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あなたの面汚し具合  作者: 天気雪晴
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嫌悪を嫌う果ては……


 人という生物は頭で考えたことを、さも隠しているかのように行動すると僕は思う。悟られるのが怖いのだろう、誰も身内や親しい人以外には本当の自分を見せようとしない。もしかしたらそれらにすら見せない人もいるかもしれない。

 では、今僕に起こったこの出来事はどうだろうか。

 人生で初めての入学式翌日、教室のドアを開けた瞬間黒板消しが僕の頭に着地した。チョークの粉が鼻に入ってなんだか気持ちが悪いし、髪もきっと粉だらけ。新品の制服も返品不可なほど汚れてしまっただろう。

 そんな僕を見て、先に来て1人でトラップを仕掛けたと思われる男子生徒が周りの反応を観察しながら笑っていた。他の同類だと思われる男子生徒数人も同様に。 

「よっしゃあ、引っ掛かった!」

 魚を釣った釣り人のように喜ぶ仕掛け人。しかし女子生徒達はあまり好ましいとは思ってないようで誰も笑っていない。それどころか仕掛け人を低俗な物のように睨んでいる。

 あまりジロジロ見るとこちらも睨まれそうなので、床に不自然に多く積もったチョークの粉に視線を移すと、1人の眼鏡をかけた女子生徒が僕に近づいてきてハンカチを渡してきた。

「ごめんね、大丈夫?」

 一目で真面目な人なんだなと思った。制服の着こなしや姿勢の良さ、それに魔法世界だけに存在するイデアフルールという睡眠薬に使われる花の香水の匂いがする。育ちの良さがわかるなあ。

「……ありがとう。でも心にもない気遣いをするのは体に良くないと思うよ? それに風魔法を使えばこんなのすぐに掃えるから」

 僕は魔法で風を出して体についたチョークの粉を掃う。これで綺麗になったから全て解決、とはいかないようだ。

 なぜなら教室は凍り付いていたから。さっきまで笑っていた男子生徒達も固まった笑顔で重い空気に戸惑いを見せる。

 思ったことを言っただけなんだけど……。

 数秒の気まずいと思われる空気の中、僕は優しい笑顔をしている男子生徒と目が合った。黒い髪に身長は僕と同じ170センチ程度、第一ボタンを開けた典型的な制服の着こなしをしていて、顔立ちはかっこいいというより可愛い系のアイドルって言うのかな? 

 よくわからないけど目が合った瞬間なんだか不思議な感覚があった。

 直感、と言えばいいのだろうか。彼は他の生徒とは違う。そんな思いが頭に流れたのだ。

 そのあと海パン白衣先生が来て凍り付いた空気は無理矢理溶かされ、朝のホームルームが終わり次の学校説明会までの10分間は休憩になった。

 トイレから戻ると、すでに話し相手を見つけた人が何人かいるようでところどころに塊ができていた。仕掛け人と僕にハンカチを渡そうとしてきた女子生徒もその塊の中にいる。

 僕はまだ親しいとはどういうことか完全に理解できていないからどんな風に仲良くなるのかわからないなあ。

 そんなことを思いながら席に戻り、持参した初心者のための心理学の本を読むことに。人ってやっぱり奥深いなあ……いくつも本を読んでも知らないことが次々と出てくる。

「前、座ってもいいかな?」

 話しかけてきたのはさっき僕と目が合った男子生徒だった。ホームルーム中もずっとそうだったのかも知れないが、優しい笑顔をこちらに向けている。

 前の席の人は他の生徒と立ち話しているし、断る理由もないから快く「どうぞ」と言う。もしかしたら話し相手になってくれるかもしれないと、少し期待もしていたり。

「俺の名前はラル・ウンディーネ。君は?」

「僕は青銅(あおどう)錬磨(れんま)。ラル、それにウンディーネということは君は妖精?」

 妖精は魔法世界でも絶滅危惧種とされているほど珍しい種族だ。しかもウンディーネという名は魔法世界、非魔法世界問わず有名な水の妖精。もしそうならぜひ話を聞きたいな。

「妖精だけど、半分は人間だ。俺は妖精人間」

「ああ……そういう……」

 僕がまだ生まれていない頃にあったことだ。絶滅の危機に陥った妖精達のために少しでもいいから血を残そうと妖精の子供を孕む人間が現れた。妖精と人間のハーフ、それが妖精人間。

「青銅君、なんでさっき会田(あいだ)さんにあんなこと言ったんだい?」

「会田さん?」

好動(すどう)会田(あいだ)、そこで話してる眼鏡の女子生徒だよ」

 ウンディーネ君の視線の先にはさっき僕にハンカチを渡そうとしてきた女子生徒がいた。

「彼女とは中学校から一緒だからよく知ってる。実家が花屋で学校の花壇の手入れをするほど花好きで、真面目だった」

 それでさっきイデアフルールの花の匂いがしたのか。

「だから君のさっきの言葉がどうしても気になってしまってね。普通親切にされてあんなこと言う人はいないよ」

 確かに今も他の女子生徒に囲まれて楽しそうにお喋りしている。その映像だけなら良い人だと考えるだろう。でも……

「僕は、彼女の親切に心がないと思ったから」

「心がない?」

 僕はあの時に思ったことをウンディーネ君に話してみることにした。

「黒板消しが頭に当たった時、床にはだいぶチョークの粉が積もってたんだ。黒板消しを落とされたのが僕だけならあそこまで積もっていなかった。つまりあの仕掛けは何回も作動していてクラスメイトの何人かは僕と同じ目に会ってたんだと思う」

 女子生徒が睨んでいたのもそれが原因なんだろうね。

「でも引っ掛かっていたということは会田さんは事前にいたずらを止めていない。さらに僕が引っ掛かったあとも彼に注意することもしなかった。そこで彼女は良い人という枠組みから外して別の視点で考えてみたんだけど、彼女は自分がやったことでもないのに「ごめんね」って言って僕に好印象を与えようとしてたんだよ。僕はこれらから会田さんは僕のことを心配してたけど、ハンカチを渡したのは僕のためではなく、僕に嫌われたくないからなんじゃないかっていう結論になったんだ。これ間違ってるかな?」

 世の中には好かれるよりも嫌われないために行動する人も珍しくない。そしてそっちの方が周りから嫌われる可能性は少ない。好かれる行動というのはアイドルや芸人がしていることだと僕は考えているけど、そういうのは逆恨みの対象となることも少なくないからね。

「……よく考えてるね。その通りだ。会田さんは人から嫌われないために行動している。好かれたいからじゃない。君への親切も心からやっていることじゃない」

 当たった! ちょっと嬉しい。

「でもね青銅君。心のない親切だったとしても、受け入れることは大切なんだよ」

 そう言うとウンディーネ君は立ち上がって自分の席へ戻っていく。

 僕はどうしてかもうこのまま彼と話すことは一生無いだろうと思ってしまった。同時に、彼に好かれたいとも思った……。

「君の笑顔……」

 急いで声をかけたおかげでウンディーネ君は振り返ってくれた。

「優しいね。僕はとても良いと思うよ」

 情報が少ない以上褒めるべき点は顔だけだった。

「……よく人からはずっと笑顔で気持ち悪いって言われるんだけどね」

「笑顔は無理矢理作ってもその人のストレスを無くしてくれるって本で読んだことあるから、全然気持ち悪くないよ」

 少しだけ間が空いたあと

「ありがとう」

 そう言ってウンディーネ君は今度こそ自分の席に戻った。



 1日の授業が終わり下駄箱のあるエントランスホールへ向かう。

「凄いなあ……」

 そこでは上級生の人達が新1年生を部活へ入れるための勧誘で騒がしかった。

 それぞれ自分が所属する部活名が描かれた看板を持って一人でも多く入部させようと躍起になっている。

「そこの君、陸上部に入ってみないかい? 魔法に頼らず体を動かすのはとても気持ちいいよ!」

 早速筋骨隆々のタンクトップを着た筋トレ中の先輩に話しかけられた。

「いえ、僕は陸上競技はあまり興味がないので」

「そうか! 興味が湧いたらいつでも声をかけてくれ!」

 幸いしつこい勧誘ではなかったのですぐに逃げることが出来た。もしかしたら結果を出せるような体じゃないと見て判断したのかな。

 その後も人の波に押されながら時々勧誘されたりもしたけど、なんとか下駄箱までたどり着くことができた。

 外靴に履き替えるが外には出ず勧誘現場を見る。

 僕は部活に興味がないわけじゃない。ただその場の勢いで入部するのは嫌だから、こうして観察してどの部活にどんな人がいるのか調べることにしてみた。

 やっぱり外から見るといろんな人がいるんだなあ。運動系文化系で分けても特徴があるし、その二つの中にもさらに細かく分けることができる。

「こんなところで何してるの新入生君」

 横から先輩と思われる女子生徒に声をかけられた。

 深い青色の長髪、身長は180センチぐらいかな。まだ肌寒いのに制服の上着を腰に巻いて僕の知識から抜群と思われるスタイルと顔をしている。姿勢からも自信の有り様が伝わってきて、如何にも学生生活を心からエンジョイしてそうだ。

「ネムハロー! 北海道魔法高等学校へようこそ」

 ……今流行りの挨拶なのかな? でも教室にいた時はそんな言葉聞いてないし……。まあここは真似して――。

「ね、ねむはろー、です」

「お、初対面で返してくれるなんて珍しい。ありがと!」

 やっぱり挨拶だったんだ……。しかもその口だと自分で作ったものらしい。

「それで、学校生活の質の要とも言える部活、そして入部のきっかけの一つであるこの放課後の部活勧誘で、あなたは一人で何してるのかしら?」

「えっと、僕は――」

「あ、ちょっと待って! 当てさせて!」

 手のひらを前に出して僕の言葉を遮ってきた。

 元気な人だなあ。声もはきはきしていて聞く側も元気が湧いて来る感じがする。

「うーん……普通なら友達を待ってるのが正解だけど、あなた新入生だし見た目から初日にそこまで仲が良い友達ができるとは考えづらいよね。部員を見てからどこの部活に入ろうか決めようと思ってたとか?」

 僕ってそんな風に思われるような見た目なんだ。博士を基準にしてるからかな。

「正解です」

「イエーイ、今日も冴えてるぅ!」

 ガッツポーズをして喜ぶ先輩に僕は若干引いてしまった。

「あ、そうだ自己紹介しないと。アタシ竜胆(りんどう)咲生(さき)、あなたより2年先輩よ」

「青銅錬磨、1年生です」

 3年生ということは来年の春には卒業なのか。今どういう気持ちでこの人は学校生活を送っているのかな。

「入りたいと思う部活は見つかった?」

「いえ、まだ決めていません。先輩はどこかの部活に所属しているんですか?」

「入ってないよ。よく運動部の大会に助っ人として参加することはあるけどね。アタシこう見えて運動得意だから」

 こう見えてって自分ではどう見えているのだろう。恵まれた身長に女性特有の柔肌を残したまま存在するしっかりした筋肉。見た目中身ともに理想と言ってもいい体をしてるのに。

「自分の得意分野を一つのことに活かそうとは思わなかったんですか?」

「最初は何かやろうかとも思ったよ。でもさ、アタシ一つだけじゃなくていろんなことをやりたいし知りたいんだよね。だからあえて部活には入らないで自分の時間に使おうと思ったの。まあ、その時間を有効に使えてるかって聞かれたら、はっきりイエスって答えられるかはわからないけどね」

 いろんなことを知る、か。

「竜胆先輩はちゃんと自分の時間を使えてると思いますよ」

「あら、嬉しいけどどうしてそう思うの? まだ会って数分だよ」

 理由を聞かれると返答に困ってしまうな。なんとなくそう思ってしまっただけだから。でも一つだけ言うなら、惹かれたからかも。

「僕が見てきた人たちの中で、竜胆先輩は多分一二を争うぐらい自分は生きてますと伝わってくる人だからですかね」

「……どういう意味?」

 首を傾げる竜胆先輩。

「すいません言い方が悪くて。言い換えるなら魅力と言うのでしょうか。竜胆先輩からは目を引き寄せられる何かがあると思ったんです」

 自分の生き方を知っている人にはそういうところがある。自分にはない特別な何かがあって羨ましいと思うほどのものが。

「よくわからないけど、褒めてくれたってことよね。だったら嬉しいわ。ありがと!」

 そう言って元気いっぱいな笑顔を見せてきた。

 改めて見ると本当に恵まれた容姿をしてるなあ。人との関わりがまだ浅い僕でもなんとなくわかってしまうほどなんだ、きっとこれまでたくさんの人達を虜にしたんだろう。

「あの、ちょっと聞いてもいいですか」

 竜胆先輩の体を見てこの学校に来てから浮かんだ疑問を思い出した。

 それはある意味セクハラのように聞こえる可能性があるし、思ったことを口にすると空気が悪くなるのもさっき学習したので質問することを避けてきたが、この人なら大丈夫かもしれない。

「なになに? 先輩としてできるかぎりのことは答えてあげるわよ」

 それじゃあ遠慮なく。

「なんで女子の制服はスカートなんでしょうか」

「……セクハラ?」

「いえ、僕入学した時から思ってたんですけど、なんで制服って男子はズボン、女子はスカートと分けられているのでしょうか。昨今、男性女性のポジションの指定、つまり男はこうあるべき、女はこうあるべきという考え方は古く改善すべき問題として、よくテレビなどでは挙げられています。それなのに制服は全然改善されていません。人の考え方を改めさせるためには、まず見た目を変えることから始めるべきなのに誰もそれをしようとはしない。矛盾です。春とはいえまだまだ肌寒い季節なのに、女子生徒はスカートだからタイツを履いたりして寒さを凌いでいるので、温かいズボンを履いている身からすると失礼を承知で申し訳なく感じてきます。だからと言って男子もスカートにしろ、女子もズボンにしろとは言いませんけど」

 ただ問題として認識している以上なんらかの対策を講じることは必須条件なのではないだろうか。そうじゃないと結局何がしたいのかわからない。

「えっと……先輩はそういうこと考えたことがないからわからないなあ、あはは」

 ただこの先輩のように根付いてしまった文化なんかのせいで、それが問題に関わっているという考えに至らない人は多いのではないだろうか。

 身近なものほど疑いの目を向けることは難しい。僕も人のことを言えたことじゃないけどそれが人の弱点でもある。

「すいません突然変なことを言ってしまって」

 とりあえず気持ち悪いことを言っていることは確かなので深々と頭を下げて謝ろう。

「ううん、全然気にしてないから。青銅君だよね。うん、憶えとく。機会があったら今度一緒にカフェにでも行きましょう。美味しいコーヒーを淹れてくれるところ知ってるから」

 それは楽しみだ。コーヒーはよく飲んでるからいろんな種類を試してみたい。

 連絡先の交換を頼まれたのでスマホを取り出し慣れない手つきで操作する。

「連絡先の交換完了っと」

 そうしてスマホをポケットに入れると横から現れたもう一人の女子生徒が竜胆先輩の肩に手を置いた。

「やっと見つけた! もー咲生ったら放課後はテニス部の勧誘手伝ってくれる約束だったじゃーん! お昼奢ってあげたんだからちゃんと手伝ってよねー!」

 どうやら竜胆先輩の友達のようだ。部活勧誘の手伝いの約束をしていたということは僕は余計な時間を作ってしまったらしい。

「あ、忘れてた! ごめん青銅君、また今度ゆっくり話そ」

 そう言って竜胆先輩は手を振りながらテニス部の部活勧誘の手伝いに向かった。

 まさか入学して最初に手に入れた連絡先が先輩だとは思わなかったなあ。

「あ、さっきウンディーネ君とも連絡先交換すればよかった……」

 好かれることだけ考えすぎて他のことは全く考えていなかった。でも同じクラスだしいつか交換できるよね。

 そのあとどの部に入るかは決めず学生寮へ帰り、夜にバイタルチェックをして結果を博士に送信して眠りについた。



 1週間が過ぎた。

 段々とクラスメイト達の関係に変化が出始めいくつかのグループが出来ている。

 一方僕の学校生活はこれといって変化したような気がしない。

 ウンディーネ君とはあれから話していないし友達と呼べるような人もできていない。

 今思えばこうなるのは当然の報いなのかもしれない。

 僕はたった3年という高校生をこんな風に無駄にするのはダメだと思った。だから今日は思い切って自分からウンディーネ君に話しかけてみることにしよう。

 今は授業の合間の休憩時間。そしてウンディーネ君はいつものように1人本を読んで過ごしている。1週間観察して親しげに話す人は今のところ見かけていない。友達第一号として話しかけるなら今がチャンスだ。

 立ち上がって最後列にいるウンディーネ君まで歩き出す。

「あの、青銅君、ちょっといいかな?」

 話しかけようとした瞬間、横から現れた女子生徒に声をかけられた。

「あ、はい……」

 話しかけてきたのは会田さんだった。

 今日は前とは違うがこれまた魔法世界だけにしかないエヴェイユフルールという花の匂いがする。でも匂いは口からするからエヴェイユフルールを使った飲み物でも飲んだのかな。あれ眠気覚ましの栄養ドリンクとかでよく使われてるしね。

「僕の名前、憶えてくれたんですね」

「まあ、学級委員ですから」

 先日の委員会決めで会田さんは自ら学級委員を立候補してその地位に立った。

 僕は前期でやらず、まず各委員会が何をどのようにするのか知る時間に使うことにした。やりたいことはちゃんと調べてからやらないと後悔してしまうと思ったから。

「次の授業のために資料室から段ボールを持ってくるように先生から頼まれたんだけど、私1人だと重くて運べなくて。だから青銅君に手伝ってほしいんだ」

「いやあの僕ちょっとやりたいことが……」

 ウンディーネ君の席を見ると、いつの間にかいなくなっていた。素早いなあ……。

「やっぱりなんでもないや……。段ボールを運べばいいんだよね。喜んで手伝うよ」

「ありがとう!」

 これもコミュニケーションを広げる良い機会かもしれない。ウンディーネ君だけじゃなくいろんな人と関係を持たなくちゃね。

 うん……それがいいよ……うん……。

「青銅君は本が好きなの? 休み時間はいつも本読んでるよね」

 道中そんな質問をされた。

 本が好きか、答えはノーだと思う、かな。

 僕は本をよく読むけどそれは人間という生き物を知りたいからであって、その過程で必要だったのが本にすぎないからだ。でもそれは対象を本という物だけに視点を向けた場合であって、本を読むことに目を向ければ本が好きという答えになってもおかしくない。

 軽い質問をされた気がするけど答えに悩まされちゃうな。

「どうかな。よく読むけど自分ではわからないな」

 ここは曖昧な答えにしておこう。答えがイエスかノーだったとしても、人間は簡単に心変わりするからあとで変えてもこの程度なら問題なさそうだしね。

「そうなんだ。私はね、両親がお花屋さんをやってるからか花が好きなんだ。最近は青い花、特に魔法世界のものが好……き……」

「へえ、じゃあ花には詳しいの?」

「え………………う、うん! 褒められるほどじゃないよ。でも知りたいと思ったらとことん調べちゃうかな。だから普通の人よりは知ってると思うよ」

 僕も気になることがあったらすぐに調べようとするからわかるなあ。

 それにしても今の話し方は……

「どうしたの?」

「なんでもないよ」

 広い校舎といえ会話しながら歩いていればあっという間に目的地へと着いてしまう。

 資料室の前に着くと、会田さんがノックしたあとドアを開けた。

 中からする匂いは廊下とは違ってなんだかいい匂いがする。というかこの匂いは……。

「どうしたの青銅君?」

「え?」

「早く段ボール持っていかないと授業に遅れちゃうよ」

 ……。

「うん」

 資料室の中に入り会田さんが指差したところには大きい段ボール箱があった。その隣には小さい段ボール箱も。

「重いから2人で運ぼっか。青銅君はそっち持って」

「うん」

 僕は会田さんとは反対に立ち小さい段ボール箱に背を向けて大きい段ボール箱の両角に手をつけた。

「いくよ。いっせーの、せっ! ……あれ?」

 上がらない段ボール箱。当然だ、僕は力を入れていないから。

「青銅君、ちゃんと力入れてる?」

 ……。

「会田さん、もしかして僕を陥れようとしてません?」

「え、どうしてそう思うの」

 ……やっぱり。

「普通こういう時「どういう意味?」って返すんですよ」

 すると会田さんは黙ってしまった。

「会田さん、多分君今焦ってますよね? どうして僕が眠らないんだろうって。ここ今イデアフルールの匂いが充満していますからね」

「何のこと」

 どうやらとぼけるつもりらしい。それなら……

「とぼけないでください。イデアフルールは燃やすと香水にした時のような独特の匂いと睡眠効果のある煙を出します。だから不眠症の魔法使いはイデアフルールを使ったお香を寝る前に使うことが多いんです。実家が花屋で自分も花好き、しかもつい一週間前にこの花の香水をつけてた人がこの匂いに気づかないわけありません」

「いやだから私よくわから――」

「ハンカチを拒否された時のこと根に持ってましたか? 僕まだあなたに謝罪してませんでしたもんね」

 そう言うと会田さんは黙ってしまった。

「僕が最初におかしいと思ったのは、廊下でのあなたの「普通の人よりは詳しい」という発言がここ一週間で初めての自慢だったからです。あなたはいつも相手に嫌われないよう慎重に言葉を選んでました。口が滑ったならわかりますが、そういうのはもっと親しく打ち解けた仲にある人に見せる一面です。なのであの時のあなたはなんだか僕と無理矢理な会話をしようとしてると思いました」

 相手を陥れようとするとき、悟られないよう演技するとおかしな部分が出てくるのはよくあること。

 いつもの自分を出すには経験が必要になってくる。

「それとさっき言ったように、この部屋に充満している匂いに気づかなかったのもおかしいです」

「でもだったらおかしいと思うよ。だって私は眠っていないんもん」

 最後の抵抗。だけど僕はすかさず答える。

「それは簡単です。あなたはここに来る前にエヴェイユフルールを口にしている。あれは眠気覚ましのドリンクによく使われていて、口に入れると1時間は絶対に眠れなくなる効果がある花です。あなたに話しかけられた時からずっとその匂いが鼻に入ってました。それで僕は思ったんです。あー、この人僕を眠らせて何かしようとしてるんだなあって」

 もう騙すことはできない。観念した会田さんはゆっくりと息を吐いて口を開いた。

「やっぱり、悪いことはできないんだなあ……」

「……僕を殺そうとしてたんですか?」

 恐る恐る聞いてみる。

「全然そんなんじゃないよ。私青銅君のこと全然恨んでないもん。ただ、青銅君にはもう嫌われてるからいいやって思っただけ」

 そう言うと会田さんは僕の後ろにある小さな段ボール箱を開けて中に入っていた割れた壺を見せてきた。

「昨日験実(けんじつ)先生の手伝いで資料室にあったこの段ボールを床に置いた時に、中に入ってたこれが壊れちゃったの。それで験実先生に嫌われるのが怖くて……」

「なるほど。もし僕があそこで眠って倒れたら僕が壊したことにできますもんね」

 睡眠作用が効いてくるまでの時間を考えたらこの位置は絶妙だ。本当に花のことをよく知ってる。

「本当にごめんね」

 涙目で静かに頭を下げる会田さん。

「……会田さん、これは僕の考えなんだけど、その壺が割れたのは100パーセント君が悪いわけではないよ」

「え?」

 会田さんから割れた壺を受け取りいろいろな方向から眺める。

「やっぱりこの壺は結構年季が入ってる。こんなもの緩衝材も無しに段ボール箱に入れていたら割れて当然だよ。段ボール箱には割れ物注意のシールすら貼られてないし」

「でもやっぱり壊したのは私だし……あ、もしかしたら壺の弁償させられるかも!」

 大金を請求されるかもと怯える会田さんだけどその心配は無用だ。

「大丈夫。見たところ高くても1万円程度だからこんなもので学校は弁償しろなんて言わないよ」

「そうかな……」

「それにね、この程度の生徒のミスを許容できない教師は教育者として失格だよ。そんな人に嫌われたとしても、君の価値は変わらないし気にすることもない」

 まああの海パン白衣先生がこんなことで怒るわけないと思うけど。これ壊したことよりも先生の格好の方がヤバいし。

「そんなことのために、一生まとわりつくかもしれない罪の意識を持つ必要はないよ」

 それにこうなった原因は僕にもある。

 嫌われたくないと思っている人でも誰に嫌われたくないか優先順位をつけているものだ。

 会田さんは僕と先生を天秤にかけて先生に嫌われたくない気持ちの方が重かった。理由はさっき会田さん自身が言ったように、僕にはすでに嫌われていると思っていたから。

 もし僕があの時ハンカチをちゃんと受け取っていれば、会田さんは素直に先生に謝る道を選んでいたかもしれない。

 心のない親切を受け入れなかった僕の当然の報いだ。

「私、先生にちゃんと謝る」

「その方がいいよ。段ボールは僕一人で運ぶから」

 僕は大きい段ボールを持ち会田さんに一人で持てるところを見せる。

「ありがとう、青銅君」

 そう言って会田さんは壺を持って職員室の方へ歩いて行った。

「不思議だなあ。僕に嫌われていると思っていたのに、そこから僕に好かれようという思考には至らないなんて……それとも好かれようという思考を放棄してるのかな?」

 なんとなくそんな言葉を口にしてみた。

 でも当たってると思う。だってそうでしょ。

 さっき僕は、ハンカチを受け取っていれば君が先生に謝る選択をしたかもしれないと思って反省はしたけど、あくまでそれは『かもしれない』というだけのこと。君が僕に好かれようと思っていれば『絶対に』こんなことにはならなかった。

 君の好かれようという思考の放棄こそ、僕を陥れるという選択を決めた本当の理由なんだよ。

 これは僕を陥れようとしたことへの復讐かもしれない。君自身が気づくまで僕は絶対にその弱点を指摘しないよ。


 ――たとえ君の精神が疲れてボロボロになって壊れようともね


 性格悪いかな。でも僕の口から言っても君が信じるとは到底思えない。

 見た目と違って中身、精神ってなんで弱いくせに他人の指摘による変化は受け付けないんだろうね。

 ほとんどの人は性格をどう言われようと直そうとは思わず反感する。僕だってその例には漏れない。

「よいしょっと……あれ、ウンディーネ君!」

 段ボール箱を持って資料室を出ると、横でウンディーネ君が壁に背を預けて立っていた。

「終わったみたいだね」

「聞いてたの?」

「会田さんと青銅君が一緒に歩いていたから気になってついて来たんだ。予想通り裏があったようだね」

 裏って言うほど物騒な話でもなかったと思うんだけど、人によってはそう思える話になるのかな?

「彼女もよく考えたよね。資料室をよく見てみなよ。イデアフルールから出る煙を目立たせないようあらかじめ埃を立たせてある」

 それは気づかなかった。よく見たら埃がたくさん舞っていて、煙が肉眼では気づきにくいようにされている。

 それに煙の発生源も調べてみたら資料室の棚の奥にガラスのお香入れが置いてあった。勿論中には焚かれたイデアフルールのお香が入っている。

「1つ聞いてもいいかな。会田さんが聞き忘れてたから僕が言うけど、君どうして煙を吸って眠らなかったの?」

 それも気にしてなかった……。

 僕にとっては当たり前のことだったから説明するの忘れてたんだ。

「ホムンクルスって知ってるかな? 錬金術や魔法なんかで作り出す人造人間のことを言うんだけど」

「ああ。歴史上では成功例はないけど理論上は可能らしいね」

「僕がその成功例だよ。僕は君達と違って純粋な生き物じゃない。だから普通の人と違って毒とか効かないんだ」

「だからか。君は人によって作られた人間なんだね」

 ウンディーネ君の刹那の気遣いだ。普通こういう時『人間』じゃなくて人造人間とか人工生命体とかいうのに。

 それにもう一つわかったことがある。なんで僕がウンディーネ君と仲良くなりたいと思ったのか。

 僕と君は人によって姿形を変えられて生まれたという共通点があったからだ。だから僕は君に惹かれた。

「君、相手を追い詰めるとき敬語になるんだね。すっごく怖かったよ」

「え、ホントに」

 またまた気づかなかった。いつものように話してたつもりだったんだけど。

「多分初めてのことなんだろうね。それが君の本性ってことかな」

「どうだろうね。でもそうだとしたらちょっと嬉しいかな」

「何がだい?」

「敬語ってことは、無意識に言葉をわきまえてるってことだからね。これから過剰な暴言を言わずに済むかもしれないだろ」

 人は怒りに任せて絶対に言ってはいけない言葉を述べたりしてしまう。そしたらその人との関係に亀裂が入ってしまう。

 生まれてまだ1年半。怒ったことはないけどこれからそういう感情が露わになることだって十分に考えられる。だから先に知れたことはラッキーかもしれない。

「優しいね。じゃあ俺はもう行くよ」

「あ、待って!」

 僕は去ろうとするウンディーネ君を呼び止める。

「ウンディーネ君、僕と友達になってくれないかな。僕こんなだけど、君とは良い友達になれると思うんだ」

 勇気を振り絞って出した言葉。ウンディーネ君はどう返すのだろうか。

「申し訳ないけど、俺はそんな価値のある人間でも妖精でもないよ」

 そう言ってウンディーネ君は教室とは反対方向に1人で歩いて行った。

「そっか……」

 できれば一緒に歩きたかったけど、まだ僕にはダメらしい。

 重い段ボール箱を持って、僕は1人教室に戻る。

 


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