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あなたの面汚し具合  作者: 天気雪晴
6/6

無量大数分の1未満の確率のために




 桜男さんと出会った翌日の教室。

 ウンディーネ君の姿が見えない。

「先生、今日ウンディーネ君は休みですか?」

 朝のホームルームが終わったあと、教室を出て行った験実先生に尋ねてみた。

「おそらくな」

「おそらく? 彼からは何も連絡が無いということですか?」

 ウンディーネ君ってそんなことするタイプなのかな?

 結構真面目そうだし、無断欠席なんてしなさそうだけど。

「気になるのか?」

「少しだけ……」

「まあ、教師の通勤時間を考慮してホームルームと授業の間に連絡してくる生徒も多い。それにウンディーネは昨日、誘拐犯を捕まえたという話を警察から聞いた。疲れてるのかもしれないな。もし連絡があったら伝えてやるよ」

「ありがとうございます」

 犯罪者と接触してストレスを抱える話は聞いたことがある。

 昨日は暗い顔もしてたし、今はそっとしてあげるのが一番かもしれない。

「仲が良いのか? お前とウンディーネが話している姿はほとんど見たことないが」

「僕はそうしたいんですけど、向こうは少し違うようです。彼自身が僕と友達になる価値が無いと思い込んでるみたいで」

「そうか。難しいな、友達を作るってのは」

 同感。友達を作るのは思ってる以上に難しい。

 僕の場合、入学式翌日の会田さんに放った一言で、近寄りがたい存在とクラスメイト達は思っているのだろう。

 竜胆先輩を除いて何か用事でも無ければ、話しかけられることもない。

「青銅、これは憶測だが、ウンディーネの自己評価の低さは周りと比較してのものじゃない。自身の得意不得意、善行悪行、全てを考慮してマイナスと判断してのものだ」

「それがどうかしたんですか?」

「少し人の思考について教えてやる。周りと比較するっていうのは、大抵相手の良い部分でするものだ。勉強ができる、運動ができる、自頭が良い、趣味が豊富。こういうのと自分を比較すれば嫌でも自己評価が低くなって当然だよな。でも比較してる奴は、相手のちょっとした不得意とかを見るとケロッとなる。『自分ができるのに、アイツにはできないのか』ってな。さらにこれを応用すると、比較対象を逆にすることもできる。悪いことをした時は、周りが同じことをしていれば不思議と安心感を得られるだろ」

 そういえばこの前部活でミスして落ち込んでいる生徒が、『誰でも同じことをする』と周りから励まされる姿を見たことがある。

 人は比較を使って自身を励ましたり、蔑んだりする生き物だと聞いた。

 実体験から考えても、相手の意外な一面や悪行を知ることで元気が湧いて来ることはよくあることなのかもしれない。

「だが、自分だけを見て評価してる奴は、立ち直るきっかけがあまりにも限定的で無理難題なことが多い。例えば、この先の人生で受ける全てのテストで100点を取りたいとか、不得意を全て無くしたいとか、果てには時間を戻したい、とかな」

「つまり、自分をプラスに評価できるくらいの結果や能力を得たり、後悔したこと自体を無くさないとダメということですか?」

「まあ、大雑把に言うならな」

 じゃあ、ウンディーネ君の場合もそういうことが無いとダメってことか。

 そうなると彼が何に悩んでいるのか。まずはそれを知ることから始めないといけない。

「あとな。他人の内側を知って仲良くなるのは、それ相応の覚悟と見返りが必要になる。ウンディーネが悩んでいるなら、同様にお前の悩みだって話すべきだ。それでやっと対等になって互いの距離を近づける一歩になる……可能性がある」

「そこは可能性ではなくもっと確実性のある言い方をしてほしいですね」

「仕方ないだろ。人は千差万別。そんな簡単にグループ分けできたら、俺達人類はここまで進化できてねえよ」

 それもそうか。

「今のは、あくまで一個のアドバイスとして受け取れ。これが全てだと思うな。教師だってそれぞれに考え方がある」

「はい。そうさせてもらいます。でも先生、ウンディーネ君に変に肩持ちますね。まるで彼のことを詳しく知ってるみたいな言い方でしたし」

「俺達は魔法使いだぞ。ウンディーネだけじゃない。全生徒のことを万が一に備えてそれなりに調べてある」

 まるでストーカーみたいで気持ち悪い。

 でも不安定な生徒を放っておくわけにはいかないのも事実か。

 魔法学校の生徒って、簡単に言えば銃を常に所持してる子供だもんね。

 そんなのが暴れでもしたら校内全体が危険な状況になる。

 プライバシーをある程度侵害してでも、平穏を守るのがこの学校の方針ってことか。




 夜になり、いつも通りバイタルチェックの結果を博士に送る。

「どこにも異常は見当たらないね。錬磨自身はおかしいと思う部分はあるかい?」

「いいえ、特にありません。いたって健康だと思います」

「そういえば、ホットサンドメーカ―は上手く使えるようになったのかな? 昨日は失敗して黒焦げのパンになってたけど」

 つい昨日のこと。

 早速購入したホットサンドメーカーを使って夜ご飯を作ろうとしたら、盛大に失敗した。

 火加減は調整したつもりだったし、焦げないよう頻繁に確認してたのに、パンを真っ黒にしてしまった。

 よくよく考えてみれば、ホットサンドメーカ―は蓋をしたフライパンみたいなもので、中を見ることができない。

 火加減を誤れば僅かな時間で焦げるに決まっている。

 あれは何度もチャレンジして、どれくらいの火加減と焼き時間がベストなのか分からなければ美味しいホットサンドを作るのは難しい。

 今日の朝も作ったけど、少し焦がしてしまった。

「ちょっとだけ、上手くなりました」

 恥ずかしくて、素直に失敗したとは言えない。

「そっか、失敗したか」

「博士、僕は失敗したなんて言っていません」

「君は嘘をつくとき、よくポジティブな言い方をするからわかるよ。恥ずかしさを紛らわす時なんて、特にそうさ」

 そうなのかな? 全然気がつかなかった。

「それにしても、ここ最近の君の変化は激しいものだね」

「そうですか?」

 僕的には何かが変わった覚えはないけど。

「うん。昨日の桜男さんとの話を聞いた時もそうだった。少し精神の変化が激しすぎる。多分、実験途中のホムンクルスゆえの不安定さが顕著になってきてるんだ。全体的には成長しているように見えて、ほんの一部分だけが年相応の子供になりつつあるんだと思う」

「それは悪いことなんですか?」

「これがこの先全体へ広がっていき、体と精神の年齢差が大きくなればかなり危険だ。幼児退行した高齢者を想像してみてほしい。幼児退行によって好奇心旺盛になり、身の危険を考えず行動してしまう。そして高齢の体はその行動についていけなくなり、怪我をしたり、最悪命を落とすことになる」

「僕はおじいさんではありませんよ」

「私が危惧しているのは、身の危険を考えなくなってしまうことだ。子供はよく後先考えずに言葉を発したり、動いたりする。通常、それは経験と年齢が重なることで無くなっていき、これから行おうとすることに自身や周りにどのような影響を与える結果になるか考え、やる、やめるの選択をするようになっていく。君はその流れとは逆方向へ向かっているということなんだよ」

 それはつまり……。

「自制が機能しなくなっていく、ということですか?」

「それ以外にも、行動に一貫性が無くなりあらゆることが支離滅裂となる可能性もある。これからはもっと一つ一つのことに注意して生活した方がいい。もしかしたら退学になる可能性もある」

「わかりました」

 ちょっとした懸念を残しながら、博士との通話は終わった。

 これから僕はどうなっていくのか。

 あらゆる未来を探りながら、僕はふかふかのベッドで眠りについた。

 



 ここはホムンクルス幼稚園。

 今日もいつものように僕達ホムンクルスは、験実優先生と楽しい勉強をしている。

「はい。じゃあこの問題がわかる人、手を上げてくださーい!」

 先生がそう言うと、僕達は大きな声を出しながら一斉に手を上げた。

 問題は、X²−12X+36で、簡単な因数分解だ。

「じゃあ、(あかり)さん、答えてください」

「はい。(X−6)²です!」

 勢いよく立ち上がった拍子に金髪のポニーテールが揺れる。

明さんはいつも元気だなあ。

「正解です!」

 先生から拍手を貰った明さんは、僕達の方を向いてVサインをしてきた。

 青銅(あおどう)(あかり)青銅(あおどう)(こうき)青銅(あおどう)可憐(かれん)、そして僕。

 園児はたったの4人だけど、みんな楽しくこの幼稚園で学んでいる。

 でも楽しい時間はすぐに過ぎていくもの。

 帰宅時間になり、保護者達が幼稚園に迎えにやってきた。

 みんな、「もっと遊びたいねえ」とさっきまで言っていたのに、保護者の姿を見た瞬間、嬉しそうな表情で走り抱きつく。

(れん)ちゃーん」

「あ、ママ!」

 僕もみんなと変わらず、思い切りその大きな体に抱きついた。

「錬ちゃん、良い子にしてた? 先生に迷惑かけなかった?」

「うんうん、全然」

 のっぺらぼうのママに違和感1つ無く見上げ、僕は答えた。

「そう。じゃあ帰りましょうか。今日は錬ちゃんの好きなキーマカレーよ」

「わーい!」

 ママと手を繋ぎながら帰る。

 振り返ると、パパと手を繋いだ明さんが僕に手を振っていたので、手を振り返す。

「バイバイ、錬磨君!」

「バイバイ、明さん!」

 赤ん坊の頃からの友人、幸せな家庭、楽しい子供時代。


 ……ああ、これは夢だ。僕の願望が詰め込まれた夢。

 最初からわかってたけど、やっぱりこの夢に夢中になることはない。

 なぜなら、彼らの顔は僕が声から想像したもので、実際に見たことはないから。

 声優さんがいざテレビに出ると、思っていた顔とは全然違ったように、声しか知らない人物が想像通りの顔をしてるなんてあるわけがない。

 これは夢だ。

 僕が心の底から願っていた夢。

 願い通りのものなのに、それが目覚めるきっかけになるなんて、バカみたいな話だ。




 目が覚めると、知らない天井がそこにはあった。

 気付いた理由は、寮にある丸いLED蛍光灯ではなく、よく和室に設置されてる紐で吊るされた和紙と木でできた四角いレトロの照明が見えたから。

 周りを見ると、(たたみ)に押し入れ、ボロボロの布団。どれも年季が入っている。

 僕はまだ夢を見ているのだろうか?

 試しに頬をつねってみると、ちゃんと痛みがある。

 状況が飲み込めない。

 僕は昨日ちゃんと寮の自室で寝たはず。

 寝ている間にどこかに連れていかれた? それともこれはまだ夢の中?

 どれだけ考えても答えが出てこない。

 なんとか一度落ち着いてみると、外が騒がしいことに気づいた。

 障子を開けて外を見る。

 そこには知らないビル街と、とても規制があるとは思えない人の群れがあった。

 魔法学校の制服を着た1年の男子生徒が、まだ18歳にもなっていないのに絨毯を街中で堂々と乗り回したり、魔法で政治家を椅子に変形させている女子生徒がいたり。

 どこを見ても、魔法使いが好き勝手に騒いでる状況しか見えなかった。

 『魔法使いは、非魔法使いに存在を知られてはならない』というルールはどこに行ってしまったのだろう。

 こんな状況、魔法政府の人達が黙っていないはず。

 それにさっきから魔法を使っているのは、魔法学校の関係者ばかりで、それ以外の魔法使いが見当たらない。

 僕が知らない部屋で寝ていることも加味すると、やっぱりまだ夢の中にいる可能性の方が高いかな。

「外、恐いけど行ってみよう」

 ここで見てるだけじゃおそらく何もわからない。

 砂が散らばっている玄関で靴を履こうとしたら、ゴムでできた紺のサンダルしかなかったので仕方なくそれを履く。

 聞いたことのないドアの開閉音に怖気づきつつも、ゆっくりと外に全身を出す。

 体に当たる太陽の光や物体に違和感は全くない。

 これが現実だと言われれば信じてしまうほどに。

 部屋の構造と今立っている汚い開放廊下。やっぱり僕が寝ていたのは古いアパートの一室だったようだ。

 ビル街の中にこんなのが建ってるって、凄いアンバランスだ。

 廊下を歩きながら各部屋のドアを見ると、住人の名前が書いているのに部屋番号が見当たらない。

 つけ忘れたというより、なんだかもともとそんなものをつけるようにできていない感じ。

 それと、たまにクラスメイトの名前が出てくるのも気になる。

「この状況を説明できる人がいるかも」

 インターホンが無いから、勇気を出して空回(からかい)(きょう)(すけ)と書かれたドアを叩いてみるも反応がない。

 他の部屋も同様に反応がなかった。

「あー、時間を無駄にしたなぁ」

 そんなことを嫌味ったらしく呟きながら錆びれた階段を下り、道路へ出る。

 ライブでもないのに人の声がうるさくてしょうがない。

 魔法使いも好き勝手魔法を出しまくってるし、ここはまるで無法地帯だ。

「あのー、すみません!」

 絨毯を乗ってビルの間を飛んでいる男子生徒に話しかける。

「ヒャッホウ‼ 見よ、これぞ空中6回転‼」」

しかし聞こえていないのか、こちらを見向きもせず楽しんでいる。いいなあ……。

「あのーっ! すみませんっ! 今どういう状況なんでしょうか!」

 さらに大きな声を出してみたが、それでも反応がなかった。

 絨毯に夢中になって、周りが見えてないないようだ。

「あのー、すみません!」

 次は、政治家の椅子に座って群衆に囲まれている女子生徒に聞いてみる。

 今度は近くまで寄れるので、触れて反応がないか確かめることにしよう。

 群衆をかき分け女子生徒に近づき、「あのー、聞こえてますか?」と言いながら袖を引っ張る。

 群衆が全員女子生徒の方を向いていて、こっちまで見られているようで恥ずかしい。

「私が当選すれば、消費税を0にし、こんな裏で根回しを続け国会を腐らせてきた居眠り議員は全員消す! このように……」

 そう言うと、立ち上がった女子生徒は椅子に変えられていた政治家を魔法でコナゴナにした。そしてその様を見た群衆から歓声が上がる。

 やっぱりこの人たちも僕のことが見えていないみたい。

「というか、そんな過激派なことするなら選挙なんか出なくてもいいんじゃ……」

 そんな軽い指摘をして、その場を去ることに。

「なんなんだろう、ここ? 明晰夢(めいせきむ)を見ている時と現象が似てるけど、それだったら自分の都合の良い夢に変えられるだろうし」

 第一に僕は夢から覚めたんだ。なのにまだ夢の中だなんておかしい。

 それに廊下ですれ違う程度にしか会わない他クラスの生徒が僕の夢の中にいるというのも変だ。

 今までのことを考えるとこの世界は――。

「こんにちは。あなたも私と同じ、夢に囚われなかった人ですか?」

 耳の中に入る癒されるような女性の声。

後ろから聞こえたというのに、危機感が持てないぐらいに。

 反射的にではなく、意識して後ろへ振り返る。

「……明光(みこ)さん?」

 声の正体は、クラスメイトの裏表(うらおもて)明光(みこ)さんだった。

 紺色のフワッとしたロングヘア。左が赤、右が黄のオッドアイ。そして珍しく口紅をしている。

 学校では口を開く姿を見たことがないので、そんな透明感のある美声だったのかと驚かされた。

 後ろで手を組み、年相応で明朗(めいろう)快活(かいかつ)な姿にも、イメージと違い過ぎて困惑してしまう。

「あ、私の名前覚えてくれていたんですか! とても嬉しいです!」

 喜びの笑み。

 ここまでイメージと違うと、別人じゃないかと疑ってしまいそうだ。

「あ、今私のこと別人だと思っていませんでした?」

「……うん。君がそんな顔をする人だとは思ってなかったから」

 なんだか心を読まれているような気がするから、正直に話すことにした。

 それに明光さんのあの余裕そうな態度から考えて、今の状況を理解できている可能性が高い。

 ここは有益な情報を1つでも知るために、少しでも彼女との距離を近づけるべきだ。

「うふふ、そんなに身構えなくてもあなたの知りたいことはできるかぎり教えてあげますよ」

 また読まれた。

「君、人の思考を読むのが上手いんだね。それとも魔法?」

「実際に心の中を読んでいるわけではありませんよ。こんな状況で考えることなんて大抵決まってます。最初に何パターンかあなたの考えそうなことを予想して、表情や仕草から選択しているに過ぎません。そんな大したことしていないんですよ」

 今のところ全部当ててるし、それは大したことだと思うんだけど……。

「何が知りたいですか? 多分あなたが満足できる程度には教えれますよ」

 凄い自信。

 竜胆先輩のような常に胸を張って行動するタイプじゃないはず。

 それともこっちが本心なのかな?

 わからない。けど直感だけど、ちょっと苦手なタイプかも……。

「じゃあ、まずここは夢の世界なのかな?」

「はい。ここは魔法で作られた夢の世界です。どうやら魔法学校にいる生徒と先生、全員の夢が誰かによって繋げられたみたいなんですよね。それで今こんな状況になっちゃったって感じです」

「でも僕はさっき夢から覚めたんだ。なら僕がここにいるのはおかしいんじゃないかい?」

 おそらく僕の仮説が正しければここは……。

「……ふふ」

「どうしたの? 急に笑ったりして」

 なんだか不気味。

「すみません。さっきからわかりきってることばかり聞くんだなと思いまして。そんなに誰かと答え合わせがしたいんですか? あなたらしくないですね」

 僕らしくない?

「……いや、今はいいや。じゃあその言い方だと、やっぱり僕は夢の中で夢を見ていたんだね」

「この夢の仕組みを簡単に説明するとそうなりますね。ここに来る前、アパートやマンションに学校関係者の名前がついた部屋を見ましたよね。あの中には、ドアの名前と同じ人が夢を見ながら眠っています。その夢が実体として現れているのが、あれです」

 明光さんの視線の先には、さっきの過激派女子生徒が人々に向かって選挙演説をしている。

 「歩きながら話しましょうか」と明光さんが言ってきたから、少し後ろをついていく形で歩くことに。

「よっしゃあ! この金で課金しまくってランキング一位になってやるぜえ!」

 道路の隅で札束に埋もれている同学年の男子生徒がいると思えば……。

「戦争を始めた責任から逃れるために戦争を長期化させたリーダー共が死んだ! これからは、かの国と友好関係を築いて平和な国にしていくぞぉ!」

 先輩と思われる男子生徒がどこかの国の大統領達の死体の上で演説している。

 反対側のビルの窓に設置された大型テレビには、国会の生中継が映されていた。

 1人の男を除いて国会にいる全員が悲鳴を上げながらのたうち回っている。

「政治家と官僚のみなさん、痛いでしょ? なんせ陣痛の100倍ですからね。でもそれで死ぬことはありません。あなた達はその苦しみを味わいながらこれからも国民のために働くんです。だってそうでしょう。国民は国の奴隷ですが、あなた達は国民の奴隷なんですから。それに、あなた達は今まで自己利益のために国民を苦しめ殺してきたんですから。それくらいの償いは必要なんですよ」

 ……なんというか、スッキリするね。

「ふふ、みなさん良い夢をお持ちですね」

 そんなカオスな状況に笑っている明光さん。

 他人の夢を見ながら歩く。

 それぞれ思い思いの夢だ。

 利己的なものもあれば、利他的なものもある。

 ただ一貫しているのは、みんな幸せそうな顔をしていること。

 この中に夢から覚めようと思っている人は誰もいないんだろうなあ。

「行くぞ、咲生(さき)

「うん、パパ」

 あ、竜胆先輩だ。

 ビルの壁に体をくっつけてコソコソしている。

 パパってことは、隣にいる茶髪の男の人は竜胆先輩の父親か。

 インバネスコートを着て頭にはディアストーカーハット。典型的な探偵の格好だ。それにキリっとしてて勇敢そうな顔。正義感が強いのが瞬時に伝わってくる。

 あれを近くで見てれば、竜胆先輩が憧れるのも分かる気がする。

 顔を合わせて犯人を追う姿。二人とも仲が良さそうだ。

「どうしました青銅君? 立ち止まるなり気持ち悪い笑顔をして。あの女性が気になるんですか?」

「ううん、なんでもないよ」

 気持ち悪いって……。

 僕の顔そんな風になってたかなあ?

 さっき自分がどんな表情をしているのか考えていると、明光さんが歩みを止めた。

「青銅君、いくつか質問させてください。どうして夢から覚めたんですか?」

 なんとも突然な質問。

 どうして夢から覚めたのか……答えは単純。

「望み通りすぎたからかな。そのせいで見えるもの全てに疑問が浮かんじゃった。明光さんこそどうして夢から覚めたの?」

「ふふ、私も似たようなものです。私は研究者になるのが夢だったんですけど、あまりにも望んでいた研究結果に失望と疑問を覚えてしまいました。研究はいつも予想とズレた結果が当たり前ですから」

 嬉しそうに語る明光さん。

 さっきから笑っているけど、何がそんなに嬉しいんだろう?

「じゃあ次の質問に移らせてください。あなたは、これらの夢を見てもこの世界から出たいと思いましたか?」

 随分とおかしな質問だ。そんなの決まっている。

「当たり前だよ。だってこのままだと僕達死んじゃうもん。この夢を見せる魔法、魔法使いの間では自殺で使われてるものだし」

 そう、本当はこんなところで悠長にお喋りしている場合ではないのだ。

 この見たい夢を見せるという魔法は、一見素晴らしいものに見えるけど、使われ方は褒められたものじゃない。

 法律でこの魔法を使うこと、使い方を教えることが禁止になったおかげで少なくなってるけど、それ以前は夢を見ながら死ぬ魔法使いが後を絶たなかった。

 今でも麻薬売買のように、この魔法の使い方を多額のお金を払う代わりに教える組織もあるくらいだし。

 見たい夢が見られるということは、この世のしがらみから逃れられることに等しい。

 中毒性は高いし、夢の世界こそが現実だと思い込むことも珍しくない。

 そして次第に現実の辛さを受け入れられなくなり、夢の中に籠って現実の体は布団の上でそのまま……。

「そうですね。私も死ぬのは嫌です。でも……」

「……」

「……」

 何かを言いかけたところで黙ってしまったため、沈黙の時間がしばらく続いた。

 気まずいと思って僕からも質問しようと口を開いた時、ほんの一瞬だけ明光さんの方が早く言葉を発した。

「本当は、あなたと関わるつもりはなかったんです、私」

「それはどうして? 僕、君に何かしたかな?」

 今までのことを思い返しても、僕が明光さんに対して何かをした覚えはない。

 それどころか、喋ったこともない。

 どうして関わりたくないという気持ちになるのだろうか。

「……青銅君。入学式翌日、空回君に黒板消しを落とされた時、何を考えていましたか?」

「何って……酷いなあって思ったよ」

「だから図書室であんな仕返しをしたんですか?」

「見てたの?」

 あの時図書室にいたのは僕達だけだったはず。

 ということは外からか。

「ええ。私も空回君に仕返しがしたかったので。そしたら、私が考えた仕返しと同じ方法をあなたがやってくれたのでスッキリしました。そこはお礼を言わせてください」

 同じってことは明光さんも空回君の前で詩織さんをチョークの粉まみれにするつもりだったんだ。

 でもこのやり方を思いつくには詩織さんの存在と、空回君が詩織さんに好意を抱いていることを知らなきゃいけないはず。その情報を手に入れるには親密な関係にならなきゃ……いや空回君なら言いふらしてそうだね。喋って1日目の僕にすら話してたし。

「私と青銅君って考え方がよく似てると思うんです。やられたらやり返す、後悔させたい、だからそのために大抵の苦労は我慢する。でも、我慢には許容量があります。黒板消しを落とされ、そして落ちていく光景を見るのは、私にとって耐え難い苦痛でした。チョークの粉まみれになりながら笑うクラスメイトを睨みつけてしまうほどに。あなたもそうだったでしょ。だって私と似ているんですから」

「何が言いたいの?」

「私、疑問があったんです。どうして青銅君は黒板消しを落とされても冷静でいられたのか。私と似てるなら、なにかリアクションがあってもいいのに。だからあなたの立場が私だったらと仮定したら、ある考え方が出てきました。それは……」

 ……人という生物は頭で考えたことを、さも隠しているかのように行動すると僕は思う。悟られるのが怖いのだろう、誰も身内や親しい人以外には本当の自分を見せようとしない。もしかしたらそれらにすら見せない人もいるかもしれない。



――いや、さらには自身にすら……



「どんなに酷いことをされても簡単に『殺せる』から。あなたは目に映る人間全てにこういう考えを無意識に持っている。(あり)に噛まれてもどうせ踏み潰せば終わる。だから噛まれる程度では殺したいとは思わない。でもムカついたから手足を千切って苦しみと不自由を味わう蟻を見て笑う。まるで小さな子供のように。違いますか?」

 ……僕が明光さんを苦手だと思った理由がよくわかった。

 彼女は僕と瓜二つと思えるくらい似てるんだ。だから僕の本心が手に取るように読まれてしまう。

 いや、僕の時だけは読むというより鏡を見ていると言った方が正しいのかもしれない。

 明光さんにとって、僕の心を知ることは誰よりも簡単なのだろう

「気持ち良いですもんね、(もだ)える虫を見るのは」

 怖い、恐い、笑顔の彼女が。

 今すぐにでも黙らせたいくらいに。

「それをわかってるのにわざわざ僕の前で話して、さらには笑顔でいられるって。気持ち悪いね、君」

 言い返せるのがこれくらいしか思いつかなかった。

 それすらも理解しているのか、明光さんは僕が睨みつけているのに笑顔のままだ。

「失礼ですよ。弱者をあらゆる視点から見下す、力ある者の特権じゃないですか。魔法使いの誰もが持ってる権利です。それよりも、否定しないんですね」

 否定したところで無駄だもん。

「1つ、勘違いしないでほしいな。僕はやられたらやり返すだけで、無害に接してくれるなら誰でも受け入れるつもりだよ。だから見下してなんかいない、決して」

「もちろんわかっていますよ。ふふ……」

 今後、明光さんという魔法使いには警戒した方が良さそうだ。

 敵意はないけど、軽い気持ちで話してたら今みたいに痛い目に会いそう。

「青銅君と話せて良かったです。こんな状況にでもならないと、本音を出して話せるような相手じゃありませんから」

「夢から出たあと仕返しされるとは思わないの?」

「私、何か気に障るようなことしましたか? ここは夢の中ですよ」

 ……信じられない、という驚嘆が出そうだった。

 この人は、怖いから関わらないことにしよう。

「さてと、じゃあそろそろ夢から出ましょうか。犯人はわかりきってるわけですし」

「え、知ってるの?」

「はい。というかさっき会ってきましたから。でも魔法を解いてくれなさそうだったので、先生に頼ることにしました。知識豊富な大人なら、多分夢から覚める方法も知ってると思うので」

 それを先に言ってほしかったよ。そうしたらこんなところで話す必要はなかったのに。

「犯人は誰なの?」

「知りたいですか?」

 うわ、意地悪な顔。

 あー、めんどくさい。

 そういうことするなら犯人を知ってるなんて言わないでほしいよ。

 頭の中を読む魔法が使えたらこんな目に会わずに済むのに。

「ふふ、青銅君はホントに面白いですね。表情は変えていないのに何を考えているのか手に取るようにわかります」

 ……なんか、殺しても彼女の自業自得で済むんじゃないかと思えてきたなあ。

「殺しは犯罪ですよ、青銅君」

「わかってるよ。それで、教えてくれるの、くれないの?」

 教えるつもりがないなら、さっさと明光さんとはお別れして犯人を捜しに行かないと。

「しょうがないですね。じゃあ特別に言いましょう。犯人は……………………………………………………………………誰だと思いますか?」

「君の全ての関節を逆方向に曲げたあと皮を剥ぐよ」

 今度は冗談ではなく本気で思った。

「あらあら、流石にふざけすぎちゃいましたか。じゃあ言いますね。犯人はクラスメイトのウンディーネ君ですよ」

「……そうなんだ」

 特に驚きはなかった。

 彼なら犯人としては妥当だと思ったから。

「その様子だと、なんとなく予想はしてたって感じですね。まあ彼は妖精人間です。彼の今後の人生を考えたら納得もできますよね。妖精人間は、子を作ると同時に死を迎えますから」

 そう言って明光さんは妖精の歴史を自慢げに話し始めた。

「あなたなら知ってると思いますが、妖精は人間のように交配によって子を作るのではなく、細菌のように分裂することで新しい個体が誕生します。しかし分裂した個体、古い個体は新しい個体の誕生とともに(ちり)となって消えてしまう。つまり、妖精はこの世に1代しか存在できないんです。それは妖精人間も同じこと。子が生まれると同時に妖精の血を持った方の親は消えてしまう。生物において、ここまで子孫繁栄からかけ離れた種族はとても珍しいと思います」

「そうだね」

 だから妖精は希少で、それゆえに一部の人間から狙われてきた過去もある。

 妖精の肉を食えば不老不死になる、世界を支配する力が手に入るみたいなデマのせいで。

 情報化社会になった今では、そんな話を信じる者はいなくなり、妖精を捕えようとする魔法使いはほとんどいない。

「自身の死がわかる。これはとても生きていくには辛い現実です。しかも本人が子を作ることを拒否しても、妖精の本能なのか30代あたりで自動的に子供の個体を分裂によって作り出してしまう。自身の人生を呪い、犯罪に手を出す動機としては十分な材料です」

 さぞ生き地獄だろう。

 兆候なく突然分裂し自分は死ぬ。

 そんな恐怖を常に持ちながら生活しなければならないのだから。

 だったら短い間だけでも幸せな夢を見て死にたいと思うのはわかる。

「でも、それは大量殺人を犯していい理由にはならないよ」

「ええ、その通りです。でもこうする以外に夢を見たまま死ぬことはできません。ウンディーネ君1人が死ぬために夢を見続けても、何日も不登校になれば不審に思った教師が部屋に訪れて起こされてしまうでしょうし。誰もいない森の中だとしても、外で無許可に魔法を使えば政府が気づいてウンディーネ君を見つけてしまう。学校内、さらには全生徒全教師を巻き込むことでようやく死ぬまで眠れるんですよ。私達学生の魔法使いは」

 もう一度夢を見ている生徒達を見る。

 町の中で好き勝手している彼らの顔は、とても幸せそう。

 社会というしがらみから解放され、できないことをしているという充実感が嫌というほど伝わってくる。

「……ウンディーネ君とはどこで会ったの?」

「本人に直接魔法を解かせるつもりですか? まあ、彼はあなたに特別な感情を抱いているようですし、あなたの言葉で魔法を解いてくれる可能性はありますが。でもそんなことしなくても先生達なら……」

「それはあくまで可能性だよね。だったら直接ウンディーネ君に解かせた方がいい。君は先生を探して。僕はウンディーネ君と話してくるから」

「……わかりました。じゃあ、向こうにある大きなタワーを見てください」

 明光さんが指を差した方向には、この前竜胆先輩と訪れたタワーに似た形のビルがあった。

「あそこの最上階にウンディーネ君がいます。何か仕掛けがあるというわけではないので、簡単に会うことができるでしょう」

「ありがとう」

 僕は明光さんに背を向けてタワーへと走る。

「一応言っておきますけど、喧嘩なんかせずにできるだけ平和的にお願いしますよ」




 タワーの目の前まで来てみると、夢のせいか本物と違って窓が1つもないことに気づいた。

 中もそう。中央にエレベーターがあるだけで、他には何もない。

 夢とは想像。多分本物の細かい部分までは再現できなかったんだ。

 エレベーターに入り、1つしかない最上階へのボタンを押す。

 階層も1階と38.5階だけ。

 ドアが開くと、そこはイデアフルールの花畑だった。

 外から見えたタワーの面積ではありえないほどの広さ。というより、終わりが見えない。

 魔法世界では建物の外観にそぐわない広さの部屋を作り出すことは当たり前のことだけど、ここまでの広さは熟練の魔法使いでも無理だ。

 まさになんでもありの夢の世界にふさわしい光景。

 そして目的の人物はエレベーターから出てすぐに見つかった。

 前に会った時からは考えられないほどの満面の笑み。

 白雪姫に出てきそうな大きな丸い鏡の前で椅子に座っている。水玉模様のパジャマを着て……。

「やあ、青銅君。なんだかさっき会ったみたいな感覚だね。前に会ったのは誘拐犯を捕まえた時だったから……何日ぶり?」

 こちらに振り向いたウンディーネ君は、満面からより晴れやかな笑みを浮かべた。

 格好のせいだろうか。

 大量殺人を犯そうとしている人には見えないし、さっきまであった緊張感が喪失した。

「僕が眠りについた時間的に、2日ぶりだと思うよ」

「そうか。もうそんなに時間が経ったのか。時間の流れがわからなかったから助かったよ。ここは夢の中だけど、俺や君のように夢を見ない人からすればずっと起きてるようなものだからね」

 確かに。

 普通夢はあっという間に終わって朝になってるもの。でもここは現実の時間の流れ通りに動き、かつ僕やウンディーネ君のように夢を見てない人間の意識ははっきりしている。

 人間の感覚だけでは正確な時間なんて測れないだろうし、今が何時なのかわかるわけないよね。

「僕がここに来た意味はわかるよね。早くこの世界から出して」

「うん、そう言うと思ってたよ」

 そう言ってウンディーネ君はまた鏡を見始めた。

「何を見てるの?」

「気になるかい? 覗けばわかるよ」

 手招きをされたのでウンディーネ君の横に立って鏡を見る。

 映されていたのは、家族と思われる人達とボール遊びをしている制服を着た男の子だった。

「ここに映されているのはね、事故で右足を失った先輩が、家族と走り回る夢を堪能している姿だよ。こうやってみんなを観察してたんだ。今現在確認できているだけでも夢を見ていないのは俺と君と明光の3人だけ。みんな現実より夢の方が良いんだね」

 明光さんのこと、呼び捨てなんだ……。

「君は夢を見ないの?」

「見てるよ。この世界だって夢の中じゃないか」

「そうだけど……君の望む夢ではないよね。それとも、もう夢も見れないぐらい心が辛いの?」

 ウンディーネ君の口角が少しだけ下がる。

「……生きるって言うのはね、前に進み続けることを言うんだよ」

 図星だったのか、これ以上そのことを指摘してほしくないのか、ほんの少し威圧感を混ぜながらウンディーネ君は自論を話し出した。

「そして死は止まることを意味する。人生に止まるも戻るもない。ただ進み続けるだけ。でも、夢ならなんでもできる。止まりたい、戻りたいと思うだけで人生という縛りから解放されるんだ。現実を見る必要がないんだよ。俺はそれがずっと欲しかった」

「だからって学校中の人を巻き込むことはないと思うよ」

「俺だけ夢を見てても、いずれ自殺を許さない誰かが覚ましに来るだろ。今の君のように。この学校は閉鎖的故に誰にも知られずに悪事をするのは難しい。だからみんなを巻き込むしかなかったんだよ」

 ウンディーネ君はこちらを見ず、ただ鏡を見ている。

「先に言っておくとね。君がこの世界から出ることは、みんなを夢から覚ますことを意味する。君だけがこの世界から出ることはできないんだ」

「それがどうしたの?」

「……そうか、わかってなかったんだ。じゃあ見なよ、夢を堪能しているあの姿を」

 鏡の中へ指を差すウンディーネ君。

 だが別に変わったところはない。

 さっきと同じように家族の微笑ましい姿が映されているだけ。

「夢から覚める条件は単純。現実で生きたいと思えるかどうかさ。なのに君と明光以外は誰も起きていない。わかるだろ? 夢を叶えることができず長いだけの人生と、どんな夢だろうといくらでも叶えることができる短い人生。どっちが良いかなんて答えは出ている。……いや、それでも君は前者しか選ばないだろうね。なぜなら君はホムンクルスだ。寿命は精々10年程度。それなら長く生きたいって思うだろう。君がこの世界から出て生きたいと思うことはね、老い先短いからと好き勝手やって若者に迷惑をかける老害と変わらない。夢をみんなから奪ってまで君は生きようとする。それは実に傲慢で、嫌われる行為なんだよ」



――あなたはこれらの夢を見てもこの世界から出たいと思いましたか?



 ……明光さんがさっき聞いてきたこの言葉の意味が今わかった。

 彼女は選択ができなかったんだ。自分の生きたいという願望で他人の夢を壊すことが。

 だから僕の意見を聞いて少しでもこの世界から出ることに正当性が欲しかった。

 あれだけ余裕そうな態度を見せてたのに、明光さんもまだ高校生だったってことか。

でも僕は違う。

「そうだね、でもそれがどうしたの? 生物は多くの他者を犠牲にして生きている。どんなに善良な者でも、食べるために動物や植物を殺さなければならないし、道路を歩くだけで知らず知らずのうちに虫を踏み潰している。誰も不幸にせず生きることなんて不可能なんだよ。だからこそ、いつ来るかわからない命の終わりまで自分のために生きるんじゃないか。そんなことも割り切っていないのか君は?」

 ウンディーネ君が目を皿のように開いて僕を見上げる。

 どこに驚く要素がある。

 僕は当たり前のことを言っただけにすぎない。

「凄いな君は。正面から平気でそんなこと言うなんて」

「凄くない。これは誰もが自覚していなければならないことだよ。それとも君は、こんな簡単なことも考えずに生きていたのかい?」

 いや、実際に考えていない人は多いのかもしれない。

 僕のように割り切れていたら、環境活動家なんて存在していないだろうし。

「考えはするさ。でもそんなことを自覚し常に考えながら生きるなんて、俺はしたくない。だってそんな日常、暗いし楽しそうに思えない」

 楽しくない?

「わからないな。僕のように考えて割り切るからこそ、その時々、一瞬一瞬に価値を持ち、楽しめるんじゃないか」

「少なくとも俺は、どうせいつかは死ぬんだから今を自分のためだけに楽しもうなんて発想はしない。死ぬつもりがないから、今まで毎日をなんとなく、ぼんやりと生きれていたんだ」

 考え方の違いか。

 僕は人生を始めから終わりまで考えながら生きているけど、ウンディーネ君は逆にそんなことに脳を使わない。

 ある研究者が人生の見え方を語った。『無知は人生がただ見えて、未熟な知識の持ち主は地獄と嘆く。そこから思考し続けた者はこの世全てが『まっさらの連続』と『白紙のループ』だと悟り、思考の無意味さを痛感する』、と。

 僕とウンディーネ君、いや今の人間は未熟な知識を持った者であり、そこから思考しようと試みている生き物に該当する。

 僕や人間は人生がただ地獄に見え、その苦痛を少しでも(やわ)らげたいから、独特の人生観を持つことにしたんだ。

 僕は地獄を受け入れることで苦痛を和らげた。じゃあウンディーネ君はどうなんだろう?

「僕と君はどこまで行っても平行線か……」

 でも視界に入る彼に違和感があった。

 一昨日(おととい)誘拐犯を捕まえたウンディーネ君。あの時の彼は僕のように地獄を受け入れてるような口ぶりで親近感があった。

 なのに今のウンディーネ君は、まるで地獄から目を背けているような感じがする。

 違い過ぎて、別人なんじゃないかと思うほどに。

「ねえ、少しゲームをしないかい?」

 椅子から立ち上がり伸びをしながらウンディーネ君が言ってきた。

「ゲーム?」

 問うと、ウンディーネ君の足下から、クイズ番組で使われていそうな手のひらサイズの青と赤の丸いスイッチが飛び出てきた。

 それをウンディーネ君が手に取ると、青いスイッチを僕に投げてきたので壊れないようにキャッチする。

「このスイッチは僕達の運命を決める分岐点。どちらも2回押せば作動するようにできている。俺の赤いスイッチが作動すれば俺の願いが叶い、君の青いスイッチが作動すれば君の願いが叶う。じゃあルールの説明を――」

 パンパンッ‼

「…………なんで押したの? ゲームって言ったよね?」

「だって押せば現実へ戻れるって言うから」

 奇妙な間が生じた。

 そんな顔しないでほしい。戻れるチャンスが手の中にあるんだからしょうがないじゃないか。

「……今のは無しね」

 やっぱり押せば戻れるとは言っても、それを決める権利はウンディーネ君にあるのか。じゃあ仮にゲームに勝ってもここから出られる保証は無さそうだ。

「ゲームは3回勝負」

 盛り上がりに欠けた気まずい空気のまま、ウンディーネ君がルール説明を始める。

「1回勝つごとにこのスイッチを一度だけ押せる権利が貰える。つまり2勝した方が勝ちの単純なゲームだ。いいかい、押せるのは1勝ごとに一度だけだよ」

「2回言わなくてもわかってるよ。でもなにで勝ち負けを決めるの?」

 命がけのゲームとなると、魔法を使った殺し合いかな? それだったら僕の方が上手(うわて)そうだけど。

「1回目はかけっこだ。それも魔法を使わない完全な身体能力を競う形で。そして勝者が次の種目を決められる」

「そんなことで命を賭けるの?」

 かけっことは、まるで幼稚園児がやるような勝負だ。

 命を賭けるには軽すぎる。

「勝負に価値基準なんかないのさ。たとえ子供の遊びでも、命を差し出せばそれは立派な勝負になる」

 もっともそうな意見だけど、実際にそれを体験している身としては納得できないな。

 でも夢から出させてくれる権利はウンディーネ君にしかないし、ここは素直に従うしかない。

「じゃあ位置につこうか」

 こんな花畑じゃスタート位置もわからないので、とりあえずウンディーネ君と横に並ぶ。

「それで、ゴールはどこ?」

 尋ねると、ウンディーネ君は手をかざして50メートルぐらい先に大きな木を生やした。

「あの木に先にタッチした方が勝者だ」

 本当に小さな子供がやる遊びだ。

 やったことはないのに懐かしさを感じる。

 子供はよく公園にある遊具を用いる遊びをやると聞くけど、自分がやる立場になるとは。

「では、よーい……ドン‼」

 ウンディーネ君の合図と同時に2人で走り出す。




「はあ……はあ……」

「ウンディーネ君、足遅いんだね。あの感じだと、100メートル16秒ぐらいだと思うよ」

 両手を地面に置いて息を整えるウンディーネ君を、申し訳ない目で見下ろしながらスイッチを押す。

 彼が決めた勝負なのに、圧勝で終わってしまった。

 思い返してみると、体育の授業でもウンディーネ君は運動音痴な動作をよくしていた気がする。

「君が速すぎるんだよ。オリンピック選手より速いって……ホムンクルスはなんでもありなのかよ」

 息を整えながら立ち上がるウンディーネ君。

 まあ、本気出せば100メートルなんて一瞬だからね。文句言いたくなる気持ちはわかるよ。

「じゃ、じゃあ勝負に勝った青銅君は次の勝負を決めていいよ」

 かけっこのことでこれ以上何か言われるのが嫌だったんだろう。早々と次の勝負に移ろうとしている。

 確かに恥ずかしいよね、これは。

 しかし勝負を決められると言っても何にしよう?

 このままスポーツ系の勝負をやると圧勝だし、それでウンディーネ君が負けを納得して僕達を現実に戻してくれるとは思えない。もしかしたらもう1回勝負なんて言うこともあるかも。

 できる限り平等で、ウンディーネ君が負けても納得しそうな勝負か……。

「じゃあ、この前やった魔法科学の小テスト。制限時間は同じ50分。魔法は無しで、点数が高い方の勝利」

 頭を使うものしか思いつかなかった。

 トランプとかにしようと思ったけど、僕全然経験したことないし。

一度やった小テストなら良い勝負ができてウンディーネ君が負けても納得してくれるだろうということで、これにした。

 あともう1つ言えば、リベンジもある。

 最後の魔法科学の小テストは、あの忌々しい5点を採ったやつだ。

「いいよ。じゃあそこの机に座って」

 ゴールに使われた木が伐採され、2つの机に変形する。

 そしてそれぞれの机の上には問題用紙と解答用紙のセットに筆記用具、さらに残り時間を知るための時計が置かれた。

 夢は便利だ。欲しいと思ったものはすぐに手に入る。

「じゃあやろうか。ちなみに俺はこのテストで95点を採った。君は?」

「5点。でもそれはうっかりミスによるものだから、今回は違う。これで終わらせるつもりさ」

「フッ、そうかい。じゃあ50分後を楽しみにしてるよ」

 嫌な笑い方だ。まるで負け惜しみを聞いている顔。僕の話を信じてないなあ。

 なら、その余裕をすぐに消してあげるよ。

 問題用紙と向かいあう。これで終わりだ。



 50分後。

 時計が鳴り響きお互いシャーペンを机に置く。

 答えが書かれた紙が出できたので、それを見ながら自己採点をおこない、しばらくした後。

「俺は100点。さてさて、青銅君の方は?」

 赤丸しかない解答用紙を見せつけてくる。

「0点……」

「……」

 僕の敗北は答え合わせをする直前にわかった。

「名前……書き忘れちゃった」

「それはまた……でもこれ、仮に名前書いてても98点だね」

「え?」

「ほら、ここ間違ってる」

 追い打ちを喰らう。まさかミスが2つもあったとは。

 僕さっき「これで終わらせる」とか言ったのにこんな敗北の仕方……。

「まあ、これでお相子ってことでさ。次に行こうよ」

 背中を優しく叩かれながら慰められた。

 もう早くこんなゲーム終わらせたい。

「さて、俺が勝ったから、最後の勝負は俺が決めるね。じゃあ、種目はオセロ。魔法は無しで」

 もしかしたらまたテストかもと身構えてたけど、楽しそうな遊びが出てきた。

 そういえばウンディーネ君は桜男さんとよくオセロをして遊んでたんだっけ。じゃあ経験数じゃあっちが圧倒的に有利か。攻略法も知ってそうだし、楽しい気分でやることはできなさそう。

「じゃあ準備しようか」

 ウンディーネ君はテストに使った机を持って、こちらの机の正面に繋げた。

「そこは自力なんだね」

「そうだよ。小学生ぐらいの頃は、教室の机同士をくっつけて友達といろいろな遊びをしたものさ。成長した今ではみんな、昼食を取るぐらいの目的でしかやらないけどね」

 そういえば、お昼休みの時に机をくっつけて友達とご飯を食べる様子が教室中であったけど、遊んでる人は見たことがない。

 笑いが絶えない教室なのに、なぜだろう……なんだか寂しい記憶に思えてくる。

「生き物は時間とともに変わっていくんだよ。だから俺みたいにずっと成長できない者は置いてかれる」

「ウンディーネ君は成長できていないの?」

「ごめん言い方が悪かったね。成長はしているよ。でも心が子供のままでいたいんだ。妖精人間として迎えなければならなかった死を気にしてなかった、あの無垢な頃にね」

 遠い目だ。

 何を思い出してるんだろう。

「それじゃあ、最後の勝負だ。楽しくやろう」

 イデアフルールの花が形を変え、年季の入ったオセロゲームのパッケージが現れた。

 桜男さんの家にあったものとそっくりのもの。

 中から出てきたものも全く一緒。瓜二つだ。

 白と黒の石を2つずつ置き、始まるまでの準備が終わる。

「先行は譲るよ。悔いのないものにしよう。ゲームスタートだ」

 僕は白の石を置いた。




 オセロを始めてから1分。

 お互い黙々と石を置いてはひっくり返すを繰り返している。

 オセロはおそらく端っこを取れれば有利になるゲーム。

 だからできるだけそうなるように誘導してるんだけど、ウンディーネ君はそれをわかっているのか予想外の動きをしてくる。

 さらに、もしかしたらこっちが上手く誘われてしまっているんじゃないかと考えてしまい、最適と思えるところに石を置くのを躊躇う場面も出てきた。

 盤上が石で覆われるほど、数個しかない選択肢に思考の時間が長くなる。

「少しいいかな?」

 次の手を考えていると、不意にオセロ盤を見るウンディーネ君の方を見てしまい思わず口から出してしまった。

「なに?」

 視線をオセロ盤に向けたまま、手持ちの石同士をぶつけるウンディーネ君。

 やっぱりなんでもない、と言うのは簡単だ。でも、これが聞く最後のチャンスなんじゃないか、この勝負が終わったら彼と話すことはもうないんじゃないか……そんな不安がある。

「なんでウンディーネ君は死にたいと思ったの?」

「……勝負の最中に聞くことなのかい、それは?」

 確かにそうだ。

 きっとウンディーネ君は僕が揺さぶりをかけようとしてると思ってるのだろう。

 勝負中に会話で相手の隙を作るなんてよくあることだし、ルール上グレーで判定される程度なら僕だってそうする。

 でも、今は純粋にウンディーネ君のことが聞きたい。

「だってウンディーネ君、ずっとそのことを聞いてほしいって感じだったから」

 石が白から黒にひっくり返る。

「俺は母親を殺した」

 ……。

「君なら、妖精人間がどんな人生になるか想像ができるだろ。死が早々に決定されているという、生きる者としてこれ以上ないほどの絶望。中学3年の頃、俺はその絶望に耐えられなくて感情任せに母親にこう言った。『お前さえいなければ、俺が生まれることもなかった、辛い目に会うこともなかった』とね。そしたら次の日、母さんは血を吐いて死んでいた。病気による突然死だった」

 母親の死。それはどれほどの喪失感なのだろう。

 何かを失ったことのない僕には、想像もつかない。

「それからはずっと後悔の日々さ。俺があんなことを言わなければ、母さんはもっと生きていられたんじゃないか。そう考えない日はないよ」

「わからないな。どうして君は自分がお母さんを殺したみたいな後悔の仕方をしてるの? 君が暴言を吐いたこととお母さんが死んだことに因果関係はないよ。お母さんを殺したのは病気だ。君は後悔じゃなくて、その病気を憎むべきなんじゃないの?」

 本当に意味がわからない。

 人のやることなすことというのは、何故こうも合理性の無いものが多いのか。

「……そうか、君はそういう答えになるんだね」

 なんだか僕の方が変な奴みたいな言い方をされたけど、これが普通じゃないのかな?

 言葉で誰かを直接殺すことはできない。所詮は空気を振動させることで対象に伝える音に過ぎないのだから。

「俺が聞いてほしいことはたったこれだけ。というより、(しら)けた。これ以上の感情を君に伝えても、俺の中で何かが変わることはおそらくない。俺と青銅君は同類でも対比でもなく、本当にただ違う人間だってことが、この数十分でよくわかったから」

「そうだね、僕も同じ気持ちだよ。僕とウンディーネ君は似た境遇だったけど、中身に共通点はなかった」

 不思議なものだ。

 お互い、誰かを殺したと思ったことがあるのに、こうも考え方に共通点が見当たらないなんて。

 きっとこの先どれだけ僕の正論をぶつけようと、ウンディーネ君が頭を縦に振ることはない。僕も彼の言葉に(さと)されることはない。まさに完全な平行線。

それほど、僕達は違うんだ。

 じゃあ、どうすればウンディーネ君は僕をこの世界から出してくれるのか。

 それを験実先生が教えてくれた。

 石が黒から白にひっくり返る。

「ウンディーネ君。僕はね、本当に人を殺したことがあるんだよ。この手で」

 僕も秘密を話せばいい。僕しか知らない秘密を。

 そして対等な立場になる。

 あとは……まあウンディーネ君次第かな。

「殺したのは、僕を作った研究所の所長。動機は、僕以外のホムンクルスを物扱いしたから」

「僕以外? 作られたのは君だけじゃなかったのかい?」

 ウンディーネ君の疑問には答えず、僕は過去を打ち明ける。

「ホムンクルスはね、五感の発達に順番があるんだ。まず触覚、それから味覚、嗅覚、聴覚、最後に視覚。でも聴覚が発達する頃にはすでに人間と変わらない形まで成長してて、脳もほとんど完成してるから意識がはっきりとしてる。でも視覚の発達には時間が掛かってね。僕は意識があるのにカプセルの中でジッとしてなきゃいけないという暇を永遠と味わうことになってしまった。それを気の毒に思ったのかな? 所長は僕にある魔法を掛けた。幻の仲間のテレパシーが聞こえる魔法を」

「じゃあ……」

 ウンディーネ君もわかったみたい。

「うん。最初から僕以外のホムンクルスは存在しない。それがわかったのは、所長を殺してすぐだ」

 そう、テレパシーで聞こえていた他のホムンクルスの声。

 あれは所長が作った幻。

 つまり、所長が物扱いしたことは、全くもって正しいものだったんだ。

「……辛くないの? 青銅君は、何の意味もない殺人を犯したってことになるんだよ?」

 そう、意味がなかった。

 物扱いされた他のホムンクルスのために怒ったことも、仇を討とうとしたことも。

 僕のやったことは全て、幻のためにしたことだった。

「最初は辛かったよ。だからさ、こう思い込むことにしたんだ。本当は他のホムンクルスは作られていて、運良く僕だけが生き残れたんだって。こうすれば、所長が物扱いしたことは本当になって、僕が殺したことに正当性が生まれてくるだろ」

 物凄く勝手な思い込み。

 でもしょうがない。これぐらい思い込めないと、この先10年という短い人生を謳歌しようなんて考えられないんだから。

 鬼畜だ外道だ言われようと構わない。

 殺人という罪の意識にさえ逃れられるのなら。

「凄いね。とてもじゃないけど俺にはそんな思い込みはできないよ」

 最後のマスに石が置かれ、白から黒にひっくり返る。

 そしてそれぞれの色を数える。

 結果は……

「同数……か」

「うん」

 まさかまさかの引き分け。

 引き分けた場合のルールなんて決めていない。

「さて、どうしようか。青銅君……」

「そうだねえ……」

 2人で隣に置いてあるボタンを見つめる。

 50センチほどしかない距離なのに、何故だろう、とても遠くに感じる。

 そして同時に、ウンディーネ君に手を伸ばさせてはいけないという緊張感も。

 沈黙が止んだのはウンディーネ君の言葉。

「じゃあ……さきにボタンを押した方が勝ちってことで‼」

「あっ‼」

 フライングして先にボタンを押そうとするウンディーネ君の左手を掴む。

 そして空いた方の手でボタンを押そうとすると、今度は彼が僕の右手を掴んできた。

 睨み合う僕達。

「そもそも、君がいなければ俺は何も気にすることなく死ねたんだ。君は寿命が短いんだからここで大人しく一緒に死ねよ!」

「それを言うなら君だって。母親が死んだくらいで大量殺人なんか考えないでほしいな!」

 立ち上がった拍子に椅子と机が倒れる。

 そして手を離し、ポコポコと叩き合った。

 不道徳極まりない発言をしているというのに、出す拳はとても優しい。

 僕同様、ウンディーネ君も喧嘩に慣れていないのだろう。

お互い顔面を殴られないように顔を背けてしまっている。

 魔法の戦いならいざ知らず、この喧嘩は喧嘩ではなくただのじゃれ合いだ。

「何してるんですか、2人共?」

 そろそろ腕が痛くなってきたところに、エレベーターから出てきた明光さんが不可解な目で僕達を見る。

「験実先生を見つけることができたので様子を見に来たら、なに男子高校生2人でじゃれ合ってるんですか……」

「酷いよ。これでも真面目に喧嘩してるんだから」

「そうそう、青銅君の言う通りだよ。明光は邪魔しないでくれ」

 そう言ってじゃれ合いを再開する。

「あの、ずっとそうしたいのなら構いませんが、この夢の世界もあと数分で無くなりますよ」

 明光さんの言葉に拳が止まる。

「明光、どういう意味かな、それ」

 ウンディーネ君が先に質問する。

 そういえばさっきもそうだったけど、明光さんのことを下の名前で呼んでるんだ。しかも呼び捨て。

僕にはそんな呼び方しないのに。

「験実先生を見つけたってさっき言いましたよね? 夢から覚まして事情を説明したら、この世界から出る方法を知ってるらしいのでお願いしたんです。なので、(じき)にみなさん夢から覚めますよ」

 それはつまり、ウンディーネ君の目的が果たせなくなるということ。

「どうやって験実先生を起こしたの?」

「寝てるところをこうやって、バチンッと。両頬が腫れるぐらいに何度も力一杯に」

 ビンタしたんだ……。

 験実先生、かわいそうに。

 でも、そっか。

「もう終わっちゃったのか、俺の夢は」

 ウンディーネ君はそう言って疲労感を露わにしながら座り込んだ。

 なんだかあまりにもあっさりしすぎて一件落着した感じがしない。疑問も多いし。

「それとウンディーネ君。この世界から出たあと験実先生があなたに話があるらしいですよ。未遂とはいえ大量殺人を犯そうとしたんです。私、青銅君、験実先生の3人以外はあなたの犯行だと気づいていません。みなさん良い夢が見れた、ぐらいの感覚でしょう。なので験実先生の情けで警察沙汰にはならないと思いますが、どう転んでも退学は免れないでしょうね」

 まあ、そうなるよね。

「……死ぬつもりだったんだ。もうその程度じゃ残念だと思わないよ」

 そう言って俯いたウンディーネ君は笑顔だ。

 スッキリしたというか、嬉しそう。

「もし退学になったら、ウンディーネ君はどうするの?」

 直後、空にヒビが入り始めた。

 どうやら験実先生が夢の世界を壊し始めたらしい。

 もう数秒で僕達全員目覚めることだろう。

「青銅君」

 俯いた状態のまま、脇から僕を覗き込んでくる。

 そして、ニコッと笑った。

「どうすると思う?」

 答える間もなく、僕達の夢は覚めた。




 朝の教室。

 クラスメイト達の顔はスッキリしていた。

 みんな「昨日は良い夢が見れた」という話題をすることはなく、あの世界でのことは本当にただの夢に終わったのだろう。

 今日は来ると思っていたウンディーネ君はいない。

 ホームルームのチャイムが鳴っても彼の席は空席のまま。

 それから2日が経ち、朝のホームルームが終わったあと。

 今日もウンディーネ君は来なかった。もしかしたら、もうすでに先生と話を終えてこの学校を去っているのかもしれない。

 できればこの先も同じ学び舎で友人として過ごしたい。そして毎日を面白おかしいものにしたい。

 そんな願いはきっと、この学校の裁定であっけなく叶わなくなるのだろう。

 この学校を去ったあと、ウンディーネ君は何してるのかな?

 普通なら就職だろうけど、彼がそんな普通の道を歩むとは思えない。

 1時限の授業までの休み時間、ただボーっと窓を見る。

 あの校門……あの校門を君が出たならば、僕と君はこれからどういう関係になるのだろう。

 寂しいな。せっかく友達になれそうだったのに。

 ボーっと校門を見る。ボーっと……ボーっと。

 ただ、ボーっ――。

「ッ⁉」

 反射的に立ち上がる。

 椅子が後ろの机に当たり、その音でクラスメイトから注目を集めていたがどうでもよかった。

 逃がすまいと教室を出て廊下を一心不乱に走る。

 間違いない、間違いない、間違いない!

 上履(うわば)きのまま外へ出る。

 校門前、いや、校門の外にあった影。

 それは今もそこにある。

「何も言わずに行っちゃったのかと思ったよ、ウンディーネ君」

 息を急いで整える。呼吸音で聞き間違いなんてしたくないから。

 塀に寄りかかっていたことで背中を見せていたウンディーネ君がこちらに振り返る。

 黒のパーカーを身に纏い、両手をお腹のポケットに突っ込んでいる姿に意外性を感じながらも、妙にしっくりしている。

 いつもの笑顔も相まって、無邪気な子供みたいだ。

「退学の件で保護者と先生から脳がパンクするくらいの小言と話し合いがあってね。今後のことやら将来のことやら、そんなことが大半で話に付き合うのが面倒だったよ。しばらくの間はじいさんと一緒にぶらりと旅に出るつもりさ。君の方は?」

 話し方からも、夢を見せたことに対して全く反省の色は見られない。

 そりゃあそうだよね……。

「特に何かがあったわけじゃないよ。明光さんがたまに僕に話しかけるようになったことくらいかな。初めて明光さんが話すところを見てクラスのみんなは少し驚いてたよ」

 そのあと変な妄想をしたクラスメイト達から「明光さんとどんな関係なの?」ってウザい質問をされて対応にストレスが溜まったけどね。

 なんで僕があんな人と親しい関係だと思われないといけないんだか。

「ははっ、大変だったみたいだね」

 僕の苦労を察したウンディーネ君は面白いことを聞いたみたいに軽く笑った。

 そんな風に笑う姿は初めて見たかもしれない。

「……答え合わせ、してもいいかな?」

「いいよ」

 待ってましたという感じで僕を見てくる。

「結論から言うね。君、夢を見ながら死ぬつもりなんかなかったよね。本当の目的はこの魔法学校を退学すること」

 敬語を使わないように意識しながら喋る。

 そう、これはウンディーネ君を追い詰めるわけじゃない。ただ、純粋な会話なのだ。

「どうしてそう思うのかな?」

 笑顔のままのウンディーネ君。とぼけるわけでもなく、ただ僕を見る。そう言われることがわかっていたみたいに。

「疑問はたくさんあるけど、一番引っ掛かったのは誘拐犯を捕まえた時の君。あの時、僕は君に親近感を持っていたんだ。話す内容とかが特にそう。でも夢の中で会った君からは全然親近感なんてなかった。だから、あの時の君は別人にしか見えなかったんだ。そしてこう考えた。誘拐犯を捕まえたウンディーネ君は本物じゃなく、変身魔法で君に化けた別人なんじゃないかって」

「じゃあ誰だと思う、俺に化けた人は?」

「簡単だよ。僕と考え方が似ててウンディーネ君の姿に上手く化けられるほどの人物。変身魔法は変身する対象をちゃんと想像できないと化けられないから、君と親しくないといけない。僕が知る限り、ウンディーネ君が親しそうにしてた人はただ1人。明光さんだ」

 むしろ彼女以外思いつかない。

 夢の世界では僕とウンディーネ君以外で唯一夢を見なかった人だし、なにより君が呼び捨てで名前を呼んでいたことが最大の証拠だ。

「確かに彼女が一番可能性が高いね。でも、なんで俺に化けていたのかな? メリットがあるように思えないけど」

「化けた理由に関してはわからない。それは今度彼女に聞くよ。でも、それをやるほどのメリットが明光さんにはあったんだ。そして彼女はそのメリットのために君に何かを伝えた。君がこの学校を退学したいと思うほどの情報をね。例えば……退学して桜男さんと旅をすれば、君のお母さんを生き返らせる方法が見つけられる、とか」

 それを言うと、ウンディーネ君が今日初めて目を大きく開いた。

 やっぱり当たってた。

 験実先生の言う通りウンディーネ君のような、自身だけを見て自己評価の低い人は後悔したこと自体を無くさないと立ち直ることができない。

 人を生き返らせる方法なんて僕は信じられないけど、ウンディーネ君は信じたらしい。

 僕は続けてこれまでの推理を披露する。

「君は明光さんからこの情報を聞いたあと、どうにかして退学できないか考えた。でも自主退学の条件には保護者の許可が必要だし、なにより正当な理由がないといけない。母親を生き返らせるためなんて、そんなおとぎ話みたいなことじゃ通じるわけもなし。なら学校から除籍処分を受けるほどの問題を起こせばいいと君は考える。だけど人の良さそうな君のこと、誰かに迷惑をかけるのは避けたい。だからみんなに夢を見せた。これなら君は大量殺人を犯そうとした人間というレッテルが貼られ、誰にも迷惑をかけることなく学校側も退学せざるを得なくなる。もっと言えば験実先生みたいな、生徒に甘い教師に対応させれば警察沙汰にならず穏便に済ます可能性だって生まれる。明光さんが夢の中で験実先生を起こした理由はこのためだよね」

 ウンディーネ君と明光さんは裏で繋がっていた。

 そして何故かはわからないけど、僕が今回の件に関わるように仕組んでいる。

「だけどここで問題がある。なんで明光さんは君が退学すれば母親が生き返れるなんて知ってたのか? そして何故君はそれを信じたのか? 未来が見れる魔法は存在してるし、魔法使いなら誰でも使えるけど、役には立たない。なぜなら、未来とは無量大数よりも多く枝分かれした道であり、たかが1つの未来を見たとしても、その通りになるなんてまずありえないからさ。それに、未来を見る魔法は自身の視点かつ断片的にしか見えない。僕だったら、寿命が80年になる未来を断片的に見たとしても期待しないし、すぐに忘れて短い人生を充実させる方に頭をシフトするよ」

「そうだね。でも俺はそのありえない可能性に賭けることにしたんだよ。残り約10年。俺の人生はあまりにも短い。だったら、もう少しだけ俺という人間の成長を母さんに見せてあげたいんだ」

 やっぱりそうなんだ。

「明光が見た未来はこうさ。退学するために俺と話し合う光景、夢の中で君を正面に捉える視界、窓の外に見える今の俺達の姿」

 そう言ってウンディーネ君は学校の方へ手を振る。

 僕も振り返って見ると、明光さんが教室から僕達を見ていた。

今のところは、明光さんが見た未来通りになってるみたいだ。

「そして、母親と話す俺の姿。どうだい、賭ける価値はあるだろ?」

「僕は何1つないと思うけどね」

 そう言うと、ウンディーネ君はクスクスと笑いながら「そうか」と言った。

 本当に、僕達は平行線みたいだ。

「青銅君。俺はただ終わりが無い日々を過ごしたいだけなんだ。朝は母親の怒号によって起きて、朝食と歯磨きを済ませて駆け足で学校に行く。そして友人や先生と半日を勉学に費やし、遊ぶ約束をしてから帰宅する。太陽が落ちた頃に遊び疲れた状態でまた家に帰って、母さんの美味しい夜ご飯を食べ風呂に入って夢を見る。俺はそんな生活を、失う危機感無く続いてほしいだけなんだよ」

 なんという膨れ上がった欲。そして幼稚さ。

 それは誰もが求めてることだと思うよウンディーネ君。僕は経験したことがないけど、欲しいものの1つでもあるし。

 でもみんなそれが叶わぬ夢だとわかってる。

 持ってたはずのものだけど、みんなその時間を無駄遣いして後悔してしまう。あの時ああしていればよかった、もっと楽しんどけばよかった、と。

 そうして大人になっていくんだ。

「それと、明光が俺に未来を伝えた理由はね、君と一対一で話がしたかったからだよ。君、夢の中で彼女と2人だけになっただろ。彼女は君とずっと話をしたいと思ってたけど、身の危険がありそうだからできなかったんだ。だから夢の中で口を開くことにした」

「僕ってそんなに危険人物に見える?」

 一応これまで敵意さえなければ無害な人間として振舞ってきたつもりなんだけど。

「君だって明光のことを警戒してるだろ? なら、似通った考え方をしてる明光だって君のことを警戒して当たり前さ。君らは(きょう)(だい)と言っていいほど似た者同士。ホント、見てるだけで面白いよ」

 こっちとしては堪ったもんじゃない。

 明光さんの存在を知ってからは毎日が警戒の日々だ。

 視線を感じれば身構え振り返り、笑う彼女を睨む日々。

 全然心が休まらない。

 寮の中でも監視されてるんじゃないかとたまに怯えてしまうのだから。

「もう聞いちゃうけど、桜男さんも今回の件に絡んでるよね? 僕に異常に関わろうとしてたし、君に化けた明光さんに会ったのが桜男さんと別れてすぐだったのが、あまりにもタイミングが良すぎるし」

「うん、そうだよ。君が夢の中で僕に接触する確率を少しでも上げたくてね」

 どおりで。桜男さんが僕にウンディーネ君のことを頼んだわけだ。

 まあ、多分そんなことしなくても僕はウンディーネ君に会いに行くと思うけどね。

「じいさんは俺が退学することに反対してない。問題はばあさんだったんだ。水原家は代々かかあ天下の家系でね。じいさんもばあさんには頭が上がらないんだ」

 なるほど。

 そういえば博士の家も奥さんの方が立場が上だったね。まあ、あっちは奥さんが男勝りで職業柄とか、誰よりもしっかりしてることとかが理由だろうけど。

 どこの家もそうなのかな?

「あ、そうだ。最後に1つだけ聞いてくれないかな?」

「なに?」

「この学校を退学するなら他にいくらでも方法があった。それでも夢を選んだ理由はね、少しでも君と子供のような時間を過ごしたかったからなんだ。あの勝ちだけを求めてゲームをする空間。テストで勝負という学生の特権。本当に楽しかった」

「そんなことのためにあんな悪者っぽいセリフを言ってたの?」

「フフ、そうだよ。とても恥ずかしかったけどね」

 右手を前に出すウンディーネ君。

「だから……これは俺から断ったことだし、こんなこと言うのはおこがましいとは思ってるんだけど……俺と、友達になってくれるかい?」

 初めての友達申請。

 その手にどれほどの思いが籠められているのか、僕には十分にわかる。

「……そんな大事なことを、『あ、そうだ』から始めるのはどうかと思うんだけど?」

 僕は両手でその右手を握りしめた。

 ありがとう、是非お願いしますという思いを籠めて。

「ははは、友達なんてそれくらい軽いノリでいいのさ。君が固すぎるだけだよ」

 ウンディーネ君も残った片方の手で僕の手を握りしめる。

「できることなら、この学び舎で一緒に過ごしたかった。短い間だったけど、錬磨のことは忘れない」

「僕もだよ。ウンディーネ君のことを一生忘れない」

 忘れたくない。

「それじゃあもう行くよ。またいつかどこかで会おう」

「うん。絶対にね」

 彼の背を見ながら、後悔の念に胸が締め付けられる。

 もし僕が友達になろうと言った時、断られても辛抱強く声をかけ続けていたら、彼は退学しようなんて考えなかったんじゃないか。もしくは止められたんじゃないか。

 言い訳に聞こえるけど、僕はまだまだ経験が浅い。

 敵意を持つ相手には容赦しないけど、心を許したい人との接し方がまだわからないんだ。

 だからしつこく声をかけるなんてできない。それが原因で友人関係へ進展しなくなるのが怖いから。

 これは反省だ。次友達を作る時、僕は諦めない。

 君の時みたいな失敗はせず、最後まで正面から向き合うことにするよ。

 そんな意気込みを、彼の背中を見ながら心で口にした。


これで「あなたの面汚し具合」は完結です。

次回作のタイトルは「あなたの頑張り具合」です。

新キャラも出ますが、メインキャラや話の流れは変わりません。

一応、一月後に投稿予定ですが遅れるかもしれません。

楽しみに待っていてください!

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