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第十幕 競合


 翌日。

 すでに陽が傾きはじめているが、俺たちは前日と打って変わって遊撃を仕掛けず、大人しくしていた。魔女からはしっかりと休息を取っておけと申しつけられている。


 とはいえもちろん、サシュナータ軍六万の監視は怠ってはいない。ただ敵の本隊は大軍であるし、そこから派遣されている斥候部隊も優秀とは言えなかったので、それらの動きを探ることはさほど難しくはなかった。


 逆にサシュナータ軍は、俺たち遊撃部隊の位置をいまだに摑めていない。こちらは少数であり、地形にも通じているからである。


「先ほどの報告によると、サシュナータ軍から脱走兵が出はじめているらしい。さすがに正規兵ではなく、金にものを言わせて集めた連中からではあるが」

 早めの、そして軽めの夕食を取りながら魔女が話し掛けてきた。


「金が欲しいだけで、忠誠心も愛国心もないやつらは逃げ出すのが早いからな。昨日の二度にわたる遊撃が効いたのだろう」

 魔女と同じものを食べながら俺は応えた。


「しかし、いまのうちに逃げ出しておくのは正解だ」


「ああ。サシュナータ軍には眠れぬ夜が待っているからな」

 魔女の言葉に相槌を打つ。──そう。これから俺たちはサシュナータ軍本隊に夜襲を仕掛けるつもりでいた。


 昨日の襲撃以来、やつらはずっと警戒を強めている。しかも、そのすべてが空振りに終わっていた。あのあと俺たちは完全に潜んでしまったからである。そろそろ敵は徒労感に蝕まれていることだろう。


 ゆえに、襲う。


 欲を言えば、このままもう少し潜みつづけて、敵が徒労感の末に油断してしまうところを狙いたかった。しかしサシュナータ軍の現在地は、アルフェド・コーングレイス共同軍が待ち構える丘陵からそれほど離れてはいないのである。


 サシュナータ軍の歩みはもともと遅く、俺たちの遊撃によりさらに遅くなってはいたものの、数日中に両陣営が本格的にぶつかることには変わりない。そうなる前に、少しでも敵の戦力を削っておくことがこの遊撃部隊の目的である。ここで時間を掛けるわけにはいかなかった。最適な時機でなくとも動くべきなのだ。


 完全に日が暮れ、すべての準備が整ったあと、魔女が兵たちの前に立って口を開いた。

「この二日間、サシュナータ軍は我らに怯えつづけて、疲れも溜め込んだ。士気はさぞや下がっていることだろう。実際、本格的な戦いがはじまっていないにもかかわらず脱走兵が出ている始末だ。勝機は我らにこそある」


 魔女の言葉に、みな力強く頷いた。無言なのは、まだ敵との距離は離れているものの、さすがに声を出すのは憚られたからである。


「しかし、敵が六万もの大軍であることもまた事実。決して油断するなよ。すでに言っておいたが、速さこそが我らの武器だ。敵を倒すのではなく敵を混乱させるのだ。無駄に足を止めるなよ。風のように襲い、風のように去れ」


 そして魔女は先頭を切って、夜の中へと馬を走らせた。遊撃部隊二百もただちにつづく。


 星明かりがあるとはいえ、周囲はほぼ真っ暗だ。しかし魔女とコーングレイス兵は迷いなく進んでいく。地形はすでに頭に入っているのだろう。


 もちろんコーングレイス兵ではない俺は、何処をどう走っているのかさっぱり解っていなかった。もしはぐれでもしたら、二度と合流できない自信があった。


「しっかりと付いてくるのだぞ、死神よ」

 まるで心を読んだかのように、魔女が肩越しに言った。


「ふ、ふん。この程度の速さでは付いていけなくなるほうが難しいだろう」

 やや前方で翻っている黒いマントに向かって、俺はうそぶいた。


「そうか。ならば遠慮はいらないな。もう少し速度を上げるぞ」


 ──え。と思ったがいまさら言葉を引っ込めるわけにもいかない。情け容赦なく上げられた速度に対して俺は必死で手綱を操った。


 しばらくすると──星明かりとは違う光源が遠くに見えてきた。

 サシュナータ軍六万の陣地に焚かれた篝火の群れ。夜の中、それらはまるで赤く大きな湖のように広がっている。


 ある意味、壮観である。そんなところにたった二百人で突っ込もうというのだから、なかなか大胆だと言えるだろう。しかし、遊撃部隊は誰一人として足を緩めない。闇に乗じている上に、何より敵の弱点が解っているからだ。


 敵軍は陣地を築いている。つまり周囲に木の柵をぐるりと立てて守っている。本来なら、そう簡単には突破できない代物だが──事前の調査で、その南端には切れ目が開いていることが確認できていた。大軍ゆえに資材が足りなかったのか、疲れていて手を抜いたのか。いずれにせよ、鎧に覆われず剥き出しになった弱点である。


「て、敵っ!?」


「い、いつの間に!?」


「夜襲だーっ」


 俺たちがかなり迫ったところで、ようやくサシュナータ軍から叫び声が上がった。正直、遅すぎる。こちらの姿が闇に紛れていたとはいえ、馬蹄の音はもっと前から響いていたはずなのだ。それにすぐ注意を払えないのは、敵軍の士気の低さを現していた。もともと烏合の衆である上に、徒労感にも蝕まれていたせいだろう。


「はっ!」

 敵陣地の柵に守られていない部分へ、魔女が真っ先に突っ込んでいった。


「せいやっ!」

 負けじと俺も躍り込んで大鎌を振るう。


「つづけ! 我らが魔女につづけぇっ」

 もう遠慮なく雄叫びを上げながら遊撃部隊二百も突撃する。


 完全に虚を衝かれた敵兵は慌てふためき、ろくに抵抗もしないまま逃げ出していく。

 夜襲は、見事に成功した。


 ──とはいえ、たった二百人では、さすがにサシュナータ軍六万全体をどうにかできるはずもない。

 ゆえに、敵陣営の中心には決して向かわず、あくまで弱点である南端の外縁部だけを削るように駆けていく。


 背中を見せた敵兵はわざわざ追わない。逃げ遅れた者や時折立ち塞がる者だけを蹴散らしていく。たとえそいつらが生き延びていたとしても、とどめを刺すことにこだわらない。


 俺たちの目的は敵の打倒ではない。敵が五体満足でなくなればそれでいいのだ。この夜襲による恐怖と混乱は、前日の攻撃につづき、サシュナータ軍に悪影響を及ぼすことになるだろう。


「ほう、なかなかやるな、死神よ」

 先頭を駆け抜けている魔女が、ふとこちらを向いた。


「このくらい、たいしたことではない」

 実際、逃げ惑う敵を左右に払っているだけのようなものなので、そんなに難しいことではなかった。


 すると、魔女が悪戯っぽい表情を浮かべる。

「そうか。──まあしかし、私のほうが敵を倒しているがな」


 しれっと挑発してきた。この夜襲は敵を倒すのが主目的ではないと彼女自身が言っていたはずなのだが……何にせよ、このまま黙っているわけにはいかない。 


「指揮官様の顔を立ててやっているのだ。よそ者の俺に負けてしまっては可哀相だと思ってな」


「ほほう。──では、私に構うことはないぞ。おまえの強さをもっと見せてくれ」

 魔女が妙に目を輝かせて言った。


「……いいだろう」

 彼女がいったい何を期待しているのか解らず俺は怪訝に思ったが、取り敢えず了承した。すでに互いの手の内は知り尽くしているので、いまさら減るものもないだろう。仮に減るものがあるとしたら、それは敵兵の命くらいだ。


 馬腹を蹴り、俺は一段速度を上げた。と同時に大鎌を振るう。まずは一人目。そのままやや横に走って、二人目を刈り取った。


「やるな。しかしあまり離れるなよ? 作戦を変更したわけではないからな」

 そう言っている間に、魔女も敵兵一人を突き殺していた。


「解っている」

 応じながら、大鎌を一閃させた。三人目の首が飛んでいく。


 弱いやつらなどいくら斬ったところでおもしろくもない。しかし、魔女と競い合うとなれば話は別だ。サシュナータ軍には悪いが──いや、侵略者に対して悪いも何もないが──ともかく、この手の届く範囲の者たちにはすべて大鎌の餌食になってもらおう。


「せいや! せいや! せいや!」

 もともと手を抜いていたわけではなかったが、いまは明確な殺意を込めて大鎌を振るっていく。


「その調子だ、死神よ」

 すぐ近くで囃し立てながら魔女も次々と敵兵を屠っていく。


 悲鳴と血飛沫が乱舞する。俺と魔女の行く手はいっそう凄惨なものとなった。

 そして思うさま敵陣地の南端を削り取ったあと、コーングレイス軍の遊撃部隊は再び夜の中へと消えていったのであった。



 □ □ □



「これでサシュナータ軍は、昼も夜も我らを警戒しなくてはならなくなった。気の休まる時はもうないだろう」

 馬の首をいたわるように撫でながら、魔女が言った。


 星明かりの下、すでに俺たちは安全な場所まで辿り着いている。みな達成感に興奮気味の様子であった。


「今後、我らが本格的に遊撃をおこなうことはない。しかし、それは敵軍の与り知らぬこと。ゆえに我らが姿をちらつかせるだけでも、敵軍は厳重に警戒しなくてはならないだろう」

 同胞に対して、魔女がほくそ笑む。


「つまり我らは少しの手間を掛けるだけで、敵軍を弄べるというわけだ。それをあと二、三日の間くり返せば、サシュナータ軍は蓄積した疲労と低下した士気を抱えたまま、我らが本隊との決戦を迎えることになる。その結果は推して知るべし」


 この二日間にわたる攻撃によって、俺たちが減らすことができたサシュナータ軍の兵数はせいぜい千人程度だろう。六万のうちの、ごく一部にすぎない。しかし、兵数以外ものをごっそりと減らすことができたという自負はあった。


 ちなみに、コーングレイス軍の遊撃部隊に死者は出ていない。負傷者が十数名といったところだ。上出来である。魔女の指揮官としての技量は、俺などでは比べものにならないくらい高いものであった。


 夜の中、コーングレイス軍の遊撃部隊が互いに称え合っている。

 よそ者である俺は、兵たちの輪から少し離れた場所でそれを眺めていた。すると魔女が当たり前のような顔をして隣に来たので、俺は確認してみることにした。

「──それで結局、どちらのほうが多く敵を倒したのだ?」


 指揮官としての技量には興味がないのでそこは素直に負けを認めるが、一戦士としての技量についてはそうもいかない。


「いや、途中から数えていなかった」

 魔女があっさりと肩をすくめた。


「駄目ではないか。俺はてっきりおまえが数えているものだと」


「まあ、もういいではないか。私はおまえの強さを見られて満足だ。やはり客観的に見ると、いつもとはまた違うものなのだな」


「……いや、俺は満足ではないぞ?」


 そう主張したが、魔女はわざとらしく星空を見上げ、聞こえぬ振りを決め込んだ。


「……」

 釈然としなかったが、これはしつこく訊いても無駄だと察した。仕方なく、俺も一緒になって星空を見上げることにした。


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