昼下がりの詞戦 一
午前最後となる授業の終わりを告げる鐘の音。鳴り終わるまでの暇すら惜しむかの如く、気の合う仲間同士で集い合い座を囲む。
自然、思いゞに繰り出す取り留めのない会話が重なり合い、教室は騒々しい活気に満ちる。勉学に励む者にとっては束の間の休息、心踊らせる団欒の時間。
だと言うのに、この男と来たら。
蓮向かいに座る蜂谷は袋に詰まった寒天の出来損ないを口の中へ流し込めば、返す刀で遊戯具を取り出す。皆が持つ端末よりも厚く大きい。彼が度々口にする専用機という物か。
「相変わらずやの」
「フヒッ。し食事に時間を取られるのは、ムダ」
呆れ声も気にせず、其の儘手の中に収まった画面へ視線を落とした。両の指それぞれが別の生き物のように慌ただしく動き出す。其の指捌きは正に電光石火。自ら天職と称するだけの事はある。
「た大会も、近い。じ時間は、有効に使わないと」
此れはまた、彼らしくも無い大きな言葉。つい、立ち去ろうとした足が止まる。
「ほう。何の大会だ?」
「か格ゲーの、アジア大会。そソコで優勝すれば、せ世界大会に行ける」
意外な言葉に目を開いた。日ノ本を飛び出し、四海の向こうを相手にするか。さぞ腕自慢が集まるのだろう。
だが、大法螺を吹いた、などと嗤うには気にはなれぬ。画面で踊る偶像を追う目は真剣そのもの。本気で亜細亜の猛者を蹴散らす気だ。普段の死んだ目とは違う眼光に、気後れや迷いはない。
「ならば、あの飯だけで足りるか?腹が減っては戦は出来ぬ、と申すが」
手にした弁当箱を掲げる。中身は手製の握り飯がみっつ。ひとつ減ったとて困りはしない。
「フヒッ。あ味のしない御飯は、ノーサンキュー」
一瞥すら向ける事も無く断られた。弁当の包は行き場を失い、宙に浮いてしまう。
「左様か」
所在を失くしたままにする訳にもいかず、肩と一緒に軽く落とす。
此れ以上は蜂谷の邪魔。そそくさと場を離れる事にする。
「き、今日も、奥さんのトコロ?」
視線を手元の画面から逸らさぬまま、白い肌の男が呼び止める。以外にも周囲を見ているな。
が、言葉の選び様よ。
消せどもゞ、未だに噂される忍びの真偽。手を拱いているというのに、更に手を煩わされるのは勘弁。生まれたばかりの頭痛の種に、つい頭を押さえてしまう。
「別に契は結んでおらぬぞ。よもや根も葉もない噂など、流して居るまいな?」
睨みつけては見たものの、当の本人は来たるべき大会とやらに傾注して微動だにせぬ。全く、都合の良い耳だ。
「軽い口は結んでおけ」
溜息を残し、握り飯の包みを持って教室を出る。果たして脅迫、いや忠告がどこまで通じるか。またぞろ、頭痛の種が増えそうだ。
疼く蟀谷を横目に見つつ、喧騒に覆われた廊下へ歩を進める。擦れ違う誰もが明るく笑い、楽しそうに燥ぎながら歩き、走り、時に肩を寄せ合った。
業腹に満ちた示威的な目に怯える必要もない。謂れなき暴力が消えた。全ては元通り、とはいかぬが、前と同じ落ち着きを取り戻しつつある。
あの陰惨な夜が明けてから数日。淡緑の姿は街角から姿を消した。
奴等の根城が焼け落ち、巻き込まれたのだ。近年、類を見ない数の犠牲者が出た、とMix-Sceneを介し瞬く間に拡散され、ちょっとした騒動となる程に。あまり喜ばしい報せではないが、悪意から開放された安堵は隠し様がない。
その騒ぎの中で、制服姿の高校生が居たという噂は出てこなかった。
思い返しても、未だ夢と錯覚する。両碗を蛇となって襲う赤鬼に、正体も分からぬ神出鬼没の男。御伽噺から飛び出でた異形なる相手と刃を交えたなど、誰が信じられよう。
だが、残念ながら身に降りかかった事実。姉と共に住まう一室に押し込めた段平が証拠となる。
結局、奴らの目的は終ぞ知る事は出来なかった。
何もかも分からず仕舞。彼らが何者か、何故に淡緑の一味を鏖にしたのか。残忍な行いの痕跡すら消せる力を持ちながら、箇の夜に結んだ約定を律義に守るのか、も。
いかん。立ち止まり、深い思考の沼へと沈む頭を手で引き釣り上げる。約定通りならば、二度と顔を合わせぬ間柄。何を企もうとも預かり知らぬ。
其れよりも見ろ、目的の教室を通り過ぎてしまったではないか。
何時迄も永見を待たせるわけには行かぬ。側で色々な表情を見せてくれる、御転婆な姫様。機嫌を損ねる前に顔を見せてやらねば。
「永見さん?さぁ、さっきまで居たんだけど」
教室の入口で談笑していた簾髪の女子が教室内を見流し答える。しまった。我慢できず迎えに行ったか。
いや、教室が離れているとは言えども通る道程は一本だけ。ならば途中で出会うはず。
「あれ?さっき間宮くんと一緒に出ていかなかった?」
と、一緒に井戸端を開いていた巻き髪の女子が割って入った。
出てきた名に思わず教室内を覗けば、御河童の丸顔も伊達男も姿が見当たらぬ。二人だけでない。間宮の取り巻きも。
「で、何処へ?」
「えーっ、そこまで知らないよぉ」
何が楽しいのか、可笑しそうに笑う女子二人組。
嫌な予感しか無い。用が済んだ教室を離れ、彼女を探す。否、探すのは間宮を含んだ一団。
だが一体、何処へ消えた?
屋上は鍵が掛かって立入禁止。図書室や視聴覚室は永見が嫌がる。ごった返す食堂は論外だろう。後は中庭だが、少々手狭である。あの数で押しかければ、周囲の邪魔にしかならない。
今まで得た報せを手繰り、考えよ。
永見は級友の中で孤立、その元凶である元彼氏と一緒である。穏やかではない顔合わせ故、衆目に気づかれたくは無い筈。取り巻きの数も考えれば、広く人気の無い場所が良い。
心当たりがあった。永見と授業を抜け出して語り合った秘密の場所。狭いながらも、詰めれば取り巻き含めて収まるはず。
ふたつの校舎を繋ぐ為に拵えられた渡り廊下から眼下を見やる。
居た。
男女に取り囲まれ校舎の隅へと向かう一団。その中心に永見と、側で付き添う長身は間宮だ。校舎の端まではあと少し。角を折り曲がれば忽ち視界から消えてしまう。
ええい、ままよっ!
手前の窓を開け放ち、五体を宙に躍らす。地面とは三間と少し。麻木より少し高い程度ならば、修行でも何度も跳んできた。
万物の法則に従って勢い良く足から地に着けば、膝、腰、上体へと受け身を取るように転げて衝撃を逃す。其の儘くるりと一回転。落ちた力を前へと進む力へ変え、健脚を繰り出す。
「永見っ!」
瞬く間に彼女達との差が詰まる。突如沸いた業風に、誰も彼もが何事かと振り返った。無論、間宮とその腰人着も。
「しぃ君っ⁉」
普段から大きな目を更に見開く御河童の子女。此の場に現れるとは露にも思ってなかったのだろう。口元に手を置いて身を固める。
其の彼女へ至る道を遮る様に、大きな何かが立ち開かった。背が高く、頼り甲斐の有る面持ちを持つ美丈夫。行く手を阻まれては足を止めるしかない。
「やあ、赤目」
間宮透が白い歯を見せ、爽やかな笑顔を向けた。
「だいぶ急いでいるようだけど、僕に用かな?」
間宮が少し困った様に首を傾げる。些細な仕草でさえ魅入らせんとする俊傑。
「其方に用など無い」
何を白々しい。落ち着き払った美形を鋭く睨む。
「用があるのは永見だけ。 其方らこそ、永見を連れ出して如何にするか?」
「そう言われても」
涼やかな彼の眉根が寄る。困ったように視線を取り巻きに向ければ、巻き毛の男が軽く首肯した。
「悪いけど、僕たちも椿に用があってね。その後でも良いかい?」
「ならば相席させて貰おう。大して時間が掛からぬなら問題なかろう?」
挑発気味に言の葉を向ける。間宮が目を鋭く細めた。癇に障ったか?ならばお互い様だ。
「し、しぃ君っ!大丈夫だからっ!」
慌てた永見が間に割って入ろうとするものの、間宮は目も向けずに押し返す。
「ほら、椿もこう言ってる。嫌がっている相手の話に入り込もうなんて、どうかと思うけど?」
「いや、尚更聞きたくなった」
一歩も引かず我を通す。
「永見との関係、其方も耳にしているだろう?同じ様に 其方と永見との仲を聞いている。余り良ろしくない仲だそうだな」
美丈夫の顔色が変わった。形の整った薄い唇の端が下がる。構うものか。
「で?だからと言って――」
「彼女を泣かせる訳にはいかぬ、からの」
良く通る声音を遮り、低い調子で意をぶつける。永見が涙する言葉を吐いた相手。取り巻きを含めた一団の中で彼女を一人には出来ぬ。
「君には関係ない」
が、帰ってきたのは強い拒絶。間宮の眉間に皺が刻まれ、強い口調で突き放された。
此れが合図。周囲は害意で満ち、悪意が膨らむ。疚しき思いが陽炎の刃となって切っ先を向けた。誰に?一人しか居らぬ。
「そうだよっ!お前には関係ないだろ!」
「何様のつもりよ!偉そうにっ」
堰を切って周囲の追従者が非難を始める。都合悪い流れを断ち切るかの如く浴びせ掛かる罵詈雑言の嵐。このまま押し切る気か。
甘く見るな。
「成らば、隅に隠れて如何にする気だっ!」
丹田に力を込めて発した声が空気を震わし、有象無象の悪罵を消し飛ばす。
内で練り上げた気に言葉を乗せ、遠くの者へと運ぶ鳴鯨の術。が、狙いを絞らずに使えば周囲に轟かすなど造作でもない。
「其処まで他人に聞かれては困る話なのか!?一人の女子を相手に寄って集って!」
更に押し込めば、誰もが唇を噛み押し黙った。言い返す言葉も無く、握った拳を小刻みに震わせる。振るうには人目が多かった。
騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり、顰めた顔で間宮の一団に視線の鑓を投げつける。今まで浴びたこと無いであろう、非難が込められた冷たき視線。さぞ堪える事だろう。
だが――
「赤目、少し勘違いしていないか?」
美麗な頭目が口を開く。引き連れた仲間が一様に俯く中、涼しげに口元を柔らかく綻ばせ、戯けるように肩を竦める。
「別に悪い企みなんてしてない。確かに、赤目も多少は関係はあるかも知れない。けど、余計な事を言う資格はないね」
「どういう意味だ?」
「僕たちは別れちゃいない、ってコトだよ」
突然、傍らで固まる永見を引き寄せ、其の肩を抱く。嘗て恋仲であったのを見せつけるように。
「キャッ!」
彼女の口から短い悲鳴が漏れる。が、身を震わせる姿は間宮の懐に収まり、逞しい腕の中で隠された。
「永見っ!」
「おっと」
奪い返そうとするものの、美丈夫は空いた手を前へ翳す。先手を取られた。今度は此方が歯噛みする番となる。
「モチロン、君たちの噂は聞いているよ」
余裕を取り戻した間宮が爽やかに髪を掻き上げる。気障な仕草。似合うのが尚更、腹を立たせる。
「だとしても、だ。僕は椿に別れようなんて言ってないし、椿だって同じ。僕達の間でちょっとした勘違いがあっただけさ」
よくも斯様な言葉を抜かせるものだ。抱き寄せられた永見は身を縮こませたまま、誰にも目を合わせようとはしない。此れで齟齬があるなど、下手な滑稽噺にも劣る。
二の句を告げずにいると気を良くしたか、流々とした講釈が続く。
「分かったかい?これからするのは、仲直りするための話し合いなんだ。恋人同士の語らいに邪魔するなんて、ちょっと野暮じゃないか?」
片目を瞑り、勝ち誇った顔を向ける間宮。何を今更。簡単に頷くとでも思ったか。
「永見」
話の通じぬ相手に見切りをつけ、顔を伏せたままの子女に声を掛ける。
「間宮が下らぬ事を吐いているが、永見は如何に思う?忌憚なく申せ」
「なっ!」
「問答無用っ!」
恐らく美丈夫の絵図面には無かったのだろう。鼻白む間宮に対し、強い言葉で先を封じる。
「幸い、此処に二人が揃っている。折角の機会、皆の前で白黒判然させようでは無いか。のう?」
最後は野次馬として囲った生徒へ向けた言葉。
途端、周囲から喧ましい歓声が上がった。
「おぉっ!赤目っ、勝負に出たっ!」
「告白タイムっ?告白タイムっ!」
「安心しろっ!骨は拾ってやるっ!」
野次馬達は面白がり、囃し立てる。当然の反応。何しろ色恋沙汰は大の好物。係る催しが降って沸けば、盛り上がらぬ筈が無い。
軽く頷くと視線を二人に戻し、何も語らぬ永見へ語りかける。
「遠慮はいらぬぞ。何を言おうとも、受け入れよう」
とは申せ、あの日の話を信じれば答えは分かり切った事。少し目を離した隙に心変わりがあれば別だが、其時は其時。男としての魅力が無かったと肩を落とすだけ、だ。
「よせっ、赤目っ!そんな話じゃないっ!?」
この期に及んで大きく手を振り、騒ぎを収めようと試みる間宮。分が悪いと自分でも分かっているのだろう。取り巻き達も必死に火消しを図る。
が、ひと度火の付いた群衆が大人しくなるはずもない。
「椿っ!あんなヤツの言葉なんか聞くなっ!」
「怖がる必要はない」
割って入ろうとする邪魔な声に構わず語りかける。耳に届くよう、低く通る力強い声で。
「思うが儘、口にすれば良い。なに、 其方の身を危ぶめる者が居らば、全力で守る」
真。三禁の戒めとて顔馴染まで咎めやせぬだろう。況してや縁で繋がった友が怯えているのに、手を貸さぬ道理はない。もし、此れが元で地獄に墜ちるならば、さぞ居心地が良いに場所であろう。
果たして、永見が顔を上げ此方を見た。小さく結んだ桃色の唇は震え、大きな瞳が濡れ揺れる。軽く頷いてやると、恐るゞ口を開いた。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。