第六幕 共同戦線
アルフェド王国とコーングレイス王国は、共に大陸北部に位置している。
我がアルフェドは北東部で、魔女が属するコーングレイスは北西部。そして、それぞれ西と東の国境線を同じくしている。つまりは隣国同士である。
かつてこの二つの国は、一つの国であった。しかし二百年ほど前、後継者問題が生じて東西に分裂し、それ以降、ことあるごとに争っていた。
もともと両国の先祖はこの地に定住するまでは狩猟民族であり、尚武の気風を持っていた。それは現在にも受け継がれており、よって両国の間では平和的な解決方法が取られることはなかったのである。
アルフェドに生まれた子供はみな、幼い頃から「我が国こそが正統であり、我が国はコーングレイスよりも強い!」と教えられて育つ。コーングレイスに生まれた子供はみな、幼い頃から「我が国こそが正統であり、我が国はアルフェドよりも強い!」と教えられて育つのだった。
生まれながらにして宿敵同士なのである。
ゆえに本来であれば、絶対に手を携えることなどないのだが──唯一の例外があった。
「第三国の侵略か……!」
俺はしばらく呆然としたあと、アルフェドとコーングレイスがいきなり味方同士となった答えを見出していた。
「お察しのとおりでございます。サシュナータ王国が大軍を催し、北上をはじめたとのことです」
従者が頷いた。
サシュナータ王国とは、アルフェドとコーングレイス両国の南に位置する、横長の領土を持つ国だ。
従者の説明によれば、今回そのサシュナータ王国が牙を剥き、コーングレイスの南部に進軍中とのことだった。
宿敵コーングレイスに、別の敵が襲い掛かるわけである。普通であれば「いい気味だ」と思いながらも、現実的にはその戦火に巻き込まれないようにするか、あるいはその戦火を利用するかと考えを巡らせるところだろう。
アルフェドは違う。援軍を派遣する。
コーングレイスは倒すべき敵であるが、それを為すのはアルフェドでなければならないからだ。第三国などでは決してない。
コーングレイスのすべてはアルフェドのもの。人も土地も資源もだ。第三国に渡すものなど一かけらもありはしない。よって、アルフェドが第三国と組んで、コーングレイスをどうこうしようという話もまったく生じえなかった。
これはコーングレイス王国においても同様である。今回狙われたのはかの国であったが、もしも我が国が狙われたとしたら、コーングレイスも援軍を派遣したことだろう。
かつて「一つの国」であったという歴史は、アルフェドとコーングレイスの人々の精神に深く根づいているのである。
……であるならば、いっそもう仲直りしたどうだという意見が聞こえてきそうであったが、そうはいかない。これも先祖から受け継いだ尚武の気風があるからだ。決着とは、理屈ではなく、力によって明らかにすべきものなのである。強者が上に立たなければ、結局、国などまとまりはしない。人など従いはしないのである。
いずれにせよ、第三国の侵略に対しては、アルフェドとコーングレイスは共同戦線を張るのが昔からの習わしであった。
とはいえ、めったにあることでもない。普段は敵対しているくせに、片方に手を出すと漏れなくもう片方もついてくるというアルフェドとコーングレイスの奇妙な軍事関係は、大陸でもよく知られているからだ。また、両国はバカみたいに戦慣れしている。おいそれと狙うには厄介すぎる相手だろう。実際、ここ十年くらいは第三国の侵入などなかった。なので、俺もすぐには思い至らなかったのである。
「それにしても、サシュナータは思い切ったことをしたな。かの国の国王はあまり軍事には積極的ではないと聞いていたが」
「はい、おっしゃるとおりでございます。しかし、その国王は二ヶ月前に崩御されたそうでして」
俺が首を傾げていると、従者が説明してくれた。彼の主である貴族は、何処かの貧乏騎士とは違って最新の情報に通じているらしい。
「我が主によりますれば、いまは若い新国王が跡を継いだそうです。今回の暴挙は、その新国王が周囲の反対を押し切って起こしたらしいとのことでした」
「なるほどな」
新しい統治者が、自らの力を示すべく何かしらの行動を起こすことはよく聞く話だ。そして自尊心が強いほど、大きな手柄を欲しがる。周辺を見渡してみれば、いつも争っていて疲弊していそうな二国があった。地形の関係上、攻めやすいのは北西の国だ。──今回、コーングレイスが狙われたのはそんなところだろうか。
「まあ何にせよ、返り討ちにしてやればいいだけのことだ」
俺は唇の片端を上げた。我らがいつも争っているのは確かだが、他国に付け入れられるほど疲弊はしていなかった。二国とも豊富な鉱脈を有していたし、何より尚武の気風が血の中に染み込んでいたからである。
「まったく以てそのとおりでございます──が、実は一つだけ懸念がございまして」
「何だ?」
「先ほどサシュナータ王国が大軍を催したとお伝えしましたが、その数はおよそ六万にも及ぶそうです」
「ほう……」
俺は笑みを引っ込めざる得なくなった。もう八年くらい戦場に出ているが、万を超える軍勢と相対したことは二、三回くらいしかなかった。正直、六万という数は驚きの多さである。
「ただし、金にものを言わせて集めただけの烏合の衆ということでもありました。なので恐るるに足らず、と言いたいところですが……やはり、これだけの数を侮るわけにも参りません。急ぎ、コーングレイスと合流すべきだと我が主はお考えです」
「確かに」
「つきましては、ジェイド様にはなるべく早くお越しいただきたいと我が主が申しておりました」
「なるべく早くとは、具体的にはいつくらいだ?」
「できますれば、今日これからわたくしめと一緒に。──遅くとも明日には」
「それはまた、ずいぶんと急かすではないか。戦の助勢自体は喜んでお受けするが、こちらにも都合というものがある」
そう言って俺は腕を組み、今後の予定を頭に浮かべた。
特にはなかった。
「……」
大鎌を受け取る以外は、ここしばらくの間は用事などなかった。
しかし、いまさらやっぱり暇だったとは言いづらい。咳払いしたあと、俺は目を逸らしながら口を開く。
「ま、まあ……何だ、あれだ、本当は忙しいのだがな、おまえの主には何かと世話になっているからな、ここはすぐにでも出発しようではないか」
「ありがとうございます! 我が主もきっとお喜びになるでしょう」
俺の言葉に白々しさを感じなかったらしく、従者はホッとしたように深々と頭を下げた。
こめかみの辺りを掻きながら、俺は遠征の準備をすべくひとまず屋敷内へと戻った。
□ □ □
コーングレイスに援軍として向かったのは、アルフェドの西の国境付近を領地とする貴族たちである。いったん集結したあと、コーングレイス国内を通る街道を使ってその南部まで進んだ。普通なら激しい戦いが起こるはずのところをすんなり来られたのは、もちろん事前に双方の合意があったからである。
そしてこの行軍は、不思議な雰囲気に包まれたものとなった。歩を進めるアルフェドも受け入れるコーングレイスも緊張感と警戒心を抱かざるを得なかったが──しかしそれだけではなかった。人にせよ、風景にせよ、一種の親近感のようなものも覚えていたのである。理屈ではなく、心の奥底から滲み出るような懐かしさがあった。やはり先祖は同じなのだな、と俺は妙に納得してしまった。
サシュナータ北上の第一報を聞いてから丸八日が経った頃、俺たちアルフェドの援軍は目的地に到着した。コーングレイスの南端──そこに広がる丘陵地である。
アルフェドの援軍はその編成も行軍もかなり急いだのだが、やはり丸八日という時間は大きい。コーングレイスとサシュナータの間ですでに戦端が開かれていてもおかしくはなかった。しかし、なだらかな起伏が連なっているそこは至って静かであった。
サシュナータ軍の足が遅かったのだ。六万の大軍ということもあるが、全体的にまとまりを欠いているせいらしい。情報どおり烏合の衆であるようだ。
この南端の丘陵地に、コーングレイス軍二万はすでに陣地を構えている。もちろんそれは地形を活かすために高所に築かれていた。
俺たちアルフェド軍八千は、そこから東に一キロほど離れた別の丘陵の頂に陣地を構えることになった。この時、コーングレイス軍から資材の提供があった。共同戦線を張る仲間としては悪くない対応だ。普段のことは措いて、ここは礼節を守るという意思表示であろう。
「──にしても、防衛戦か。あまり好きではないのだがな」
周囲を見渡しながら、俺は呟いた。
夕刻、コーングレイス軍の上層部から交流を深めようという提案がなされ、これを我がアルフェド軍の上層部は受け入れた。
薄闇の中、約一キロに渡って赤い光が点々と灯った。コーングレイス軍の陣地とアルフェド軍の陣地を結ぶ丘陵の頂──それに沿っていくつもの篝火が焚かれたのである。
頂の中間地点辺りがもっとも明るく、そこでは両軍の上層部が会食していた。いつもは相争っている者同士で酒を酌み交わすというのは複雑なものがあるに違いない。──いや、それは上層部だけの話ではなかった。ここにいる全兵が思っていることだろう。しかしだからこそ、サシュナータ戦に備えて少しでも友好関係を築いておく必要があるというわけだ。
他の複数の場所にもコーングレイス軍によって大量の酒と料理が用意されており、何処でも自由に飲食していいことになっていた。上層部は自分たちに倣って、他の者たちもそれぞれ交流を深めてもらいたいそうだ。その気があれば、コーングレイス軍の陣地にまでいっても構わないらしい。
俺はアルフェド軍の陣地内に置かれた卓子から酒と料理を取ってくると、一人離れた場所に座った。コーングレイスのやつらに興味がないと言えば嘘になる。しかし、わざわざ出向くほどではなかった。
両軍共に騒ぎを起こせば厳罰と言い渡されているし、日頃の恨みを晴らすことも懸賞金を狙うこともいまは禁止されているのでめったなことは起こらないだろうが……人間、酒が入るとどうなるかは知れたものではない。戦いは嫌いではなかったが、それで面倒なことになるはごめんだった。
「まあ命令ではないからな、俺は一人、ここでただ酒を楽しませてもらおう」
いくつもの戦場を渡り歩いているので知り合いは多い。しかし親しい者はほとんどいなかった。必要以上に群れるのは好きではないのである。黙々と杯を呷り、黙々と匙を運んだ。
しばらくすると、遠くからざわめきが聞こえてきた。揉めごとかと耳を澄ませてみたが、不穏な物音はしなかった。みな何かに驚いているようである。ただ自分には関係ないだろうと思い、そのまま飲食をつづけていたのだが──やがて、こちらに向かって足音が響いてきた。
顔を上げる。そして俺は、かなりの驚きに見舞われた。
少し離れたところにある篝火に照らし出されたのは──
冷々たる美貌。
コーングレイスの魔女が、そこにいた。