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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
二 うき世の民に おほふかな
10/32

赤鬼と獏 二

2025.04.10 後半の文章を手直し

2025.04.17 タイトル修正

2025.04.19 さらにタイトル修正

 視界の大半を埋める、闇から産み落とされし赤鬼。巨木の(ごと)隆々(りゅうりゅう)たる四肢を歴々(まざまざ)と見せつけ、獲物を値()みするかの(よう)に頭を突き出し上から見下ろす。

 高く(そび)えた頭から濃紅(おに)なる鮮血の帯が凹凸(おうとつ)を極める筋肉の(くぼ)みを伝う。数えるのも億劫(おっくう)な数の深紅の筋が分れては交じり、手首から伸びた二連の鎌刃の先から一雫(いってき)、また一雫と(したた)り落ちる。

 疑う余地もない異相。こうして相対(あいたい)するだけでも武者震いが止まらぬ。

 全身を赤黒く染めるには一人や二人の血量では足りるまい。根城に巣食う全てを手に掛けねば、到底満たせぬだろう。それだけ赤く、血生臭かった。

「あ奴は其方らの頭目(とうもく)かっ」

 ()せる程の鉄臭に腕で鼻を(かば)いつつ、足元で腰を抜かす刺青に問う。相手は仲間であった(むくろ)を腕に抱えたまま激しく首を横に振った。酷く汗を搔き狼狽(うろた)える姿から嘘だとは思い(がた)い。

「ならば何者っ!」

「しぃ、しぃっ、知らねぇよぉっ!」

 唇を震わして発した悲鳴は上擦(うわず)った。歯を震わせ、満足に息も継げずに全身を震わせる。呑まれているのは一目瞭然。

「しゃんとせいっ!」

 心を折りかけし腑抜(ふぬ)けに檄を飛ばす。

 仲間の死に心を痛めた、可哀想などと慰める余裕などない。(はか)らずも死地に足を踏み入れた。胆が枯れ気が(うつ)ろになろうとも、心中(さだ)めて対峙せねば坊主頭の後を追う羽目になる。

 くぉぉぉぉっ!

 再び赤鬼が豪声を上げた。腹底を寒心(かんしん)たらしめる爆轟が激しい向かい風となって場に押し留める。負けじと(はら)に力を込め段平(だんびら)を中段に構えれば、赤鬼も動いた。

 地響きを(とも)(つら)なる峰々(みねみね)を揺らして押し迫る。眼窩(がんか)から発する光点の加減で狙いは判然(はっきり)と見て取れた。逃げ場はない。

「ぎひゃあぁぁっ!」

 絹を裂く金切(かなき)り声が刺青の喉から(ほとばし)った。懸命に手足を動かすが、血の床に滑り()の場から退(しりぞ)けず。このままでは無骨な闖入者(ちんにゅうしゃ)()かれてしまう。

「阿呆っ!」

 邪魔者を蹴り飛ばすのと赤鬼が()り出す斬撃は()()同時。余計な手間を掛けたせいで対応が遅れた。

 左右の剛腕から()えし四本の鎌刃。赤い飛沫(しぶき)を撒き散らして振り下ろされる右の凶刃は身を(ひるがえ)して(かわ)す。

 が、左から叩きつける様な側撃までは()け切れぬ。猛獣の牙を思わせる二本一対の鈎爪(かぎつめ)。噛みつかれる前に段平を立て受け止めるしかない。

 (やいば)同士の切り結ぶ火花が(ほの)かに散り、()んだ音が幽暗(ゆうあん)に響く。左腕に伸し掛かる衝撃をまともに受け、足裏が地を離れた。(あがな)い切れずに(はじ)き飛ばされ、()ぐ脇の壁へ飛ばされる。

「っ!」

 咄嗟(とっさ)に受け身を取ったものの、一瞬だけ息が詰まる。が、痛がる(ひま)など与えらる(はず)も無い。追い打ちとばかりに赤い巨体が飛び掛かった。押し潰す気か。

 無理に中身を(ひね)り出されるは勘弁。隠し物入れから焙烙玉を(いく)つか手に取り宙へと(ほう)る。寸時、(しの)び崩れと赤い山脈の間に迷煙が舞い上がった。互いの輪郭すら(うかが)い見えぬまでの濃い白煙が(あた)りを覆う。

 互いに視界を失ったとは言え、不視の触覚は健在。優位を活かすべく身を丸めて転がれば、勢い殺さず引き離された刺青へ駆け寄る。正体も知れぬ異形を相手にするは得策に(あら)ず。仔細(しさい)を知り得たる事に賭け、足手(まとい)を連れ去るのを選ぶ。

 出来なかった。

 赤鬼の巨躯(きょく)を覆い隠す煙幕から目を離した刹那、悪寒が背筋を(つらぬ)く。全身の肌が(さか)立ち、体内を巡る経脈(けいみゃく)の全てが急激に凍り切った。不意に襲われた、激しき悪霊の抱擁(ほうよう)

 いかんっ!黄泉への(いざな)いから逃れるべく、即座に大きく身を(ひね)る。煙雲(えんうん)に穴を開け、鎌刃の切っ先が一瞬前まで居た足元を(えぐ)った。居所(いどころ)が分かっていた様な打突。(おのの)き、ひたすら飛び退()いて間合いを取る。

 赤鬼は詰めてはこなかった。

 夜陰(やいん)に染まった灰色の煙を貫き、ふたつの赤い光点が不気味に浮かぶ。冷や汗が一条、頬を滑り落ちた。焙烙玉も苦にはせぬ、か。何とも厄介な相手に目を付けられたものだ。




 廊下に細かな霧の雨が振る。(にわか)に立ち()めた煙を感知し、散水機(スプリンクラー)が動き出したか。火事を告げる耳障りな警告音(アラート)警笛(サイレン)、録音された音声が返し鳴り響く中、散水は焙烙玉が作り出した煙の緞帳(どんちょう)を下ろし、薄闇が次の舞台を整える。

 中央には眼中無人(ひとなし)とばかりに仁王()つ赤鬼。

 両端の(そで)にはそれぞれ淡緑の不良と忍びの()(そこ)ね。

 位置取り(わろ)し。(はさ)み込む形なれど肝心の刺青が使い物にならぬ。逆に悪鬼は好き勝手に片方へ狙い定めて襲い掛かれる。何方(どちら)を狙う?聞くまでもない。

「化物め」

 知らず口元から愚痴(ぐち)が漏れた。ひと呼吸し、段平を左手に持ち替える。

 赤鬼も淡緑に用があったのだろう。が、用件が陰惨を(きわ)めた。小山の如き巨体を深紅に染めし原材が何なのか、想像するに(かた)くない。

 問題は()の先。此処(ここ)まで殺戮の限りを尽くしたのだ、偶々(たまたま)居合わせた哀れな目撃者を見(のが)すとは思えぬ。

 ならば赤鬼の力量を知る必要があった。

 上手(うま)く逃げ(おお)せたとて、口封じに追ってくると容易(たやす)()(はか)れる。が、殺魔の鬼に追い詰める力量があるかは別の話。一人の学徒を見つけ出す(ため)、東の都に住まう民草(たみくさ)(すべ)て手に掛けるなど出来る訳がない。

 果たして、眼前の怪異は獲物を(あぶ)り出す嗅覚を備えているのか。()しくは協力者がいるか。刺青は知らぬと首を横に振ったが、落ち着いて思い起こせば手掛かりを得られるかも分からぬ。

「いや」

 待て、他にも手があるではないか。

 底意地の悪い邪念が鎌首を(もた)げる。

 相手は打突で床に穴を開ける(ほど)の剛力。斯様(かよう)な金剛力士を()()るなど、馬鹿な話と失笑に()すのが道理。その上で二度と手出しせぬ様、きつく言い聞かせるなど夢物語にも過ぎる。

 出来るか?と胸中に問う。

 出来る、と誰かが返した。何が為に(つら)い修行を耐えたのか。思いもよらず始まった鬼退治なれど、手に()えぬ相手までとは思えぬ。

 中々(なかなか)に面白い。自然と乾いた笑みが漏れた。

 周りに(とも)も無く、腰から団子も下げておらぬ。が、(わらべ)の頃より積み重ねて会得(えとく)した(わざ)がある。桃から生まれなくとも退治できるか(いな)か、試してみるのも一興。

 出来なければ?阿呆の骸がひとつ増えるだけ。大した話ではない。

 覚悟を決めたのが顔にも出たか、赤鬼の眉間にある(しわ)が深く寄る。堀の深い(いか)ついた顔を(しか)め、大きく肩を(いか)らせる。加減する気は微塵(みじん)も無いらしい。ひと回り大きく(ふく)らんだ筋肉の谷と峰から揺らめく蒸気に必殺の意が見え隠れした。

 (つば)を飲む(すき)すら与えぬ、気配(けはい)の探り合い。互いの切っ先が触れ合う(わず)か手前で機先を奪うべく、相手の動きを(はか)り、狙うべき隙を見定(みさだ)め、なければ誘い出す。視線が()れて熱を帯び、度々(たびたび)に仮の斬撃を受けた肌がひりつき始める。

「何してんだよぉ!早くぅ助けろぉ!」

 場の緊張に耐えられなかったのか、刺青が情けない声で(わめ)いた。なんと()の悪い事か。

 (やつ)の軽挙が()び水となり、拮抗していた無言の圧が破裂する。もう止まらぬ。互いに機会を(うかが)う静から、刃を(まじ)える動へと入れ替わる。

 赤鬼が一歩も動かぬまま、筋隆(きんりゅう)した太い腕を振り上げ、そのまま振り降ろした。焦ったか、鎌刃の(しゃく)を合わせたとて届く間合いではない。

 だが、遠いと思った一撃は狙い(たが)わぬまま頭上を襲う。肩を入れる動きも無く、赤黒き肌を波打たせて巨腕だけが伸びたのだ。比喩(ひゆ)ではなく現実に。

「ちぃっ!」

 (まさ)奇怪(きっかい)。横に身を(さば)逆刃(さかば)の凶撃から(のが)れると、(まが)つ鬼は地面を穿(うが)った拳をそのままに上腕を横に()ぐ。巨木たる腕が(しな)やかに(たわ)んで下腕へ(つた)わり、肩より先が大蛇(たいじゃ)となって揺れ曲がる。

「っ!」

 まだ手の内を隠していたか。骨節(こっせつ)を無視した斬撃が届く前に地を蹴り、袈裟(けさ)()けの牙刃を段平で受け止める。再び飛び散る火花と共に五体が激しく押され、勢いのまま床に転がされた。

 片腕で()れ。先に飛んていた御蔭(おかげ)膂力(りょりょく)を逃し、大事には(いた)らず。

 が、(あま)りにも人外な動きに(ほぞ)を噛むしかなかった。予測を(ことごと)(くつがえ)す慮外な攻撃の数々。流石(さすが)に読み切れぬ。

 対して赤鬼は余裕が生まれたか、半身に構えながら(たの)()に口端を上げた。蛇の化身へと様変(さまが)わりした腕をくねらせ、顔に浮かぶ光点をひとつ(ひか)らせる。もうひとつは何処(どこ)へ?

「ひぃっ!」

 刺青の悲鳴が答えてくれた。何とも欲を()ったものだ。血色を失った淡緑の生き残りも同時に狙うとは。

「たっ、たっ助けてぇっ!」

 左半分の意匠が恐怖で(ゆが)み、滂沱(ぼうだ)の汗が顔面を湿(しめ)らせる。かつては仲間であった肉塊を放り捨て、血海の中を腹這(はらば)いで溺れる。襲撃者から何とか(のが)れようと転げ回るが、床が滑るのか前にも後ろへも進めずにいた。

 駄目だ。助けるには(いささ)か遅かった。空いていた腕が()い寄ると、鎌首が(あわ)てふためく獲物の背を突き刺す。深い。腕の先にある白刃は根元まで埋まっていた。

「あ……あっ……」

 貫かれた本人は患部を見ることも出来(でき)ず。見開いた(まなこ)を虚空に向け、声なき声を出そうと口を開ける。それも一瞬。

「ぶひゃゃあぁぁっ!」

 激痛に耐えきれなくなった刺青の断末魔。耳を(つんざ)く絶叫が空地を震わすにつれ、淡緑の上着が葡萄茶(えびちゃ)色に深く染まる。

 最早(もはや)、余儀は無い。思案を(まと)めぬまま只管(ひたすら)に足を前に進め、悪鬼との間合いを詰める。

 蛇鬼も気付き、顔の中心にある赤い光点がふたつ揃えた。()(あや)しく(とも)る赤光に狙い定め、新たな焙烙玉をひとつ。弧を(えが)いて宙を舞う赤銅色(しゃくどういろ)の小玉など気にも()めず、異様なる両腕を大きく持ち上げた。必殺の意思を込めた獣撃を()るうが(ため)

 掛かった。

 焙烙玉が破裂する寸前、続け(ざま)に小瓶を投げつける。緑の毒液が詰まった、例の注射器。

 ()のふたつが虚空(こくう)で接触した途端(とたん)、赤茶色の火球が生まれる。

 刹那、低く唸る音と共に闇夜が明転した。

 焙烙玉と毒液が合わさって生み出された爆炎が赤鬼の顔面を襲う。一瞬ではあったが、(つの)のない邪鬼の顔面を焼くには十分であった。瞬時に赤く()れた顔を()()らせ、後ろへ二歩三歩と蹌踉(よろ)めく。

 好機を逃す訳にはいかない。火傷した痛みで(ゆが)める顔の天辺、頭蓋の頂きを空いた片手で着けば、其処を起点に宙返り。巨体の背後を取り、太く短い首に腕を巻く。床に足が届かぬが、(かま)いはしない。

 廊下に降りしきる霧雨の中、赤鬼の背に()ぶさりながら腕に力を込める。全てを賭けた渾身(こんしん)の落とし。一か八かの捨て身の手で止まらぬならば、人外の相手に打つべく策はなし。

 くぉぉっ!

 地が割れる音を吐きながら、肩から()えたふたつの大蛇が暴れ回る。激しく床を叩いたと思えば、急に向きを変え二対の刃が鎌首を持ち上げた。

 首を締め付ける(いまし)めを(はず)さんと思い立ったのだろう。豪壮なる上腕から先が化けた鎌刃の蛇が頭上から睨む。牙に見立てた刃渡りが窓から漏れた夜灯りを照り返し光った。

 絶体絶命。今、襲われれば抗する手段はない。だが、狙われたとはいえ童の胴ほどもある首元に回した腕を外すわけにはいかぬ。

 赤鬼を落とすのが先か、此方の身体が切り裂かれるが先か。

 が、二対の蛇刃の頭は襲う前に(ちから)()き、大きな音を立てて地に落ちる。

 赤鬼自身も丸太の(よう)な脚が折れ、()(とど)まれぬまま片膝を床に着く。筋骨の鎧で覆われた肉体と言えど、喪神(そうしん)せしめれば役には立たぬ。遂には発光する赤点がぼやけ、岩壁と見紛(みまが)(こうべ)が垂れる。

 ぐらり、と腰から上が大きく揺れた。既に()()ける力は残っていない。

 首から腕を(はず)せば、地滑(じすべ)りを起こして上体が崩れ、横倒しと相成(あいな)った。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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