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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
三 人に知られで くるよしもがな
13/32

昼下がりの詞戦 二

「今は……ムリ。答えられない……」

 項垂(うなだ)れ、首を左右に振る永見。(まぶた)を伏せた瞳は落ちた前髪に隠れ、噛み締めた小さい口元だけが(ほの)見える。(かせ)()められた(よう)な、重苦しい仕草。

 知れず、(てのひら)を額に当てる。彼女らしくない、と(いぶか)しむしか無い。間宮に何か吹き込まれたか?()れとも彼女の本心か。

 (いず)れにせよ、前言を(くつがえ)すは己への裏切り。しこりはあるものの、黙って受け入れるしかない。

 しかし。

「バカを言うなっ、椿(つばき)っ!」

 顔を伏した御河童(おかっぱ)頭の両肩を押さえる。力の加減を知らないのか。指が深く食い込み、顔を上げた永見の眉間に深い(しわ)が刻まれる。

「そんな勝手なことっ、許されると思うのかっ!オマエはっ!」

 痛がる彼女に気遣(きづか)いもせず、鷲掴(わしづか)みしたまま強く揺さぶる。らしくもない立ち振舞(ふるまい)に周囲もざわめき立つ。取り巻きの口から戸惑(とまど)狼狽(うろた)える声が漏れ聞こえた。

「間宮、()さぬか」

 永見を甚振(いたぶ)る愚行を許せる(はず)も無し。力()くで二人の間に割り込み、暴漢へ()けた間宮の手首を捕まえる。

 途端、彼の矛先が変わった。

「赤目ぇっ!」

 勢い良く振り返ったと思えば、()()り奥(えり)を掴む。端正な顔が(ゆが)むのは、上手(うま)(こと)が運べぬ苛立(いらだ)ちからか。駄々(だだ)っ子と同じ態度を繰り返し見せつけられ、熱くなった血潮(ちしお)が全身を巡る。

阿呆(あほう)っ!頭を冷やせっ!」

 ()(まま)、素直に引き下がれようか。逆襲の狼煙(のろし)代わりに腕を伸ばし、逆上する間宮と組み合う。(おのれ)の我だけを押し通さんと差し合う喧嘩()つ。

 (まと)わりつく温度が(にわか)に変わる。互いの襟元を(やぶ)かん(ばか)りの力で意地を張り合い、交錯(こうさく)する視線が(こす)れて火花の幻を見せた。睨みを利かせた力相撲に、誰もが目を離せずにいる。

「どれだけ騒ごうとも、永見の気は変わらんっ!大人しく引き下がれっ!」

 正論を吐けども、荒い息(づか)い。二枚目も引けぬとばかりに敵意の目を送り返した。額をぶつけ、目鼻よりも近い位置で感じる嫉妬の熱。

 が――

「っ!」

 鋭く燃ゆる眼差しが(あせ)りから戸惑いへ、(おそ)れを含んだ物()じと次第に変わる。

 頭に血が(のぼ)ったとて、間を置かずに気付いた様だ。力の差を。

 美丈夫が何度も腕に力を入れようと、頭ひとつ低い相手は微動せず。両の足はしっか、と大地に根を張る。

 対して此方(こちら)は、上背(うわぜい)で勝る相手を指先の力だけで上半身を揺らす。

 当然なる帰結。鍛錬を積んだのは間宮だけではなく、間宮は鍛錬に命を懸けてはおらぬ。

 力の強弱に(かか)わる話ではない。人の身体(からだ)は不思議なもので、押せば必ず押し返し、引き込めば確実に引き戻す。

 己の意思とは(たが)う力に(あがら)ってしまう、反射と呼ばれる生まれ持っての習性。人の意志ではどうにも出来ぬ力の作用を利用すれば、如何(いか)な相手でも容易に崩せるし、逆に力(まか)せに仕掛けられたとて簡単に受け流せる。

 一朝一夕では出来ぬ、微細なる力の流れを読み切り、その(みぎり)を征する(わざ)。元は柔の極意なれど、有益ならば(しの)びは(もち)いるのを迷わず。

 (せわ)しなく動く針が一周する前に、勝負は決まった。

「確かに、赤目の言う通りだ」

 大きく溜息をつくと、襟から手を離す。全てを(さと)った涼しげな顔で、空いた手を天に(かか)げた。降参の合図。(かな)わぬと見たのか、にしても(いさぎよ)い。潔過ぎる。

「どうやら、僕は少し(あせ)っていたようだ。どうかしていたよ」

 急な心変(こころが)わりに(いぶか)しめば、彼の視線が掴んだままの手に向かう。

「どうだい?ここは一旦、休戦というのは」

 確かに。敵意が霧消した今、提案を拒む理由はない。渋々と手を(ほど)けば、健闘を(たた)える積もりか、大袈裟に肩を叩かれた。

「いや、参った。椿が好きになるのも分かる気がするよ」

 自由となった間宮が右の拳を差し出す。構えではない。流行(はや)(やまい)の際に広まった、握手に代わる挨拶。清々(すがすが)しい空気を帯びて立つ姿に、永見を追い込み、連れ去らんと企む悪意の影は見当たらない。

 (あま)りの身(がわ)りの早さ。古い(ころも)を着替えるかの(ごと)(てのひら)(がえ)しに、何処(どこ)まで信じて良いか逡巡(しゅんじゅん)してしまう。

 が、彼の生んだ空間が猶予(ゆうよ)を与えてくれなかった。

 間宮の取り巻きだけではなく、野次馬の面々からも非難の視線が肌を刺す。拳を合わせろ、争いなど見たくないという無言の圧力。

 (いた)(かた)ない。拳を軽く合わせれば、誰かが手を叩いた。拍子の空いた手拍子は(まば)らな拍手となり、気付けば誰もが手を()()らしていた。

 場が弛緩(しかん)する様相(ようそう)に違和感しかない。間宮の振舞ひとつで誰もが踊らされている。というのに、誰も気付いてない。歌舞伎の立役(たちやく)の通り、彼の一挙一動に周りが振り回され、言い様に事を運ばれた。

「次は負けないからな」

「勝ち負けの話ではなかろう?」

 腑に落ちぬまま、当惑する頭を掌が冷やす。最後に(すべ)てを(さら)っていった雄弁家。見境(みさかい)を無くしたのも、この終幕へと導く演技かと勘繰(かんぐ)りたくなる。

「さぁ?どうだろうね」

 敗者を(よそお)う者は白い歯を見せた。其の(まま)颯爽(さっそう)と、形の良い輪郭に浮かべた微笑を耳元まで寄せる。

「まさか、他人の物を(かす)()るようなヤツだとは思わなかったよ」

 行き場を失い、(くすぶ)っていた火が再び燃え上がった。何という物言(ものい)い。肌が燃えるほど熱くなる。

「おっと、怒ったかい?でも今、手を出せばどうなると思う?」

 顔を離して見える間宮の笑み。形は同じなれど、意味は変わっていた。

「仲直りしたのに、また暴力を振るうんだ。誰もが僕の味方になるだろうね。さぁ、全員を敵に回す覚悟はあるかい?」

 勝った、と誇らしげに謳う美丈夫の口元を前に、震える拳を抑えるのがやっと。

 此処(ここ)(いた)り、初めて会ってから彼に(いだ)く違和感に、ようやっと気付いた。

 (いつわ)るのが抜群に上手(うま)いのだ。

 清廉(せいれん)外貌(がいぼう)で魅了し、弁で(とりこ)にする。相手が見せぬ心の機敏を察し、周囲を巻き込んで(みずか)らが望む方向に誘導する。生粋の人(たら)しと言っても良いだろう。

「ま、赤目の健闘を(たた)えて今日は引いてあげるよ」

 (みずか)らが持つ威を誇示する(はら)か、涼しげな視線を永見へと送りつつ、名残(なごり)惜しそうに離れる。彼女への色目だけを残して満足し、背を(ひるがえ)して校舎へと歩みを進めた。取り巻き達が慌てて後に続く。美丈夫の脇に張り付いた子女が振り返って睨みつけられた。

 後味の悪い幕引きに、自然と掌が頭に添えるしかない。

 厄介な宣戦布告。今までのらりくらりと(かわ)してきたが、今後はそうもいかないようだ。




 一連の騒ぎが収まり、野次馬も三々五々と散り散りとなる。残されたのは二人。身を持ち崩した忍びと、押し黙ったままの少女。

「永見、大丈夫か?」

 改めて声を掛けてみるものの、返ってきたのは沈黙。

 初めて顔を合わせた頃より好意を隠さなかったと言うのに、此処(ここ)に来て一歩引いた。突然の翻意(ほんい)を探ってみたいものの、下を向いたまま顔を見せぬのでは、何も察せぬ。

 手を伸ばせば容易に彼女の髪へ届く距離。だというのに物憂げな空気が躊躇(ためら)わせる。二人を分かつ見えぬ壁。触れると絡みつく粘り気に、彼女の輪郭を(なぞ)ろうと試みた指を引っ込めてしまった。

 全く、何時(いつ)から意気地(いくじ)なしとなったのか。(もや)のかかった重い頭を()くしかない。

 彼女が放った言葉だけではない。此方(こちら)も正気を疑う愚行を犯した。

 永見が再三、口にした心の内に便乗し、間宮に勝負を挑むとは。しかも彼女に何の承諾も取らず。

 ()てさて、目の前で背を丸めたままの少女はどう思ったのだろう?百年の恋も一片(ひとひら)の失態で冷めるもの。隠してはおらぬものの、勝手に胸の内を()しに使われては、()い気もしないだろう。

 後悔の溜息が口から()れる。どうやら、思ったよりも感情がささくれ立った模様。少し離れて頭を冷やした方が良さそうだ。永見も同じく、落ち着く時間が必要だろう。

 そう決め、歩き出す足先を()らせば、後ろから裾(すそ)を引っ張られた。

「しぃ君……ゴメン」

 制服の端を指先で(つま)み、謝罪の言葉を(つむ)ぐ永見。前に(なみだ)した時より重く沈んだ声音(こわね)に、何時もの溌剌(はつらつ)さなど微塵も無い。

「別に。永見は何もして無かろう?」

 肩を(すく)め、気落ちしたままの御河童頭を(なぐさ)める。気にしている様だが、あの場を悪くしたのは彼女ではない。

「それより、何故(なにゆえ)に間宮と?あそこまで嫌ってたというのに」

 思いが固まり切らぬ(まま)、何とはなしに疑問を口にする。明らかな失言。少女は再び押し黙る。

「別に(とが)める気はないぞ」

 少々、軽口が過ぎた。慌てて取り(つくろ)うべく、言葉を(つな)ぐ。

「誰と()ようが永見の勝手。(たと)え間宮と一緒が良いと言うならば、口を(はさ)む積もりはない」

「やめてっ!」

 裾を強く握り、甲高い声を上げる。

「そんなんじゃないのっ!ただ、ワタシはっ!」

 小さく震える顎を上げて見せた瞳には並々と()められていた。何かを言いた()に小さな口が開くものの、次の句を()げぬまま三度(みたび)口を閉ざし、目を伏せる。

 泣かした。泣かしてしまった。

 言葉の選び(そこ)ねに、顔を(しか)めるしかない。言い訳も利かぬ失態を前に、愚かな頭を下げるしかない。

「すまん。軽率だった」

 心から()びる。が、謝意は受け取られず、永見は(かぶり)を横に振った。

「いいの。私が悪いんだから」

 耳に届くかどうかの小さい声。いかん、完全に(ふさ)ぎ込んでおる。生気も感じられぬ沈んだ響きに、どうしたものか、と手を額に添えて思い(はか)る。

 永見の胸中は完全に岩戸(いわど)の中。扉を閉ざし、外界を(こば)んだ。天照大御神(アマテラスオオミカミ)は鏡に映る顔と見ようと岩戸を開けた(おり)天手力男神アメノタジカラオノカミに引き釣り出せたが。

 いや、まずは閉ざされた扉に隙間を作るのが肝要(かんよう)

「腹は減らぬか?」

「えっ?」

「思い返せば、米粒ひとつも口にしておらん。時間は残っておらぬが、何か入れておいた方が良い」

 地面だけを見つめていた永見の視線が心持(こころも)ち上がる。神話の世界として(かた)られぬ今世(いまのよ)、恥部を(さら)け出して踊るには抵抗がある。出来るのは精々、隣で昼餉(ひるげ)を共にする程度。それでも、少し(ばかり)の気晴らしになれば最良である。

「でも……」

「何を気()ねする。何時もの事だろう?」

 真。普段から弁当片手に午後の一時を共にする仲。可笑(おか)しな話ではない。

 裾元にある彼女の指を上から包み込んで握る。此度(こたび)はすんなりと手を(つな)げた。

 伏せがちだった瞼が上がり、大きな瞳に生気が吹き込まれる。視線が噛み合い、互いに顔を合わせた。(つや)の消えた頬に、大きな目下で浮かぶ黒い(くま)。表情も心なしか硬い。

「イイ、の?」

 それでも躊躇(ちゅうちょ)する永見。今更(いまさら)、他人行儀は無しにして貰いたい。嘆息する吐息と共に首肯する。

「当たり前であろう?其のためにこうして――」

 此処まで言っておきながら、はたと気づく。何時の間にか弁当の包みが手の内から消えていた。

 落としたのかと思い()()()と見回すが、影も形も見当たらない。恐らくはもっと前、永見を探す間にでも落としたのだろう。

 が、今の今まで気付かぬとは。余りの間抜けぶりに頭を抱えてしまう。

「どうしたの?」

「いや、何処(どこ)かで弁当を落としたようでな」

 白状すると、御河童頭が吹き出す。先に負った心の棘もあるし、何より笑ってはいけないとでも思ったのだろう。喉の奥で我慢する様な、控えめな笑い。

「困ったな。何処で落としたか、永見は知っておるか?」

「知るわけないでしょ?もう、しぃ君ってば、意外にドジなトコロあるよね」

 占めたと(ばか)りに(ひょう)げて見せれば、少女は固くなった顔を崩した。差した影が色濃いものの、ほんの少しだけ頬を(ほころ)ばせた微笑み。やはり、永見には笑顔が似合う。

「笑い事ではないぞ」

 憮然とした表情で口を尖らしてみる。

「今から食堂や購買に行ったとて、間に合うとは到底(とうてい)思えん。それとも、腹を空かしたまま午後の授業を受けるか?」

「仕方ないじゃん」

 目尻を下げた彼女の声は幾分(いくぶん)(はず)んでいた。

「見つかっても、あの味のないおにぎりなんでしょ?塩も振ってない」

「何を言う。(しっか)り振ってある」

「ハイハイ、そういうコトにしてあげるわ」

 澄ました顔で手を握り返すと、そのまま手を引き二歩、三歩と進む。校舎とは逆の方向へ。

「どうした?」

「今日の勉強はもういいでしょ?午後はさ、一緒に遊ぼ」

 何か吹っ切れたのだろう。片目を(つむ)って誘う永見。

 悪い手ではない、と、沈思(ちんし)(ささ)えに手を額へ置く。

 次の鐘が鳴れば、永見と(しば)しの別れ。彼女は間宮と同じ(クラス)へ戻ることとなる。目の届かぬ場所で、(よろ)しくない組み合わせ。

「ならば、見つからない様にせんと、な」

 事が露見すれば姉が黙っておらぬだろう。が、其処(そこ)は後回し。今は一致した思惑(おもわく)(かな)えるべく、動き出すのが吉。

 さて、誰にも気付かれぬ内に、逃避行と洒落込(しゃれこ)もうか。

「こらぁっ!そこぉ」

 乗り気となった高揚感は、無粋な胴間声(どうまごえ)に水を差された。先の騒ぎを納めようと、遅ればせながら駆け付けたのだろう。校舎から騒がしくも近づく、やや高めの太い声。

「うっ、太田っちだ」

 音の(ぬし)を見た永見が肩を(たゆ)ませて下へと落とす。具合の悪い顔色が一層沈み、土気色へと変わる。

 是非も無い。生徒に手を引かれて地を踏み鳴らす恰幅の良い女教師の姿に、落胆を隠せぬ顔を手で(おお)う。寄りにもよって最悪の人選。他の教師は捕まらなかったのか、いや、大田氏が進んで首を突っ込みに来たのだろう。

「話は聞いたわよぉっ!何やってんのよぉっ!」

 息も絶え絶えながらも声を張り上げ、丸い塊が徐々(じょじょ)に押し寄せてくる。()()(がたな)にしては鈍足な動きではあるが、確実に。

「此れは……長くなるな」

 彼女に捕まれば最後、根掘り葉掘りと矢継ぎ早に尋ねてくるだろう。聖職の立場としてではなく、下世話な興味として。

 ちら、と時計を見ればもう少しで鐘が鳴る頃合い。此れでは抜け出すことも、次の授業に出ることもできぬであろう。

「今日、帰れるかな?」

 永見が力無く呟く。忍びの(わざ)にも未来を見渡す(すべ)は無い(ゆえ)、二人で困り顔を見せ合うしかなかった。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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