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第二十一幕 陰り


 愛娘のシェナーナが花冠を手づくりしてくれた日から一週間ほど経った頃、俺とナザリーは荷馬車で近くの大きな町へと向かっていた。


 我が家では荷馬車を所有しておらず、これは村長に貸してもらったものある。荷台にはここ一、二ヶ月で貯め込んだ毛皮が積んであり、それらを大きな町で売っていくらかの金を稼ごうというわけだ。


 ガタゴト、ギシミシと荷馬車は揺れる。貸してもらっておいて言うのも何だが、かなり年季が入っている。その上、道もろくに整備されていないので、これからの半日は臀部どころか全身に堪える旅となる。


 幼い子供には厳しすぎるものであり、従ってシェナーナを連れていくわけにはいかなかった。この旅は一泊二日の予定であり、その間、愛娘は近所の家で預かってもらうことになっていた。


「毎度のことだが、シェナは最後までむくれていたな」

 俺の背後で、ふと思い出したようにナザリーが苦笑した。荷馬車は小さいものなので御者台に余裕がなく、彼女は荷台の中で毛皮の束と共に座っていた。


「ああ。しかしまあ、仕方がない」


 早朝、我が愛娘は俺たちを見送ってくれたものの、たいそう不満そうであったのだ。自分だけ置いてけぼりになるのが嫌なだけではなく、町にいってみたくて仕方がなかったからである。シェナーナに限らず、村の子供たちにとって町というのはちょっとした憧れの場所となっていた。


「シェナの機嫌を取るために、土産を忘れないようにしないとな」


「ああ、忘れたら大変だ」


 二人でそんな会話をしながら、ガタゴト、ギシミシとありきたりな田園風景の中を進んでいった。


 昼を少し過ぎた頃、ようやく町へと着いた。まずはいつも世話になっている商人のところに向かい、毛皮を買い取ってもらう。相場よりも高値を付けてくれた。そこそこの付き合いということもあるが、ここの中年男性の店主はナザリーの美貌に魅入られてしまっているのだ。夫としては微妙な感情を抱かざるを得ないが、実害はないので──というか、実益があるので、いつも何も言わないでいる。


 次に、これもまたいつも世話になっている旅宿のところに向かう。ここは荷馬車も預かってくれる上に、料理も美味いので俺もナザリーも気に入っていた。部屋を一つ取ると、早速食堂へと足を運び、遅めの昼食を注文をする。


 明日は朝から市場で買い出しをする予定だが、今日はもうこのまま泊まってしまうつもりである。そして、いまは懐も暖かい──となると、俺たちの卓子の上に大量の肉料理と酒が並ぶのは、当然といえば当然だった。


 基本、俺もナザリーもよく食べるほうだ。その愛娘たるシェナーナも、同年代に比べるとよく食べるほうである。なので、我がアシュール家の食費はかなり大きい。狩猟によって得られる肉や毛皮は村でも町でも需要が高く、俺たちはそれなりに稼いでいるはずなのだが……ほとんど手元には残っていなかった。


「そろそろ自前の荷馬車が欲しいものだが……」


 空になった杯を置きながらふと呟くと、向かいに座るナザリーが大きく頷いた。


「まったくだな」


 しかし彼女は、そう口にしたすぐあとに追加の注文した。


「……おい」


「いや──戦場を渡り歩いてばかりいたせいか、食べられる時はできるだけ食べておかないと、どうにも気がすまなくてな。おまえもそうだろう?」


 戦場ではゆっくり食事ができないこともあったし、そもそもまともな食事がないこともあった。ナザリーの言うとおり、それらは確実に俺にも影響を与えていた。


「それはそうなのだが、少しは節約を……」

 と、何処か歯切れ悪く答えた俺の鼻先に、ナザリーが酒瓶を突き出してニヤリとする。


「現状、それほど困っているわけではないだろう? それに、もしも本当に金が必要となったら、私たちで森に住む獣を狩り尽くしてでも用意すればいいのさ」


 そこまで言われてしまったら、ここはもう引き下がるしかないだろう。というか、話題にしておいてあれだが、俺も本気で自分の食欲に抗いたいわけではなかった。あっさりと酌を受ける。


「頼もしいな、我が妻殿は」


 結局俺たちはそのまま飲み食いをつづけ、借りた部屋に入ったのは、夕食の時間となって食堂が混みはじめた頃だった。


「さすがに食べ過ぎた」


 俺が寝台の上で腹をさすっていると、ナザリーが寄り添うように隣に座った。


「ふむ。──しかし、これから少し運動すればいいだけの話ではないか? それとも三十路が迫った我が夫殿にはもう体力が残っていないのかな」


 妖しく挑発してきた。


「まさか」

 俺はもちろん受けて立ち、ナザリーを寝台の上に押し倒した。



 □ □ □ 



 翌日。


 俺とナザリーは、朝早くから町の市場へと向かった。買い出しは自分たちの分だけではなく、実は村長をはじめとする村の年寄りたちの分もあった。彼らはここに来るのがしんどくなってしまっているため、年に数回、定期的に町へと毛皮を売りにいく俺たちに、ついでに頼むことにしているのだった。それは結構な人数に上るのだが、これまでいろいろと世話になっているので否やはなかった。ただ、一人だけでは大変なので、こうして夫婦揃っての買い出しとなっているのである。


 まだ夜明けの冷たい空気が残っている時間帯だったが、市場はすでに賑わいはじめていた。取れ立ての野菜や果物、逆に遠方から届いたであろう珍しい装飾品を売る露店が所狭しと並んでいる。


 日が暮れる前には家に帰ってシェナーナと夕食を共にする予定である。遅くとも昼にはここを立たねばならなかった。あまりのんびりとはしていられない。しかし夫婦水入らずというのも久しぶりであり、多少は楽しんでおきたかった。


 昨日の夕方からすでに楽しんでいただろう? と思わなくもなかったが、それはそれである。とにかくまずは、二人で手分けして村長たちに頼まれていたものをさっさと買い集めてしまう。そして、旅宿に預けてある馬車の荷台に積み込むと、あらためて自分たちの買い出しのために市場へと向かった。ここからは他人の用事など気にせずに二人きりの時間というわけである。


「おや、シェナに似合いそうなものがある」

 二人で並んで歩きながら、店先の日用品や食料品、雑貨などを見て回っていると、不意にナザリーが俺の腕を引っ張った。


「どれどれ?」

 視線を向けてみると、妻は装飾品がいくつも並べられた台の上の一つを指差していた。何かの花を模した、木彫りの髪飾りである。


「ああ……いや、こちらも捨てがたいな」

 呟くように言うと、ナザリーは台の前に陣取り、あれもいいこれもいいと悩みはじめた。


「……」

 正直、後ろから覗いている俺の目からすると、あれもこれも似たり寄ったりにしか見えないのだが、妻が楽しそうにしているのでもちろん余計なことは言わないでおく。それに前に一度、俺の独断と偏見で異国情緒溢れる木彫りの人形を土産に選んだことがあるのだが、それをもらった時のシェナーナのがっかりした顔といったらなかった。以来、シェナーナの土産に関しては完全に妻に任せている。


「よし、これにしよう。──シェナは喜んでくれるだろうか」

 赤色で薄く塗られた髪飾りを購入しながら、ナザリーが言った。


「少なくとも、俺が選んだものよりは十倍くらいは喜んでくれるだろうよ」

 そう肩をすくめてみせると、妻も俺のかつての失敗を思い出したらしく、小さく苦笑した。


 それからも二人してこまごまとしたものを買いながら市場の中を巡った。互いに笑ったりからかったりして、なかなかに充実した時間であった。ただ結局のところ、夫婦水入らずとは言っても、話題の七割くらいは愛娘についてだった気がする。すっかり親バカであった。


「──しかし、いつ来てもここは活気に満ちているな」

 植え込みを囲った煉瓦の上に腰掛けて、ナザリーがしみじみと感想を漏らした。その手には食べ掛けの肉の串焼きが握られている。一とおり必要なものを買い揃えたあと、俺たちは市場の片隅で朝食を兼ねた昼食を取っていた。


「そうだな。五年ほど前にはじめて来た頃と変わらず、賑やかだ」

 昼に近づくにつれ、市場の人混みはいっそう増していた。露店が建ち並ぶ通りから少し離れた広場には曲芸師の一団が現れ、長い棒を地面に突き立てて、飛んだり跳ねたり回ったりしはじめた。


「ふむ。……その頃に、私たちのせいでこの町の税金も上がったはずなのだが、たいしたものだ」


「いや、俺たちのせいではないだろう。──まあ、無関係ではないのは確かだが」


 この町の──というか、俺たちの村も含めたサシュナータ王国全体の税金が上がったのは正確には六年前、俺たちがこの国に入る少し前である。


 その原因は、アルフェド・コーングレイス共同軍にこの国の大軍が惨敗を喫し、莫大な戦費や膨大な賠償金の支払いを強要されたためであった。当時、共同軍に身を置いていた者としては複雑な感情を抱かざるを得なかった。


「ただまあ、聞いたところによると、この辺りを治める領主様はなかなか優秀らしく、最低限の増税だけで済んでいるそうではないか」


 実際、俺たちが村に居着いた頃にはすでに税金が上がっていたことになるわけだが、それほどの大変さは覚えなかった。村人たちは納税の時期の度に「前はもっと楽だったんだがなあ」と愚痴を零してはいるものの、切実に困っているようではなかった。


「ふむ、私たちは領主様に恵まれたな。場所によっては、何の努力もせずにただ領民に重税を掛けるだけの輩もいるだろう」


 貴族と称していても、まったく貴くない人間も中にはいるのである。それはアルフェドでもコーングレイスでも、ここサシュナータでも変わらないものと思われる。


「確かにな」


 俺が頷いていると、串に残っていた肉を平らげたナザリーがふと思い出しようように目を細めた。


「そういえば、その領主様だが、先ほど心配な噂を聞いたな」


「ああ、あれか……領主様の家族だったか親戚だったかが、流行り病に罹ったらしいというやつか」


「うむ、大事に至らなければ──」

 と言い掛けたナザリーの双眸が、唐突に大きく見開かれた。


 冷々たる美貌が、こんなにも驚きを表すのははじめてのことだったかもしれない。


 次の瞬間、俺は思い切り引っ張られて植え込みの裏へと連れ込まれた。


「な、何だ、急にどうした!?」

 思わず慌てて叫んでしまう。すると、ナザリーが唇の前に指を一本立てながら小さく、しかし鋭く言う。


「しっ! 静かにしろ」


「……」

 俺は何が何だか解らなかったが、とにかく口をつぐむ。そしてナザリーが睨んでいる方向に目をやった。


 市場の通りを四、五人の男が固まって歩いてくる。制服を着ているのでこの国の役人であることが解る。おそらく巡回だろう。


 しかし、それはいままでにもたまに見掛けた光景だ。俺とナザリーの存在は、アルフェドとコーングレイスではそこそこ有名であったが、さすがにこの国では無名であった。六年前の惨敗の発端となった遊撃戦において、死神や魔女と呼ばれていた男女が活動していたことをのちに聞いた者はいるかもしれないが、それにしたって俺たちの顔や姿を知っているはずもない。なので素知らぬ顔をしていればいいのであり、このように隠れるほうがかえって怪しまれるかもしれないのだが──


「っ!?」

 よくよく見れば、男たちの中に一人、役人の制服ではない者が混じっていた。いや、役人の制服ではないどころか、この国の服装でもなく──その者が身にまとっているのは、コーングレイス貴族の服装だった。しかも……それは知っている顔だった。


「あいつは確か……」

 どうにか低く抑えたものの、俺は驚きの声を上げずにはいられなかった。それに、ナザリーが囁くように応える。


「憶えていたか。そう、あれは私の昔馴染み、マルティーノだ。間違いない」


 マルティーノ。六年前、遊撃部隊として共に戦った男である。貴族らしくない粗野な話し方をするやつで、当時、俺とナザリーの関係を聞いてきた男でもある。


「いったいどうして、あいつがこの町に……?」

 俺は目を剥いたまま、当然の疑問を口にする。


「解らんな。──考えられるのは、コーングレイスの使者として何らかの任務で来た、といったところか。そしていまは、接待を受けている最中なのかもしれん」


「……なるほど。にしても、マズいなこれは」

 言うまでもないことだが、決して見つかるわけにはいかなかった。もしもそのような事態になれば、いまの生活はまず間違いなく破綻してしまう。


「ああ。──ここはこのままやり過ごすしかない」

 植え込みの裏から慎重に様子を窺いつつ、ナザリーが口にする。


 幸い、マルティーノはこちらにまったく気づいていないようだった。制服の男たちと何やら談笑しながら市場のざわめきの中を歩いていく。


「……」

 俺とナザリーは息も気配も殺して、男たちの姿を目で追った。彼らが人混みに紛れるまでそう掛からなかったはずだが、やたらと長く感じた。


「──とにかく、急いで町を離れよう」

 マルティーノたちが完全に見えなくなってから、俺はようやく緊張を解いた。しかしもちろん、そのまま緩んでいるわけにはいかなかった。ナザリーも無言で頷いた。


 植え込みの裏からそっと出て、何かの端がじりじりと焼けていくような焦燥感を抱きながら旅宿へと戻った。挨拶もそこそこに荷馬車を出発させると、まさに逃げるようにして町をあとにしたのだった。


「しばらく町にはいかないほうがいいな」

 念のため、追っ手がいないか後方を確認していたナザリーが気遣わしそうに言った。


「ああ。しかし、ずっとというわけにもいくまい。毛皮を売らねば生活が成り立たないし、あの町の他にはそうそうよい買い手もいない。それに、ご老人たちの買い出しの件もあるからな」


「それは……確かにそうだな。その時は十分に注意するしかないな。何なら、来る途中で変装してもいい」


「変装か……」

 俺は重々しく呟いた。冗談ではなく、真面目に検討すべき手段であった。


「ただまあ──」

 すると、ナザリーがひょいと肩をすくめてみせた。


「あいつも、まさかこの辺りに住みはじめたわけではあるまい。あくまで一時的なものだろう」


「そうか。まあ、そうだな」

 心配は消えていなかったが、俺も敢えて軽い調子で応じたのだった。


 田舎道の空はよく晴れていた。ガタゴト、ギシミシと荷馬車は揺れる。

 昨日と変わらない風景。──しかし、そこにあったのどかさを、今日は感じ取ることができなかった。



 □ □ □



 村に帰り着くと、そのまま荷馬車で買い出しを頼まれていた村人たちのところを回り、最後に村長宅を訪ねた。村長の感謝の言葉に送られながら、荷馬車を返した俺たちは徒歩で愛娘を預かってもらっている近所の家へと向かった。


「お帰りなさーい!」

 玄関先で呼び掛けると、すぐにシェナーナが飛び出してきた。


「いい子にしていたか?」


「してたー!」

 俺の足にまとわりつきながらシェナーナが元気よく答えた。


 その後、この家の夫婦と娘が顔を覗かせたので俺とナザリーは揃って礼を言い、土産を手渡した。

 シェナーナとこの家の娘は歳が近くて仲良しなので、別れ際、互いにいつまでも手を振り合っていた。


「それでねー、それでねー」

 寂しさの反動か、我が家に帰る途中、シェナーナはいつにも増してお喋りであった。


 俺とナザリーは笑顔を浮かべて聞き入っている。それぞれ片方の手で荷物を持って、もう片方の手で愛娘を連れている。



 家族三人で手を繋いで歩いている。



「今日は町でいろいろ仕入れてきたからな。夕食は腕によりを掛けよう」

 愛娘の話が一段落した時、ナザリーがそう言った。


「楽しみー」

 シェナーナが、俺たちの手を支えにして飛び跳ねる。


「ああ、任せておけ」

 と胸を張ったナザリーの横顔はいつもどおりだった。


 町で何ごとも起きなかったかのように。不祥の足音など聞かなかったかのように。


 もちろん俺も、いつもどおりに振る舞っていた。シェナーナが少しでも不安を覚えぬように、笑顔のままで口を開いた。


「そうだシェナーナ、お土産もちゃんと買ってきたぞ。大丈夫、選んだのはお父さんではないからな」


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