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第十四幕 曇天の死闘


「コーングレイスの魔女……!」

 思わず、喜悦にまみれた言葉が漏れた。俺はただちに馬腹を蹴る。言うまでもなく、向かう先は後退しはじめた自軍の左翼である。


「待て、ジェイド卿! まだシリン侯爵閣下の指示が来ていないっ」

 予備隊の指揮官から制止の声が掛かった。


「どうせ、すぐに来る!」

 一瞬だけ振り向いて言い残すと、俺は馬を疾駆させた。悪いが、いまの自分にはこれ以上待っている余裕などなかった。


 劣勢に傾き、焦り慌てている自軍の左翼に近づくと、周囲に視線を走らせる。兵や馬や武器が雑然としていて目標が見つからない。しかしさほど悩まず、俺はもっとも多くの悲鳴が撒き散らされている方角へと馬首を向けた。白兵戦で混み合っている中を縫うように進む。すると──


 鈍く光る槍と黒いマント、そして冷々たる美貌がこの目に映った。


「コーングレイスの魔女よ!」

 俺は大声で呼ばわった。そこには、自分でも解るくらいにやっと会えたという気持ちが滲み出ていた。


「──ふむ、アルフェドの死神か」

 魔女は我が同胞の一人を槍で突き落としたあと、こちらを向いた。


「どうした? いつもより威勢がいいではないか。変なものでも食べたのか?」

 魔女の言葉はあくまでも淡々としたものだった。態度もいつもどおりである。


「……」

 心の温度差を感じてしまい、俺は少しだけ傷ついた。しかしすぐに切り替えていく。


「いや。変なものどころか、今日はまだ一兵たりとも食っていない。予備隊に回されていたのでな」


「ああ。そういえば、そんな情報を聞かされていたな」


 俺も魔女も互いに距離を計りながら、馬を巡らせる。


「そんなことよりも、おまえのほうこそどうした? 我が軍の左翼にずいぶんと手こずっていたようではないか。遊撃戦では六万もの大軍を手玉に取ったというのに」


「簡単に言うな。ただの烏合の衆と勇将に指揮された軍とでは雲泥の差があるに決まっているだろう。打ち破るのに時間が掛かったとしても仕方あるまい」


「なるほど。しかしまあ、打ち破らせはしないがな。おまえたちの勢いはここで止める。この俺が魔女の命を刈り取ってな!」


「ふん、おもしろい。やれるものならばやってみよ。こちらもそろそろ回収させてもらうぞ、私のものであるその首を!」


 俺が馬腹を蹴ると、魔女もすかさず馬を駆った。


 まずは槍の銀光が迸る。


 大鎌の刃で弾いた。それもかなり強烈に。あわよくばこれで魔女の体勢が崩れないかと思ってのことだったが、そう簡単にはいかなかった。見事な手捌きで槍はくるりと回転し、衝撃はあっさりといなされてしまう。


 そして、その回転を利用した横殴りの一撃が俺の側頭部を襲った。しかしこれは予想の範囲内。瞬時に身体を斜めにして、鋭い風切り音をやり過ごす。馬上で俺の体勢は崩れたことになるが、鞍と鐙を支えにして無理やり元に戻す。その勢いを大鎌に乗せて放つ。


 金属音と火花が飛び散った。


 大鎌の刃と槍の穂先が空中で弾け合っていた。


 ……やはり最高だ。魔女との戦いは最高だ。

 当たり前に必殺の一撃が飛んできて、当たり前に必殺の一撃が防がれる。

 背筋がゾクゾクする。唇の片端が勝手に吊り上がってしまう。見れば、魔女も妖艶な笑みを浮かべていた。


 互いに馬を走らせて少し距離を取ったあと、振り返って対峙する。

 俺たちに挟まれた空間が戦意によってミシミシとたわんでいく。


 しかし残念ながら、以前のように小さな闘技場がつくられることはなかった。無理もない。いまはあの戦いの時よりも桁違いに人が多いし、そもそもあれはちょっとした奇跡のようなものだったからだ。


 戦場は、相変わらず敵味方の衝突で混み合ったままである。注意して動かないと武器や馬が他の誰かに当たってしまいそうだ。


 そしてその白兵戦を全体的に優位に進めているのは、やはりコーングレイス軍右翼のほうであった。勢いの中心となっていた魔女は俺が抑えたものの、それだけで止められる程度ではなかったということだ。我がアルフェド軍はじりじりと後方──東へと押されつづけている。


 俺も魔女も大きな流れには逆らえない。撃ち合うのも馬を走らせるのも常に周囲の状況に合わせておこなわざるを得なかった。

 戦場において思う存分に動き回れないというのはよくあることだ。それを踏まえて戦うのも当然のことである。──とはいえ、ずっと待ち望んでいた魔女との殺し合いだ。どうせならもっと邪魔されずにやり合いたかった。


 自軍の劣勢をそっちのけにして俺は頭の片隅そんなことを考えていたのだが、曇天にそれが通じでもしたのか、戦場に新たな動きが起こった。


 遅れていた──正確には俺が先走っただけだが──アルフェド軍予備隊が駆けつけてきたのである。といっても俺とは違い、彼らはアルフェド軍左翼とコーングレイス軍右翼が激しくぶつかり合っているところに突っ込んではこなかった。両部隊はマドゥーカ盆地の南側で戦っているわけだが、予備隊はそのさらに南側を移動していく。


「回り込む気か!」

 コーングレイス軍右翼の誰かが叫んだ。


 そう。アルフェド軍予備隊の動きは、明らかに相手を包囲しようとするものだった。


 無論、敵の右翼としては脇腹や背中を襲われては堪らない。阻止すべく、戦力の一部を差し向ける。右翼のさらに右へ──すなわち南へと大きく翼を伸ばす格好だ。


 そしてそのことにより、東へ東へと向かっていた全体的な流れに散漫さが生まれた。俺たちの周囲の密度もぐんと下がった。


「せいやっ!」


「はっ!」


 ほぼ同時に、俺も魔女も久しぶりに大振りをくり出した。刃と穂先が弾け合う中で、ふと目が合った。嬉しそうであった。これで戦いやすくなったと彼女も思っているようである。


 南側に空間が開いていた。それを見た俺たちはまるで申し合わせたかのようにそちらへと馬首を向けた。

 互いに機を窺いつつ、しばらく並走する。──二ヶ月前、二人で並んだ時は同じ敵を追っていたなと一瞬だけ思った。


「はっ!」

 右側に位置する魔女が馬上で上半身を捻って横殴りの一撃を放った。


 俺は大鎌を跳ね上げて銀光を弾く。その勢いを無理やり両腕で吸収してただちに振り下ろす。空を切った。


 魔女が瞬時に手綱を操って、俺から距離を取ったのである。それを追い掛けようと踏み込んだところ、再び魔女が瞬時に手綱を操って、今度はこちらへと詰め寄ってきた。


 完全に間合いを狂わされた。俺は慌てて中途半端な攻撃を仕掛けてしまう。


 もちろんそんなものは軽くいなされ、つづけて鋭い銀光に襲われる。馬を前方に急進させて回避した。右斜め後ろから穂先が追撃してくる。馬上で振り向き大鎌で迎撃した。二回、三回、四回。突きによる波状攻撃をどうにか捌き切る。


「しぶといな。そろそろ串刺しになってもいい頃合いだろう?」

 猛攻を防がれた魔女は、仕切り直すようにあらためて距離を取りながら言った。


「どういう頃合いだ……」

 あんまりな言い草に、思わず呆れた声を出してしまう。


 俺たちはいま、戦場の隙間を馬で駆け抜けながら戦っている。南から回り込もうとしているアルフェド軍予備隊を阻止しようと、コーングレイス軍右翼の一部が移動したことによって生じた空白地帯が痕跡のようにつづいているのだ。何にせよ、さほど周囲を気にせずに走れ、そして戦える場所に出られたのは僥倖だった。


「せいやっ!」

 右横を走る魔女に馬を寄せ、俺は大鎌を振るった。

 渾身の一撃である。しかし、穂先に受け流された。つづけざまにもう一撃。これもまた受け流されてしまう。


 単純な腕力であれば俺のほうがはるかに上だ。それがこうも通じないのは、魔女の細腕には腕力を補うだけの技術力が備わっているからである。おそらく彼女は、俺とは比べられないほどに、武器の位置や角度などを工夫しているのだろう。

 正直、舌を巻く思いだ。しかしだからこそ倒し甲斐があると言えよう。


 俺たちは並走しながら、近づいては離れ、離れては近づき、なおも激しく撃ち合った。こういう場合、自分の右手側に敵が来るようにするのが常道だ。みなだいたい右利きなので、そうすれば自分は戦いやすくなり、逆に相手は戦いにくくなるからである。


 ただし、俺も魔女も両利きなので、相手がどちら側に位置していようとも有利も不利もなかった。二人とも右だろうが左だろうが前だろう後ろだろうが関係なく、ただひたすら全力で武器を振るい合った。刺突、打撃、斬撃。刃と穂先が唸り、軋み、弾けて、殺意の律動を撒き散らす。


 そのうちのいくつかが互いの甲冑を削ったが、決定打には至らない。


 ふと、周囲の密度がまた上がる気配を感じた。


 さっと視線を走らせてみれば、少し先にアルフェド軍予備の姿が見えた。どうやらついにコーングレイス軍右翼の一部に捕捉されて戦闘状態に入ったようである。俺たちはそのコーングレイス軍右翼の一部の痕跡を辿るようにして戦ってきたので、両部隊のぶつかり合いに行き着くのは当然と言えば当然であった。


 また周囲にも気を配らねばならないか……。


 俺がそう残念に思っていると、魔女がとある方向に顎をしゃくってみせた。


「あちらの、誰もいない場所へ向かおう」


 そこはコーングレイス軍右翼の一部とアルフェド軍予備が戦っている場所のやや北寄り。ちょうど何処の部隊も存在せずに、この平地部分を囲う山林が遠くに望めた。まるで抜け道のように開いている。そちらに向かってしまえばもう、誰に邪魔されることもないだろう。部隊で移動するならともかく、たった二人で駆け抜ける分にはそう注意を引くこともないと思われる。しかし──


「いいのか? それだと勝手に戦場を離脱することになるぞ。あとで何を言われるか解ったものではない」

 俺たちはとっくに全体の戦術などには従ってはいなかったものの、この決戦の範疇にはまだ収まっていたし、収まろうともしていたのだが。


「いいさ」

 魔女がきっぱりと言った。それから、やや遠くを見る目をした。


「実はな……丘陵の戦い以降、おまえと戦いたくてどうしようもなくなっていたのだよ。いままでとは比べものにならないくらいにな。身近でその戦いぶりを見てしまったせいかもしれない。おかげで、目の前の戦いに集中できずうっかりやられてしまいそうな時もあった」


 数瞬の間のあと、魔女は何か大切なものを置くかのような声で告げた。

「いつものように軍を優先し、結果、私たちの戦いが中途半端に終わってしまうということはもう避けたい」


「……」

 先ほど顔を合わせた時、心の温度差を感じてしまったが、それはどうやら俺の勘違いだったらしい。その言動には現れていなかっただけで、魔女も内心では俺と同じようなものを抱いていたようだ。


「……」

 こんなにも同じような──


 俺は不意に視界が揺れるのを感じた。

 いくつかの光景が浮かんでは消える。


 ああ…………。


 もしも。

 俺たちが尚武の気風を持つアルフェドとコーングレイスに生まれていなかったなら。


 もしも。

 俺たちが戦いに魅せられた者たちでなかったなら。


 もしも。

 何処か平穏な国で普通に出会うことができていたなら。


 ──そこまで考えて、俺は首を小さく振った。


 いまさら、あり得なかった過去を夢想したところでどうにもならない。

 俺はアルフェドの死神で、彼女はコーングレイスの魔女。



 ()()()()()()()()()宿()()()()()()()()()



 何度も殺し合ってきて、その殺し合いに血を滾らせてきた。そしてずっと──


 ポツリ。


 曇天から、ついに滴が落ちてくる。

 頬を伝っていった。


「……せっかくの招待だ、もちろんお受けしよう」

 台詞としては少しおどけていたのだが、俺の声は自分でも驚くほど真摯なものであった。


「ああ、歓待するぞ。この槍で以てな」

 軽い言い方ではあったものの、魔女の双眸も真摯なものであった。



 そしてずっと──決着を求めてきた。



 淡く儚い雨の下、俺たちは戦場の抜け道を目指して走りはじめた。


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