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第一幕 好敵手


「知っているか、コーングレイスの魔女よ。我がアルフェドにおいて、おまえの懸賞金がまた上がったぞ」


 周囲では怒号や悲鳴、剣戟や蹄の音が鳴り響いている。まともな戦術が破綻して、戦場は乱戦の様相を呈しはじめていた。百人以上の敵味方の兵が入り乱れ、武器を振るっている。そんな中、俺は旧知の姿を見つけ、思わず声を掛けていた。


「そろそろあの超高額な万能薬──パナケイアも買えそうなくらいだ。まったくたいしたものだよ」


「ふん、それは奇遇だな。アルフェドの死神よ」

 甲冑の上に黒いマントをまとった女騎士が馬首を巡らせて、こちらを向いた。冑の下には冷々たる美貌と皮肉な笑みが覗いている。


「我がコーングレイスにおいても、貴様の懸賞金が上がったぞ。パナケイアも買えそうなくらいにな。先の戦いではずいぶんと我が同胞を討ち取ってくれたそうではないか」


「まあ、そこはお互い様だな」

 言いながら、俺は馬上で大鎌を握り直した。


 まるで気負わずに、女騎士も槍を構える。背中の黒いマントがかすかに揺れた。裏地まで不吉な色のそれは、彼女が「魔女」と呼ばれる所以となっている。ただ、もちろんそれだけで物騒な異称がつくはずもない。コーングレイス王国の女騎士ナザリー・ロッシュが「魔女」と呼ばれる本当の所以は──


 銀光が迸る。


 あっという間に、槍の穂先が俺の喉元まで迫っていた。


 凄まじい速さである。常軌を逸していると言っていいだろう。実際これにより、我が国の名のある戦士たちが幾人も屠られてきた。女の細腕でそのようなことが成し得るという事実が信じがたく、そしてその不気味さこそが、彼女が「魔女」と呼ばれる本当の所以だった。


 バケモノじみた速さの銀光を、しかし俺は、大鎌を振るって弾き返していた。

「おいおい、せっかちだな。魔女様は会話をたしなむこともできないか」


「ああ、すまないな。その野蛮な顔を一刻でも早くこの世から消してやりたくて、逸ってしまった」


 ちっともすまないと思っていないような声であった。まあ、仕方がない。ここは戦場。会話よりも暴力が優先されて然るべき場所だ──などと納得していたら、再び容赦のない一撃が放たれて、俺の頭を貫いた。


 魔女にはそう見えたのではないだろうか。


 しかし実際の俺は、その穂先をギリギリでかわしていた。自分で言うのもなんだが、これでも一応腕は立つのである。


 攻撃に失敗し、魔女はやや前のめりになった。そこに、今度は俺が容赦なく大鎌を振り下ろす。


 やったか! と少しだけ期待したが、次の瞬間には俺の刃は下から突き返されていた。


 まだ中途半端な体勢でありながらも魔女が驚異的な速さで遮ったのである。鞍と鐙を支えにしたのだろうが、それにしても人間離れした動きだった。身体に発条でも仕込んでいるのではないかと本気で疑いたくなる。


「さすがは魔女、一筋縄ではいかないな!」

 言い放ちつつ、俺は馬を踏み込ませた。決められなかったものの、いまの攻撃で流れはこちらが摑んだはずだ。


 確実に魔女の命を刈り取るべく、大振りをやめ、右から左から小刻みに斬りつけていく。

 俺の連続攻撃に、ナザリー・ロッシュは防戦一方となった。槍の穂先や柄を使って捌いているが、その動きからは焦りみたいなものが感じられた。


 と、ついに魔女が斬撃を受け損ねて、馬上で大きく均衡を崩す。


 好機! 俺は大鎌を大きく振りかぶった。



 ──ニヤリ。



 魔女の唇が三日月になったような気がした。咄嗟に渾身の一撃を中断する。身をよじる。


 銀光が唸りを上げて、一瞬前まで俺の身体があった空間を貫いていった。


 ……最初、魔女が押されていたのは確かだろう。しかし途中からは演技だったのだ。あのまま大振りをしていたら、その動きを読んでいた魔女の槍に貫かれていたに違いない。


 俺は身をよじった流れをそのまま利用して手綱を操り、魔女からやや距離を取った。

「やるな。もう少しでそちらの思惑に乗るところだった。しかし、あそこで笑っては駄目だろう」


「──確かに。貴様の野蛮な顔もこれが見納めかと思ったら、つい嬉しくてな」

 魔女があらためて笑った。冷々たる美貌を歪めてニヤリとする表情は、とても妖艶であった。


 それに対して俺も笑い返す。

 別に余裕ぶったわけではない。楽しかったのだ。たったいま命を奪われそうになったばかりだったが、心底楽しかったのだ。


 生と死を懸けた戦いに、全身の血が騒いでいる。

 一撃や二撃を交わしただけで倒せるやつなんて、いくら斬ったところでおもしろくもない。


 その点、ナザリー・ロッシュは堪らなかった。どんなに大鎌を振るおうとも倒せないのである。それどころか、こちらが倒されそうになることすらある。



 最高だ。



 惜しみなく力を出せる相手というのは最高だ。


 全身を巡る血の熱さを感じつつ、俺は大鎌を構え直した。


 ナザリー・ロッシュも槍を構え直した。


 二人に挟まれた空間が戦意によってたわみ、軋んでいくようだった。


 ボォオオオォ。


 その時、耳障りな、低くて重い音が戦場に鳴り響いた。アルフェド軍の角笛だった。しかもこの吹き方は──後退の合図である。


 どうやら我が軍の指揮官は、いったん後方に下がって仕切り直すことにしたらしい。確かにこのまま乱戦をつづけていても、いたずらに戦力を消耗するだけだろう。だから、戦術として後退の判断は間違ってはいない。


 すると今度は、まるで示し合わせたかのようにコーングレイス軍の角笛が鳴り響いてきた。何度か聞いたことがあるが、これも確か後退の合図だったと思う。どうやらコーングレイス軍も、期せずして同じ判断に至ったらしい。


 東のアルフェド王国と西のコーングレイス王国──もう二百年くらい非友好的な関係にある隣国同士なのだが、こういう時に息が合ってしまうのは何とも皮肉なことであった。


 一瞬周囲に向けていた視線を、俺はナザリー・ロッシュに向け直す。魔女は興を削がれたような表情をしていた。


「今回は、ここまでのようだ」

 そう告げると魔女は馬首を巡らし、あっさりと黒いマントをこちら側に晒した。


「おいおい、そんな無防備に背中を見せてもいいのか」


 俺が少し呆れて言うと、魔女は肩越しに振り返った。


「おまえがそのような形での決着を望んでいるというのなら、好きにするといい」


「……」

 俺は肩をすくめてみせた。それが答えだった。


 黒いマントを翻しつつ、魔女が戦場から去っていった。──俺の答えに、その唇がかすかに微笑んでいたようだったが、よくは見えなかった。


 魔女を見送ったあと、あらためて周囲を確認する。両軍共に、乱戦に固執している愚か者はいないようだった。みな慎重に、しかし手早く、それぞれの陣営へと後退を開始していた。


 俺も馬首を巡らせ、自分の陣営へと向かうことにするが……まだ全身の血が疼いたままであった。食い足りない。まだ戦いたかった。まだ殺し合いたかった。


 未練がましく、魔女が消えた方角を見やる。しかし組織だった追撃ならまだしも、単騎で敵軍を追い掛けたところで目的を果たすのは難しいだろう。命令に背いてまですることではない。


「まあ、この戦いははじまったばかりだ。早ければ、明日、明後日にも再戦の機会はあるだろう」

 一人呟くと、今度こそ自分の陣営へと馬を走らせた。俺は戦闘好きではあるものの、だからと言って、我が身を顧みぬほどではなかったのである。



 □ □ □



 乱戦を回避してから、両軍は約二キロの距離を置いて対峙した。しかしその二日後、撤退が決まった。


「……」

 完全に読みが外れて、俺は天を仰いだ。


 どうやら先の乱戦による被害が思いのほか大きく、それで両軍の指揮官がすっかり萎えてしまい、停戦する流れになったらしい。


 もともとこの戦いは、つまらない理由ではじまった国境線の小競り合いだ。無理にこだわる必要はないのだろう……が、それにしても尻すぼみである。


 しかし、それをどうこう言えるような身分に、俺はなかった。敵味方にアルフェドの死神などと呼ばれてはいるものの、俺は──ジェイド・リッカーは一介の騎士にすぎないのである。


 いまならお預けを喰らった犬の気持ちが解る。そんなくだらないことを考えながら、俺は撤退する自軍と共に戦場をあとにしたのであった。


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