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記録3 止まった世界の始まり

 その日、世界は止まった。

 一人の科学者による実験によって。

 それが不完全だったのか、実験は失敗してしまい、世界の時間は止まった。

 だが、それでも動ける者がいた。


 ――寒い。

 ――もう、生きる意味なんてない。

 ――私が止めることができれば。



 ***



 遡ること二日前――


「遂に完成した! これで、やっと…」


 私が研究室の前を通ると、その部屋から父の弾む声が聞こえてきた。

 どうやら父が新しい研究に成功したようだ。


 私は扉をノックすると、しばらくしてから父が研究室のドアを開けた。

 顔には満面の笑みが浮かんでいて、普段の忙しそうな姿からは想像もつかないほど生き生きとしていた。


「はい、これ」


 私は茶色の封筒を父に渡した。

 中身が何なのかよく分からないけど、父はそれを開けて読み、さらに顔を輝かせた。


「どうしたの? そんなに喜んで……何かいいことでもあったの?」


「ああ。実験の許可が下りたんだ。これで、母さんを救える」


 私はその言葉を聞いて驚いた。

 母が救える――その可能性が現実味を帯びてきたからだ。


「……お母さんを、救えるの?」


「ああ」


 父はそのまま続けた。


「簡単に言えば、世界の時間を止める。そうすれば、母さんを救うための手術や治療の準備に無限の時間を使えるんだ。どれだけ試行錯誤しても、世界にとっては一瞬の出来事になる」


「でも……他の人たちは?」


「他の人? それはもちろん止まるさ。ただ、彼らの命には何の影響もないし、誰も気づかない。問題ないさ」


 私はその説明を聞いても不安が拭えなかった。


「……お父さんは、無事でいてくれる?」


 つい涙がこぼれた。

 父を信じたい気持ちと、不安に押しつぶされそうな気持ちが交錯していたからだ。


「もちろんだとも。お前を一人にするわけがないだろう?」


 父の優しい声に、少しだけ安心した。



 ***



 実験当日――


 その日は霧がかったような空模様で、いつもより静かな朝だった。


「じゃあ、行ってくるよ。成功させてみせるからな」


 父はそう言って、研究室の奥に消えていった。

 実験が始まると、施設全体が深い緊張感に包まれた。

 私は研究室の外でただ祈ることしかできなかった。


 突然、轟音が響き渡り、施設全体が振動した。


「何が……!」


 私が駆けつけたとき、研究室のドアは煙に包まれていた。

 恐る恐る中に入ると、実験装置は見るも無惨な状態で崩壊しており、その中心に父が倒れていた。


「お父さん!」


 私は叫びながら駆け寄った。


 父は苦しそうに目を開け、かすれた声で言った。


「……すまない。実験は……失敗だ。でも、まだ……方法はある……君に……託す……」


 そう言い残すと、父の瞳は静かに閉じられた。


「お父さん……嘘でしょ、目を開けてよ……!」


 涙が止まらなかった。

 父を失った悲しみと、止まった世界の責任が私の肩に重くのしかかった。



 ***



 現在――


 私は一人、動きを失った街を歩いていた。

 人々は皆、止まった時間の中で凍りついたように静止している。


 父の失敗によって止まった世界。

 その世界を元に戻すため、父の研究を引き継ぐことを決意した。


 しかし、どこから手をつければいいのか、何をどうすればいいのか。

 私にはまだ分からない。


 唯一の手がかりは、父が遺した手帳だった。

 そこには、止まった時間を再び動かすための理論と、不完全なままの設計図が記されていた。


「お父さん……私にできるのかな」


 不安と孤独に押しつぶされそうになりながらも、私は立ち上がる。


「やらなきゃ……お父さんのためにも、この世界のためにも」


 手帳を握りしめ、私は再び父の研究室に向かった。



 ***



 研究室に足を踏み入れると、崩れた装置の残骸が視界に入った。

 ここで父が命を落としたのだと思うと、胸が締めつけられるようだった。


 机の上に散乱していた書類を整理し、一つずつ目を通していく。

 手帳には細かい数式や理論が書かれており、それらを理解するのに多くの時間がかかった。


「これが……お父さんの遺したもの……」


 その時、書類の中から一枚のメモが落ちた。

 そこには父の筆跡でこう記されていた。


『もし、実験が失敗した場合、このコードを入力せよ――』


 そこに記されたコードは、長い文字列とともに、実験装置の一部を修正する手順が添えられていた。


「これが鍵なの……?」


 私はそのメモを握りしめ、装置の復元に取り掛かることにした。

 工具を手にし、機械の内部を覗き込む。


 配線が切れ、基盤の一部が焼け焦げていた。

 それを直すため、何度も手を動かし、何度も間違えながら進めていく。


 やがて、夜が明ける頃には装置の形が少しずつ元に戻り始めていた。


「もう少し……もう少しで……!」



 ***



 数日後、装置の修復が完了した。

 メモに記されたコードを慎重に入力し、最後の確認を行う。


「これで……本当に時間が動くの……?」


 不安と期待が入り混じった感情を抱えながら、スイッチに手を伸ばした。


 その瞬間、装置が低い音を立てて動き出した。

 光が装置全体を包み込み、まるで時間そのものが呼吸を始めたかのようだった。


 しかし――


 突如として装置が激しい音を立て、再び停止した。


「嘘……まだ失敗なの……?」


 私は呆然と装置を見つめた。


 それでも、父の言葉が頭の中に響く。


『諦めるな。必ず、お前ならやれる』


 涙を拭い、再び立ち上がる。


「絶対に……世界を動かしてみせる!」


 私は新たな覚悟を胸に、再び装置に向かって手を伸ばした。


 私は、父の研究室で手帳を読み解きながら試行錯誤を繰り返していた。

 しかし、何度やっても失敗ばかりだった。装置を修理しようとしても、基盤が複雑すぎて意味が分からない。

 父がいれば、きっとすぐに答えを導き出してくれただろう。だが、もう父はいない。


 時間が止まったままの世界。

 ただ一人動ける私は、この静止した空間で孤独と向き合うしかなかった。


「どうして……どうして私はこんな世界に残されてしまったの……」


 研究室の中で、私は何度目か分からない涙を流した。

 答えが見つからない。手帳に記された計算式も、装置の仕組みも、私には理解しきれない。



 ***



 数週間後――


 私は全てを投げ出し、街をさまよっていた。

 動かない人々、冷たく凍りついたような景色。

 静止した時間の中で、唯一動ける自分が異質に思えた。


 歩き疲れた私は、目の前に現れた古びた教会に足を運んだ。

 色褪せたステンドグラス、ひび割れた壁、埃をかぶったベンチ。

 時が止まる前から、この教会は放置されていたようだ。


 私はその場で膝をつき、何も考えられなくなった。


「お父さん……どうして私を一人にしたの……」


 誰もいない教会に、私の声だけが虚しく響く。

 自分の無力さが、嫌というほど胸に突き刺さった。


 父のために、世界のために――そう思って必死に努力した。

 でも、何一つ成し遂げられない。


「こんなの、もう嫌だ……」


 私はうずくまり、手帳を抱きしめた。

 その中には、父が最後まで抱いていた夢と希望が詰まっているはずだった。


 だけど、今の私には、ただの紙切れにしか思えなかった。

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