第八幕 二百人と一人
俺と魔女が酒を酌み交わした翌々日、北上するサシュナータ軍六万を攪乱すべく、遊撃部隊が派遣された。魔女の提案は、コーングレイス軍の上層部に速やかに受け入れられたわけである。
遊撃部隊の数は二百。騎兵と軽装歩兵のみという機動力を重視した編成であり、そのすべてがコーングレイス兵だった。もともとこの戦いはコーングレイス軍が主動すべきものであるし、彼らのほうが兵数も多いからだ。また、アルフェド軍はこの周辺の地理に詳しくなく、参加したところでかえって足手まといになると予想されたからでもある。
つまりこの作戦はコーングレイス軍単独のものであり、よって俺には関係ないものと考えられたのだが……。
「まるで、人身御供になったようだ」
軽快に行軍する遊撃部隊──そのコーングレイス兵二百人の中に、アルフェド兵がたった一人混じっていた。俺である。
「何を言う。この作戦においておまえは共同戦線の象徴なのだから、馬上でふんぞり返っていればいいのだぞ」
隣でそう笑ったのは、コーングレイスの魔女である。この遊撃部隊の指揮官は彼女であった。遊撃を提案した際に、自ら志願したらしい。もちろん志願したところで誰にでもなれるものではない。彼女がこうして任命されたのは、それだけの実績と信用をすでに持っていたからだろう。
そして指揮官に任命された魔女は、さらなる提案をしたそうだ。
「──確かに、アルフェド軍に参加されても困りますが、しかしまったく無しというのも如何なものでしょうか。せっかくの共同戦線でありますし。その象徴として、誰か一人くらい高位の人物や有名な人物を遊撃部隊に招いてみては?」
と。
それから魔女は、この遊撃作戦はもともと俺が発案したものであることを告げ、「是非、共同戦線の象徴には死神を」と推薦したらしい。
コーングレイス軍の上層部は、その提案と推薦も受け入れた。両軍の交流を尊重するものだったし、「アルフェドの死神」に対する評価も低くはなかったからだそうだ。
その後、我がアルフェド軍の上層部に遊撃作戦と俺の件について相談が持ち掛けられたわけだが、彼らもそれらのことに異論を唱えなかった。結果、俺は唯一の例外としてコーングレイス軍遊撃部隊の中に混じることになった次第である。
「象徴か……。なかなかいい御身分だ」
と、いったん魔女に合わせたあと、俺は胡乱な視線を向ける。
「──で、わざわざ俺を呼んだ本当の理由は?」
魔女が馬を軽く走らせたまま肩をすくめた。
「そう構えるな。すでに言ったとおりだ。この遊撃はおまえが最初に提案したもの──しかも良案だ。にもかかわらず、そこにおまえが参加しないというのはやはりしっくりこなくてな」
「……」
「それに、そもそもおまえが言ったのであろう? 『待っているだけでは芸がない』と。だからこうして呼んだというわけだ」
……そんな遊びに誘うように遊撃に誘われても困るのだが。俺は魔女の双眸を窺った。澄んでいた。本当に悪意はないようだった。
俺は溜息をつく。
「何というか、おまえはよく解らないやつだな……」
「──もしかして、迷惑だったか?」
魔女がそっと上目づかいで訊いてきた。
「い、いや──」
その殊勝な態度は、予想外のものだった。思わず慌ててしまう。
「ま、待っているだけよりも、こうして戦いに出るほうがはるかに性に合っている。迷惑などではなかったな」
「そうか。ならばよかった」
「──ただ」
軽く咳払いをして声音を整えたあとに俺は言う。
「サシュナータ軍は烏合の衆らしいからな。戦いを楽しめるかどうかは別問題だ」
魔女がニヤリと笑った。
「ほほう、頼もしい。真正面からやり合うわけではないが、六万対二百というのはなかなかに刺激的だと思うのだが。たとえ相手が烏合の衆であったとしても」
「まあ、確かにな。──しかし、そこはおまえが上手くやってくれるのだろう? 期待しているぞ、指揮官殿」
「簡単に言ってくれる」
呆れたように魔女は溜息をついた。
この遊撃部隊において、俺は一応、共同戦線の象徴ということなので表向きは指揮官である魔女と同格であった。ただし、指揮権は与えられていない。まあ、いきなり来たよそ者に部隊を任せられるはずもなく、これは当然の処置だろう。
実質的には、いまの俺は魔女直属の騎士という扱いをされており、こうして部隊の中央で轡を並べているのもそれが理由であった。特に不満はない。むしろ、これから間近で彼女のお手並みが拝見できるかと思うと楽しみですらあった。
北上しているサシュナータ軍の位置を、斥候を放って確認しながら遊撃部隊二百は進んでいる。
丘陵を出発してからしばらく経つが、接敵にはまだ少し時間が掛かるというので俺と魔女は会話をしながら馬を走らせていたわけである。
……それにしても、落ち着かない。
先ほどから──というか、はじめからずっとそうなのだが、ふと何処かを見ると、確実に誰かと目が合うのである。それだけ注目されているということだろう。警戒、好奇心、畏怖。あからさまな殺意がないだけマシなのかもしれないが、何にせよ、居心地はあまりよくなかった。
「何だ、アルフェドの死神は周囲の視線を気にしているのか」
俺の様子から内心を察したらしく、魔女が少しからかうように言った。
「奥ゆかしい人間なものでな」
「抜かせ、この死神が」
と一笑に付したあと、魔女は口調を変えてつづけた。
「しかしまあ、仕方あるまい。コーングレイスの中にアルフェドがいるなど珍しすぎる光景だからな。それに、そもそもアルフェドの死神の名はこちらでも響き渡っている。つい見たくもなるというものよ」
「それはそれは。──しかしこの間、俺は大敗走をしたばかりだぞ」
「あれはおまえのせいではないだろう。それにあの大敗走の中で、おまえの名はむしろ上がったぞ」
「どういうことだ?」
「おまえ、こちらの追手を何人か斬っただろう? その中にはそこそこ名の知れた騎士が混じっていたのさ」
「そうだったのか……」
「加えて、その前におこなった私たちの一騎打ち。あれを目撃していた者が案外多くてな、あらためておまえの技量が話題になったらしい」
「そうか、あれをか……」
あの一騎打ちは楽しかった。もう少しで魔女を殺せそうであった。もう少しでこちらが殺されそうであった。思い出すだけでも血が騒ぐ。魔女は手傷を負い、俺は大鎌を失っていた。あのままつづけていたらどうなっていたのか──
「また……やりたいな」
曲りなりにも、いま俺たちは味方同士である。こんな台詞を吐くべきではないのだろうが、ぽろっと口から零れてしまっていた。
魔女は眉を顰めることはなかった。むしろ小さく笑った。
「──安心しろ。私たちはすぐ敵となる。この共同戦線が終わり次第な。その時はまた存分に殺し合おうではないか」
「そうだな」
俺も笑い返した。
□ □ □
丘陵を出発した最初の日は、何ごともなく夜を迎えることとなった。遊撃部隊の行軍は速やか且つ順調で、明日にはサシュナータ軍を捉えられるらしい。
即席の夜営地で夕食を取ったあと、魔女は「明日に備えて、もう寝るといい。私もそうする」と言って幕舎に入った。
その言葉に素直に従って、俺も近くに用意された幕舎の中に寝転んだ。しかし、まったく眠気に襲われなかった。
入り口の布を開けて外に出る。すでに周囲は闇に染まっている。ただ、星明かりと松明がいくつか小さく揺らめいているために、完全に真っ暗というわけではない。見張りがゆっくりと巡回している姿がおぼろげに確認できる。
さて──少しフラつきたい気分だが、俺が一人でそんなことをしたら余計な騒ぎになりかねない。仕方なく入り口付近の地べたに座って夜空を見上げることにした。
しばらくすると、人の気配がした。こちらに近づいてくる。もちろん大鎌は身近に置いてある。何かあってもすぐに対応できるだろう。
「よお。起きていてくれてちょうどよかった。アルフェドの死神──ジェイド・リッカー卿よ」
妙に馴れ馴れしい男の声がした。
「──誰だ?」
目を光らせつつ、俺は訊いた。相手に合わせて敬語は使わなかった。
「ああ、警戒しないでくれ。何もしやしない。俺はマルティーノっていう。ナザリー卿とは昔馴染みの騎士だ」
「何か用か?」
「だから、警戒しないでくれって。ちょっと話をしたいだけだ」
「話?」
「そうそう。邪魔させてもらうぜ」
貴族らしくない粗野な調子で言いながら、マルティーノと名乗った男は薄ぼんやりとした闇の中から姿を現した。
見覚えがある。今日ずっと魔女にくっついていた俺は、何人かのコーングレイス兵と顔を合わせていたが、そのうちの一人だ。そして先日の戦いで、魔女に部隊の指揮を任されていた男でもある。そいつは勝手に近くに座ると、愛想笑いを浮かべた。
「いやあ、話をしたいしたいと思っていたんだが、おまえさんはずっとナザリー卿と一緒だったからな、その機会がなくて困ってたんだ。やっと一人になってくれてよかったよ」
「──つまり話とは、魔女の耳には入れられないような類のもの、ということか?」
怪しい。俺の警戒心が一段上がる。
マルティーノが慌てて両手を振った。
「いや、だから警戒しないでくれって。ナザリー卿の耳には入れたくないってのは当たってるが、別に変な話じゃねえ。むしろ男どもにとっては至極まっとうな話だ」
「──?」
マルティーノが何を言いたいのか、俺にはまったく解らなかった。ただ敵意を感じないのは確かなので、一応、耳を貸すことにする。
「それで、いったい何の話だ?」
「単刀直入に訊く。──おまえさんとナザリー卿は、いったいどんな関係なんだ?」
「……」
質問の意図が摑めなかった。俺はしばらく眉を寄せたあと、無難な答えを選択する。
「俺は共同戦線の象徴として、この遊撃部隊の指揮官である彼女に協力している──そんな関係だ」
「いやいやいや、そうじゃなくって──」
「ならば、この三年間互いに殺し合いながらも、いまだ決着がつかない関係だと言えばいいのか」
「いやいやいや、それも間違っちゃいないんだろうが、そうじゃなくって──」
焦れたらしいマルティーノが説明をはじめた。それによれば魔女ことナザリー・ロッシュは、普段男とはあまり親しくしないらしい。別に邪険に扱うわけではないが、必要なやり取りのみで済ませてしまうということだった。
ところが今日一日、そんな彼女が親しげに男と話す姿があちこちで目撃された。そのため、遊撃部隊の水面下ではちょっとした騒ぎになっているらしい。美しい花に悪い虫がついたのではなかろうか、と。
そしてマルティーノは、いつの間にかみなの代表みたいになってしまい、いまここにこうして確認にやって来たというわけであった。
……なるほど。俺がやたらと視線に晒されていたのは、そういう理由もあったからか。
「これから六万対二百の戦いに臨もうというのに、のんきなことだ」
「まあ、そう言うな。ナザリー卿に憧れているやつは結構多いんだよ。強い上に美しい。コーングレイス人の理想だからな。──で、どうなんだ、実際のところは?」
「おまえたちにどう見えていたかは知らないが、俺たちは普通に話をしていただけだ。内容もだいたい戦いに関することだった」
「本当か?」
マルティーノが探るような目つきを向けてくる。
「本当だ」
俺は何一つやましいことがないのでまっすぐに見返してやった。
「……そうか。じゃあ、そういうことにしておこう」
と言ったが、マルティーノの目つきは変わらないままだった。声を低めてさらに訊いてくる。
「しかし、だったら先日のことはどう説明するんだ?」
「先日のこと?」
「コーングレイスとアルフェドが交流した夜のことだ。ナザリー卿はわざわざおまえの元を訪ねたそうじゃないか」
「ああ……」
あれは、アルフェド軍の中でもちょっとした話題になっていた。しかし俺は知らぬ存ぜぬで通した。実際、魔女がどうして自分に会いに来たのか、俺にも解ってはいなかったのだ。
「あれにはこちらも驚いた。魔女は『せっかくの機会だから会いに来た』というようなことを言っていたが……しかし結局のところ、今日とたいして変わらない。話したのは戦いに関することばかりだった」
「ふぅん」
「──俺は、敵として魔女のことを買っている。ゆえに、一度くらいまともに顔を拝んでみたいと思うことはあった。おそらく魔女もそうだったのではないだろうか」
「なるほどな」
マルティーノはそう言ったが、納得したような表情ではなかった。
仕方がないので、俺は言葉を足す。
「おまえたちが何を心配しているのかは知らないが、所詮、俺はアルフェド、魔女はコーングレイスだ。いまはたまたま一緒にいるが、本来は宿敵同士。いずれまた殺し合う仲だ」
「まあ……そうだよな。確かにそうだ。しかしナザリー卿に言い寄った数多くの男たちは、こう言って袖にされているんだよ」
「?」
「『私が興味あるのは、自分より強い男だけだ』ってな」
「…………」
無下にするのも悪いかと思って付き合っていたが、そろそろ面倒臭くなってきた。敢えて語気を強めて言う。
「おまえたちが騒ぐのは勝手だが、くだらないことに俺を巻き込むな。俺はここに戦いに来た。それ以外のことなど知らん」
「あ……ああ。邪魔して悪かったな」
俺の苛立ちが伝わったのだろう、マルティーノが慌てたように腰を浮かした。
「はあ……」
男の姿が闇に溶けていくのを見送ったあと、俺は溜息を洩らした。何だか妙に疲れた。先ほどとは打って変わって、もう眠ってしまいたい気分だった。入り口の布を上げて幕舎内に戻ると、俺はすぐに寝転んだ。




