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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
一 あらでうき世に ながらへば
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空中回廊にて 一

2025.06.24 文章を微修正。

2025.04.17 章立てに合わせてタイトル修正。助詞とか微修正。

2025.04.19 さらにタイトル修正

 天に夜の(とばり)が落ちしも(いま)(まぶ)し。十重(とえ)二十重(はたえ)と折り重なった(あかり)が光の洪水となり、闇を()ぎ払う。

 地には人の奔流(ほんりゅう)。夜を(むか)えても騒ぎ足りないのか、数多(あまた)老若男女(ろうにゃくなんにょ)が笑い、(わめ)き、(いつわ)りの陽の下に酔う。

 人の流れ激しい大通りを大河に見立て、天と地の狭間(はざま)に組まれた回廊の一角(いっかく)()縁口(へりくち)に身体を預け、眼下で織りなす(さま)をぼう、と眺める。

 雨後に伸びる竹の如く其処彼処(そこかしこ)から天高く(そび)えた高櫓(ビル)の数々。その足元で沸き立つ影は膨らみ、乱痴気(らんちき)騒ぎは時を追う(ごと)狂騒(きょうそう)の色を増す。

 (よい)の口が始まった(ばか)りで()()り様。半刻(一時間)もしない内に、騒々しさは街中に(あふ)れ返るであろう。

 だが、陽気な喧騒(けんそう)とは裏腹に、この赤目忍(あかめしのぶ)と名付けられし者の心中(しんちゅう)は重い。

何処(どこ)から湧いて出てくるのやら」

 稚児(ちご )であった頃の事を思い出す。確か(かぞ)えでいつつ(六歳)むっつ(七歳)爺様(じいさま)に手を引かれ、古里(こり)から近い街へと連れて貰った。

 初めて見聞きする人里。歩き(やす)い地面や誰よりも速く走る車。何よりも人の多さに(めん)食らったのは今も覚えている。

 が、此処(ここ)天子(てんし)おわします(ひがし)(みやこ)。記憶の中にある華やかな街の比ではない。

 (なら)わしも決め事もなく、闇を追い払った灯火(ともしび)の下で浮世(うきよ)を謳歌する人の群れ。その(ひし)めき合う様に圧倒されてしまう。彼らにとって夜は、(おそ)れるに(あたい)せぬのだろう。

 成程(なるほど)、我が家業も(すた)れるわけだ。

 爺様は知っていたのだろうか?闇夜に(まぎ)れて事を()せる時代ではない、と。

 爺様は知っていたのだろう。身を隠す(くら)がりなど何処(どこ)にも存在しない、と。

 でなければ、先祖代々続いていた生業(なりわい)を畳もうと思わぬ(はず)だ。

 祖父、赤目(いわお)。戦国の世より継いできた、由緒正しき伊賀の下忍。

 先の大戦では敵将の馘首(くび)をふたつみっつ頂戴した、神忍と称えられし傑物。

 上忍の老夫老婆がおざなりに代継ぎする昨今、爺様だけが労を惜しまず、(しの)びに関する極意(ごくい)の全てを孫に叩き込んでくれた。

 確かに修行は生死の間を行き来するほど厳しかった。三途の川が流れる(ほとり)まで足を運んだ数など両手では足りぬほどに。それでも爺様に少しでも近づきたい、神忍の名を継ぎたい、との思いで耐え抜いた事は誇らしく思う。

 そんな修行も終りを迎える頃、爺様は流行(はや)り病を(わずら)った。

 白寿を災禍(さいか)なく過ごし、いよいよ百寿かと思った矢先である。灼けるほどの高熱を発したかと思えば、あれよあれよという間に痩せ衰え、ひと(つき)も持たずに遠行したのである。

 不思議と涙は出なかった。

 生来(しょうらい)、泣くのは下手糞(へたくそ)である。が、爺様の臨終に際して頬を伝うものが一滴も流れぬとは思わなかった。薄情者、と隠れ(さと)の長から叱責されたのは覚えている。

 そうかもしれない。しかし、どうしても泣けなかった。故人を(おとし)める気はないが、爺様が今際(いまわ)(きわ)に放った言葉のせいかもしれぬ。




「のう、しの字」

 爺様が呼ぶ。かろうじて聞き取れるか細く震えた声。長くない、と覚悟せざるを得ない(まで)に弱々しい。

 (そば)に控えれば、歳を感じさせぬほど逞しかった姿は見る影もなく、(あばら)の浮いた薄い胸板を押さえて咳き込んだ。

 居た(たま)れぬ思いを胸に仕舞い込み、白髭に隠れた口元へ水を運ぶ。生憎と郷には他の血縁者はなく、頼れる相手も居ない。

 父は何処(どこ)で何をしているのか。抑々(そもそも)、生きているかも分からぬ。

 母は我が身を産み落とすのと引き換えに()の世を去った。

 (ただ)一人、便りが繋がる姉は東の都へと住まいを変えて(ひさ)しい。足の不安もあり郷までの来訪は叶わぬ。

 勢い、爺様の看病は一人でするしかなかった。

「お主は(いく)つになる?」

 骨と皮だけとなった腕が(すが)り付いた。老いた身体では(みずか)らの力で起き上がるのも(まま)ならぬ。優しく手を添え、ゆっくりと寝床の上に座らせる。

数えで十六(十七歳)ぞ。孫の歳も忘れたか?」

 普段と変わらぬ軽口で返す。物悲しい底意(そこい)を隠すため。口元を覆う面当て(マスク)があって助かった。少なくとも口元の仕草で悟られずに済む。

「そうか。ならば分別もつくだろう」

 爺様は肩でひと息つくと、表情を正した。弱々しい病人の顔から(つわもの)の、歴戦の忍びの面構(つらがま)えに変わる。凛々(りり)しくなった顔に相応しく、背筋も支えを要せずに伸び、奥まった瞳に力が宿る。

「この稼業、我が代で仕舞(しまい)とする」

 先程までと打って変わった、耳に届く力強い声。

「潮時じゃ。 其方(そなた)帰農(きのう)せよ」

 帰農。忍びという家業を捨て市井(しい)の人となる隠語。(すなわ)ち、生きるべき道を閉ざすという宣言。

「爺様、何を?」

 急に水気(みずけ)を失った口から言葉を絞り出すまで、(しば)しの時を要した。

 冗談か?いや、分かっている。斯様(かよう)な冗談を言う爺様ではない。最早(もはや)、後戻り出来ぬ事柄だと理解した。

 同時に、全身から血の()()せ震える。

 此の先も忍びとして生きるのであろう。爺様が遠くへ去ろうとも、郷での暮らしは変わらぬ。同じ様に年月を重ね、やがて同じ墓に入るもの。と、勝手に思い込んでいた。

 そんな漠然と思い描いた未来の絵図面(えずめん)が今、陽炎(かげろう)となって消え失せたのだ。

 いや、まだだ。

「爺様に(もの)申す」

 傍らに(かしこ)まり、頭を下げる。

「今日まで耐えし修行は(ひとえ)に忍びとして生き、忍びとして死ぬが為」

 思いの丈が口から出る。

 爺様の半分、いや四分の一も年月を重ねておらぬが、先人と同じ(いただき)に立つのを夢見て身を捧げてきた。

「それを今更、無下にする物言い。爺様はこの思いを(ないがし)ろにすると(おっしゃ)られるのか?」

 家長の言葉は絶対とは申せ、たった一言で今(まで)の生き様を無しとされるは(あま)りに理不尽。そもそも忍びの身を(うしな)った後に何が残るというのだ。

「その心意気は天晴(あっぱれ)()れど、の」

 爺様も察したか、(かしず)く孫に向かって目を細め頬を緩めた。笑ったのかも知れぬ。

「この先、この家業に浮かぶ()があると思うか?」

 皺だらけの手を伸ばし髪を撫でてくれた。爺様と同じ総髪の慈姑頭(くわいあたま)。憧れに近付こうと真似た髪型。

「忍びなど今世(こんせ)より隔離され、只々(ただただ)廃れていくばかり。斯様な稼業に可愛い孫を継がせたくない、それだけよ」

 しっか、と見据えてくる顔は優しかった。修行の後に良く見せてくれた、大好きな好々爺(こうこうや)の顔。

其方(そなた)は思うがまま、好きに生きよ」

 皺くちゃの手が離れる。思わず(つか)み、握り返した。其れだけで爺様は悪戯(いたずら)っ子のように破顔する。

「しの字よ。これが儂からの遺言じゃ」

 翌日、爺様の容態は急変し、夜を待たず息を引き取った。



「爺様も、(こく)な話を(のこ)してくれたものよ」

 力なく架木(ほこぎ)(もた)れ、未だ騒がしい街の様相(ようそう)を見下ろす。

 好きに生きよ、と言われても、所詮は隠れ郷に(ひと)り残さた下忍の末裔。出来ることなど高が知れている。しかも爺様が最後に言い残した帰農という言葉は、時を置かずして郷中が知る所となっていた。

 生まれ落ちたる古里は伊賀の隠れ郷であり、未だ忍びを生業(なりわい)とする者が隠れ住む秘中の地。

 万川集海(まんせんしゅうかい)にも『兼ねて名と芸とを深く隠すべき事』とある。

 正体を悟られぬよう、名と忍びの(わざ)を隠せ。(いにしえ)から伝わりし教えは何時(いつ)しか郷の掟となり、大凡(おおよそ)の者を受け入れぬ不入の地となった。足抜けした者が長く居座れる場所ではない。

 となれば頼れるのは一人だけ。爺様が眠る墓前に手を合わせた後、一路東へ、姉の元へと向かう事となった。

 それが、ほんの二月ほど前に起こった出来事。

 何もかもが目まぐるしく変わってしまった。長い眠りの中でみる夢ではないか、と思ってしまう。

 夢ならば早く覚めて欲しい。爺様の拳で叩き起こされたとしても文句は言わぬ。それこそが(はかな)い夢だと知っていても、だ。

 欄干(らんかん)に預けていた重い体を起こし、天を(あお)ぎ見る。

 面々と立ち並ぶ高櫓(ビル)の先に浮かびたるは(なか)ば欠けたる七日(なのか)月。他に星はなく、色()せた薄い闇の中にぽつん、と孤独を(さら)している。

 (はる)か昔、この月を眺めた先達(せんだつ)も同じ思いであったろう。


  心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな


 よくも上手く()んだもの、と(いにしえ)の歌人に感心するしかない。(わず)か三十一文字の短い(ふみ)。其の中に我が身の不幸、悲哀(ひあい)を追憶の元へ届けんとする願いが存分に詰め込まれている。

 時の(みかど)と忍びに()り損ねた半端者。身分の違いはあれども、思い通りに身を置けぬ者の胸中は同じ。決して手が届く事のない彼方(かなた)に栄華を、望む未来を喪った、(わび)しさ。

 もう少し歳を重ねていれば、一人の忍びとして地に足を着けておれば、斯様(かよう)な嘆きを漏らす事はなかっただろう。

 (ゆえ)に、願わずにはいられなかった。せめて、あと二年、いや一年。爺様が持ち(こた)えてくれたら。

 徐々に(うつむ)く頭を支えるため、手を添えた。駄目だ。どうしても思慮が意地の悪い方へと流れる。

 万川集海にも(しる)されていたであろう?生まれ落ちたる時、既に天より死する時を定められている、と。病の有無に関わらず、あの日に爺様が遠行したのは遠い昔に定められた事柄。俗人(ごと)きに変えられる(はず)もない。

 そう、爺様は天命を終え五行へ返ったのだ。いずれ陰陽へ変化(へんげ)し、陰陽は一理へ変わる。一理とは人()(もの)。ならば、いつかは会う機会もあろう。

 大きく息を吸い、吐く。

 一刻(二時間)ばかりは黄昏(たそがれ)たであろうか。夜も深まった。道草を食うのも度が過ぎたようだ。眉間に皺を寄せ、腕組みした姉の姿が思い浮かぶ。

 これは大事。足元に置いた背嚢(バックパック)を引っ掴み、その場を離れるとする。その際、なんとはなしに回廊の下へ目を向けたのがいけなかった。

 一人の女子(おなご)と目が合う。

 身の丈はおよそ五尺と少し、小さく丸い顔に毛先を丸めた御河童頭(おかっぱあたま)。目尻が垂れた大きな瞳に筋の通った小さき鼻。少々突き出た薄紅色の唇は細く薄い。

 やけに短い腰履き(スカート)を身に着けた制服姿の子女。それが大きく目を見開き、此方(こちら)へと指を差す。

「あ――――っ!」

 素っ頓狂(とんきょう)な絶叫が耳朶(じだ)を震わした。馬鹿騒ぎの中でも聞き取れる甲高い声。何事か、と周囲が彼女へと目を見開く。

「やっと見つけたぁっ!」

 足を止め驚く群衆など意に(かい)さず、女子は再び鋭い声を張った。あの小さな身体で良くも大きな声を張れるものだ。感心したい所であるが、そうも言っていられぬ。

 見たくもない、と言う訳ではない。食傷気味なだけ。ひと月前の出来事から()(かた)、暇さえあれば顔を突き合わせようとする。それこそ片時も離れず、付いて回る程に。

 それが一日空かずと繰り返されれば、流石に鬱陶(うっとう)しくもなる。(たま)には離れて物思いに(ふけ)りたい。そう思い立って一人で街に繰り出した次第である。

 が、彼女は許してくれなかったようだ。

「ちょっと待っててっ!ソッチ行くからっ!」

 耳を(ろう)する喚声を残し、大急ぎで回廊の下へ姿を消す。大方(おおかた)、この場を目掛けて駆けているのだろう。

 元より、逃げる気も隠れる腹積(はらづ)もりもない。ただ覚悟だけが少々、欠けていた。

 相手は少々お(かんむり)。会えばきっと、あの大声で喚き散らかされるに違いない。それをどう素早く(なだ)めるか?何とも難儀な厄介事。

 何より、女子という生き物が理解できぬ。

 余りにも(もの)思う道筋の根本が違い過ぎた。感性が異なる、と言っても良い。

 同性では悟れる物事が多くあれど、異性となると途端に(たが)える。故に、同じ人間と一緒くたにしても良いものかと本気で疑いたくなる。

 その上、だ。ただでさえ難渋な相手の機嫌が斜めときた。大人しくさせるには猛獣使いでさえ骨が折れるだろう。

 重く項垂(うなだ)れる頭を掌が押し戻す。

 負け戦なのは火を見るより明らかとは言え、相対(あいたい)する以外の選択はない。何せ同じ学び舎に集う者。明日になれば嫌でも出会う事になるのだ。

 と、背後が(ざわ)めき始めた。思ったよりも早い。全力で階段を駆け上がったか。見ずとも、(かす)かに漏れ聞こえる呼吸の乱れで分かる。

 (いた)(かた)なし。ここまで来たら腹を(くく)るしかない。ひとつ大きい溜息をつき、ゆるりと時間を掛けて振り返る。

「しぃ君っ!もう逃がさないわよっ!」

 そこには先の子女、永見椿(ながみつばき)が仁王立ちしていた。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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