無意識
しくじった、という言葉がこの世にはある。もっと俗世に合わせて言うならミスだ。人はどれだけ見直しや確認をしてもミスが見つかってしまうことが多々ある。多分、思い込んでいるからだろうね。大丈夫、大丈夫と頭で連呼し目に入る情報に偽りのフィルターを施してしまう。
先生たちが集う職員室。僕が所属するクラスの担任である海パン白衣……験実楽先生が椅子に座りながらある用紙を見つめている。僕はそんな先生の前で言い訳をするべきか悩んでいた。
「……青銅、俺は教師になってそろそろ10年が経つ。だが、ここまでのミスは初めてだ。一応聞かせてくれ。魔法科学の小テスト、二問目以降解答が全て一つずつずれてるのはわざとじゃないよな?」
「……はい。わざとじゃないです。僕も今先生から解答用紙を見せられてやっと気づきました」
言い訳はしないことにした。なんだか惨めに思えてきたから。
昨日魔法科学の授業で予告通り小テストがおこなわれた。事前に勉強し100点は無理でも90点以上は取れるようにしておいたのだが、しくじった。正直超悔しい。テストが始まり一問目を素早く解き二問目の暗記問題に取り掛かった際答えをど忘れしてしまったのだ。それで二問目は後回しにし全部解き終わってからまた取り掛かろうと決め三問目に移ったのだが、解答用紙には二問目の欄に三問目の答えを書いてしまった。それだけなら最後の問題を解いた時に解答欄がずれていることに気づくだろう。しかしよりにもよって最後の問題だけわからなかったのだ。それで最後の問題の解答欄は見ることもせず、しかも二問目をど忘れしていることも忘れ見直しに入ってしまうがそこでも大丈夫だと思い込んでしまいこんな有様になってしまった。合計二問分の空欄があるのに見逃すって……酷すぎる。
「先生、これは予想ですけど僕の点数5点ですよね?」
「ああ、5点だ」
「そうですか……」
「はあ……」
験実先生がため息を吐いた。表情から呆れていることがわかる。
「まあ、見たところちゃんと勉強してたことはわかるな。二問目を解いてないのも問題自体気づかなかったかど忘れなんだろ。二問目がわからなかったらこの七問目は解けないはずだがお前は解いてるからな。しょうがない、点数は5点だが評価はAにしてやるよ」
「良いんですかそんなことして?」
「もしこれがミスなくできてた場合点数は93点。20点とかそこらならまだしもちゃんと勉強したからこそ取れる点数だ。いいか、世の中にはどれだけ努力をしても克服できないものがある。それがこのミス。そのミスにも咎めるものと咎めるべきではないものがある。今回のミスは咎めるべきじゃない」
「でもそれじゃあ不公平です。教育者、いや大人としてどうかと」
「あのなあ、大人が子供にすべきことは平等に扱うことでも公平に扱うことでもない。将来の可能性、夢の選択肢を広げてやることだ。もしこの答案用紙通りに5点にしたとしてそれがきっかけでお前の勉強意欲を削いでみろ、それこそ大人、いや教育者として失格だろうが。それに学校、もっと言えば社会ってのはただでさえ成績云々で人の価値を決めつける場所なのにこんな誰もがするようなミスで努力してきたお前を出来損ないだと周りに認知させるなんて残酷なこと俺はしたくねえよ」
「あまいですね」
「うるせえ。そんなこと俺が一番わかってるわ」
「でも、そのあまさが時に誰かを救うことだってある。あなたのお兄さんが僕を救ってくれたように……」
博士がいなかったら今の僕はここにいない。きっと他のホムンクルス達のように死んでいる。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて先生がくれた恩赦に感謝する。本当に助かった。勉強して結果が5点とか心が挫けてしまう。
職員室を出て自分の教室へ戻って行く。もうすぐ授業が始まるせいか廊下を歩く生徒の数は少ない。そんな中ちょっと珍しい光景が見えた。ドアの前であるクラスメイトが1人で立っていたのだ。そのクラスメイトはショートの赤い髪で運動部なのか日焼けが濃く、一番の特徴を上げるなら頭に狐の耳、お尻のあたりにはふさふさの狐の尻尾がある。魔法世界では常識として知られている獣人というものだ。名前は確か……玉藻朱実さんだったっけ。
玉藻という名前は非魔法使いの間では伝説の妖怪狐――九尾とも言われている『玉藻の前』として知られている。平安時代の鳥羽上皇の寵姫だったとされ、絶世の美女と言われているけどこれは定かじゃない。
でも、玉藻という人間がいたのは本当のことだ。これは魔法世界でしか知られていない話で平安時代、魔法使いの人口がまだ少なかった時、玉藻という一人の女魔法使いが変身魔法で狐に化けようとしたところ失敗し戻れなくなり、人間と狐の両方の特徴を持った新たな生き物になってしまった。それが現代で獣人と呼ばれているもの。しかし当時獣人は魔法世界では出来損ないとして受け入れられていなく、かといって非魔法世界では化け物として退治されてしまうので、玉藻は魔法世界と非魔法世界両方で生きる場所を失ってしまった。それから玉藻は非魔法世界で人間のふりをして生きるようになり、その美貌で鳥羽上皇を魅了し寵姫にまで成り上がった、と言われている。
それから100年くらい経って玉藻のように変身魔法の失敗で中途半端な動物の姿に変身した魔法使いが人間に戻れなくなることが多発し、獣人というカテゴリを作って次第に受け入れられるようになった。現代では獣人の方が恵まれていると言われるほどに。僕も朱実さんのあのふさふさの尻尾が少し羨ましい。あれに顔を当ててスリスリしたいなあ。
「あ、いたいた」
朱実さんと目が合うと喜んだ顔をして近づいて来た。僕を待っていたということなのだろうか。でもどうしてだろう。話したことはないしいつもは他の女子生徒とお喋りしてるのに。
「青銅君、放課後時間ある? ちょっと頼みごとがあるんだけど……」
「頼み事? 何かな」
すると朱実さんは周りをキョロキョロと見た後両手を合わせてまるで僕を神様のような扱いをしてきた。でも人に頼られることはあまり経験したことがないからこういうことがあるとちょっと嬉しい。
「お願い! なんでもしてあげるからある事件の解決のために協力して!」
……早速で悪いけど逃げたいぐらい嫌な予感がしてきた。なんでもするからという言葉だけでも怖いのに事件と聞くとなお一層だ。
「事件? 何かあったの?」
とりあえず何も聞かないで断るのはダメだと思い内容を聞いてみる。
朱実さんはコクリとしたあと事件の詳細を話してくれた。
「昔、生物部が実験用のためのウサギを飼育してた小屋が校庭の裏にあるの知ってる? 倫理観が欠如してるってことで問題になって今はただウサギを育てるための小屋になってるんだけど、そこのウサギが連日行方不明になってるの。会田さんから青銅君はかなり頭が切れる人だって聞いたから事件解決に貢献してくれるんじゃないかと思って」
会田さん僕についてそんなこと言ってたんだ。実体験からそう語ったんだろうけど僕としては恥ずかしい。
「朱実さんって生物部だっけ?」
「違うよ。私は陸上部」
まあそうだよね。それだけガッチリした体つきで日焼けもしてるのに運動してなかったらおかしいし。
「ならどうしてその事件に関わろうとするの? 言い方は悪くなるけど朱実さんには関係がない話だよね。それはウサギ小屋を管理してる生物部の役目だと思うよ」
「生物部の部員は今1年生一人しかいないから人手が必要なの。それに、ウサギが可哀想だし……」
狐とウサギ、四足歩行の動物としての親近感から来る恐怖、なのかな。それとも同情か。いや、もしかしたらもっと別の理由があるのかもしれない。
「ダメ、かな?」
つまり朱実さんは僕に探偵になって事件を推理してほしいってことか。まあ予感ほど悪い事件ではなさそうだし、それに朱実さんは女子生徒の中では会田さんに次いでムードメーカーみたいなところがあるからあまり嫌われるようなことはしない方がいいよね。
「いいよ。役に立てるかはわからないけど」
「ありがとう青銅君!」
両手を合わせて喜ぶ朱実さん。なんでもするからという言葉からして飼育されているウサギが相当大事なんだね。でもなんでもってどんなお願いすればいいんだろう。倫理的にダメなことはあるし第一朱実さんにお願いするような願望僕にはないし……。
そのあとチャイムが鳴り放課後にウサギ小屋に行く約束をして次の授業を迎えた。
放課後。朱実さんと一緒にウサギ小屋のある校庭の裏を歩く。そこは森になっていて、人工的に植えられた樹々で溢れかえっていた。しかしそれでも所詮学校の敷地内なので壁はあり、その奥は道路になっている。まるで自然と科学の境界線のように。
壁の横をしばらく歩くと小屋があった。どうやらあれが朱実さんの言っていた生物部が管理しているウサギ小屋らしい。逃げられないよう金網で四方を囲み木製のドアには南京錠がしてある。さらに周りには結界を張るというかなり厳重なものだ。
「ここでウサギが行方不明になったの?」
「そう。2日前から一匹ずつ減って今日で3匹もいなくなった。放課後来たときはいるのに朝になるといなくなってるの。小屋の周りには南京錠に鍵をかけると自動で作動する結界が仕掛けられていて、事件が起こった日もちゃんと結界は張られていたし入り口のドアも閉まってた。壊れた形跡もなし」
「そうなるとウサギが自分から逃げたという線は考えにくい。誰かが来て何らかの方法で南京錠の鍵を開けたと考えた方がいいか。そうしないと結界も破れないしね……」
でも夜間の廊下は監視カメラが作動している。ウサギ小屋の鍵、というより校内で使われる鍵はほとんど職員室で保管されているからウサギ小屋に入るには一度職員室を訪れないといけない。その時必ず監視カメラに映るはずだ。学校にも結界は張ってあって窓から侵入することもできないしね。
そういえば非魔法使いの作った物語にはよく結界を物理的に破って侵入するっていう方法があるけどあれって凄い非現実的なんだよなあ。結界って例えるなら出口のない正方形のダイヤモンドでできた部屋みたいなもので人間の力じゃ絶対に壊すことができないようになってるし。
「監視カメラは確認したの?」
「した。でも誰も映ってなかった。先生にも話して小屋にも監視カメラを設置して対応するって言ってくれたけど私としては一刻も早く解決したいし連れ去られたウサギも助けたい。だから青銅君に頼ったの」
うーん、監視カメラに映ってないか……。体を透明化させる魔法を使っても学校の監視カメラは温度や音、埃の一つ一つの動きまではっきりわかるぐらい高性能だし死角もないから隠れることは不可能だ。どうやって職員室にある小屋の鍵を取ったんだろう。
「誰だ?」
後ろから若い女性の声がしたので振り返る。僕のクラスの女子生徒じゃない。黒髪に眼鏡、目の下にはクマがあって背中には白い鳥の羽が生えている。鳥人だ。朱実さんの獣人と同じ人間に他の動物の特徴が混じったもの。
「見た感じ同級生みたいだけど誰? 玉藻が連れてきたの?」
眠そうな顔で僕を見てきた。なんだか過労死寸前のようで心配になる。
「紹介するね鶴。この男の子は青銅錬磨君。私のクラスメイトで頭が良いらしいからお願いしてウサギ行方不明事件の犯人を捜す手伝いをしてもらうことにしたの。で、青銅君にも紹介するね。このいかにも睡眠不足な女の子は与平鶴。中学からの友達で、さっき言った生物部の1年生」
朱実さんがお互いのことを手短に紹介してくれたので「よろしくね」と手を上げて挨拶する。鶴さんも「よろしく」と言ってくれた。が、すぐに僕の横を通り過ぎてウサギ小屋のドアを開けて中に入ってしまった。素っ気ない人なのかと思っていると僕の耳元で朱実さんが呟く。
「ごめんね。あの子人とはよく距離を置くんだけど最近徹夜してウサギ行方不明事件の犯人についてヒントがないか監視カメラの映像とずっと睨めっこしてるから余計素っ気ないんだ」
なるほど。だから目の下にクマがあったんだ。でも徹夜して監視カメラを確認してるとなると相当大変なことだ。
「鶴さんもいなくなったウサギが早く帰ってきてほしいと思ってるの?」
小屋でウサギを撫でている彼女に向かって僕は言った。
「ああ。それに連れ去った犯人をぶん殴りたい……」
余程頭に来ているのだろう。拳を作って力強く握りしめた。
僕には人間以外の生き物に同情する気持ちが少しわからない。牛や豚とかの食料として有益なものならまだしもウサギは日本では食用として馴染みがない生き物だ。だからいなくなったとしても僕は「ふーん」ぐらいしか感じられない。でも、朱実さんや鶴さんがとても一生懸命なことは伝わってくる。それは、僕がかつて欲しかった愛情と同じものなのかもしれない。
「朱実さん。さっき事件を解決したらなんでもするって言ったよね。お願いが決まったよ」
「え、何?」
「僕と鶴さんにご飯を作ってくれないかな。僕は報酬で鶴さんには頑張ったご褒美として。この前君と会田さんの会話が聞こえたんだけど、君料理が上手いらしいね。食べてみたいなあ」
「え、そんなことでいいならいくらでも作るよ! よかったあ、変なお願いだと思ってちょっと覚悟してたんだけど、それなら前払いでもいいよ。今晩作ってあげる。ねえ鶴も今日の晩ご飯私が作ってあげるから私の部屋に来てよ」
小屋から出てきた鶴さんは「よくわからないけどわかった」と面倒そうに言うと箒を持ってまた中に入って行った。よく朱実さんの手料理食べてるのかな。全く困惑してない。僕はこんなすぐに決まることとは思ってなくて戸惑ってるのに。
あと、一体朱実さんは僕がどんなお願いをすると思ってたんだろう。想像するのは嫌なのですぐに次のことに頭をシフトする。
「小屋の掃除をするんでしょ。手伝うよ」
「え……」
袖を撒くって鶴さんに近づく。鶴さんは少し戸惑った。
「でも……」
「こういう時は協力だよ。早く終わればそれだけ事件解決のために動けるんだから」
事件解決のためだと言うなら否定されることはない。気が乗らないお願いだったけどやる気が出てきた。
「それじゃあ私も協力しようかな。はい、分身!」
朱実さんの体が光りだし、もう一人の朱実さんが現れた。
『分身魔法』。文字通り自分と全く同じ姿のもう一人の自分を作る魔法。と言っても本当の人間を作るわけではなく、その時の目的に応じたことだけする、機械みたいな人間しか作ることができない。つまりAⅠのロボットだ。いや、すこし言い過ぎた。分身体にもできないことはたくさんあるね。
「分身魔法が使えるなんて凄いね。でもそれ疲れちゃうよ? それに朱実さんは陸上部があるんじゃ……」
分身魔法は人手を増やすことには最適だけど一つだけデメリットがある。それは分身体が消えたあと、分身体の疲労が本人に返ってくることだ。例えば分身体を一人作って作業すれば単純計算で疲労が2倍になるということ。陸上部に入っている朱実さんにとっては嫌なことのはずだ。
「大丈夫大丈夫。事情を話せば顧問も許してくれるって。それに人手は多いに越したことはないでしょ」
躊躇いなどなく純粋な目で僕にそう言ってきた。優しい人なんだなあ。
「……いいの?」
鶴さんが僕と朱実さんを見る。僕達は頭を縦に振って了承すると彼女は少しだけ口角を上げた。
「ありがとう」
鶴さんの指示に従ってウサギ小屋を掃除する。糞を片づけたり餌を用意したり、さらには魔法道具を使ってウサギの健康状態を調べたりも。これがペットの世話か……。数が多いのもあると思うけど、映像で見るよりずっと大変。なんでペットを欲しがる人がいるのかわからないほどだ。朱実さんは慣れているのか鶴さんの指示が無くてもやるべきことをできている。
「あれ、この子……」
僕はあるウサギに注目した。それは他のウサギと違って綺麗で餌の野菜を皮を避けて食べている。しかしそれだけで気になったわけじゃない。一番の理由は他のウサギが近づこうとしていないことだ。嫌われているのか、怖がられているのか。僕にはわからないけど綺麗なウサギはそれを気にしているような感じではない。瞬きを何度もしてこちらの様子を窺いながら悠然と野菜を食べている。
「青銅、そのウサギが気になるの?」
横から鶴さんが聞いてきた。
「うん。独りぼっちでなんだか昔の自分を見てるような気がするんだ」
「……いじめられてたの?」
「そういうわけじゃないんだけど……僕がみんなとは違った考え方をしてて誰も理解してくれなかったんだ。それでちょっと孤独感があったって感じかな。そこまで気にしてなかったけどね。アハハ」
重い空気にはしたくないので笑っておく。けど作り笑いだとわかっているのか鶴さんの表情は暗い。聞いちゃいけないことだったという後悔が伝わってくる。でも最後の言葉通り本当に気にしてないんだよなあ。まだ僕がカプセルの中にいてテレパシーで他のホムンクルスと会話してた時の話だし。
「この子の健康状態は大丈夫なの? ウサギって寂しいと死ぬって聞いたことあるけど」
「さっき調べたけど何も問題なし。それと、ウサギが寂しくなると死ぬっていうのはガセだよ。ウサギって野生だと単独行動が多いし」
「え、そうなんだ!」
知らなかった。よく耳に入る知識だったからてっきりそういうものなんだと思ってた。……確かに寂しくて死ぬ動物ってよくよく考えてみたらどうなの?って感じだしね。ガセに引っ掛かるってこんなに恥ずかしいものなんだ。
「よーし! 掃除完了!」
朱実さんが軽く伸びをしながら満足気な声で言った。そして分身魔法を解き分身体が消える。実質僕達より2倍も労働してたのにまだまだ元気モリモリな顔だ。
「じゃあ晩ご飯の食材買ってこなきゃね」
空を見るともうだいぶ暗くなっていた。時刻は5時頃。そろそろ空腹になる時間だ。
「僕も手伝うよ。三人分となると量が多そうだし」
「ありがと。鶴はどうする?」
「私はウサギ達を外に出してあげなきゃいけないからまだここにいるよ」
「散歩でもするのかい? でも首輪はつけてないしリードも見かけなかったけど」
「森の中を好きに歩かせるだけだよ。ずっと小屋の中だとストレスになるからね。前の部員達がしつけてくれたのか放っといてもこの子達勝手に戻ってくるんだ。おかげで見守るだけでいいから楽だ」
楽って、十匹以上いるのに……。掃除中に聞いたけど生物部しかウサギを飼育する人がいない上に今部員は鶴さんだけなんだから本当に大変なんだろうなあ。
鶴さんとはあとで女子寮の朱実さんの部屋の前で合流ということで僕と朱実さんは先に学校を出ることになった。少し暗い森の中を歩く。
「夜ご飯何が食べたい? 青銅君への報酬だから好きなもの作ってあげるよ」
「うーんそうだなあ……僕は好みとかまだわからないから鶴さんの好きなものを作ってあげて」
「なにそれ? 自分の好きなものわからないの? おかしな人」
クスっと笑う朱実さん。好きなものがわからないのは、単純に僕の経験不足が原因だと思う。ホムンクルスである僕は生まれてから半年の間はカプセル内で胃ろうが唯一の栄養補給だった。カプセルから出てもまた半年は人間の食べ物に胃を慣らすためにおかゆとか消化に良い物ばかり食べてたからサンマの塩焼きとかハンバーグとか、副菜系はまだ一回ずつぐらいしか食べたことがない。
「鶴の好きなものか。じゃあ野菜多めのカレーかな。青銅君はカレー食べれる?」
「食べれるよ。鶴さんはカレーが好きなんだ」
最初見た時は茶色のドロドロとした液体が白米の隣にあってまるで動物の糞みたいで食べるのにためらってしまったけど、いざ口に入れてみると信じられないくらい美味しかった。映画とかで子供がカレーに喜んでる描写をよく見かけたけど、その理由が今ならわかる。
「私が最初に出会った時からだよ。中学の時は鶴も陸上部に入ってたんだ。で部活が終わったあと2人で帰ってる時にラーメン屋に寄ろうって話になってさ。私はてっきりラーメンが食べたいのかなって思ったらカレー頼んだのよ。おかしくない? ラーメン屋はラーメンよりカレーの方が美味しいって言うのよあの子」
ラーメンってあの細長いやつがたくさん入ってる料理のことだよね。車の窓から外を見る時よくラーメン屋の看板が見えてたなあ。てっきりラーメンだけしか出さないと思ってたけどカレーも出てくるのか。今度行ってみよう。
「でも中学3年の時からはほとんど行かなくなっちゃったなあ……」
「喧嘩でもしたの?」
「うんうん全然。ずっと仲良しだったよ。3年生になってすぐに鶴が飼ってたミニチュアダックスが死んじゃったの。それがトラウマなんだろうなあ……。天寿を全うして幸せそうに逝ったって鶴のお母さんから聞いたけどあの子はそう思ってなかったみたい。もっと幸せにしてあげればよかったって後悔してた。それからは陸上部を辞めてまるで贖罪をするように今みたいな動物を助けるボランティアばかりしてる」
ペットロスによる行動の変化。愛情込めて育ててた家族が死んじゃったんだ。悲しいし幸せにできなかったと嘆くのは当然のことかもしれない。
「朱実さんはどうして鶴さんの手伝いを?」
「あの子って何でも1人でやり遂げようとする性格だからさ。苦しくても全然泣き言言わないの。少しは周りを頼ればいいのに。だから、だね。うん。単純に鶴を楽させてあげたいんだ」
「……朱実さんは、ウサギがどうのより鶴さんを楽にさせてあげる方が重要なんだね」
「アハハ、バレちゃったか。まあ確かにウサギが殺されてるのは悲しいことだけどさ、私としては鶴が苦しんでることの方が嫌。無意識に自分を追い込んでる鶴を楽にさせる方法はないかと考えてた矢先にこんなことになっちゃったんだもん。まるで呪いみたい。だから会田さんから青銅君の話を聞いた時頼りになるかもって思ったの」
「殺されてるって言っちゃうんだ」
「そりゃあそうでしょ。ここまで連続で行方不明になってるのに殺されてない方がおかしいじゃん。だから私は野良猫とか熊がウサギを食べたんじゃないかと考えて学校の外で手がかりを探してたけど何もなかった。なら、次に考えられるのは人間が犯人なのが妥当でしょ。そして人間は必ず痕跡を残す」
それを僕に見つけてほしい、か。今のところ気になる点はいくつかあるけど犯人の名前はまだ出てこないなあ。
「青銅君は今日ウサギ小屋を見て何か気になることはあった?」
ここは朱実さんに聞いてみるのがいいかもしれない。僕は他の生徒のことを全然知らないし、よくクラスメイトと話している朱実さんなら何かわかるかも。
「そうだなあ……そういえばさっき――」
掃除中のことを言おうとした時、突然銀色に光る物体が僕の目の前に落ちてきた。
「……シャベル?」
さっき糞を片づけるために使っていたものだ。地面に突き刺さったそれを見て背筋が凍った。もしあと少しでも速く歩いていたら僕の頭にこれが突き刺さってた。
警告、だろうか? それ以上話すなら殺すというメッセージ。
「大丈夫青銅君⁉」
「うん。僕は平気」
「なんでこんなものが落ちてくるのよ……」
シャベルの刺さっている角度から考えて真上から落ちてきたことは間違いない。しかし上を見てもカラスしかいないし周りを見ても人影はなかった。
「もしこれを投げた犯人が鶴の方に行ってたら……」
朱実さんと見つめ合ったあと妙な寒気がしてすぐにウサギ小屋へ走った。
「鶴!」
ウサギ小屋が見えた途端朱実さんが叫んだ。
「うわっ⁉ なにっ⁉ どうしたのっ⁉」
朱実さんの声に驚いて鶴さんはビクッとしながらこちらに振り向いた。外に出ていたウサギ達も僕達に怖がって小屋の中へと我先にと逃げていく。見たところ外傷はない。反応からしてどうやら犯人に襲われたわけではないみたいだ。
「鶴! 大丈夫だった! どこも怪我してない?」
「え……なんのこと?」
朱実さんに体を触られて鶴さんは状況を理解できず戸惑っていた。
「さっきここらへんで人影を見なかったかい?」
「いや、見てないけど。どうして2人ともそんな血相変えてるの?」
「実は……」
僕はさっきの出来事を話した。その結果単独行動は危険だということになって三人で森を出ることに。ついでに森を出た後校舎に入って海パン白衣先生にも起こったことを説明すると先生が見回りをしてくれることになった。鶴さんもウサギ小屋を監視したいと申し出たが先生は危険だと認めることはせず、そのまま帰ることになった。
北海道魔法高等学校の寮は男性と女性で建物自体が分かれている。外見は同じで特にこちらの男子寮と違うところなど全くないように思える。しかし子供の好奇心とでも言うのだろうか。僕はずっと女子寮の中がどのような造りになっているのか気になってた。少しは違うところがあるかもしれないと勝手に期待していた。でも現実はそうじゃなかったみたいだ。
「なんか残念そうな顔してるね青銅君」
「……そんなことないよ」
実際はその通りだ。僕は残念に思ってる。エントランスは男子寮と同じだしエレベーターのある位置も廊下の装飾も全部同じ。勝手に期待した僕が悪いんだけどそれでも残念で仕方がない。カレーの材料の買い出し中はずっと期待感からウキウキだったけど今は100度ぐらい変わってしまっている。
「ただいまー」
部屋のドアを開けながら朱実さんは言った。
朱実さんの部屋は3階にあってそこも男子寮と同じく去年の3年生が住んでいた部屋が今の1年生に割り振られているみたいだ。
「「お邪魔します」」
やっぱり部屋の構造も12畳ワンルームで一緒だ。違うのは朱実さんの家具が置いてあることだけ。部屋の真ん中にある四角テーブルに案内され、カレーができるまでテレビでも見て待っててと言われたのでその通りにする。鶴さんはスマホを見て時間を潰すみたいだ。
こういう時会話でもできればいいんだけど鶴さんの心情はそれどころじゃないんだろうなあ。先生が見回りしてくれるみたいだけど考えてみたらペットが殺されるかもしれないときに大人しくすることなんてできないよね。
「どうして番組欄に赤丸をつけてるの?」
少しでも気が紛れたらいいなという希望的観測で僕はテーブルに置いてあった新聞を会話のきっかけにしてみた。でも本当にどうして赤丸をつけてるんだろ? しかもニュースばっかり。
「見る番組と予約する番組を分けてるんだよ。玉藻ってちょっと古いことする時があるから。わざわざ新聞で見なくてもテレビには予約する時番組表を見れる機能があるのにな」
「いいじゃない。こっちの勝手でしょ」
聞こえてたみたいでキッチンから朱実さんの声が聞こえた。じゃあこの新聞通りだと朱実さんはどの局のニュースも見るようにしてるんだ。本棚を見ると難しそうな歴史の本が多いし勤勉なんだね。
『では続いてのニュースです。札幌市中央区で殺人事件が――』
「はっ――‼」
5番!
『さあ始まりました! お笑いグランプリ!』
朱実さんを見習ってニュースにチャンネルを変えた途端殺人事件の話をし始めたので速攻でバラエティー番組に変えた。恐る恐る鶴さんの表情を窺うと少し暗い。酷い理由かもしれないけど今のでニュースが少し嫌いになった。タイミングが悪いにもほどがある。
「これ面白そうだね。どんな芸能人が出るのかな?」
「……」
……今は何も口に出さずそっとしておこう。
人をフォローするのってこんなに大変なことだっけ? これじゃあペットも人もあんまり変わらないよ。
「……鶴さん、そんなにウサギが気になるならカレー食べたあと先生には内緒でこっそり見張りしに行くかい?」
こうなったらもうこの手しかない。時刻はもうすぐ7時。カレーを食べ終えたとしても8時にはウサギ小屋に着く。ウサギが行方不明になるのは夜の間だ。朱実さんの言う通り犯人が人間なら先生達がいる時間帯に犯行がおこなわれる可能性は低い。
「……私の考えてたことよくわかったな」
「え、そうなの?」
「わかってなかったのかよ」
気を紛らわすことだけしか考えてなかったから全くわからなかった。じゃあ鶴さんは一人でこっそり見張りに行こうと思ってたのか。本当になんでも一人でやろうとするんだね。朱実さんが心配するのもわかる気がする。
「はいできたよー」
しばらくして朱実さんがトレーでカレーを運んできた。予告通り野菜多めのものになっている。
「朱実さん。さっき鶴さんと話したんだけどこのあと先生には内緒でウサギ小屋の見張りに行くことにしたんだけど一緒に来るかい?」
「良い案ねそれ。そうすればウサギを連れ去った犯人がわかるかもしれないし捕まえることだってできるかも。それにどうせしばらくは眠りたくないしね」
「眠りたくない?」
「昨日気づいたんだけど私夢遊病みたいなんだよね。寝ている間に壁にぶつかって酷い目にあったから眠るのが怖くなっちゃったの。あはは」
え、それは笑いごとじゃないよ朱実さん。魔法使いにとって夢遊病は最も警戒すべき病の一つなんだから。
「それは大変だね。大事になる前に病院に行った方がいいよ」
一応警告だけしてからカレーを口に入れる。前に博士と食べたキーマカレーとは違う。具材がゴロゴロとしていて野菜の味や食感がよくわかる。でも、なんだろう……前食べた時の方が美味しく感じられた。嫌いとか不味いとそういう類のものじゃない。今までなかったことだから憶測だけど、これは好みだと思う。僕はキーマカレーのような具材を小さくしたカレーの方が好きということなのかな。
「これ美味しいよ朱実さん!」
それでも僕の舌が美味しいと感じ取っていることに間違いはない。
「ありがと。そう言ってもらえると嬉しい」
そのあと軽い雑談をしながら食事を進め、僕一人だけ先に食べ終わった時のこと。
「朱実さん。本棚を見てもいいかな?」
「いいよー」
さっきはすぐにテレビに視線を変えちゃって一つ一つちゃんと見れてなかったけど、近づいてみると本当に凄い数だ。こんなに読むのに一体どれだけの時間が必要なんだろう。
タイトルを確認しながら流すように見てると一つだけ『ウサギの生態』という他とは全く違うジャンルのタイトルの本があった。事件解決のために買ったのかな? 鶴さんのためにそこまでするなんて本当に友達想いな人なんだ。僕も朱実さんみたいな友達が欲しいなあ。
「……いや、ないね」
一瞬ウンディーネ君のことが思い浮かんだけど、まだ彼とは友達になれそうもない。
ウサギの本を手に取って読む。へえー、ウサギって数える時『羽』を使うんだ。あ、でも『匹』で数えてる場合もあってどっちが正しいかはわからないって書いてある。本当にウサギのことがよく書かれていて、僕がイメージしていたウサギが間違っていることを認識させられるなあ。それに……事件解決へ導く大事なことも書かれている。
「鶴さん、一つ聞きたいんだけど学校のウサギの中に病を持つ子はいるのかな?」
「いないぞ。今日お前も見てたけど動物の健康を測る魔法道具で毎日見てるから自信を持って言える。それがどうかしたのか?」
「……僕わかったよ。ウサギを殺した犯人」
「「え⁉」」
3杯目のカレーを口に入れようとしていた二人だったけど、僕の言葉を聞いた途端立ち上がって近づいてきた。
「本当に⁉ 嘘ついてたらぶっ飛ばすぞ」
「ごめん、犯人がどこにいるかわかったって言った方が正しいや。誰が犯人かはまだ僕も確定してない」
でも犯人は大体予想がついている。そしてこれはおそらく正しい。ただ、確定できる情報ではないしもし間違っていた場合その人の信頼を失わせてしまう可能性もあるからここでは言わない。犯人は誰なのか、何故こんな事件が起こってしまったのか、話すのは犯人の正体をみんなで見たあとにすべきだ。
「でも犯人がいる場所はわかったんでしょ。どこなのそこは? 早く行って犯人を捕まえに行こう」
朱実さんの言う通り早く犯人のところへ行くべきだ。先生が見張りをするって言ってたけど多分明日になればまた一匹殺されている。いや、もしかしたらもうすでにそうなっていてもおかしくはない。
「犯人がいるのはウサギ小屋の中だ」
「「え?」」
夜の学校に入る。いつも見ているエントランスホールだというのに廃墟にいるような心地の悪さだ。誰もいない、声が聞こえない、明かりがない、様々な条件が揃うことでそう思わされているんだろうね。それに今は犯人のもとへ行くという目的もあるから後ろにいる二人から緊張感が伝わってくる。
明かりの点いている職員室の前に着いたあと、ノックをしてからドアを開ける。
「あれ、お前達どうしてまだ学校にいるんだ。下校時間とっくに過ぎてるだろ」
一人椅子に座っていた験実先生がそう言って僕達を睨んできた。
「ウサギ小屋の鍵を取りに来ました」
「だから見張りは俺がやるから大丈夫だって言っただろ」
「いえ、見張りが目的ではありません。犯人の正体を暴きに行くんです。先生も一緒に来てくれませんか? 僕達だけだと犯人に襲われたら危険なので」
まだ先生から許可は貰ってないけど鍵置きからウサギ小屋の鍵を取る。
「いや、いやいやいや。何を言ってるんだ。犯人の正体って、どういう意味だよ」
「そのままです。今回の事件を起こした犯人はウサギ小屋の中に潜んでいます。その人に会いに行って全て話してもらうんです」
「なら余計にダメだ。生徒をそんな危険人物のところに連れて行くことはできないだろ」
それはそうだよね。
「では先生も来てください。はっきり言いますけど僕がいないと犯人を見つけたとしても正体を暴くことはできませんし罪を償わせることもできません。今見逃せば明日にはまた一匹ウサギがいなくなることになりますよ。それに先生の制止を聞かず小屋に行って犯人に襲われて僕達が怪我でもしたら危険人物を入れていたということになり学校にとって信用問題になるのでは?」
脅迫みたいなことを言っちゃったけどこうすれば先生だっていう通りにするしかない。
「はあ……わかった。ただし生徒を守る立場として俺が先頭に立つ。あと俺の許可なく離れたり何かするのもダメだ。いいな?」
「はい。それで構いません」
ウサギ小屋に着き験実先生が南京錠に鍵を入れる。しかし扉を開けるのを躊躇っていた。
「大丈夫です先生。犯人はこちらに敵意があるわけではないので開けた途端襲ってくるなんてことはありません」
先生の後ろから囁くように言うと疑うような顔でこちらに振り返る。
「本当に大丈夫なのかよ?」
「はい。多分ですけど」
「多分って……」
扉を開けると、ウサギ達が驚いて扉から離れていく。
「鶴さん、ウサギの数は減ってる?」
「大丈夫だ。減ってない。で、青銅、そろそろ教えてくれよ。犯人はどこにいるんだ」
「ちょっと待ってて。今探すから。いいですよね先生?」
先生が頷いたので塊になっているウサギを一匹ずつ移動させていく。僕の予想が正しければその人は奥の方にいるはずだ。バレないためには端にいるより群れに紛れた方が逃げれる確率は高いからね。でもこっちはもう見つける方法が分かってるから無駄なことだ。
「朱実さん。さっき僕と森の中を歩いている時言ってたよね。行方不明になったウサギ達は殺されてない方がおかしいって。僕もそう思った。だからずっと考えてたんだ。どうやって入れない小屋の中を入ったのか、どうして監視カメラに犯人は映らないのか、なんで1日に一匹ずついなくなるのか。何度も何度も考えてました」
犯人を捜す間そんなことを口にする。その気じゃないのに敬語になってしまった。
「あ、いた」
襟の部分を掴み持ち上げる。掃除中の時に独りぼっちだったウサギだ。
「そのウサギが犯人?」
「そうです鶴さん。この子はウサギじゃありません。変身魔法でウサギに化けた人間です。最初から小屋の中にいれば南京錠の鍵を開ける必要がないから廊下の監視カメラに映らなかった。最初は僕もわからなかったけど朱実さんの部屋にあった本のおかげで見破ることができました」
「私の本のおかげ?」
「はい。この子、餌の野菜を食べる時皮を避けて食べてたんです。それも人間が口にすることを避けるものばかり。それだけじゃない。この子は周りのウサギから避けられてました。理由はこの子が他のウサギを殺してるからです。誰も殺人鬼と同じ部屋にいたいとは思いませんよね」
「待て青銅。それだけでそのウサギが人間と言うのは少し無理があるんじゃないか?」
験実先生の指摘は正しい。これだけじゃこのウサギを人間と考えるのは無理矢理すぎる。
「その通りです。これだけじゃ証拠は不十分。人間と断定したのはこのウサギの目です」
ウサギを前に出すと三人とも顔を前に出してウサギのパチパチとしている目を凝視する。
「別に変わったところはないぞ。なあ玉藻?」
「うん。先生は何かわかりますか?」
「いや、全然」
まあそうだよね。三人ともウサギの専門家でも獣医でもないんだからわかるわけないか。
「この子、瞬きの頻度が異常に多いんです。10秒間に3回ぐらいの頻度で人間並みの多さだ。朱実さんの本に書いてありましたけど本来ウサギの瞬きの頻度は5分に1回程度。病気でもないのにここまで多いのはおかしいんです。なら、人間が化けてると考えることもできますよね」
「確かにそれならコイツが人間だと考えることもできるかもしれないが、どうやって他のウサギを殺したんだ? それも痕跡を残さずに? どこかに隠すにもこんな小屋じゃウサギを数匹も隠せるスペースはない。かといって外に出ようにも南京錠だから鍵が無ければ内側からでも開けることはできないぞ」
「簡単ですよ先生。方法は僕達が普段していることです」
ここで先生が顎を触りながら考え答えが出ると青ざめた顔で「まさか……」と僕を見た。
「はい、食べればいいんです。それも噛まず丸のみに。そのあと死体を糞として出せば鶴さんが勝手に証拠を片づけてくれますからね。この前授業で先生自身が仰ってましたけど変身魔法は見た目をあらゆるものに変えることができます。練度にもよりますが猿や犬のように自分より小さいものからキリンやゾウのように大きいものまで。ウサギのような小さな動物に化けられるなら逆に大きな蛇にだってなれるはずです。そして蛇特有の丸のみという方法でウサギを食べればいい」
毎夜一匹ずつ減っていたのは腹にそれ以上入れることができないからだ。蛇は消化速度の遅い生き物で、獲物を腹に入れたあとは何日も絶食なんてことはよくあること。大蛇になって何匹も食べることができるといっても消化できなきゃ小さなウサギに戻った瞬間にお腹が破裂してしまう。鶴さんは朝にもウサギの世話に来るから一夜で消化を完了するには一匹ずつ入れるしかなかったんだ。
「待て待て。じゃあいつそのウサギは小屋に入ったんだ? 増えれば鶴が気づくだろ?」
「それも簡単です。鶴さん、あなたは帰宅前にウサギ達を森の中で散歩させてますよね。自分から戻ってくるようにしつけされてるからリードはしてないし見守るだけでいい。でも数十匹もいれば全部を常に監視するのは不可能です。鶴さんが目を離したすきに入れ替われば簡単に小屋に入れます。そうなるとウサギの殺された数は三匹ではなく四匹ということにもなりますね」
これだけ言えば三人とも納得してくれるだろう。でも重要なのはここから。結局このウサギが誰なのかはわかっていないんだから。
「そろそろ正体を明かしたらどうですか? 黙り込んでももう逃げるのは不可能です。変身を解いて自首するのがあなたにとって最善の行為だと思いますよ」
ウサギを自分の顔の横まで近づけて目を合わせる。
「どうしました、急にウサギみたいにパッチリ目を開けっぱなしにして。あ、もしかして僕に殺されると思ってます? カラスに化けて口封じにシャベルを落としたのもあなたですもんね。勿論僕は怒ってますよ。それにやられたらやり返さないと気が済まないタイプなんで、これ以上黙ろうとするなら足で潰してしまうかもしれません、ね……」
勿論そんなことしない。でも一向に変身を解く気配がないから最後の賭けに出よう。ウサギの耳元で優しく囁く。
「それとも、あなたの主人に罪を擦り付けてほしいですか?」
そう言うとウサギは変身を解き徐々に人間の形へと戻っていく。
犯人の正体は誰でどんな背景があるのか。考えられるパターンは何個もあるけど、僕が最もそうであってほしくないパターンは1つ。最悪のパターンの次に悪いものだ。
「どういうことだよ……」
……やっぱりこうなったか。
「どうしてアンタが2人いるんだよ…………なあ玉藻‼ どういうことだよ、なんでアンタ、が――‼」
鶴さんが横にいる朱実さんを見る。しかし鶴さんはそれ以上の言葉が出なかった。なぜなら朱実さんが一番目の前で起こったことに困惑していたからだ。
「なんで……」
ウサギから人間に戻ったパジャマを着ている自分の姿を見て朱実さんは目を大きく開いた。
「玉藻……?」
鶴さんが名前を言うと、朱実さんはハッとして鶴さんに必死の弁明をした。
「違うの鶴! 私こんなの知らない! 私自分の分身にこんなことさせてない!」
しかし鶴さんも怒りを思い出したのか殺意のある目で睨み返す。
これは早く言わないと誤解が誤解のまま進んでしまいそうだ。
「わかっています朱実さん。この分身はあなたの意思で作られたものではありません」
「なんでそんなことがわかるんだ青銅?」
冷静になって僕に合わせようとしてくれている先生。僕だけじゃ多分二人の間を取り持つことは無理だと想定してここに来るよう誘導したけど正解だった。おかげで僅かではあるけど二人とも僕の話を聞こうとしてくれている。
「朱実さん。あなたさっき夢遊病に悩まされているって言ってましたね。それに気づいたのは昨日だとも。ならそれ以前から夢遊病を発症している可能性が高いです。そして夢遊病は魔法使いにとって最も警戒すべき病の一つ。なぜなら寝ている無意識の状態で魔法を使用してしまうことがあるから。あなたは寝ている間に分身魔法を使ってしまったんです。分身がパジャマ姿なのがよい証拠でしょ」
「それじゃあなんでウサギ達を殺すんだ! 分身魔法で作られた分身は命令通りのことしかできないだろ! 寝ながら殺せって命令したのか!」
「落ち着いてください鶴さん。それを今から確かめるんです。朱実さんの分身さん。あなたはどんな命令をされてこんなことをしたんですか?」
分身魔法で作られた分身は命令通りのことしかしない。つまりこの朱実さんの分身がどんな命令をされたかによって全てがわかる。
「……鶴を楽にさせて、て寝ながら命令された。だから私なりに考えて、鶴の周りから動物がいなくなれば楽にすることができると思って……」
「……そうですか。それは曖昧ですね」
分身といっても知能や記憶は朱実さんと同じ。曖昧な命令だとしても自分で考えて遂行することもできる。そして今の言葉は鶴さんを隣で見てきた朱実さんの本心なんだろう。鶴さんを苦しませているのは動物達、ならいなくなれば鶴さんは楽になるという勝手な解釈。
「なんだよそれ……そんなことのためにウサギ達は死んだのか……」
「……」
鶴さんの怒りに分身は何も答えず逃げるように消えていった。鶴さんはその場でへたり込んでしまう。
「鶴、私は……」
朱実さんの口からそれ以上出てこなかった。鶴さんのすすり泣く音だけが耳に入ってくる。
「……出てってくれよ、みんな」
ぶつけられない怒りを抑えるように牧草を握りしめている。今この場に残っても意味はないだろう。僕と先生と朱実さんは小屋を出る。
「悪いがお前達は教室で待機しててくれ。俺は与兵が小屋から出てくるまでここで待つことにする」
慰めの言葉でも贈るつもりなのかな。
「大変ですね、先生っていうのは」
「お前も人のこと言えないだろ」
そう言って先生は放心している朱実さんに目をやった。
「ああ、なるほど……」
つまり朱実さんのケアをするのは僕の役目ということか。立ち直れれば上々。仲直りができるレベルまでの精神状態にさせるのが最低ラインかな。
「玉藻。今回の事件はお前の分身が勝手にやったことだ。だからそんなに考え込むんじゃないぞ」
先生の気遣いに朱実さんは何も答えない。
僕達は一言も話さずに自分の教室へと歩く。
夜の自分のクラスの教室。明かりも点けず月明りだけが照らす空間。僕は朱実さんと月を眺めている。
「凄いね青銅君、私の分身を見た時ずっと冷静だった。咄嗟にあんなに話せないよ」
「違うよ。咄嗟なんかじゃない。僕は犯人の居所がわかった瞬間、ただずっとこうなってほしくないと願っていた。君達のような友情が自らの手で崩れるのは見たくなかったから。そんなことが起こるわけがないと思考を放棄しようとしていた。でも、考えないようにすればするほど考えてしまって、どう対処するのか何パターンも考えてしまって、それでいざその場面に出くわしたら……驚けなかったんだ」
「……やっぱり凄いよ君」
本当は、程度の低さに拍子抜けしたんだ。朱実さんが自分の分身に困惑して、鶴さんが矛先の定まらない怒りに苦しむ様を見て、「なんだ、こんなものか」って思ってしまったんだ。もっと心臓がズキズキすると警戒してたんだけどなあ。
「朱実さん。君は今日からニュースや新聞を見るのを控えた方がいいよ。ああいうのはメディアがみんなに注目させるためにネガティブな情報を多く取り入れてるけど、ネガティブなことっていうのは見たり聞いたりするだけで人にストレスを与えるものなんだ。夢遊病の発症理由にはストレスも関係している。君が夢遊病になったのは、それも理由に含まれているんじゃないかな」
朱実さんはそのことに何も答えない。それどころか別の話をしてきた。
「青銅君、なんで今私が話せてるかわかる? 実感が無いからだよ。だってウサギを殺したのは私の分身だもん。でもね、だんだんと分身の疲労感がやってきてわかってくる。何かを殺すって、こんなに虚しいものなんだね……」
赤くなった顔で僕を見てくる。
……こんな時に使える言葉ってなんだろう。僕にはわからない。それよりも心に響くものがあった。仲間ができた、という歓喜の鼓動が。
「先生も言ってたけどウサギを殺したのは朱実さんの意思じゃない。分身が曖昧な命令を叶えようと考えた結果がこれなんだ。だから、そんなに考え込まないで。それに……」
どうしよう、これは言うべきことではないんじゃないか。さっきまでは彼女を慰めようと頭に思い浮かんだ言葉を並べただけだけど、これは違う。僕が言いたくて言おうとしてる。場違いなことなのに体験談を言いたくてたまらなくなっている。
「生き物が死ぬ時は、呆気ないものなんだよ。寿命だろうが病気だろうが、死ぬ時は認識する間もなく死ぬんだ」
「なによそれ……それで何を納得するのよ……」
納得できるはずがない。だって、今のはただ僕が満足したくて言いたかっただけなんだから。そこにあるのは朱実さんのためでも鶴さんのためでもない、僕のための言葉だ。
「わたし、は……はあ……はあ、はあ……」
実感がやってきた。過呼吸になりトイレに行く暇もなく嘔吐する。
「落ち着いて。背中さすってあげるから。ゆっくり息を整えて」
割れたガラスを扱うように朱実さんの背中を触る。
「辛いよね、苦しいよね。でも君達ならきっと仲直りできる」
そのあと、先生と鶴さんが来るまで朱実さんを慰め続けた。もともと仲が良かったこともあるんだろうけど先生の説得のおかげか鶴さんが朱実さんに怒りをぶつけることはなかった。あとは時間が2人の関係を修復してくれることを祈るしかない。でも、朱実さんの罪の意識は消えない。それから彼女が鶴さんを見る時、その目には罪悪感が強く感じられるようになり、もう、ウサギ小屋に訪れることはなかった。