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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
三 人に知られで くるよしもがな
18/32

異相を持つ者 二

 (ただ)ちに丹田へ気を込め、不可視の触覚を四方へと飛ばす。化粧品を取り扱う百貨店の区画、買い物客も(まば)らでしかない。店舗の全てを包含(ほうがん)するは難しいものの、姿を見せずに付け狙う(やから)を探り当てるには十分。

「っ!?」

 ()れど、どういう事なのか。知覚の網に掛かるのは無関係と(おぼ)しき者ばかり。不審に隠れ、または動く影を一向に捉えられず。

 遠くから狙うか?より深く集中し、意識を遠くへ飛ばす。が、見つからず。

 上手(うま)く身を隠したか?五感の触察を密にする。が、結果は同じ。人影の欠片どころか、残り()さえ掴むに(あた)わず。

 額に流れ(つた)う一滴の汗が変に冷たく、思わず(ぬぐ)い取る。

 幼少に会得した知覚の(すべ)が一切、通用せず。

 有り得ぬ事だ、と切り捨てるのは簡単。だが、現状から目を背ける行為でしかない。長きに渡る修行の末に得た不可視の罠を()(くぐ)られた。事実を(ただ)、受け入れるしかない。

 ならば、相手は何者なのか?

 分かるのは、相手が腕の立つ名人である、という事。

 生まれ落ちて十余年、手練(てだれ)と呼べる者に出会ったのは、後にも先にも爺様だけ。(さと)で繰り返した修行の中、最後まで不可視の触罠で捉えられずにいた唯一の存在。

 (ゆえ)に、分かってしまう。眼前で姿を隠す四名は、神忍と同じ技量を持つ者だ、と。

 所在(しょざい)も悟らせず、やっつの目によっつの気配を飛ばす隠忍上手(じょうず)。忍びとして出会えなかった名人が今、(うかが)い知れぬ動機を胸に凝視(ぎょうし)を向ける。

 果たして、付け狙う理由は?考えを巡らせど、思い当たる(ふし)は無い。

 強いて言えば、(ばく)と名乗った背広の男だが、あの夜に()わした密約は守っている。今更、手練を寄越(よこ)す必要などあろうか。

 強い視線に、肌がひりつき出す。(なだ)める為、浅い呼吸を数回。ゆるりと息を吐けば、暇を持て(あま)()()をして手近な売場に足を向ける。

 展示棚(ショーケース)に視線を向けると、着飾った店員の仏頂面(ぶっちょうづら)が出迎えた。気に()めず、残りの感覚を研ぎ澄ます。食い入る目は、ひとつ残らず追ってきた。

 成程(なるほど)、用事があるのは独りだけ、か。

 永見や姉に興味を示さぬのは(さいわ)いと言えよう。ならば、乱客から二人を引き離した方が良い。この先、何が起こるか分からぬが故。いや、十中八九、きな臭い出来事が待つのであろう。

 が、問題は何処(いずこ)へと向かうか。

 曲がりなりにも天下の副都心。二人を巻き込まぬのと同じく、周囲に被害を及ぼしては元の木阿弥(もくあみ)気兼(きが)ね無く用を済ますには、(あま)りにも人の目が多過ぎる。

 一向に姿を見せぬ手練の一味も、同じ思いだったのだろう。ふと、監視の目に力が()もる。

 じわりと詰める重い気色(けしき)は、硝子(ガラス)張りの出入り口へと追い立てた。達人の域たる隠匿の(わざ)(もっ)ても、人気(ひとけ)の少ない百貨店はお気に()さぬらしい。

 手で片方の瞳を覆い、思案する。

 腕の立つ名人を前にしたとて、一人ならば渡り合う自信はある。

 二人が相手であろうと、どうにか()く事は出来るであろう。

 しかし、身の在処(ありか)(けむ)に巻く腕()きが四人。()(はなは)()し。

 せめてもの救いは、(けん)に徹して仕掛ける素振りが無い事か。が、()れも何時(いつ)まで続くか分からぬ。

 (いた)(かた)無し。相手の姿を捉えねば、勝負にすら持ち込めぬ。体裁(ていさい)の悪さに小さい息をつき、大理石の壁から離れる。

 再び雑踏へと舞い戻れば、好き勝手に響く会話に車が地面を(こす)る音。無秩序な喧噪(けんそう)は密度を増し、混乱に拍車をかけていた。

 こうも騒々(そうぞう)しければ、感覚を研ぎ澄まして探るにも限界がある。反対に、刺客共(しかくども)喧々囂々(けんけんごうごう)たる混雑に(まぎ)れて見張るのも容易。現に、(ひそ)やかな凝光(ぎょうこう)(あゆ)みを()き立てる。

「そう(あせ)らすな」

 姿()き気配に促される(まま)、重い足を動かすしか無かった。



 

 行き着いた先は、煉瓦(レンガ)()きの続く小さな坂道であった。

 四面四角の高櫓(ビル)に挟まれた中、三人が横に並べば埋まる小道。両脇には扉を固く閉ざした軒先が続く。

 (かつ)ては小洒落(こじゃれ)た店であっただろう、往時の名残が残る壁は無数の乱筆(らんぴつ)で書き散らかされ、其れも色()せて捨てられた。人の目はあれど、先の百貨店よりも閑散とした場所。日常の息吹(いぶ)きから取り残され、打ち捨てられた通りと言えよう。

「さて、如何(いか)なる用かな?」

 妙な場所に連れ込まれたもの。こう静かでは、監視をするにも不都合(ふつごう)極まり無いだろう。其れでも正体の手掛かりさえ垣間(かいま)見せぬのは、達人たる所以(ゆえん)か。

「望みの通り、付き合ってやったのだ。いい加減、姿を見せたらどうだ?」

 軽口を叩きつつ、(いま)だ姿を見せぬ気配に耳を(そばだ)てる。音を聞き分ける修行は嫌と言うほど積んだ。


  ウッ……ウゥッ……。


 (かす)かな泣き声が内耳に届く。悔しさ、無念さを押し殺した女性の低い(うめ)き。

 声する方角(ほうがく)へと瞬時に首を(めぐ)らせば、向かいの空き店舗に目が行った。

 店を広く見せる工夫なのか。壁もなく、大きく口を開いた喫茶店の跡。()ち始めた机と椅子が隅に積まれ、奥の厨房も(すす)(さび)で汚れた姿を晒す。

 其の中で、壁に埋まった門が不自然に口を開けていた。

 誘っているのは一目瞭然。

 身の危険を前にして、自然に指先が隠し物入れ(ポケット)を探る。が、振れるのは薄布だけ。其れも当然。物見遊山(ものみゆさん)最中(さなか)、達人に見張られるなど望外な出来事。預言者でもあるまいし、()の顛末を推し(はか)るなど出来ようか。

何処(いずこ)へ連れて行く気か、の」

 不可視の触覚で奥を探るが、薄闇の先に気配は無い。が、油断は禁物。明白(あからさま)な罠に警戒を怠らず、慎重に窓のない廊下を進む。

 細く、(ほの)暗い廊下。長らく人が入っていないのだろう、原型を(とど)めずに崩れた紙箱(段ボール)が散乱し、一歩進む(たび)(ほこり)が舞う。時間の(よど)みが凝縮された乾いた匂いと珈琲(コーヒー)の残滓に、視線が付き(まと)った。後を追うだけでなく、不思議と前からも。


  クスッ……キャハッ……。


 別の声が耳朶(じだ)を打つ。(わらべ)には似つかわぬ嘲笑(あざわら)うような嬌声。

 声の先を探りはすれど、あいも変わらず触れる人影はなし。姿を見せずに先回りされた眼差(まなざ)しが全身を(なぶ)る。殺意も無く悪意すらも感じぬが、蛭に肌の上を()い回されるにも似た、不快な感覚。

 永見と姉から離れて良かった、と心底(しんそこ)思う。

 隠遁に長けた名人を向こうに回し、二人を(かば)うは土台(どだい)、無理な話。万が一、人質にでも取られていたら、と考えれば身の毛が弥立(よだ)つ所では無い。


  グゥ……ムゥ……。

 

 壮年らしき男の怒りに満ちた(うな)り声が右手の間口(まぐち)から聞こえた。

 (はず)れて(ひしゃ)げた戸を踏み越え押し進めば、元は更衣室だったか。錆の浮いた細長い荷物棚(ロッカー)が所在無く(ひし)めき合っていた。

此処(ここ)が目当ての場所か?」

 問いかけるも、返ってくるのは無言だけ。

 だが見透(みす)かさんとする眼光は健在。仕掛けるには絶好であろう。人目から隔絶された場所で、かつ逃げ場は無い。

 (まさ)に絶体絶命。にも関わらず、胸の奥からむず(かゆ)可笑(おか)しさが込み上げる。

 忍び崩れに名人を四人。何とも壮大な陣容である。

 どうも、相手は目利(めき)きが悪い模様。数多(あまた)の忍び(わざ)を身に持つとは言え、帰農した今となっては無用たる骨董(こっとう)品。この更衣室と同じく、やがて忘れ去られるのが運命(さだめ)である。

 にも関わらず、高値を吹っ掛ける数寄(すき)者が現れるとは。何処(どこ)の古手買いかは分からぬが、世間には()()()変わり者が居るらしい。


  ハァ……


 摩利支天(マリシテン)の加護を得ようとした矢先、耳元で()れる溜息に戦慄した。

 老夫の、やや掠れた吐息。飛び退()身構(みがま)えるものの、(すで)に遅し。鼻先には孤影すら残っておらぬ。

 流石(さすが)に此の距離まで気()かぬなど、奇想にも過ぎる事態。相手に殺意があれば、ひと思いにも出来たであろう。

 にも関わらず、見(のが)された。

 (もてあそ)ばれている事実に寸時、思考を止めてしまう。一瞬の隙。姿無き幽鬼が凝視と共に声を()り重ねる。

 女性の啜泣(せつしゅく)、童の嘲弄(ちょうろう)、壮年の震えた唸りに老翁の諦観した吐声。四様に色分けた負の想いが狭い一室に満ちる。

 どう見ても相手が一枚上手(うわて)。どんなに感覚の枝葉(しよう)を伸ばそうとも、影すら(とら)えられぬ始末。悔しい思いと共に、幼き頃の修行の記憶が(よみがえ)り、喉を(かわ)かした。

 山中、逃げる爺様を探すという修行。勿論(もちろん)、神忍が手掛かりなど残す(はず)もなく、途方に暮れただけではない。逃げ手であった爺様が突如、背を狙い始めたのだ。

 何時(いつ)の間にか狙われる側へと入れ替えられた驚きと焦燥感。背後から首を触れた手刀の冷たさを、生涯(しょうがい)忘れることはない。

「要件は?」

 だが、今は修行中の稚児(ちご)(あら)ず。思い出と同じ冷気を背中に浴びてもなお、至極(しごく)平然といられた。(むし)ろ、強者と巡り会えた悦びが格段に勝る。

 考えても見よ。身を隠す隙間すら無い一室で、依然として(よう)を見せず。妖術の(たぐい)としか思えぬ技巧(ぎこう)の持ち主が四人、たったひとりに刮目(かつもく)するのだ。

 (さと)を離れ、一介の凡人に身を(やつ)してから数ヶ月。此の()に及んで達人と腕を競う好機を得るとは。

 この際、誰が仕組んだのか問うのも野暮(やぼ)であろう。無用たる忍びの()て場所として、此れ以上の舞台は無い。達人相手に何処(どこ)まで通じるか、存分に試すも一興。

 其の駄賃(だちん)が命か別かは分からぬが、釣りが戻る事は無かろう。(かえ)って、足りぬと文句を言われるかも知れん。知ったことか。事前に値札を(かか)げぬのが悪い。

真逆(まさか)、誘い出すだけが目的ではあるまい。何が望みか知らぬが、思い通りにはさせぬぞ」

 返答が無いのは想定の(うち)何処(どこ)から襲われても対処できるよう、静かに姿勢を整える。不自然にならぬよう、あくまでも()りげ無く。

 

  ハァ……


 再び吐息が漏れた。より深く沈んだ(おぎな)の溜息。

「何を落胆する?」

 相手の意図が読めず、思わず問い返した。大仰(おおぎょう)な仕掛けを施し、(おび)()せた者とは思えぬ意外な態度。

 少なくとも、まだ双方共に何も仕掛けてはいない。失望するにしても早過ぎる。


『そうか、分からぬか』


 落ち(くぼ)んだ呼気が答えた。(かす)れた、しかし明瞭たる老翁(ろうおう)の声。同時に、よっつの気配が徐々に薄れてゆく。

「待てっ!」

 咄嗟(とっさ)に影の奥へ遠ざからんとする残()を追う。

 正体も目的も、何もかもが不明。始まりもせずに終わっては、残された疑問をどう始末すれば良いのか。少なくとも、その胸中は明かして貰わねば。

 (しか)れども、願いとは裏腹に手練の一団は存在を()き消してゆく。

 逃がさぬ。もう一度、気を込めた不可視の網を広げ、影法師の跡先を探る。通じぬのは承知の上。今はひと欠片でも掴む手段が欲しい。

 果たして、苦(りょ)の策は視界の(はし)に光の断片を捕まえた。一縷(いちる)の望みを(たく)して振り向けば、不意に視線が重なる。

 其れは女人でも童子でも盛漢でも昔人でもない、戸惑いを浮かべた総髪の慈姑頭(くわいあたま)。何万回ほど見ただろうか、指折る事すら億劫(おっくう)な程に見飽きた顔。

 置き去りにされたのだろう。大きな姿見に映された相貌には、はっきりと異相が浮いていた。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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