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第十一幕 夢見る夜は


 夜襲から四日後、アルフェド軍八千とコーングレイス軍二万が陣地を構える丘陵に、サシュナータ軍六万がついに姿を現した。


 麓を埋め尽くすような大軍である。──しかし、その割にはあまり圧迫感を感じなかった。


 ところどころで陣列が乱れているせいだ。兵数の多寡に関係なく、優秀な軍隊は端まで整っている。サシュナータ軍の状態はそれにはほど遠いものだった。もともと烏合の衆である上に、ここに到着するまでの過程でさらに士気を萎えさせてしまったためだろう。


 俺たちの遊撃が効いている。

 丘陵から敵軍を見下ろしながらそう思った。すでに遊撃部隊は解散し、俺や魔女はそれぞれの軍に戻っている。


「……」

 ふと西を──コーングレイス軍の陣地のほうを見やる。


 同じ戦場で同じ相手と戦うとはいえ、俺はアルフェド軍で魔女はコーングレイス軍、遊撃戦の時のようにはいかないだろう。二人が隣り合って武器を振るうことはもうないのだ。何となく名残惜しさを覚えたが、軽く頭を振ってそれを消し去った。


 あらためて麓を見下ろす。いまは目の前の敵に集中すべきであった。


 丘陵上の別々の位置にアルフェド軍とコーングレイス軍が陣地を築いているため、サシュナータ軍六万は自軍を二つに分けざるを得なくなっていた。北に位置するコーングレイ軍二万には四万の兵を、東に位置するアルフェド軍八千には二万の兵をそれぞれ正対させていた。


 アルフェド・コーングレイス共同軍にしてみれば、早くも敵軍の分断に成功した形となっているが、どちらにも二倍の兵力が向けられているので迂闊に動くことはできなかった。──とは言っても、こちらは高所という地の利を得ているので、そもそも先に動く必要はなかったのだが。相手の出方を窺い、それに合わせて迎撃するのがこちらの基本戦術となる。


 かくして、早朝から両陣営は睨み合っていた。

 昼の近くになっても睨み合っていた。昼を過ぎても睨み合っていた。


「……」

 これはまさか仕掛けてこないつもりか?


 兵数で勝っているとはいえ、確かに高所に攻め込むのは不利であるし、サシュナータ軍の状態もよろしくない。こちらが二ヶ所に分かれているのも戦いづらいだろう。そもそも、敵軍と対峙したからと言って、ただちに攻め込まなければならないわけでもないが……。


 しかし、このまま戦いを引き延ばしたところで苦しくなるのはサシュナータ軍のほうである。六万もの大軍を維持しつづけるためには大量の物資が必要になるわけだが、ここはやつらにとって敵地であり、そう簡単には補給できないからである。加えて、軍の状態がよくないときては、なおさら厳しいことになるだろう。


 一方、こちらは大軍と相対しているものの、包囲されているわけではない。補給は可能であるし、地の利もある。援軍も期待できる。時間を掛ければ掛けるほど有利になってくるのだった。


 さて……このままジリ貧になって自滅する、などということはさすがにないだろうが、サシュナータ軍はいつどうやって仕掛けてくるのか。まあ何にせよ、こちらはそれを待ち構えているだけでいい──と俺は考えていたのだが。


「掛かれーっ」

 昼を大分過ぎた頃、コーングレイス軍の左翼から鬨の声が上がった。そしていくつかの部隊が陣地を飛び出していったのである。


「なっ!?」

 アルフェド軍全体が驚きに包まれた。


 大鎌の代金を貸してくれた近隣の貴族はアルフェド軍の右翼に配属されており、当然俺もそこにいたので、丘陵を駆け下りていくその姿がよく見えた。


 膠着した戦況に業を煮やしたいくつかの部隊が暴走し、有利な地形を捨てて突撃したのか──とアルフェド軍の誰しもがそう思ったに違いなかった。


 当初、俺もそう思った。しかしすぐに冷静になった。我がアルフェドの宿敵コーングレイスは、この大事な場面でそんなマヌケな真似をするような者たちであったか。


 否。

 ということは、あれは餌である。


「ああっ」


「駄目だ、数が多すぎる」


「こ、これは敵わん」


 果たして、丘陵を駆け下りていったいくつかの部隊はサシュナータ軍と交戦するとすぐに弱音を吐き、如何にも慌てたふうに回れ右をして撤退してきた。


 それを見て、いまし方攻撃されていたサシュナータ軍の部隊が勇ましく叫ぶ。


「ふんっ、愚行に呼んだ敵軍にその報いを受けさせてやれ! 追え、追えい!」



 ──獲物が餌につられた瞬間であった。往々にして人というものは、敵が無様を晒すと調子に乗ってしまうようにできているのだ。



 しかしそうとは気づかずサシュナータ軍の部隊は丘陵を駆け上がり──自ら敵の射程内に入った。


 待ち構えていたコーングレイス軍が一斉に矢を放つ。それはまるで雨のように、誘い出されたサシュナータ軍の部隊に降り注いだ。

 上から下はよく見えるので撤退中の味方の部隊には一本も当たらず、敵だけを確実に捉えていく。しかも上から下へと放たれる矢は勢いを増す。甲冑で覆われていてもその内部には十分な衝撃が走るのだ。誘い出された敵の部隊は丘陵の半ばで次々と倒れていく。


 それを救おうと麓のサシュナータ軍も矢を放ちはじめるが、下から上では飛距離が出ずにたいして役には立たなかった。かといって前進すれば、今度は自分たちも標的になってしまう。


 それでも味方のために動こうとする部隊がいる一方で、早くも逃げ腰になっている部隊もいた。サシュナータ軍の司令官はすでに何らかの命令を出しているのだろうが、どう見ても全軍に行き渡ってはいないようだった。この辺り、烏合の衆という事実がよく現れていた。


 ふと、緩慢な時が発生した。


 見事、敵軍を誘い出したコーングレイス軍の上層部であったが、まさかここまで上手くいくとは考えていなかったのだろう。ただちに次の行動に移ることができなかったのである。


 しかし眼下の敵は見事に混乱している。それは二倍の兵力差があろうとも、地の利を捨てることになろうとも、摑むべき勝機に違いなかった。


「全軍突撃!」

 そしてコーングレイス軍二万は丘陵を駆け下りていった。その勢いはまさに雪崩を打つかのようだった。


「うわぁあああぁっ」

 人工の災害に直撃されたサシュナータ軍の前衛はあっという間に飲み込まれてしまう。ただそれでも二倍の兵力差があるのだから、それを活かして混乱を収めればまだ踏みとどまることもできるはずだった。



 サシュナータ軍四万は崩壊した。



 統率や士気や戦術──やつらには、兵数以外ものがいろいろと足りていなかった結果であった。


 一方、俺たちの眼下に布陣するサシュナータ軍二万は無傷のままである。しかし同胞の崩壊に動揺しているのは明らかであった。

 それを見逃してやるような優しい人間は、アルフェド軍の上層部にはいなかった。


「コーングレイスに後れを取るな! 我らの武勇をいまこそ示せ! 全軍突撃ぃっ」

 目を血走らせているような命令が響き、アルフェド軍八千は一挙に丘陵上から飛び出していった。


 あとはもう殺戮だけだった。


 こうしてサシュナータ軍は戦いらしい戦いもせぬままに、コーングレイスの大地から追い払われたのであった。



 □ □ □



 サシュナータ軍六万のうち半数はどうにか祖国に逃げ帰れたものの、もう半分は永遠に帰ることができなくなった。


 アルフェド・コーングレイス共同軍の大勝利である。


 この丘陵の戦いにより、サシュナータ王国はかなりの弱体化をした。しかし、アルフェド王国もコーングレイス王国もそこに付け込んで領土の拡大を狙うことはしないようだ。いたずらに領土を拡大してもその管理が難しくなるためというのが理由である。──もちろん、第三国にかまけている間に宿敵に襲われてしまっては元も子もない、とアルフェドもコーングレイスも考えているというのが本当の理由であるわけだが。


 とはいえ、サシュナータの暴挙が許されるわけではない。今後、莫大な戦費や膨大な賠償金の支払いを強要されることになるだろう。


「我らの勝利を祝して、乾杯!」

 もう何度もあちこちで叫ばれたはずの台詞であったが、時折、思い出したようにくり返される。それにつづく歓声もまたくり返された。


 敗走するサシュナータ軍を散々に追撃したあと、アルフェド・コーングレイス共同軍は再び丘陵地に戻り、勝利の宴を催していた。


 すでに夜の帳が降りている。以前の交流会と同じように両軍の陣地の間には延々と篝火が焚かれ、酒と料理の載った卓子がいくつも用意されていた。

 以前と少し違うのは、卓子の上が豪勢になっていることと、上層部以外でも両軍の兵たちが杯を傾け合っている姿が見られることだ。やはり共に戦い、共に勝利したという事実は大きいのだろう。


 この戦いにおける戦功の第一は、魔女ことナザリー・ロッシュが率いた遊撃部隊となった。事前の三度にわたる攻撃と、その成功こそが丘陵での勝利に結びついたと誰もが理解していたのである。彼女たちはいま、上層部が集まる宴に招かれて大いに歓待されているはずだった。


 当然俺にもお呼びが掛かったが、仮病を用いて断った。何か金目のものでももらえるのならばノコノコと顔を出しただろう。しかし遠回しに訊いてみたところ、どうやら両陣営の上層部に総出で称賛されるだけらしい。それはそれで大変名誉なことなのだが、何だか面倒臭くなったので遠慮させてもらった。金は欲しいが、出世とかには興味がないのだ。


「上層部のところのほうが、酒も料理ももっと上等ではあっただろうが──」

 近くの卓子から持ってきたものでも十分に美味いので問題はない。俺は一人、例の如くアルフェド軍の陣地の片隅で飲食をしていた。


 さらに夜が更けて宴もたけなわになった頃、ふと、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。顔を上げてみると──



 そこには篝火に照らされた、冷々たる美貌があった。



「こんなところにいたのか、死神よ」

 目の前に立ったナザリー・ロッシュがそう言った。


「魔女……」

 彼女を見上げたまま、俺は何度か目を瞬いてしまう。


「体調不良だと聞いたのだが──」

 言いながら、魔女は俺の周囲を見回した。そこには空になった皿や杯などがいくつも無造作に置かれていた。呆れた目つきになる。


「どうやら嘘だったようだな。何だ、お偉い方と酒を飲むのは面倒臭いとでも思ったか」


 ……仮病はともかく、それを使った理由まで簡単に見抜かれているのはどうしてだろうか。


「お、おまえこそ、上層部の宴に出ていたのではないのか。こんなところに来ていいのか」


「ああ。誰かと違って、私は先ほどまでしっかりと出席していたぞ。そして誰かと違って、お偉い方の話に散々付き合ってきたぞ。私もああいう場は得意ではないのだがな。──ただ、宴もようやく落ち着いてきたのでな、こうして抜け出してきたというわけだ」

 魔女は淡々とした口調で嫌味をぶつけてきた。


 俺は両手を軽く上げて、「悪かった」という意志を示したあとで言う。

「だったら、もう休んだらどうだ。疲れただろう? わざわざこんなところに来なくても──」


 口にしてから、ハッとする。


「まさか……俺を心配してくれたのか?」


「勘違いするなよ。弱った死神を肴にして一杯やるのも一興かと思っただけだ」

 魔女の口調は冗談とも本気ともつかぬものだった。


「そ、そうか。というか、それは悪趣味だぞ。──しかしせっかく来てくれたんだ、よかったら一杯付き合わないか? もちろん疲れていなければだが」


「付き合おう。一杯どころか、まだまだいけるぞ」


 俺が持ってきていた酒と料理はすでに乏しかったので、いつぞやと同じように二人して卓子から取ってきて、そしてまたいつぞやと同じように二人きりで杯をかざした。


「とにもかくにも、我らアルフェドとコーングレイスの勝利に乾杯」


「乾杯」


「──む。この間のものも美味かったが、これはそれよりも芳醇だな」

 最初の一杯は魔女が持ってきた酒だったのだが、これがまた五臓六腑に染み渡る味わいであった。


「解るか。実は最上級のものを上層部の席から持ってきたのだ。死神を肴にするなら、このくらいの酒は必要かと思ってな」


「まだ言うか」

 魔女の口の悪さに、俺は苦笑する。しかし……本当のところは、体調不良のままで帰ることになると思われた俺のために、せめて手土産でも、と気遣って持ってきてくれたのではないだろうか。酒瓶は剥き出しではなく、包装されていたのである。


「まあ──理由はどうあれ、この酒が飲めたのは幸運だ。俺みたいな貧乏騎士では一生飲む機会に恵まれなかったかもしれない」


 俺が少しおどけてみせると、今度は魔女が苦笑した。


「おまえも上層部の宴に顔を出していれば、たらふく飲めたのだぞ」


「それはそうなのだろうが、堅苦しい場所で飲んでも美味さ半減だ。酒というものは、好きな場所で好きに飲んだほうがいい」


「確かにな。私もいまここでおまえと飲んだ一杯のほうがはるかに美味く感じる」


「…………」

 何だかさらりとすごいことを言われたような気がしたが、魔女は至って普通の顔をして肉料理に食らいつきはじめた。深い意味などなかったのだろう。


 それから俺たちは、やはり戦闘のことで盛り上がった。特に遊撃戦に関しては二人とも熱く語った。勝利の余韻もあるし酒も入っているしで、互いにちょっと頭が悪いくらいに褒め合った。

 しかし楽しい時間ほど、あっという間に過ぎ去るものだ。ふと気づけば、大量に運んできた酒も料理も姿を消して、真っ暗だった空の一部が明るくなりはじめていた。


 俺と魔女は並んで座り、ただ空を見上げていた。さすがにくたびれてしまい、しばらく無言になっていた。


 周囲もほぼ静かになっている。何処か遠くで一部の猛者たちがまだ騒いでいるようだったが、全体としてはもうとっくにお開きになっていた。あちこちから寝息やいびき、たまに寝言が小さく聞こえてくる。アルフェド兵もコーングレイス兵も満足そうに眠っているようだった。


 平和な光景である。


 しかし、みなすぐに思い出すのだろう。



 これが、()()()()()()()()()()()()



「そろそろ夜が明ける。そうすれば──」

 魔女が酔いの醒めた声で呟いた。


「私たちはまた宿敵同士だ」


「ああ、今度会う時は宿敵同士だ。いまが例外なだけだな」


 そう応えた俺の顔を、魔女がじっと見つめた。二瞬ほどしてから唇を開く。


「死神よ、おまえの首は私のものだ。他の誰にも取られるな」


 ちょうどその時、東の空から光が放たれ、俺の目を眩ませた。魔女の表情が見えないままに言葉を返す。


「それは俺の台詞だ。おまえも、俺に殺されるまでは殺されるなよ」


「承知した」


 そして──俺たちは別れた。



 夢見る夜は終わり、目覚めの朝がはじまった。



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