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あなたの面汚し具合  作者: 天気雪晴
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孫に置換しろ……




 生きてると、時々凄い感動を受ける時があるよね。テレビや映画を見た時、運動している時、何かを作っている時。人それぞれだけど、必ず来るものだ。

 朝食を済ませ登校時間になるまでの20分。朝のニュースを確認して、最近近くで誘拐事件が起こったことに気を付けようと思いながら別のチャンネルに変えた時だった。

『ご覧ください。あれだけ卵を焦がしたのに全くついてません』

 僕にも感動が来た。

 テレビに映っているのはホットサンドメーカー。電気ではなくコンロで焼くタイプのもので、宣伝からして焦げが付かないのが自慢らしい。でもそんな機能に目を付けたわけじゃない。僕が感動したのはホットサンドメーカーという商品そのもの。上下をひっくり返す? そんな便利なことができるものがあるなんて知らなかった。これがあればわざわざフライパンの上で料理をひっくり返すという僕の苦手な作業をしなくて済むじゃないか。

「よし、放課後買いに行こう」

 生まれて初めてのことだ。こんな風に何かを心から欲しいと思ったのは。そして即決したのも。

 もう通販番組は終わっているのに余韻が収まらない。

『さあ始まりました。「なんでこれ使ってるの?」のコーナー。今回は5円玉を使った誰もが知ってそうなあのじゅ――』

 リモコンを操作しテレビの電源を切る。

 まだ心臓がバクバクする。放課後が待ち遠しくて仕方ない。僕はいつもより早く寮から出て行った。




 放課後。

 一度寮に帰ることはせず、制服のまま近所のショッピングモールへ向かうことにした。少しでも遅れて売り切れてたら嫌だったから。

 まだ他の生徒は帰る支度をしていて誰もエントランスホールにはいない。しかしそんなことはどうでもいい。上靴から外靴に履き替え外へ出る。

 道中はなんだか不思議な感覚だった。研ぎ澄まされてるって言うのかな。すぐ近くにあるショッピングモールのことだけしか考えていない。それなのに車や人の動きが鮮明にわかってしまう。

 この前体育の授業でバスケをしている時にドリブルで相手ゴールまで行ってレイアップシュートを決めた時に似ていて気持ちが良い。

 5分という歩行時間を実感することなくショッピングモールの中へ入り日用品売り場に行くと、目的のホットサンドメーカーがあった。

「4種類か……」

 多分世の中にはもっと多くのホットサンドメーカーがあるんだろうけど、このショッピングモールには電気を使うタイプが1種類と、火を使うタイプが3種類だけだった。

 てっきり商品棚の一面がホットサンドメーカーの箱で埋め尽くされていると思っていただけに期待外れ感が(いな)めないけど、あるなら買うだけだ。あとはどれにするかなんだけど……。

「とりあえず電気のやつは除外でいいね」

 火の方が火力調整が簡単そうだし、パン以外のものを乗せてフライパン代わりにするというのが僕の本来の目的だからね。

 つまり3種類の中から1つを選べばいいってことなんだけど、値段が1980円、2380円、3380円とバラバラだ。箱に書いてあるサイズを見てもそこまで変わらない。形だってほとんど同じ。これって結局何を基準にして値段を決めてるんだろう?

「まあとりあえず、ここは真ん中の値段のやつにしようかな」

 中間を選ぶという無難な結論を出して手を伸ばした瞬間、脳裏によぎった。

 この前テレビで見た時の記憶だ。人は3つの選択肢があると無意識に真ん中を選ぶ傾向があるらしく、これをゴルディロックス効果と言う。

 お店ではその心理を使って売りたい商品をお客さんに買わせるために、あえて値段が真ん中になるように並べてあることがあるらしい。

 危なかった。僕もお店側の狙い通りに動かされるところだった。

 急いで手を引き、もう一度何を買うかじっくり考える。

 これはお店側との心理戦。お店側が売りたいということは、その商品の価値は2つに分かれる。

 1つは本当におすすめの商品だから。もう1つはあまり売れなかったため、在庫が多く赤字回避のため1つでも多く売りたいから。

 今回はホットサンドメーカーで消耗品ではないため、もともと売れる数だって限られているはず。僕だったらそんなものにどれがオススメとか考えない。どれかが売れさえすれば問題ないのだから。

「つまり、買うべきはこれだ!」

 一番高いホットサンドメーカーを手に取りレジへ向かう。

 一番安いものにしなかった理由は、値段から品質が低い可能性があると思ったから。消耗品でないものは基本的に安物を選ぶのはやめておいた方が良いって博士からの教えだ。

 レジにいる店員さんにホットサンドメーカーを渡し、会計してもらう。

「3380円です」

 言われた通りの代金を払うと、一瞬だけレジの奥にいる店員さんが眼鏡をクイっと上げながら口角を上げた。まるで「引っ掛かったか、馬鹿め」とでも言うような、にやけ顔。

 まさか……僕は商品選びに失敗したのか⁉

 あの店員さんは情報化社会の今ならゴルディロックス効果は簡単に知ることができ、僕のようにそれを意識しながら買い物をする人間がいると読んだ。そしてあえて一番高いように並べた。安い方にしなかったのは、またしても僕のように品質を疑って高い方を選ぶとわかっていたから。

「……ふっ」

 またにやけた! やっぱりだ! はめられた! 僕は彼の手のひらの上で踊らされていたのか!

「どうしました?」

 僕が微動だにしないのを見て、会計をしていた店員さんが不思議そうな顔をする。

「いえ、なんでもありません……」

 悔しさに頭が沸騰しそうになるも、なんとか自制して買った商品をバッグに入れる。

 負けた……完敗だ。

「ありがとうぅ、ごっざいましたぁー」

 眼鏡をかけた店員さんの笑顔がこちらを馬鹿にしているようにしか見えない。感謝の言葉も発音がおかしい。

 拳をギュッと握りしめながらショッピングモールを出る。

 あれだけ欲しかったホットサンドメーカーが買えたのに、今は損した気分しか湧かない。

 もしあの時、打算的に考えず真ん中を選んでいたら、今どうだったのだろう。

「きっと、嬉しくてたまらなかったんだろうなあ……」

 薄い雲が張られた空を見ながら、そんな後悔を(つぶや)いた。




 帰り道とは逆方向の、(はら)っぱに囲まれ街路樹の並んだ道路を歩いていた時のこと。

「もし、そこのお方。少しよろしいか」

 枯れた声がした。

 後ろへ振り向くと、そこには見知らぬ老人が頭を揺らして立っている。

 左右に何度も何度も、メトロノームのような終わりを悟らせない動きで。

 シワだらけの顔に、肌が薄く見えているほど少ない白髪。老人のイメージをそのままにしたような見た目だ。

「僕ですか?」

 周りに僕以外の人がいなかったから多分そうだと思う。

「うーん、見たところ無念を持ち歩いてるな。ここはひとつ、この老いぼれにその愚痴を吐いてはいかがかな?」

「……」

 急に何を言ってるんだろうこの人は。

 確かに正しい買い物ができなかったことは無念だったけど、何も見てないこの人がわかるはずがない。凄く怪しい。

「警戒してるな。まあ、当然のこと。ワシがお主に話しかけたのは、互いに利益があると思ったからだ。実はワシ、今迷子中で家に帰れなくてな。お主の話を聞く代わりに家探しを手伝ってもらおうという腹積もりよ」

 腹積もりって……。

「それなら警察に話した方が良いんじゃないですか? その様子だと家に連絡する手段も無いんですよね。スマホ貸しましょうか?」

「警察は信用ならん。あんなの話しかけられても無視だ無視。それにお主を選んだ理由はもう1つある。その制服、お主は魔法学校の生徒だろ」

「え、学校のことを知ってるってことは、おじいさんも魔法使いなんですか?」

 魔法学校の関係者以外で魔法使いを見たのは研究所の人間と博士以来初めてだ。

 学校の周辺だから魔法使いが思いのほか多いのかな。

 というか今の話を聞いて余計にこのおじいさんが怪しく見えてきた。

「おや? なぜ警戒心を強める。ちゃんとワシの目的は伝えたはずだが」

「いや、あなた知らないんですか? 最近ここらへんで誘拐事件があったんですよ。攫われたのは小学生の男の子で、その犯人はまだ捕まっていません。あなたが怪しいのは、魔法使いなら誘拐なんて朝飯前だからですよ」

 魔法使いが起こす事件は基本、魔法使いでしか解決できない。

 でも魔法使いの警察の人口はとても少なく、未解決の事件は後を絶たない、とこの前竜胆先輩から聞いたことがある。

 つまり、魔法使いの犯罪者と出くわした時は、自分でなんとかしなければ助かる可能性はかなり低いということ。

 まだ買ったばかりのホットサンドメーカーを使えてないのに、死ぬのは勘弁だよ。

「なるほど。確かにそれなら警戒するのは当然だ。しかしな、見ての通りワシは老人。魔法も体と同じで年齢とともに(おとろ)えていくもの。お主はこんな老人を相手に恐れるほどの実力しか持っていないのか?」

 まさか煽られるとは思わなかった。

 でもおじいさんの言っていることは正しい。魔法は年齢とともに衰えていく。

 非魔法使いの間では、老人でも仙人みたいな名で実力者として書いている物語がいくつもあるけど、現実は全く違う。

 老人は所詮老人。社会を作り終えた(しかばね)を待つだけの存在なのだ。

 いや、それは言い過ぎかな。

 ニュースとかのせいで、老人にはあまり良い印象が無いから無意識に言葉遣いが荒くなってしまう。

「はは、まあそんな怖がるな。それにな、年長者からの助言だが、不満を体に溜めるのは健康に良いとは言えん。解決はせずとも、話すことでその重しをほんの少し軽くすることだってできるかもしれないぞ」

 ……まあ、襲われてもやり返せばいいか。

「そうかもしれませんね。本当に話を聞いてくれるんですか?」

「お主が道案内する約束をしてくれたらな。ワシの名は水原(みずはら)桜男(おうみ)。こう見えてまだ60歳だ」

 そう言っておじいさんは小指を立ててこちらに向けた。

「青銅錬磨です」

 僕も自分の小指をおじいさんの小指に繋げる。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲―ます! 指切った!」

 桜男さんは左右に揺れながら、子供のように歌を歌った。

 昔の子供は毎日こんなことを外でしてたのかな。




 桜男さんと話をするために、近くの公園に来た。

 まだ午後5時ぐらいなのに遊んでる子供がいない。

 この町も結構高齢化が進んでいるからね。それにオンラインゲームが普及してからは、友達の家に訪れてゲームをするなんてこともしなくなっていってる。

 公園で遊ぶことも、いずれ時代遅れなものになるのかもしれないね。

「あの遊具なんだが、もうすぐ取り壊されて新しいものに変わってしまうんだ」

 砂場の上に建てられた木造の遊具を指差しながら桜男さんが言った。

 確かに木造だと経年劣化や怪我など、何かと問題が多い。

「良いんじゃないですか。新しいものの方が子供も喜びますよ」

 それにもっと頑丈な鋼製(こうせい)の遊具にするなら、それは正しい選択だと思う。

「そうだな……」

 でも桜男さんはそう思っていないのか、悲しそうな目をしている。

「だができれば、ずっと残ってほしかった。ここは家族の思い出が詰まっているからな」

「……そうですか」

 いるよねえ、こういう思い出に浸りすぎて古いものを残そうとする人。

 生まれたばかりで人生経験の浅い僕にはわからない感情だ。いや、多分一生かかってもわからないと思うけど。

 ある研究者が言っていた、『ほんの少しの保存と止まらない更新こそが未来への進行』。

 僕はその研究者が嫌いだったけど、この言葉は好きだった。実にネガティブを感じさせない、常に先駆ける研究者らしい物言いだと。

「よっこいせっと。それで、お主は何に後悔してるんだ?」

桜男さんが砂場の中心にあるひと際目立つカラフルなブランコに座ったので、僕もその隣に同じように座る。

すぐにバランスを崩して落ちるかと思ったけど、意外と座り心地が良い。

「実は……」

 僕はさっきショッピングモールであったことを全て桜男さんに話した。

「ほお。買うべき商品を間違えて後悔でいっぱいだと?」

「はい。あの時打算的じゃなければ、もっと良いホットサンドメーカーが買えたんじゃないかって、何度も考えてしまって」

 時を戻したいと心の中で訴えてしまう。

 今まで何回かこんなことがあったけど、これほど強い気持ちになったのは生まれて初めてだった。

「青銅錬磨、と言ったな。1つ人生において受け入れなければならないことを教えておこう。日常とはな、全てが上物(じょうもの)でなければならない、なんてことはない」

「どういう意味ですか?」

 そう言うと、桜男さんはコートの袖を(まく)り上げ、何の変哲もない腕時計を見せてきた。

「この時計を見なさい。これは20年ほど前から使い続けてる、どこにでもある安物。しかしワシはこれを大層気に入っての。壊れても修理に出してまた使ってしまう。ワシの使うものは全てそうだ。次はもっと良いのを買おうと思っても、結局同じものを選んでしまう。何かを使うという行為は大抵、質より愛着だ。だから、お主が今日買ったものだっていつの日か、お主にとって替えのきかないものになってるかもしれんぞ」

「そんなものですかね?」

 嬉しそうに言ってるけど、疑わしい。

「まあ、確かに質が良いから愛着を持つ、ということだって多い。結局は運だ。自分が良いと思えるものに出会えるのか。人生が長ければ長いほど、そういう経験は多くなる」

 つまり、下手な鉄砲も数撃てば当たる、ということわざと同じだ。

 長い人生の中で買い続ければいつか自分にとって良い商品に出会えるかもしれないという、無責任な(さと)し方。

 桜男さんにとってはそうかもしれないけど、まだ1歳の僕じゃそんなこと起こるわけがない。

 結局、長い人生を生きたお先短い人間から聞けるのはこういう、終わり際にしか自覚できない無解決なことだけか。

「桜男さん、黙ってましたけど僕はホムンクルスです。他の人達と違って自然の方法で作られたわけではありません」

「ほお、それはまた大層かつ自然の摂理に反したものだな」

 本当にその通りだ。

「ホムンクルスは魔法や錬金術を使い、人によってある程度自由に作られます。この場合の自由というのは、体の構造を変化させることができることを言います。例えば、見た目は細く弱弱しいのに力をゾウと同じくらいにしたり、赤子の姿で大人と大差ない知能を持たせたり。例を出せば数えきれないくらいです」

「まさに夢のような話だな」

 そう、ホムンクルスとはまさに、人間が物語でしか表現できない『なりたい自分になる夢』そのもの。

 おそらくこれを人間にも活用できるようにすれば、多くの人間が救われるに違いない。

 僕は所詮、ある魔法使いに対する抑止力と、次の実験に移るための懸け橋に過ぎないんだ。

「しかし、研究者というのはバカではありません。高スペックの人間と変わりないホムンクルスを作ったら、世界がどうなるかくらいわかっています。きっとホムンクルスの反逆によって人間は絶滅させられるでしょう。生物はより強い方が生き残るべきですから。では安全に高スペックのホムンクルスを作るにはどうすればいいのか? 答えは単純に、ホムンクルスが反逆できるほどの能力を得る機会を与えなければ良いだけです」

「どういう意味だそれは?」

「人間は一生の心拍数が約10億から20億と言われています。僕の心臓は人間と大差ない動きをしている。なのに心拍数は2億と決められています。あなた達人間の約10分の1。つまり、僕の寿命は10年あれば長い方なんです」

 僕が人間の中でも、とりわけ年寄りをあまり好きじゃないと思っている最たる理由は多分これだ。

自分より何倍も生きていることに対する嫉妬。

 僕だって、おじいちゃんになるまで生きたい。

「なるほど。お主が先に言わなかったせいだが、役に立たんアドバイスをしてしまったな」

「いいえ。他の人にとっては多少役に立つアドバイスではあると思いますよ」

 お互いに嫌味な感じで言葉を発した。

 それからしばらく重い空気のまま沈黙を貫いてると、桜男さんがブランコを揺らし始めた。

「では今度こそ役に立つアドバイスをしてやろう。人生はとにかく経験し楽しんでこそだ。お主、ホムンクルスならまだブランコで遊んだことがないんじゃないか?」

 確かに。ブランコどころか公園で遊んだこともない。

 興味がないわけじゃない。遊べるものなら遊びたい。

 ただ、僕の見た目は公園で遊ぶにはあまりに適さないぐらい大人だ。

1人で遊んでいたら、きっと周りから不審者扱いされてしまう。

でも今この公園にいるのは僕と桜男さんだけ。遊ぶには絶好のチャンスだ。

「じゃあ、少しだけ」

 桜男さんの立ち姿を参考に、僕もブランコに立つ。

そして恐る恐るブランコを揺らした。


 ……20分後。


「あっはっはっは‼ これ楽しいぃですねぇ‼」

「ホントそれな‼」

 遊具ってこんなに楽しいものだったんだ!

 ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒、雲梯。どれも僕の心を真っ青にしてくれるカンフル剤だ。

「さーて、次はどれで遊びましょうか?」

 なんてったってここは公園。飽きても次の遊具を遊べばまた前の遊具が恋しくなる。

「どれでも構わん。今日は初心に帰ってとことん遊びつくすぞおーっ‼」

 左右に揺れながら、桜男さんは天に向かって拳を上げた。

「おーっ‼」

 僕も同じように拳を上げる。

 初心だけど、全力で楽しもう!

「……おにいちゃんたち、なにしてるの?」

「「――はっ――⁉」」

 横を見ると、小さなスコップとプラスチックのバケツを持った5歳ほどの男の子が僕達を見ていた。

 しまった……考え無しに遊び過ぎた。公園に入ってくる小さな男の子1人すら気づかないくらい夢中になってしまうなんて。

 さて、どう言い訳しようか。

 男子高校生と老人がバカ騒ぎしながら公園で遊んでいる。早く何か言わないと不審者扱いされてしまう。

「……いっしょにあそぶ?」

 男の子の方から上目遣いでそんな嬉しい言葉が出てきた。

「遊んでくれるの?」

「うん」

 満面の笑みで頷いてくれた。

 そんな無防備に知らない大きな人達を遊びに誘ったらダメだよ。誘拐犯だったら大変なことになっちゃう。

 そういえば朝のニュースで最近ここらへんで誘拐事件があったって言ってたはず。周りを見てもこの子の親らしき大人は見当たらないから、多分1人でこの公園に来たんだね。このままにしておくのは危ない、よね。


 ……また20分後。


「やまだやまだ!」

「うんうん山だ山だ!」

 砂の山作って穴貫通させるの超楽しい! これ考えた人ノーベル賞ものだよ!

 さっき自己紹介した時に、たいちと名乗った男の子がやりたいと言ってきた遊びだけど、こんなに楽しいものだとは思わなかった。

 もっと遊びたい。それこそ日が暮れるまで。

「ほれ見ろ。バケツで作った砂のプリン山だ!」

「おーっ! こんなこともできるんですね」

 公園の遊びの可能性はまさに無限の可能性だ。

 さっき時代遅れかもしれないと言ったけど訂正しよう。これは何年経とうと無くなる気がしない。

大智(たいち)―っ! 大智―っ! どこだい大智―っ!」

 遠くから名前を呼ぶ枯れた女性の声がしてきた。

「あ、おばあちゃん!」

 山に夢中だった男の子が嬉しそうに公園の外へと顔を向ける。同時に声の主と思われる老婆が公園の中に入ってきた。

「大智!」

 男の子を見た老婆は、まるで感動の再開と呼ぶにふさわしいほどの涙を流しながら男の子の方へ走る。男の子も老婆の方へ走り、その子の愛情にあふれた胸に飛び込んだ。

「探したんだよ! 今は誘拐犯がいるかもしれないから1人で外に出ちゃダメって言っただろ!」

 やっぱり男の子1人で勝手に外に出たのか。まあ、こんな小さな子を誘拐事件が起こった直後に1人で外へ遊びに行かせるわけないよね。

「えへへ、ごめんなさい。でもね、あのひとたちがいっしょにあそんでくれたからぜんぜんだいじょうぶだったよ」

 たいち君がそう言うと、老婆の方がやっとこちらの存在に気づき、少し警戒した。保護者らしい子を守る姿勢に、たいち君を羨ましいと思いつつも、安堵する。

「なんだ、竹林(たけばやし)じゃないか」

 後ろにいた桜男さんが、老婆を見てそう言った。

 そして左右に揺れるのを止めている。

「あら、旅行から帰ってきてたの水原さん」

「ああ。ちょうど今日の朝にな。なんだ、その子竹林の孫じゃったのか」

 どうやら知り合いみたいだ。

「ええ。水原さんの隣にいる人もお孫さん? 魔法学校の制服着てるし」

「いいや。さっき知り合った青銅錬磨君だ」

「青銅です。よろしくお願いします」

 頭を下げて挨拶すると、礼儀正しいと褒められ飴を貰ってしまった。ちょっと嬉しい。

「ねえねえ、おばあちゃん」

 たいち君が竹林さんの袖を引っ張る。

「まほうってなに? おにいちゃんはまほうつかいなの?」

「ごめんよ大智。今のは冗談。お兄ちゃんは魔法使いでも何でもないよ」

 ん? どういうことだろう?

「竹林の息子、もっと言えば大智君の両親は(とう)魔法使いだ。しかし大智君が物心つく前に亡くなってるからその意思を祖母である竹林が()んでいる」

 耳元で桜男さんが囁いて来た。

 投魔法使いとは、『魔法を投げ捨てた者』……つまり魔法が使えるのに魔法使いとしてではなく、非魔法使いとして生きる道を選んだ者のことを言う。

「そういうことですか」

 魔法使いの中には、過去に魔法の事故によるトラウマなどから魔法を恐れ、非魔法使いとして生きる道を選んだ者もいる。そして、子にもその生き方こそが正しいのだと諭す親も珍しくない。

 だけど、その生き方は大抵受け継がれず、一世代だけしか続かない。魔法を恐怖するのは体験した親だけで、子に恐怖を植え付けるのは難しいからだ。

 魔法使いの子は必ず魔法も遺伝し使用することができるから、子は恐怖よりもその万能具合に酔いしれ、欲してしまう。それでも非魔法使いの生き方を強要する親と、魔法使いとして生きたい子がぶつかり、殺人に発展するなんてことも少なくない。

 たいち君の両親は、それを知ってるから魔法自体が存在しないとたいち君に教育しているのだろうね。

「竹林が来たならワシらの役目は終わったな。大智君、もうおばあちゃんの言いつけを破って遊びに行くなよ。世の中は危ないことだらけだからな」

「うん! わかった」

 桜男さんの注意に笑顔で返事するたいち君。本当にわかってるのかな?

「バイバーイ! またあそぼうねえ」

 竹林さんと手を繋ぎ帰りながらこちらに手を振るたいち君。

 あの笑顔はいつまで続くのだろうか。

 両親がいないだけでも心の負担になるだろうに、成長すれば何かの拍子に意図せず魔法を使ってしまう恐れもある。

 例えるなら、不発弾を抱えた状態で生活するみたいなもの。

 魔法使いが魔法を学ばずにいるのは、それほどリスクが高いことでもある。

 たいち君達の姿が無くなると、桜男さんはまた左右に揺れる始めた。

「さてと、ワシらも本来の目的を果たすとするか。じゃあ、ワシの家を探すのを手伝ってくれ」

 前に出て公園の入り口へと歩き出す。

「そうですね……」

 名残惜しさを感じながら僕も歩き出す。

「……桜男さん、あなたは誘拐犯なんですか?」

 しかしその足はすぐに止まった。

「またそれか。違うと言っただろ」

 桜男さんも立ち止まって僕の方へ振り返る。

「ではもう1つ質問させてください。催眠術ってご存じですか?」

「ほえ? なんだそれは?」

 こっちはとぼけるんだ。

「暗示することによって、その人に肉体的、または精神的に変化を及ぼすものです。見たことがありませんか? 糸で吊るされてる5円玉を揺らして、それをジーっと見せるやつです」

「あー、20年ほど前に非魔法使いがやってたあれだな。ゆらゆらしてるやつ」

「はい、ゆらゆらです。まるで今のあなたみたいに。なので、このまま僕に催眠魔法をかけようとするなら、あなたを警察へ連れて行きますよ?」

 空気が一瞬で凍り付いた。

「ほお。なぜそう思う?」

「……落ち着いてるんですね?」

 まるでそれを追及されることがわかっていたようなほどに。

「まあな。お主と違ってワシは場数を踏んでいる。今さら犯罪者に思われるぐらいで慌てるわけがなかろう。で、いつからそう思った?」

「最初からです。黒から真っ黒になったのは、あなたが竹林さんに迷子になっていることを口にしなかったからですかね。本当に迷子なら、僕よりも知人である竹林さんを頼った方が絶対に帰れると思いますから」

「そりゃあ、単純にプライドがあるからだ。知り合いに道を聞くなんてボケたと思われるだろ」

「それなら余計におかしいです。そもそもあなたの発言には今のようにプライドが高かったり、低かったりと滅茶苦茶です。最初僕に話しかけてきた時には、自分のことを老いぼれと言いましたよね?」

 自分の行動を振り返っているのか黙ってしまう桜男さん。

 僕はさらに畳みかけるように推理を吐き出す。

「それに、警察を嫌っているのも大きなポイントです。警察を信用ならない、というのはわかります。一般人でもそういう思考の人は多いですから。でもその思考は大抵、ヤクザとの関係だったり、事件の真実を捻じ曲げるという大きなものに関することです。迷子ごときで警察は信用できないから呼ばない、なんて言うのはおかしいんですよ」

 人間というのは不思議なもので、普段は不信感を募らせている相手だとしても、自分がピンチの時には助けを求めてしまう。

 汚いというか、虫が良いって言うのかな。

 どうせこのことで文句を言っても「税金を払ってるんだから当然だろ?」って言うんだろうけど。

 そういうことなら、桜男さんは一貫性があるね。あくまで本当に警察を嫌っている場合の話だけど。

「と言っても本当は口に出すつもりはなかったんです。催眠魔法は掛けられてる対象がそう自覚してれば掛かりませんから。ずっとこのまま無視して帰ろうかと思ってました」

「ではどうしてワシにその話を?」

「あなたが僕に掛けようとしてる催眠魔法は、今の時代のものではなく100年ほど前まで使用されていたものです。自分の体を動かすという実用性の薄いやり方で、今では知っている魔法使いすら少ない。竹林さんの時だけ催眠魔法を中止したのは、あの人が年齢的に知っている可能性が高く、邪魔されると思ったからですよね? だから僕は話しました」

「ん? それがなぜ話す理由になる?」

 僕は静かに桜男さんを睨みつける。

「ムカついたからですよ。あなた、『高校生ならこんな古い魔法知らないだろう』って舐めた考えをしてますよね? だから白昼堂々、躊躇いもなく体を揺らしていた。子供のような動機ですが、喧嘩を売られているようで気分が悪いんです。もう一度聞きます。桜男さん、あなたは誘拐犯ですか?」

「……ふふ」

 桜男さんの表情が和らぎ、優しい笑顔の老人がそこにいた。

「孫の言った通り、中々頭の切れる奴だな。確かにワシはお主に催眠魔法を掛けようとした。だが残念ながらワシは誘拐犯ではない。ワシの目的はただ、お主と話して見たかっただけだ。電話越しだったが、孫が他人をあれだけ褒めるのは珍しくてな」

 さっきと全然雰囲気が違う。

 ずっと胸の中にあった嫌悪感が消えていく感覚。敵として認識してたのが、スッと消えてしまった。

「そのお孫さんは?」

「ラル・ウンディーネだ」

「ッ⁉」

 驚きだ。まさかウンディーネ君のおじいさんだったとは。

 体つきや顔が全然違うから考えもしなかった。

 ……いや、当然だね。

 妖精人間は必ず妖精の遺伝子を持つ側からしか遺伝しない。

 苗字から考えて、桜男さんは妖精人間じゃない方の親なんだろう。

「驚いているな。どうだ、ここで話すのもなんだしワシの家に来ないか?」

 悪意らしきものは感じられない。本当にただ話したいだけみたいだね。

「お邪魔させていただきます」




 公園を出てから15分ほど歩き、周りの家と変わらないコンクリートの家にお邪魔した。

 玄関から廊下、そしてリビングへと向かう途中も、特に特別なものは見当たらない。

 長テーブルに案内されると紅茶を淹れてくれたので、それを火傷しないように少しずつ飲んでいく。

「お菓子もあるぞ。たくさん食べろ」

「いただきます」

 多種多様なお菓子の袋が入った皿からチョコレートだと思われるパッケージのものを手にする。

「美味いか?」と言われたので「美味しいです」と答える。

 なんだか初めて来たのに、昔はこういう匂いだったなと思わされてしまうくらい落ち着いた空間だ。

「桜男さん、奥さんは今外出ですか?」

「ああ。今ばあさんは旅行中でこの家にいるのはワシだけだ」

 棚の上の装飾品の種類のバラつきや座高の違う2脚の椅子、夫婦二人暮らしの様子がこの家にはよく表されている。

「そういえば竹林さんもあなたが旅から帰ってきて少し驚いてましたね。夫婦揃って旅行好きなんですか?」

「まあな。だが好みは違う。ワシはキャンプ目当てだが、ばあさんは観光地を回りたいらしくてな。旅行先では意見が食い違って喧嘩することが多いから、別々に行ってるんだ」

「へえー。夫婦でもそういうことがあるんですね」

「ワシは都会で、ばあさんは田舎。生まれや育ちが全然違う。そういう分かり合えない部分をお互い受け入れれるからこうして長く共に暮らしてるんだろうな」

 んー、深いの、かな?

 夫婦生活とか経験したことないからよくわからない。

 でも奥さんの話をしている桜男さんの顔はとても幸せそうだし、仲が悪いわけじゃないんだろうね。

 何十年という長い間一緒にいるのが良い証拠だ。

「そうだ。少しゲームをしないか?」

「ゲームですか?」

 テーブルを立った桜男さんは近くの棚の中へ頭を突っ込み出してきたのは、おもちゃのオセロだった。

 パッケージはボロボロで年季が入っていることがわかる。

「お主、オセロはやったことあるか?」

「いいえ。ルールはなんとなくわかりますがやったことは……」

 だからこそ遊んでみたい。

 確か白黒の石をひっくり返して、最終的に色の多い方が勝ちだったはず。

「ならやろう。短い人生なら楽しいことはなんでも体験してみるべきだ」

 そう言って桜男さんは楽しそうにパッケージからオセロ盤を取り出し、白黒の石を並べ始めた。

「昔はよく子供たちと遊んでたが、今では会う機会も少ないから遊ぶのは久しぶりだ」

「冷たい人達なんですね」

「いやいや、それが時間の流れ、そして成長というものだ。さ、先行は譲ってやる。かかってくるがいい」

 オセロで先行が有利なのかは知らないし、戦略なんて全くわからないから、とりあえず言われた通り先に石をひっくり返す。

 ちなみに僕は黒だ。

「ふーん……お主石の扱い方が優しいな」

「そうですか? 人の物だしこれが当然だと思いますけど」

「いやいや、大抵は石の音が聞きたくてみんなわざとぶつけたりする。こういう風にな」

 そう言って桜男さんが自分の石を数枚手に持つと、もう片方の手に一枚ずつ落としていった。

 すると、なんだか気持ちの良い高い音が耳の中に入ってくる。

「ワシの家族はみんなこれをやる。だからお主の石の扱いは珍しい」

 手癖か。多分僕の場合は経験が浅いからそういう行動が無意識にできないんだろう。

 こういうこともこれから増えていくのかな。

「この勝負、ちょっと賭けないか?」

「お金を賭けるのは犯罪ですよ」

「金じゃない。もっと別のことだ。そうだなあ…………ワシが買ったら、孫ともっと仲良くしてくれないか? あの子も本当はお主と仲良くしたいはずだ」

「え――」

 手が止まる。

 ウンディーネ君が僕と仲良くしたい?

「あの子は昔から自信や自己肯定感が無くてな。お主が友達になりたいと言って断られた時も、自分のことを罵っていただろ」

「そうですね。僕のことについては一言も口にしてません」

「だからこそお願いだ。孫とこれからはできるかぎり距離を詰めてほしい。もし孫がそれで嫌がるようなら、その時は諦めて構わん。両親はすでに亡くなって、気の許せる相手はもはやワシとばあさんだけだ。せめて1人、孫が安心できる友達がいてほしい。だからどうか、よろしく頼む」

 頭を下げて懇願する桜男さん。

 まだ勝ってもいないのに……。

 いや、多分桜男さんはこれをお願いしたくて、今日僕と接触してきたんだ。

 良いおじいさんじゃないか、ウンディーネ君。君のためにここまでしてくれるなんて。

「できるかはわかりませんけど、頑張ってみます。今はそれぐらいしか言えません。結局はウンディーネ君次第ですから」

「それで良い。選ぶのはあの子だ。お主がダメだったとしても、もしかしたら別の人間があの子と友人となるかもしれないしな。未来は誰にもわからん。お主が勝ったら何を望む?」

「じゃあ、このチョコレートもっとください」

 「軽いな」と言われたけど、おじいさんにそこまでのことを望むつもりはない。

 そのあとは賭けの話をすることなくオセロをして、桜男さんの勝利で終わった。

 オセロというゲーム……ただ石をひっくり返し合うだけのなのに、とても奥深いものだった。

桜男さんは角を取れるように僕を誘導してたけど、そうすれば有利になるのかな?




帰り道。

住宅街を歩いていると、パトカーの赤い光が見えた。

人が集まっていて気になったから近づいてみると、クシャクシャの手入れが全くされていない髪の男が警察に捕まっていた。

そのすぐ横にはウンディーネ君もいる。

「何かあったのかい?」

 声をかけると、僕に気づいたウンディーネ君がニコッと笑顔を返してきた。

「ちょっとね。偶然、誘拐犯が子供を攫おうとしてるところを見かけたから、取り押さえて通報しただけだよ」

 それはちょっとって言えることじゃないと思うけど……。

「凄いことじゃないか。胸を張って自慢できることだよ」

 さっきの桜男さんとの賭けもあるし、ここでちょっと距離を詰めてみようかな。

「どうかな。俺がこんなことしたって犯罪が無くなるわけじゃない。結局埃一つ払ったところで、新しい埃がすぐに出てくるんだし」

 そう言うウンディーネ君の表情は暗かった。とても誘拐犯を捕まえたヒーローの顔ではない。

 何を考えているのか、僕にはわからない。

「さっき君のおじいさんと会ったよ。凄い明るい人だったね」

「そうか、いつか君に会いに行くだろうなと思ってたけど、もう帰ってきてたんだ。元気なおじいさんだっただろ? 俺なんかとは違って、広い視野でいろんなものに興味を持てる人だから」

「そうだね。でも僕は君も桜男さんみたいにいろんなものに興味を持ってる人だと思うよ」

 違いがあるとすれば、桜男さんの言う通り自分に自信が持てるのかどうか。

 興味あるものに触れようとする一歩を前へ出せるのかだけ。

「……君はもう帰りなよ。俺はこれから警察の人と話すことになると思うから」

「うん、わかった」

 遠くなっていくウンディーネ君の背中は、とても寂しい。

 自分から孤独になろうとしているみたいな、自暴自棄が感じられる。

 一体何が君をそこまで苦しめるのだろうか

 他人事とは思えない。だというのに声をかけようとしても喉からそれは出てこなかった。

 どんな言葉をかければいいのかわからないんだ。

 戻って「やっぱり一緒に帰ろう」って言えばいいのかな? いや、それじゃあウンディーネ君を申し訳ない気持ちにさせてしまうだけか。

 いつもならもっと軽い気持ちで選択できていたことが、自分の人生を決めるようなレベルで襲い掛かって来る。

 辛い……胸が苦しい……。

 何もできないことが、こんなに無力を感じさせるとは思わなかった。

 帰路につく僕の足は止まらない。

 結局罪悪感を残したまま、学校へ戻ってしまった。

 

 

 





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