第四幕 小さな闘技場
「魔女だあぁぁああぁっ」
「魔女を止め──ぐはっ」
「おのれ、魔女──がはっ」
つい先ほどまで敵を蹴散らしていたのが嘘のように、俺の所属するアルフェド軍右翼は混乱していた。
いきなり側面に敵の攻撃を受けたからである。しかもその部隊を率いていたのはコーングレイスの魔女。不意打ちと強敵の出現という合わせ技に、俺たちの部隊はあっという間に崩れていく。魔女の槍が次々と犠牲者を積み重ねていく。
「遅ればせながら加勢に参った!」と、ナザリー・ロッシュは言っていた。つまり、この不意打ちは狙ってやったものではないのだろう。おそらく、彼女の部隊は何らかの事情で遅れていたのだ。そしていざ戦場に到着してみると、戦いはすでにはじまっており、味方の左翼が危機に陥っていた。ただ都合がいいことに、その味方を襲っている敵の部隊は、彼女の部隊に対して無防備に脇腹を晒していた。ゆえに襲った──そんなところだろうか。
幸運の女神はナザリー・ロッシュに微笑み、俺たちは手酷くフラれてしまったというわけである。
部隊の右端からどんどん同胞が減っていく。もうコーングレイス軍中央を襲うどころの話ではない。この場で持ちこたえることさえ難しそうだった。俺は馬首を巡らせて、混乱の元凶へと向かう。
このまま魔女を放っておけば、それこそアルフェド軍右翼は壊滅しかねないからだった。──もちろん、俺が彼女と戦いたかったからでもある。
しかし、混乱する同胞たちに遮られて上手く近づけなかった。
「コーングレイスの魔女よ!」
俺は馬上から呼ばわった。周囲は騒然としているし、俺の声は彼女ほど通らないのでこの距離ではまだ届かないか、と思ったのだが──
すいっと視線を流して、ナザリー・ロッシュは俺の姿を捉えた。その後、傍らにいた騎兵に何かを話し掛けると、こちらに向かって馬腹を蹴った。
頬が弛むのを、抑えられなかった。
この前の乱戦と違って、いまナザリー・ロッシュは一部隊を率いている。にもかかわらず、その指揮は他のやつに任せてわざわざ相手をしてくれようというのだ。アルフェドの死神は、自らが倒すべき存在であると認識してくれているのだ。
俺も再び馬を走らせて魔女へと近づいていく。先ほどまでとは打って変わって、すんなりと同胞たちの流れの中から出られた。まるで導かれるようだった。俺は死神と呼ばれているものの、別に迷信深くはない。ただこの時は運命というものを少しだけ感じた。
敵味方入り乱れる中を、魔女も難なく抜け出してきた。
数メートルの距離を置いて、対峙する。
周囲は戦いの騒音に包まれているが、不思議と俺たちはそれに巻き込まれなかった。何か近寄りがたいものでも滲み出ているのだろうか。戦場にぽっかりと穴が開いている。まるで二人のために、小さな闘技場が用意されたようだった。
「コーングレイスの魔女よ、久しぶりだな」
「ああ。──と言っても、まだそれほど経ってはいないがな」
俺の言葉に、魔女が肩をすくめた。
「しかし、もう少し遅く来てくれればよかったのにな。そうすれば、コーングレイス軍の左翼と中央を完全に蹴散らしたあとでゆっくりと相手ができたものを」
「ふん。ほざいてくれる」
魔女が冷々たる美貌の、その口元だけを少し歪めた。
──ちなみに二人の冑に面頬は付いていない。あれは顔面の防御には役立つが、とにかく視界を奪うからだ。敵の動きや攻撃を目で捉えたい者たちにとっては邪魔でしかない。
「フッ」
俺は皮肉な笑みを返したあと、大鎌を構える。
「……」
魔女は逆に表情を消して、槍を構える。
小さな闘技場に二人の戦意が高まっていく。
馬腹を蹴ったのは同時だった。
先攻は魔女。槍の長い間合いを活かしたのだ。俺は左肩を思い切り引き、馬上で半身になる。唸りを上げる穂先が胸甲の表面をかすめていく。もちろん、その時にはもう右手一本で大鎌を振りかぶっていた。魔女の首筋に叩きつける。
叩き返された。俺に初撃をかわされるのは予想の範囲内だったのだろうが、それにしても攻守の切り替えが速すぎる。目にも留まらぬとはまさにこのことだ。
互いに体勢を整えつつ、馬をすれ違わせる。
数歩進んだところで馬首を巡らし、俺は大鎌を横薙ぎにした。金属音が鳴り響く。大鎌の刃と槍の穂先が空中で弾け合っていた。
反動が腕に伝わってくるのをねじ伏せて、俺は大鎌を振り下ろす。
反動に逆らわず柄を一回転させて、魔女は槍を突き上げる。
二人の武器が再び激突した。今度は絡み合った。わずかに攻撃の遅れた俺が、咄嗟に受けに回ったからである。そのまま刃と穂先の押し合いとなる。
しかし単純な力比べならば、体格で勝るこちらが有利! ──のはずなのだが、じりじりと押し返されているのは大鎌のほうだった。
位置関係のせいである。
魔女は槍を突き上げながら、同時に鞍と鐙を利用して重心移動をおこなっている。自分の身体が安定するように。逆にこちらの身体は安定しないように。
その結果、俺は十分に力を込められずに無様を晒しているわけだ。もちろん対抗しようとはしているが、主導権は魔女に握られていた。この辺りの技術も、彼女を魔女たらしめていると言えるだろう。
何にせよ、このままではマズい。俺は無理やり大鎌を押しつけた。魔女の姿勢が少しだけ崩れた。その一瞬を見逃さずに馬を駆って離れる。
魔女も深追いはせずに距離を取った。
「やれやれ、そのまま貫かれておればいいものを」
魔女がわざとらしく大きな溜息をついた。それに対し、俺は唇の片端を上げる。
「まあそう言うな。それに、いまので終わっていたらつまらないだろう?」
「いや。貴様の野蛮な顔はもう見飽きている」
そう口にしながらも、魔女は笑っていた。妖艶に。
楽しんでいるのだ。俺ほど表には出していないものの、ナザリー・ロッシュもこの戦いを楽しんでいるのだ。おのれの力と技を存分に発揮できる、この殺し合いを。
ふっ──と呼吸が合い、次の瞬間、互いに馬腹を蹴った。
まずは槍の穂先が銀光となって迸る。
今度は半身にならず、俺も大鎌を突き出した。穂先を避けて柄と柄を擦れ合わせる。槍の軌道を外側に押しやりつつ、そのまま柄に沿って大鎌を滑らせる。先端で魔女の手元を狙う。
不意に抵抗が消えた。
外側に押しやられる力に逆らわず、魔女が身体を半回転させたのだ。彼女の右肩と穂先は後方に引かれ、代わりに左肩と柄尻がくるりと前方に現れた。容赦なく俺の側面を襲ってくる。
あまりの早業に大鎌が間に合わない。かわせそうにもない。ならば──と俺は右の肩甲を思い切り突き出した。鈍い金属音と同時に、衝撃が走った。痛みも走った。しかし痩せ我慢して耐える。ここで体勢を崩してしまっては魔女の思う壺だ。
その努力が報われて、次の瞬間、危機が好機に転じた。
思っていた以上に防御が力強かったためだろう、魔女のほうが馬上で身体を泳がせたのだ。
「せいやっ!」
それを見逃してやる義理はない。ここぞとばかりに俺は大鎌を振るった。
魔女が槍の穂先で弾いた──が、いつもの冴えはなかった。
攻め時である。
俺は大鎌で右から左から斬りつけていく。
体勢を整えられず、魔女は防戦一方となった。
大鎌の刃が、槍の穂先と柄をかいくぐり、何度か魔女の甲冑を削った。
ナザリー・ロッシュとはもう三年もの間戦いつづけてきたが、ここまでの手応えを感じるのははじめてだ。無論、この前のこともあるので演技の線を疑った。しかしそれにしては、彼女自身が痛手を負いすぎている。
これは──ついに決着の時が来たか!
全身の血が滾る。戦意が漲る。
大鎌を加速させる。
魔女よ、おまえは素晴らしい敵だった!
おまえとの戦いは最高に楽しかった!
ゆえに、ありったけの殺意でとどめを刺してやろう!
魔女の槍を、俺は思い切り跳ね上げた。
そのまま渾身の力を込めて叩き下ろす。
魔女の左肩を完全に捉えた。
金属の割れる音が確かに聞こえた。