第五幕 貧すれば
「なっ!?」
俺は目を剥いた。
自分の武器が少しくたびれてきていることは知っていた。新調も考えていた。しかしまだ寿命というほどではないと思っていたのだ。
俺と魔女の小さな闘技場。
硬質な破砕音を残しつつ、その宙を舞ういくつかの金属片。
大鎌の刃だった。
判断が甘かった。金を惜しむあまり目が曇っていたのかもしれない。金属片がキラキラと光を反射しながら散っていくさまは、いっそ皮肉が効いていた。
一方、魔女もその左肩の甲冑も健在であった。俺の一撃を喰らって馬上でグラついていたものの、すぐに体勢を立て直してきた。槍を突き出してくる。
「くっ」
為す術がなかった。力いっぱい攻撃していたことと予想外の破損が重なって、俺は非常に中途半端な体勢だった。手にした柄を振るうのも鞍から予備の剣を抜くのも無理だった。身体をひねることさえ敵わない。──俺は貧乏のせいで負けるのか!?
銀色の穂先が俺の左脇腹を襲った。
「!?」
……しかし、それだけであった。いや、もちろん衝撃も痛みもあったのだが、魔女の攻撃にしてはぬるかったのである。
実際俺は、落馬もせず死にもせず、その場から離れて距離を取ることができた。馬首を巡らせつつ、魔女のほうに怪訝な視線を送る。絶好の機会に必殺の一撃を放ってこなかったのはどうしてだ?
答えはすぐに解った。
魔女はいつもどおりに槍を構えているようだったが、よくよく見れば左肩を庇うようにしている。
つまり俺の大鎌は、一方的な壊れ損ではなかったということだ。魔女の甲冑は傷つけられなかったものの、その内部にはしっかりと傷を負わせていたのである。
「おいおい魔女様よ、ずいぶんと痛そうではないか。こちらに首を差し出せば、すぐに刈り取って楽にしてやるぞ」
敗北すると覚悟したことをごまかすように、俺は敢えて軽口を叩いた。
「…………ふん、この程度の不利はむしろあったほうがいいだろう。それより貴様こそ、自慢の大鎌を失ってどうするつもりだ。泣いて命乞いをするのなら優しく殺してやるぞ?」
傷が痛むのか、少し集中力を欠いた表情を見せていた魔女だったが、すぐにいつもどおりにからかってきた。
俺は柄だけとなった大鎌を放り出し、鞍に括りつけていた剣を抜き放った。正直、剣はあまり得意ではないのだが仕方がない。
呼応するように、魔女も静かに槍を構え直した。
大鎌を失った死神と、手負いとなった魔女。
これまで以上に勝敗の行方が知れなくなったような気がするが、だからこそおもしろいのだろう。
俺は魔女を見つめた。
魔女も俺を見つめた。
しかし唐突に、奇跡のようだった一騎打ちの時間は終わった。
戦場に、大きな流れが発生していた。それに巻き込まれるようにして二人の小さな闘技場が壊れたのである。
その大きな流れとは、我がアルフェド軍右翼の敗走であった。魔女の部隊の不意打ちに混乱しつつもいままでどうにか持ちこたえていたのだが、ついに限界が来たのだ。コーングレイス軍左翼が一転して攻勢に出てきたのが直接の原因だった。一度は逃げ崩れた彼らであったが、こちらが混乱している間に部隊を立て直したのである。
こうなるともう、魔女一人を引きつけておいたところで意味がない。というか、俺も早く逃げなければ、コーングレイス軍に取り囲まれて圧殺されてしまうだろう。周囲を走っていく人馬は敵ばかりとなりつつある。
「どうやら時間切れのようだ」
俺は手綱を引いて馬首を巡らせながら言った。戦闘は大好物だし魔女との決着にも未練が残ったが、無駄に死に急ぐつもりもなかったのである。
「つまらない死に方はするなよ」
容赦なく追撃してくるかと思ったが、魔女はだらりと槍を下げて俺を見送った。正確な意図は解らないが、思いのほか左肩の傷が響いているのかもしれない。
「ああ、もちろん」
短く応えると、俺は馬を疾駆させた。魔女の台詞はこの身を案じているようにも聞こえたが、たぶん気のせいだろう。
敗走の流れに混じりながら、周囲を見回してみる。踏みとどまって戦おうとする同胞はもはや誰もいなかった。指揮官の姿も声も確認できない。みな一目散に逃げていた。
そしてこの敗走は、アルフェド軍全体の敗北へと繋がった。
コーングレイス軍左翼と魔女の部隊は俺たちを蹴散らしたあと、そのままの勢いでアルフェド軍中央の脇腹に突っ込んだからである。俺たちが途中で失敗したことを、敵軍は逆に成功させたというわけである。
戦場から離れた小高い丘の上で、俺はそれを確認した。
「これで今回の稼ぎは前金だけとなってしまったな」
戦いが終わったあとに、別途、働きに応じた報酬が支払われることになっていたのだが、敗北を喫した雇い主がその契約を守ってくれるはずもない。
俺は一つ溜息を洩らした。それから手にしていた剣を目の前にかざしてみる。念のために所持していただけの安物である。ここに逃げてくるまでの間に敵の追手を何人か屠ったが、どうにも切れ味が悪かった。それにしっくりも来なかった。
「やはり俺には大鎌が合っている」
帰ったら、武器を新調しなくてはならないだろう。戦士にとっては死活問題である。
しかし、先立つものがなかった。今回の前金は生活費で消し飛ぶことがすでに決まっている。
「さて、どうしたものか」
俺はもう一つ溜息を洩らしたあと、小高い丘を下りて我が領地へと向かった。
□ □ □
結局、借金をすることにした。亡き父母の治療費もいまだ完済できていなかったが、やむを得ない。
敗走から数日後、俺は父の代から知り合いである近隣の貴族に頼み込んだ。幸い、相手はすぐに了承してくれた。付き合いの長さもあったが、いずれ「死神」の力を利用してやろうという魂胆あってのことだろう。
ともあれ、前のものが壊れてしまってから十数日後には、新品を手に入れることができた。
届けられたばかりの大鎌を、俺は屋敷の庭で軽く振ってみた。悪くない。近隣の貴族が紹介してくれた鍛冶師はなかなかの腕前だったらしい。
青空の下、鼻唄まじりに大鎌を振り回す。
と──
遠くから馬蹄の音が響いてきた。視線を向けてみれば、見覚えのある男がこちらに走ってくるところだった。金を貸してくれた貴族の、その従者であった。……早いな。もう俺を利用するつもりか。内心で苦笑してしまう。
「──で、今回の相手は、何処のコーングレイス貴族様だ?」
ここに用があるとすれば、だいたい戦の助勢である。近くで下馬し、礼を施す従者に対して俺はそう訊いた。
「いっ、いいえ。ああ……いえ、戦の助勢をお願いしにきたのは、確かにそのとおりなのですが……」
従者は戸惑うようにしてから言った。
「こ、今回の敵はコーングレイス王国ではございません。それどころか、今回コーングレイス王国は……我が国の味方でございます」
俺は何度か目を瞬いた。それから、ようやく口を開く。
「はあっ……!?」