第十五幕 駆けて、落ちる
激しくなるでもなく、かと言ってやむでもなく、雨がちらついている。
遠くの山林が煙る中、俺と魔女は戦場の抜け道を駆けていく。
途中、何度か奇異の視線を向けられたが、誰もが眼前の戦いのほうが重要であり、いつまでもこちらを気にしてはいられないようだった。
しばらくすると戦場の喧騒は遠ざかり、完全に他人の気配がなくなった。微かな雨音と二頭分の馬蹄の音だけ──
特に会話は交わさなかった。
走らせる馬の速度を落とさず、二人は近づいていく。
風圧が雨を切り裂いた。
相変わらず凄まじい速さの銀光を、俺は大鎌で跳ね上げた。馬上で踏ん張って、すかさず刃を叩き落とす。しかし、それは魔女も同じだった。
激しい金属音。
互いに脳天を狙った一撃は、互いの武器に阻まれた。
そうだと知った次の瞬間、俺は衝撃の反動を利用して再び大鎌を振り被り、振り下ろす。
我ながら流れるような攻撃であったのだが、その先で響いたのはまたもや激しい金属音だった。
ならば、もっと速く、もっと強く!
まだ雨滴と火花が散っている間に、俺は手綱と鞍と鐙のすべてを使っていままでにないくらいに踏ん張り、渾身の力を込めて大鎌を放った。自馬に負担を強いる戦い方である。しかしやむを得ない。貧乏騎士ながら餌代だけはケチったことがないのでここは我慢してもらおう。
その甲斐あってか、三たび金属音を響かせつつも、俺の刃は魔女の穂先を押し切ることに成功した。
──いや、違う。
魔女の体勢は少しも崩れていなかった。つまり、まともにぶつかるのは不利だと察し、意図的に受け流したということだ。
必殺の斬撃をいなされた俺の体勢は、逆に崩れざるを得ない。となると当然のことながら、そこに反撃の穂先が襲い掛かってくるわけだ。
ごん、と木と木がぶち当たる音がした。
大鎌の後端に付いている取っ手を摑んでいた左手を急速に跳ね上げ、槍の柄に叩きつけたのである。魔女が俺の動きを察せるように、俺も魔女の動きをある程度までは察せられるからこその対応であった。
とはいえ、決して余裕があるわけではない。わずかでも気を抜いたらあの世への扉が開かれるだろう。
一瞬の空白のあと、右に、左に、斜めに雨の飛沫が舞った。二人の間で武器が迸りつづける。
ギリギリの攻防だ──いつにも増してそう思った。出会ってからの三年間、互いに手を抜いたことなどなかったはずだが、いまの俺たちには一段と鋭いものがあった。おそらく決意を胸に秘めているからだろう。
──私たちの戦いが中途半端に終わってしまうということはもう避けたい。
先ほど魔女はそう言葉にしていた。詳しい経緯は知る由もないが、この二ヶ月間は彼女にそう言わしめるものだったということなのだろう。
俺にも思うところがあった。
丘陵の戦い以降、すっかり調子を落としてしまい、誰とも知らぬやつに手こずる始末だった。悪くすればやられていたかもしれない。
今日ここで決着をつけ損ねてしまったら、またそんな日々に戻ってしまうかもしれないのだ。魔女以外のやつにやられてしまうかもしれないのだ。
そんなことはあってはならない。
俺の首は魔女のものだ。
他の誰にも渡したくはない。
もちろん、逆の場合も同じことが言える。
魔女の首は俺のものだ。
他の誰にも渡したくはない。
──否。
渡してなるものか!
「せいやっ!」
熱情にまみれた殺意と共に、俺は大鎌を振り下ろす。
「はっ!」
すると、同じくらい気合いの籠った一撃に撥ね返された。
互いに間合いが悪くなり、いったん離れて並走する。
ふと、視線が合った。
魔女の双眸の真摯さに変わりはなかったが、いつの間にかその口元には妖艶な笑みが浮かんでいた。
殺し合いの決着を切実に望みながらも、やはり殺し合いそのものに興奮を覚えてしまうのだろう。
よく解る。俺もそうだからだ。唇の片端が吊り上がっていることは自覚していた。
そして真摯さと興奮は何ら矛盾せず、むしろ釣瓶のように心や身体の奥底から力を汲み上げてくれる。
大鎌の斬撃が、打撃が、いつもより冴え渡る。
しかし、それらの攻撃に対して魔女はしっかりと反応し、反撃してくる。おそらく彼女も俺と同じ境地にいるのではないだろうか。
二人と二頭の間で、雨滴と火花と金属音が飛び散りつづける。
かなり距離があったはずの山林が迫ってきていた。もうすぐ盆地の平地部分が終わりを告げ、斜面へと差し掛かってしまう。
山は急勾配ではなく、そこに生える木々も密集しているわけではない。二対の人馬が駆け登っていくことも不可能ではないだろう。とはいえ、まったく障害にならないわけではないし、地面は雨に濡れはじめてもいる。不測の事態を招きやすく、それがこちらの隙となるかもしれなかった。
できれば到達する前に勝敗を決してしまいたいところだったが──戦いは互角のままで先が見えなかった。一瞬で終わりそうでもあったし、永遠につづきそうでもあった。
となると次に考えられるのは、山林を避けて右か左に方向転換をすることだ。しかし、いままでにないくらいに激しく撃ち合って最中にそのようなことをしたら、それもまた隙となりかねない。
魔女はどうするつもりだ……!?
俺が心の中で眉根を寄せると、大鎌の一撃を弾いた魔女はその反動を利用するかのようにやや距離を取った。そしてスッと右のほうに視線を向けた。どうやら彼女も方向転換を考えていたらしい。
ただ、その行動は──いままさに俺が危惧していたとおりに隙となった。
抜かったな、魔女よ!
千載一遇の好機に、絶対の死角に、万感の想いを込めて大鎌を叩き込んだ。
魔女を切り裂いた。
──残像だった。
「っ!?」
魔女は確かに俺のほうを見ていなかった。にもかかわらず、大鎌の刃を避けたのだ。
どういうことだ!? とほんの一瞬だけ戸惑ったが、そもそもいまの隙はわざとだったのだと気がついた。つまりは魔女の演技。そんなところに攻撃しても、避けられるのは決まり切っていた。
抜かったのは、俺のほうだった。
それにしても、何という察しのよさか。この罠は、俺が方向転換うんぬんと考えはじめたことを正確に読み取っていなければ仕掛けられないはずだ。──丘陵での祝宴の際に仮病を使った時など、魔女にはいままでも何度か内心を見抜かれたことがあったが、今回もそうだったのだろうか。……いや、こう何度もあるということは、魔女の察しのよさだけでなく、俺のほうにも問題があるのだろう。おそらく自分で思っている以上に顔に出やすいのではないだろうか。
いずれにせよ、まんまと罠にはまってしまった獲物が無事でいられるはずもない。実際、俺は死にそうだった。
銀光の嵐が吹きすさんでいた。
今日まで俺が魔女と拮抗し得たのは、最低限、彼女の動きを捉えられていたからである。しかしいまは完全に後手に回っていた。目先の攻撃を防ぐので精いっぱいで彼女をまともに見る余裕がない。反撃などできるはずもなく、ゆえに一方的に攻撃されつづけ、そしてそれを防ぐので精いっぱいとなり──
負の連鎖であった。
……前にもやられたことはあるが、まさか、このかつてないギリギリの攻防の中で演技をしてくるとはな。さすがは魔女、大胆なことよ。
もうとっくに大鎌だけでは対処できておらず、甲冑のあちこちから鈍い激突音が鳴っていた。
俺もつい先ほどまではそうだったが、いまの魔女の攻撃は特に冴え渡っている。まだどうにか持ち堪えていられるのが不思議でならない。
ただ、ひしひしと限界は感じていた。
魔女に対する殺意はいまだ揺らいではいない。しかし、その一方で敗北を自覚せざるを得なくなっていた──矢先のことだった。
突然、変化が訪れた。
いや、突然というのは正確ではない。俺も魔女も前々から解っていたはずである。ただ、二人とも目の前の戦いがいよいよ大詰めに迫ったために、いつの間にかそこまでの時間と距離を見失ってしまっていたのだ。それが不意打ちの役目を果たしたのだった。
ガガッ、と。
ほぼ同時に、俺たちは地面から突き上げられるような衝撃を喰らった。視界が揺れ、馬体も揺れる。
いくら急勾配ではないとはいえ、見向きしない上に速度も落とさずに山の斜面へと突っ込んだら、こういう目に遭うのは自明の理と言えた。
馬が転倒しても騎手が落馬してもおかしくはない状況であったが、双方ともにどうにか難を逃れ、そのまま斜面を駆け登っていく。
ただし魔女の優勢──すなわち俺の劣勢は中断となっていた。さすがの魔女も、いまの衝撃の中では自分の体勢を保つことに専念しなければならなかったからである。
「──くっ」
悔しかったのか、珍しく魔女の口から低い呻き声が漏れた。
しかしそれも一瞬こと。すぐに槍の穂先が閃いてきた。
「せい!」
その銀光を大鎌で弾いた俺は、とあることに気づく。魔女の攻撃に先ほどまでの冴えがないのである。中断によってそれまでの集中力も途切れてしまったか。猛攻の代償として息切れでも起こしたか。──否。それらもあるのだろうが、いまの槍捌きの微妙さから察するに、おそらく斜面に突っ込んだ際に何処かを捻りでもしたのだろう。あの低い呻き声は、悔しさだけのものではなかったのだ。
好機! ……と叫びたいところではあったが、ケガということなら俺も負けてはいなかった。むしろこちらのほうが酷いだろう。致命傷こそないものの、さんざん攻撃を受けた身体はあちこちから悲鳴を上げていた。
「せいやっ!」
とはいえ、いちいちそれらに耳を傾けていられるような状況ではない。俺は歯を食い縛り大鎌を振るった。
二人の間に、金属音が鳴り響く。もう幾度となく聞いたものだったが、先ほどまでに比べたら明らかに激しさを欠いていた。
互いの状態が万全でないことを如実に物語っていた。
しかし、いまさら仕切り直すわけにはいかない。この機を逃すわけにはいかない。──この機を逃せば、死神の首を、魔女の首を、何処かの誰かに渡してしまうかもしれないのだ。
互いに武器を構え直す中、魔女と目が合った。その口元が微かに動いた。
よく聞き取れなかったが、何と言われたのかは解った。
たぶん、俺の唇の片端はよりいっそう吊り上がったに違いない。
おまえの首は私のものだ。
「はっ!」
「せいやっ!」
絶頂期に比べれば勢いは衰えてしまったが、大鎌と槍の応酬に込められた殺意だけは色褪せていなかった。
何度も何度も撃ち合っていく。斜面を登りつづける。
駆けて、駆けていく。
時おり、木の枝や湿った地面が邪魔をするが、二人は強引に斬り結びつづける。
駆けて、駆けていく。
戦いをはじめてからもうかなりの時間が経っている。ケガのことを抜きにしても、俺たちの体力は限界に達しているはずだった。もちろんそれぞれの馬もである。しかし知らん顔で押し通す。
駆けて、駆けていく。
あれから魔女は演技をしようとはしなかった。さすがに同じ手が連続して通じるとは思っていないのだろう。次にやれば、俺に逆手に取られるだけと察しているのだ。
駆けて、駆けていく。
ここが天上にまで到達する階段でもない限り、このまま登りつづければいずれ下りとなるのが自然の法則。実際、マドゥーカ盆地周辺の山林はそんなに標高があるわけではない。そしてこの山林の場合、下りとは断崖を意味している。にもかかわず、二人とも攻撃をやめようとはしなかった。
駆けて、駆けていく。
速度も落とさない。それが隙となるからだ。向きも変えない。それが隙となるからだ。
駆けて、駆けていく。
ただひたすらに、ただひたむきに撃ち合っていく。ただそれでも互いに必殺の一撃には至らなかった。
駆けて、駆けていく。
そんな接戦の状況ではあったものの、実のところ俺は、自らの勝機を見出していた。
それは何かと言えば、捨て身であった。魔女の首さえ取れれば、あとのことはもうどうでもいいと決めたことだった。
ゆえにどんなに断崖が迫ろうとも、俺が戦いをやめることは絶対にないし、回避行動を取ることも絶対にない。それらをおこなって隙をつくるのは、必然的に魔女のほうということになるのだ。
そしてその瞬間、この互角の戦いに決着がつくだろう。俺の勝利として。
駆けて、駆けていく。
行く手が少し開けてくる。もともと、それほどでもなかった山林の密度がさらに下がりはじめたのだ。風が巻く音も聞こえてくる。断崖が近い。
駆けて、駆けていく。
大鎌が槍を薙ぎ払い、穂先が刃を叩き返す。
俺は戦いをやめようとはしなかった。回避行動も取らなかった。
駆けて、駆けていく。
俺は戦いをやめようとはしなかった。回避行動も取らなかった。
魔女も戦いをやめようとはしなかった。回避行動も取らなかった。
駆けて、駆けていく。
「…………」
──まさか!?
俺は少なからず目を剥いた。
まさか、おまえも……!
おまえも、俺と同じように考えてくれるのか……!
その首を取れるのなら 自分の命さえ惜しくはないと……!
駆けて、駆けていく。
俺たちは大鎌と槍を交えながら、駆けて、駆けて、駆けて──
落ちる。
頼りない浮遊感に捉われた。
体勢が崩れ、思わず大鎌を取り落としてしまう。
崖の高さは二十メートルくらいはあるだろうか。
眼下に黒いマントが激しくはためいていた。
宙に飛び出す直前、魔女が攻撃を放ち、それを俺が弾き返したために彼女のほうがわずかに落下するのが早かったのだ。
雨で煙る中、魔女はもう槍を持っておらず馬にも乗っておらず、仰向けの状態で崖下の森林へと吸い込まれていっていた。
そして──
俺を見ていた。
笑みを浮かべていた。ただそれはいつもの妖艶なものではなく、何とも言えない寂しそうなものだった。
……錯覚かもしれなかった。宙を舞う雨粒が涙のように見えたのは。
しかし次の瞬間、俺はまだ半分くらい跨っていた自馬を蹴り飛ばしていた。
魔女へと手を伸ばしていた。
彼女の身体を摑む。そのまま力任せに引き寄せて、抱え込んだ。
二人一緒に、崖下へと落ちていく。
「くっ……!」
こういう場合、甲冑の硬さはどれくらい役立つのか解らなかった。甲冑の重さはどれくらい足を引っ張るのか解らなかった。
こうして庇ったところで助けられるのかどうか解らなかった。
そもそも、どうして助けようとしているのか解らなかった。
──魔女の首をあれほど取りたいと思っていたというのに。
まったく以て解らないことだらけであったが、ただ一つ、こうせずにはいられなかったことだけは確かだった。




