第十二幕 不調と復調
コーングレイス王国の南の丘陵地にて、かの国と我が国が共同戦線を張り、サシュナータ王国を撃破してから早二ヶ月が経過していた。
そして当たり前のように、アルフェドとコーングレイスの国境線沿いではあちこちで小競り合いが再開されていた。共に勝利を祝い、共に杯を酌み交わしたことはどちらも忘れてはいないのだろうが、それ以上に宿敵同士であることを忘れてはいなかったのである。両国に流れる戦いの血脈は、一時的な友誼で変わる程度のものではないのだった。
もちろん俺自身もすでに何回か小競り合いに参加している。大鎌の借金もそれで返すことができた。ただ……あれから魔女とは一度も相まみえていなかった。
「また、行き違いか……」
と歯噛みする。
今日、俺は五回目となる小競り合いに参加しているのだが、ここでも不吉な色のマントは翻っていなかった。
魔女はコーングレイスの東側国境近くに領土も持っているので、何処かの小競り合いには参加しているのだろう。しかし運に恵まれず、俺たちが同じ戦場に立つことはなかった。
三年前にはじめて死闘を演じたのち、別に毎回顔を合わせていたわけではない。数ヶ月にわたり対戦がないことも珍しくはなかった。ゆえに本来であれば、こんなにもどかしく思う必要はないのだが……。
「せいやっ」
三振りほど費やして、俺は敵兵の命を刈り取った。たいした相手ではなかったにもかかわらず手こずってしまった。自分の動きにキレがないことが嫌でも解る。
「チッ」
思わず舌打ちをして、大鎌を握った手を見やる。
そう──あの丘陵地で魔女と別れて以来、俺はすっかり調子を落としていたのだ。
原因は何となく察している。
魔女との日々。六万対二百という厳しい戦況。三度にわたる遊撃戦。あの一緒に過ごした戦いの日々は、俺にとって思っていた以上に充実した時間であったのだ。しかしそれが終わってしまい、自分はどうやら燃え尽きたようになっているらしい。
「せいやっ」
いつもより重く感じる大鎌で敵兵を切り捨てる。その脳裏によぎるものがあった。
「死神よ、おまえの首は私のものだ。他の誰にも取られるな」
魔女にそう告げられたというのに。魔女にそう願われたというのに。
「その矢先に、このような不調に陥ってしまうとは我ながら情けない……!」
と八つ当たり気味に敵兵を倒したが、あまり見事とは言えぬ斬撃であった。
まるで贋者の皮でも被っているかのようである。
「……」
──立ち直るには、何かしらの切っ掛けが必要だった。腑抜けた心に活を入れるような。そして、そこで思い浮かぶのはやはり冷々たる美貌だけだった。
これまでもことあるごとに魔女の存在を思い出し、また会いたい、また殺し合いたいと渇望することはあった。しかし、いまはまた別の意味でも魔女の存在を渇望していた。
コーングレイスの魔女よ、何処にいる……!?
戦場の只中にありながら、俺はまったく別の戦場へと思いを馳せていた。
□ □ □
ずっと晴れることなく、ただひたすらどんよりとした雲に覆われている。
といっても空模様ではなく、俺の心模様の話である。しかしさらに二週間が過ぎた頃、風向きが変わった。
アルフェドの西側国境付近を領地とする貴族たちに、大規模な参戦要請がおこなわれたのである。
要請したのはシリン侯爵。この付近で一番の実力者であり、先の丘陵地の戦いにおいてアルフェド軍八千を率いた上層部の一人でもある。
あとで聞いたところによると、このシリン侯爵は、先の戦いにおいてコーングレイス軍の上層部の一人とすっかり意気投合したらしい。その人物の名はバルルカ侯爵。コーングレイスの東側国境付近に領土を持っており、これまでも何度か干戈を交えたことがあるそうだ。もともとその中で互いに武人として通じるものがあり、それが先の戦いにおいて一気に深まったということだった。
そして彼らは誓った。共にサシュナータ軍を打ち破ろうではないか、と。またそのあとは、互いに可能な限りの兵を集め、全力で以て正々堂々と雌雄を決しようではないか、と。
親交が深まったにもかかわらず、「二人で両国の和平を目指そう」とならないところが、如何にも尚武の気風を持つアルフェドとコーングレイスらしかった。
ともあれ、彼らは丘陵地の戦いが終わったあとから着々と準備を進め、二ヶ月と少しを経たいま、こうして大規模な参戦要請をおこなったというわけだった。
これはすなわち、アルフェドだけでなく、コーングレイスの東側国境付近でも大規模な参戦要請がおこなわれることを意味している。俺にとっては僥倖だった。
この要請にはきっと魔女も応じるだろうと思われたからである。
もちろん俺はすぐにシリン侯爵の要請を受け入れた。
決戦の地は、マドゥーカ。俺の領地からだと南西に五日ほどいった国境線沿いにあり、その地形は盆地となっている。平地部分は数万の軍勢が縦横無尽に動けるほどの広さを持つが、当然のことながら四方はぐるりと山々に囲まれていた。
それらの山々は盆地内──平地側には人がどうにか歩けそうな斜面を見せている。しかし、その斜面を登りつづけた先にあるのはだいたいが断崖だった。山々の間に差し込むように、盆地内と外部を結ぶ間道もいくつかあるがいずれも狭い。
大軍での出入りには向いていない場所である。俺の知っている限りでは、ここに大軍同士が展開されたことはいままでになかったはずだ。
にもかかわらず、シリン侯爵たちはここを戦場に選んだ。いったん踏み込んでしまったら最後、そう簡単には抜け出せない場所を。それはつまり、徹底的に戦おうということ。比喩などではなく、まさに決戦をおこなおうというわけだ。
おもしろい、やってやろうではないか──西側国境付近のアルフェド貴族の多くが、シリン侯爵たちのこの考えに拳を振り上げた。決戦と聞いて怯むほうが少なかった。むしろちまちまとした小競り合いよりも心が躍ると好評だった。尚武の気風がここでも発揮されていた。あとは単純にシリン侯爵が示した報酬額が高かったということもあったに違いない。
いずれにせよ、シリン侯爵の元には続々とアルフェド貴族たちが集結することになったのである。
□ □ □
シリン侯爵とバルルカ侯爵の参戦要請から十日後。
マドゥーカ盆地の東側にはシリン侯爵率いるアルフェド軍が到着していた。その数、一万二千。
先日コーングレイスに赴いた援軍より四千も増えていた。これは、昔からの習わしとはいえ、コーングレイスに味方することに難色を示していた貴族たちが、今回は迷わず参戦したという事情があったためである。
時を同じくして、マドゥーカ盆地の西側にもコーングレイス軍が到着していた。それを率いるのは、もちろんバルルカ侯爵。その数は、一万二千。奇しくもこちらと同数である。
先の戦いより八千も減っているが、国難ではなく、私戦においてこれだけの兵数を集められるのは彼が只者ではないことを示していた。
実際、バルルカ侯爵の名前はアルフェドの懸賞金一覧に載っている。ちなみに、シリン侯爵の名前はコーングレイスの懸賞金一覧に載っているそうだ。
コーングレイス軍の到着を知った俺は、早速、情報を集めた。もちろん魔女の参戦についてである。一介の騎士に過ぎない自分だが、死神という異称はそれなりに有効で、本来なら上層部しか知り得ない情報も斥候がこっそり洩らしてくれるのだった。
そして俺の耳に入ってきたのは──
コーングレイスの魔女、敵中に確認せり、だった。
「フッ、フフ……」
十分だった。その一言だけで。
「フハハハハッ……!」
全身の毛が逆立っていく。
灰の中で燻っていたものが一気に燃え広がっていく。
鈍くなっていた感覚も瞬時に冴えて、贋者の皮が勝手に剥がれて落ちていく。
この二ヶ月の不調が嘘のようだった。
「コーングレイスの魔女──」
会いたかったぞ……!
我知らず笑いが零れた。俺は大鎌の柄をギリギリと握り締めずにはいられなかった。




