プロローグ
――寒い。
古びた教会の中に一人、少女が隅っこに身を寄せるように座っていた。
その銀灰色の瞳からは人生に諦めたような、絶望の淵に立たされているようだった。
人の声も鳥の鳴き声も虫の鳴き声も聞こえない静寂な空間。
時が止まっているので誰も動けないはずのこの世界で外から鈍く響く足音がした。その足音は段々と大きくなっていく。
少女はその音に気付いたのか、顔を上げ、教会の入り口の方を見る。
足音が消えた。そう思えば、次の瞬間には扉を開けようと何度も叩くような音が鳴り響く。
扉には凹凸が出来て、吹っ飛んでいった。
教会の中に入って来たのは三メートルの程の大柄な化け物。見た目は黒く、筋肉がある牛のような姿をしている。
化け物はゆっくりと歩きだし、少女の方へと向かっていき、少女に向かって手を伸ばす。
「これでようやく死ねる」
少女は誰にも聞こえないようにつぶやいた。
化け物の手を怖がることなく、避けようとさえしなかった。
その時、化け物は突然動きを止めた。
少女が顔を上げれば、化け物の顔は紅い炎に燃やされていた。化け物は地面に崩れ落ち、跡形もなく、燃え尽きた。
「大丈夫か?」
少女の目の前には一人の少年が立っていた。
整った顔立ちに深い海のような青い瞳をしており、それを際立たせるかのような陰影を帯びた黒髪。黒を基調とした服装に黒いマントを羽織っている。
少年は少女に手を差し伸べる。
「…なんで……」
少女は今にでも泣きそうな顔をした。今この瞬間、感情の全てが溢れ出てくるように涙が零れ落ちるかのように。
「……なんで、たすけたの……」
問いかけるような、恨むような、何かに悔いているように少女は訊いた。
「それは君が襲われていたからだよ」
「なんで、たすけるの! なんで死なせてくれないの!」
少女は不満そうな顔をして怒り狂ったように言った。
その言葉を聞いて驚いたのか、少年は笑い出した。
「なんで笑うのよ!」
少女は自分が馬鹿にされたのかと思い、不服そうな目で少年を見つめる。
「いやいや、まさか、あの科学者の娘がここまで責任を感じているものだから、少し安心してな」
少女は少年を睨みつけた。
「なんで、私のことを知ってるの?」
「……秘密だ」
少年は含みがあるように言い、もう一度手を差し伸べた。
「……何よ?」
「少しついてきて欲しい。お前に見せたいものがある」
少年がそう言うと、少女は嫌々ながらも差し伸べてきた手を握り、立ち上がった。
少年が走り出せば、少女はそれに引っ張られるようについていく。
少年は教会から出た辺りで少女をお姫様抱っこをするように持ち上げた。
「い、いきなり、何するのよ!」
「少し危険な場所だからな。下ろしてやってもいいが、ついて来られるか?」
そう言われると少女は何も反論ができないのかだんまりした。
少年は瓦礫を避けながら進み、軽々と建物を飛び越えながら進んで行く。まるで無重力空間にいるかのような動きだった。
少年は足を止めた。目の前に化け物の群れがいたからだ。
少女をゆっくりと下ろし、少年は化け物のいる方向へとゆっくりと歩きだす。
「少し待ってて、すぐ終わるから」
少年がそう言えば、次の瞬間、高く飛び上り、黒い手袋をポケットから取り出した。
黒い手袋を装着すれば、化け物に向かって手を伸ばす。すると、手袋が光だし、化け物を燃やしていた。次々と化け物を燃やし尽くし、少年は手袋をポケットの中にしまった。
少女はそれが何かを知っていた。漆黒の貴重に手のひらの部分には花形の模様。ただの噂でしかない呪いの手袋。それは紛れもなく、『悪魔の手袋』だった。
「見せたいものはすぐそこだ。ついて来い」
少年は少女にそう言い、先に進む。
少年は足を止め、少女の方に振り向く。
「見せたいものってこれ?」
「ああ。まあ、見せたいものというよりも話たいことがある、って言った方が正しいかもな」
少年はゆっくりと少女の目の前まで近づいていく。そして、少女の頬をつねった。
「痛っ! ちょっ、何するのよ!」
少女がそう言うと、少年は愉快そうに笑いだした。
「今、死にたいと思っているか?」
少年が少女に問うと、少女は何も言えずに、だんまりしている。
沈黙の時間が過ぎていき、少女はやっと口を開く。
「……お、思って、ないかも……。……それで、何が言いたいの?」
「簡単に死のう思うな。お前が責任を感じる必要もない。どうしても責任を感じるのなら、俺が守ってやる」
「あなたって、何者なの?」
「俺の名はノワール。ただの何でも屋だ!」
――この地から少女と何でも屋の冒険譚が始まった。