かよう)な目に巻き込まれる心当たりなど――ある。

 あの晩、獏と交わした約定(やくじょう)を思い出し、(ひたい)の皮膚を指先で(つま)んだ。淡緑に(たん)を発した確執の後始末。未だ終わっていないらしい。

 何とも迷惑な話。だが、(ほとけ)に愚痴を(こぼ)しても仕様が無い。物言わぬ姿となった二人に、此の先は知らぬ事柄なのだから。

 軽く肩を落とした後、(とむら)いの言葉を投げかけに焦げた肉塊へと寄る。物言わず仁王立つ赤鬼の両脚と、陸に上がった小魚の(よう)に引き()りを繰り返す大黒の欠片(かけら)

 いや、可怪(おか)しい。

 頭に添えた(てのひら)が、黙念の支えに変わる。(わらべ)であった頃、(じい)様が健勝であった記憶を(さかのぼ)(たす)けに。

 あの時、爺様は何と言った?(いま)だ先の大戦で片腕だけとなった友の最後。一瞬だけ震えたのは故郷に帰りたかったが故、と遠くを見つめ呟いた南方の話。

 大事なのは『後で知ったが』と前置いた箇所。確か、脳や脊髄がなければ反射運動は起こらない、と。そう言葉を紡いだ(はず)

 記憶が正しければ、昔話が真実ならば。陸に上がった小魚の如く跳ねる足先は、()っ怪なる現象に他ならない。人体では有り得ぬ、異形の産物としか言えぬ。

 身の危険を感じ、近くの壁を蹴った。鍛え上げた手足の指先を駆使し、僅かな凹凸を頼りに駆け登る。時間も惜しい今、身を伏すには狸(がく)れの術しか無い。

「っ!」

 眼下で筆舌に()くし(がた)い出来事が起きる。

 大黒であった足先が突如として暴れ、地面から濃緑の粘液が(あふ)れた。泥濘(でいねい)(うごめ)く様にも見える汚色の寒天は、震えながら黒く変色した傷口へと取り付く。ぶよ(ぶよ)とした容積を増し、次第に色が変わる。

 白く伸びた骨が生まれた。何本も湾曲する肋骨(ろっこつ)の中に、赤褐色の塊が内蔵を形造(かたど)り始める。鮮明な赤が筋肉となって全身を覆った。

 五行が身に、死体が生者へとして蘇る。輪廻の(ことわり)を冒涜する行い。

「くっはぁぁっ!うぉっぷっ!」

 遂に黄ばんだ肌色が体表に施されると、先と変わらぬ大黒が大きく咳き込んだ。前へ屈み、喉の奥に溜まった嘔気(おうき)を吐き出せば、ゆっくりと左右を見渡す。()ぐ手前、赤鬼の(かばね)を前にして動きを止めた。

「ギャハハハっ!」

 歓喜の絶笑を発し、助走する全裸の男。勢いを殺さず、下半身だけとなった赤鬼を蹴り飛ばす。

「ザマァがぁ!どうだっ、獏の野郎っ!」

 耐える力なく横倒しとなった残骸に一笑し、更なる蹴りを見舞わせる。炭化した成れの果ては簡単に崩れ、形を失う。

「いっつもオレらをバカにしやがってぇっ!」

 罵倒の言葉に怒りを乗せ、足蹴を繰り返す大黒。最初は力強く踏み(にじ)った姿も、次第に勢いを失った。やがて、蘇っても変わらぬ顔に涙が浮かべる。

「っくそぉ!」

 小さくなった黒い切れ端を足裏で押し潰すと、さめざめと泣き始めた。蹌踉(よろ)めきながら高櫓(ビル)の壁に手を置き、額を押し付ける。

「これじゃあっ、モノホンのバケモンじゃねぇかぁっ!」

 戻ったばかりの頭を勢い良く打ち付けた。

 加減無き殴打の連続。生まれた(ばか)りの赤い飛沫が散り、額から白いものが覗く。其れも一瞬。打ち砕き、傷付く(たび)に、緑の粘質が生み出され、元へと戻った。

野狗子(やくし)ぃっ!あのクソッタレぇっ!」

 最後に重く鈍い音が響く。()(まま)、頭を壁に押し付け肩を震わせた。声無く泣き崩れる姿に同情は沸かず。望んで人外へ化けた訳では無いらしいが、今(まで)所業(しょぎょう)を許す理由にはならぬ。懺悔ならば、せめて(さら)う理由を吐いて貰わねば。

 ならば、大黒が死の淵から舞い戻ったのは(さいわ)いと言えるだろう。(あや)めるのは難しかれど、縛り上げて口を割らせるのは簡単に出来そうだ。

 後は機会。鷹の目で頃合いを図れば、軽い足音が耳に飛び込んだ。目抜き通りから分かれた裏道、更に分岐する細い通りから届くひとりの跫音(きょうおん)

「キャっ!」

 惨劇の跡地に、不意に若い女性が飛び出した。若い。制服姿から高校生だと推察される。

 いや、他人の空似に期待するのは()そう。嫌という程まで求めた相手を忘れようか。

「えっ?」

 状況も分からず目を見開く御河童(おかっぱ)頭の子女。間違いなく永見椿(ながみつばき)であった。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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