粥とスープとトマトと手羽先
彼の重いまぶたが再び開かれたのは、おそらく倒れてから数時間経ってからのことであった。自分がベッドに横たわっていることを即座に理解した。しかしなぜここにいるのかまでは理解しかねた。どうもここは暑い。天井にはコケのような緑色のものが点々と付いていた。これが何かと問いかけるつもりは別段無かったが、なんとも気になる付着物であった。
「おう、起きたか」
ふと右で椅子に座っている、小さい冊子のようなものを読んでいた男の声が聞こえた。その男の髪は、あの天井に付いているコケもどきが所々付いていたが、それでもはっきりと紅色の髪だとわかる。それは一見薔薇のようだったがコケのせいでわからずじまいだった。ちょうど肩の近くまで髪が届いていた。土のように薄汚れたローブで上から下まで身を包み、青い目はこちらを向いて微笑むようだった。身長は自分より幾分か小さいほうだった。
自分は体を黒いもの一式で包んでいた。黒いマントに黒いズボン。髪も紺色に近い黒色だった。目も黒く、右の男はさぞ真っ黒な男だと思っているに違いない。
「あんたには助けられたよ。ありがとよ」
そう言うと男は笑って手を差し伸べた。彼もそれに応えて握手した。
「俺の名前はヴァード・ルウ。よろしく頼むよ」
軽く自己紹介をしたから自分もしなければならない、と心で彼は強く感じた。
「俺はルイズ・アルバートだ。こちらこそ頼むぜ。ヴァードさんよ」
ルイズはベッドから起き上がった。が、また倒れこんだ。何も食べていなかったから力が出なくなってしまったのだ。
「とりあえず、飯を頼む」
かすれた声でそういうとヴァードはおう、といって台所に行った。見た目からはわからなかったが料理は上手なのかもしれないと密かにそう思った。
数分後、ベッドの隣の小さな木材テーブルに茶碗がおかれた。二つおかれたためおそらくヴァードも食べるのだろう、と察した。茶碗にはおかゆが入っていた。なるほど、これなら手間もかからず簡単で、しかも食べやすい。かゆにはヴァードの髪の色と瓜二つの梅干が乗っていた。ルイズはおもわず食欲を掻き立てられ急いで箸を持ってさかさかと食べ始めた。
「どうだ?味は」
味も何もどうすればおかゆを不味くすることができるのだろうか、と内心考えていたがせっかく食べさせてもらっていてそこまで言うのは無礼だと感じ、美味いと言っておいた。そのうちにヴァードもおかゆを食べ始めた。
「で、どうすれば片手で木を粉にでき魔法が使えるんだい。ルイズよう」
ヴァードが単刀直入に尋ねてきた。ルイズは、街中で安易にそんなことをするのではなかった、といまさらながら反省した。明らかに常人ではないとばれてしまう。かといって助ける方法はあれしか思いつかなかった。ヴァードの青い目は真実を話さないと逃がさないと語っていた。これはもう観念するしかない。
「俺は格闘技が得意でね・・・」
「嘘をつくとお前の骨でスープを作るぜ」
苦肉の策だったがそれは相手に伝わっていたようだ。ルイズは唇をかむと少し間をおいて話し始めた。
「本当は、軍の秘密兵器なんだよ俺は」
ヴァードは箸を持ったまま口をポカンとあけた。まるで信じていない、と顔全体で表した。それは数十秒間続いた。何を考えているかは見当も付かなかったが、ルイズは気づいてくれるか心配になったから少し話しかけてみると、ようやく口が動き出した。
「お前、何歳?」
「22。ヴァードは?」
「23」
なぜいきなりこんな質問をされたのか。それもまた見当も付かなかったが一応答えておいた。
「ここは南の辺境の村だ。ほら、村に入る前森があったろう?あれは南の島とかに生える木なんだ」
どうもこの村に入ってから熱いと感じていたのは、それだったのか。そういえばよく見るとさわやかな草のようではなく、足に絡みつくような気がしてきた。
「五年前に争いがあった。幸いここは辺境の村だったからそこまで被害は受けなかった。・・・森を抜けたあとに坂があっただろ?あれはあの争いで焼かれたものだ。まったく酷いやつらだよ。軍のやつらは」
何も言う気になれなかった。自分が軍の手によって開発されたことが、こんなにも重みになるとは思わなかった。悲しいような、苦しいような、辛い―
「で、お前はあの戦争にかかわっているのか?」
言いたくはなかった。だが、黙ってもいられなかった。自分がしでかした罪は自分で認めなくてはならない。それはわかっていた。しかしいざ口で伝えるとなると、難しかった。のどから先に声が出て行かなかった。そんな自分をヴァードは少し潤んだ目で見つめていた。
「ああ、そのために作られたようなものだからな。俺のこの手で、何人も何回も人を殺した―かも知れない」
「かも知れない?」
「記憶が無いんだ。軍にとっちゃ記憶が無いほうが都合がいいんだろう。だから俺はこの村も襲ったかもしれない」
ヴァードは少し飲み込めない顔をしていた。記憶をなくす方法。そんなことがあるものかと自問自答する姿を、ヴァードはルイズにばれない様にして話を続けた。
「そうか。ならしょうがないか。とりあえず、良くなるまでここにいろよ。お前が昔戦争に加担していようが俺の恩人であることに変わりは無い」
と言ってヴァードは奥の台所にさっさと茶碗を二つもって行ってしまった。
隠し事を全て話すとルイズは疲れがどっと出た。また、ヴァードの親切に目頭が熱くなった。故郷を壊したかもしれない男をこうして匿っていてくれている。何か自分も助けにならなければならないと思ったが睡魔には勝てなかった。そういえば三日も寝ていなかったのだ。先ほど少し寝てはいたが【三日】と言う時間にはさすがに抵抗することができなかった。そのままルイズはベッドに倒れこんで寝てしまった。まぶたも重く、全身の力が急に抜けたような気がしてそのまま意識は飛んでいた。
不意に家のドアを二回大きくたたかれ、その音でルイズは目が覚めた。本来客人ならばヴァードが出るものだが、起きていないのならば仕方が無い。ちらと、ルイズは時計を見た。午前2時30分ちょうど。こんな真夜中に来る客など物好きの極みだ。またもや二回たたかれたから急いでドアを開けた。ドアからは赤い軍服を着た8から9人程度の軍人がずかずかと入ってきた。右肩には軍を象徴する六角形のマークが刻まれていた。
「軍人」
それから何か言おうとしたが声は出なかった。先頭の軍人はポケットから何か薄く茶色い紙を取り出した。ルイズは銃でも出すのかと思っていたが、それは見当違いだったようだ。
「指名手配犯、ルイズ・アルバート。貴殿を軍に対する反逆罪で逮捕する」
今度こそ軍人は短銃を取り出しそれを頭に突きつけた。そのままぶっ放す勢いだった。もう考える時間は無い。とっさにルイズは短銃を右手でつかみ、力を注いだ。大きな音、それは真剣で大木を一気に切り倒したような音。右手から発した雷で銃は黒い粉となり軍人たちへの目くらましとなった。そしてルイズは先頭の軍人のみぞおちをおもいっきり殴った。軍人はその場に倒れこんだ。そのまま二人目を足で蹴り飛ばし、壁にぶつけた。入り口にかたまっていた軍人たちに無理やり突進をして何とか外に出た。
「なんだ、この騒ぎは!」
ヴァードが階段から降りてきた。それを見たさきほどルイズに殴られた軍人は目を疑った。
「し、指名手配犯、ヴァード・ルウ!お前も逮捕する!」
その声は多少震えていたが肝心なことはしっかり聞き取れた。ヴァードが指名手配犯。
ヴァードは部屋にかけられていた木刀を手に取り、軍人を切りつけた。血は出なかったがそれでも決定的な一撃だっただろう。そのまま二人倒しヴァードも外に出た。ルイズはわけがわからずその場に立ち尽くしていた。
「指名手配犯ってのはこのことだろ?」
ヴァードは両手を天に向けて一直線にあげた。ヴァードの細い腕がみるみる太くなり、水のように澄み切った羽、いや、毛が体を包んでいった。頭の芯からつま先まで毛が包む。それはまさに青き鷲、と言った風貌だった。
「と、鳥人間・・・・・・」
「うるせえ!」
その太くなった腕を剣の代わりにして軍人の頭を殴り飛ばした。軍人は気を失って倒れた。いつのまにか軍人は全員倒れていた。
「まあ、こんなもんだ。悪かったな、隠してて」
「今日の晩飯は手羽先か?」
「いや、つぶれたトマトだ。」
そういってヴァードはこぶしを振り上げた。冗談だとはわかっていたが、少し真剣かも知れないと思った
「おまえな、隠していることがあったらさっさと言えよ。俺だけ秘密を言ってフェアじゃねえな」
「すまん、言う必要が無いと思って」
自分が鳥人間だ、と言うことが知れ渡ったら確かにまずいのかもしれないが、軍の兵器と自分が言っておいて隠すのは何か不快だった。
「どうする?これから。全員のしちまったぜ」
「あー・・・逃げるしかないだろうな」
「逃亡生活かよ。軍から逃げたときから覚悟はしてたがな」
ルイズは密林に向かって歩き出した。何も持つものがないと言うのは楽なものだ。無一文。食料はなし。計画は無効。
「よし、じゃあ行くか」
荷物をまとめたヴァードがルイズに近寄った。茶色いローブに小さなリュックを抱えていた。
「あれ?ヴァードもくるのか?」
「ばかやろう。指名手配犯の場所まで割れててこのままでいられるか!」
腰には木刀を差し、いつの間にか青き鷲ではなくなっていた。
「よし、行くぞヴァード!」
「おう、ルイズ!」
そして二人は密林に向かって歩き出した。空には丸い月がぽっかりと浮かび、二人の行く末を照らしていた。