はじめてのまものたいじ
一言で森と言ってもその様相は様々だ。周囲の気候や地形もそうだが人の手が入っているか否かも案外大きな要因だ。前世でもこれだけで冒険するには十分な秘境を形成出来ると言うのに、この世界では魔力の濃淡なんて追加要素がある。おかげで王国内なんてご近所に死の森なんて呼ばれる物騒な場所があるくらいだ。尤も今居るロメーヌの森はそんな魔境ではなく地域に根ざしたアットホームな森である。と言うかそんな危険な森の近くに街なんて建設出来る訳がない。森は食料元であると同時に水源であったり燃料や資材の供給源だからだ。
「結構歩きやすいですね」
「この辺りはまだ浅い位置だからね。もう少し奥に行くとこうはいかないよ」
俺の感想に護衛のお兄さんが笑いながら答えてくれる。馬車に乗っていた人とは違い、厚手の服にくすんだ色の革鎧を身に付けている。如何にもハンターといった風貌だ。この世界では冒険者という職業は存在しない。その代わりに居るのがハンターであり、ハンターギルドだ。これは人類の生活圏を広げるのに、未知の場所を冒険する者よりも先ず魔物を狩る者が必要とされた事の名残らしい。正直名称が違うだけでやっていることは大差ないが。
「イッカクオオカミは賢い魔物でね、人が危険な相手ということをよく解っている。だから必ず群れで襲ってくるから注意が必要だ。尤も普通の革鎧でも着ていれば牙も爪も殆ど脅威じゃない。注意すべきは捨て身の突進だね。角を使った突き上げは大きさの問題から太ももをよく狙ってくるんだが、ここには大きな血管があるから致命傷を貰いやすいんだ」
器用に周囲を警戒しつつもそんな知識を披露してくれるお兄さん。多分普段は気楽にこんな話も出来ないんだろう。貴族の私兵は収入が安定している分気苦労が多そうだ。
「オオウサギはどんななんですか?」
「名前のせいで馬鹿にされがちだけど、個体の脅威度って意味ではこっちの方が危険だね。攻撃方法は牙だけなんだが、下手な板金鎧も貫いちまう。オマケにデカい分しぶとくてね、綺麗に倒すには結構慣れが必要だよ」
何度も攻撃しては毛皮が傷だらけになってしまうし汚れて肉も処理が大変になる。なんて話をしながら、俺達は少しずつ森の奥へと進んでいく。進むにつれて次第に口数は減り、表情も皆真剣なものになっていく。流石プロ、彼等にしてみれば楽勝な相手だろうに油断する気配もない。そう密かに尊敬していたら、説明してくれていたお兄さんが訝しげな表情で呟いた。
「おかしいな」
その言葉につい隣を歩いていた別の護衛に聞いてしまう。
「あの、おかしいって?」
「え?ああ。普段ならこの位来ればイッカクオオカミやオオウサギなら1~2回は会える筈なのよ。平気よ、たまにはある事だから」
魔法使い風の衣装を纏ったお姉さんがそう言うが、俺はなんとなく嫌な予感がした。残念ながら特殊な知覚能力とか、予知が出来るようになったとかじゃない。けどさぁ、
(初めての実戦で予想外のことが起きるって、定番だよな)
如何にもなシチュエーションだと感じた俺は、密かに探査魔法を使う。その名の通り周囲を確認出来るこの魔法は現代人、それもゲームに慣れた人間には必須と言えるものだ。発動と同時に周囲のミニマップが頭の中に生み出され、自分を中心に幾つかの光点が表示される。その数と位置を素早く確認し、俺は背筋を粟立たせた。
「何か居ます!」
森に入ったのは俺にティアナ嬢、そして護衛の人が3人だ。元々はハンターをやっていたらしく、その時は馬車の護衛をしているお兄さんを含めて4人のパーティーだったらしい。咄嗟にティアナ嬢の側に居たシーフっぽいお兄さんと俺の横にいた魔法使いのお姉さんが俺達を庇う様に動く。その結果前衛のお兄さんが孤立してしまったのはある意味必然と言えた。
「ぎゃっ!?」
重たい物が地面に落ちる音と、お兄さんが短い悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。そして視線をお兄さんが立っていたはずの場所に向ければ、そこには奇妙な姿の生き物が居た。大きなクリクリと動く目に鋭い嘴、扁平な顔は前世の動物番組などで見たことのあるフクロウによく似ていた。だが首から下が全く異なる。類人猿の様に長くそれでいて太い腕の先には鋭い爪があって、筋骨隆々とした体躯はまるでゴリラのようだ。全身は紫がかった体毛に覆われていて、一目でそいつが只の動物とは異なる生き物であると理解出来た。
「お、オウルベア!?なんでこんな場所に!?」
どうやらゴリラではなく熊らしい。そんな声に反応して首をグリグリと動かすオウルベア。生物の進化に正面から喧嘩を売るような歪な体を持ちながら、しかしそいつはまるで元となった生物の良いとこ取りをしたのだと主張するように素早い動きで襲いかかってきた。
「ひっ!?」
初手で前衛を失ったのが悪かったのだろう。只でさえ防御に不安の残る後衛が子供を守りながら戦うなんてのは彼等の戦術を破綻させるのに十分過ぎた。襲いかかってくるオウルベアを回避しようとして、シーフさんはすぐ横に動けずにいるティアナ嬢が居ることを思い出す。彼は咄嗟に彼女を突き飛ばし、そこで残り時間を全て使い切ってしまった。シーフさんが鈍い衝突音と共に木に叩き付けられる。
「このっ!」
魔法使いさんが咄嗟に攻撃魔法を唱えようとして、近くにティアナ嬢が座り込んでいるのに気付いてしまう。彼女の放った水系の中級魔法、アイシクルランスは複数の氷塊を対象に叩き付ける魔法だ。そのまま放てばティアナ嬢を巻き込んでしまうと判断した魔法使いさんは僅かに射線を上にずらした。だがそのほんの少しのずれとタイムラグがオウルベアに回避の時間を与えてしまう。魔法使いは極端に言えば一発屋だ、味方が時間を稼いでいる間に詠唱を終え強烈な一撃を叩き込む。酷い物言いになるが、火力として有効なだけの威力を魔法に求めれば必然それに特化した能力になってしまうのだ。レベルアップによって他のステータスが伸びても白兵技能を習得など彼等はしない。そんな暇があれば少しでも詠唱時間を短縮したり魔法の威力や精度を高めた方がパーティーの戦闘能力を上げられるからだ。だからパーティーを組んでいない魔法使いは酷く弱い。
避けられたことに顔を顰めながらも、魔法使いさんは必死に次の詠唱を開始する。けど俺には解る。次の呪文が完成するよりも、あの化け物が魔法使いさんを殴り倒す方が早い。
「ふっ!」
だから俺は覚悟を決めた。脚に本気で力を入れ、地面を蹴りつける。手にしているのはスピア、切ったり叩いたりでは有効打は望めないだろう。
「いっけぇ!!」
だから俺は弱点を狙う。速度に合わせて認識能力を開放、途端周囲の景色がゆっくりと流れ出す。その中でゆっくりとこちらを向くオウルベアの右目に思い切りスピアを突き出した。
「KYAOAAAA!?!?!?」
「成る程っ、確かにコイツは熊ですねっ!」
折れたスピアを投げ捨てつつ腰に差していたナイフを抜き放つ。目は貫いたものの、堅い頭蓋骨に阻まれて脳に届かなかったのだ。正直ナイフは解体用のものなので武器としてはあまり期待出来ないが、無手よりは遙かにマシだ。本音で言えば怪我をした時点で逃げてくれないかなんて思ったりもしたが、寧ろ益々左目に敵意を宿らせてこちらを睨んでいる。餌に反撃されて随分とご立腹のようだ。一瞬だけ周囲を見回し状況を確認。魔法使いさんは突然の事に混乱中、剣士さんとシーフさんは倒れたまま動かないが、息はあるようだ。そして俺の後ろには座り込んだまま呆然としているティアナ嬢。うん、割と状況は改善してねえな。
(だけどヘイト管理は楽そうですね)
オウルベアは脅威となる順に攻撃する知性はあるが、人質を取るとか弱い奴を攻撃してこちらを誘引するような戦術をとれるほどではない。つまりちょっと賢い野生動物と変わらんということだ。ならば多少身体能力が上回っていても人間様が恐れなきゃいけない相手ではない。
「こちとら悪辣さで覇権を握った生き物ですよ、舐めるなって話です」
言いながら俺は少しずつ左へ移動する。右目の潰れたオウルベアは俺が視界から外れるのを嫌って体の向きを変えた。やっぱり所詮は獣だ。
「ティアナ!回復魔法!!」
奴の意識が完全にこちらへ向いているのを確信した俺はそう叫ぶ。ティアナ嬢は宣言通り全属性の中級魔法を取得している。その中には当然回復魔法も含まれていた。但し彼女が使えるのは回復量は多いが直接相手に触れなければならないハイヒールと呼ばれる魔法だ。俺の意図を悟った彼女は漸く正気を取り戻し、剣士さんの方へと走り出す。それに釣られて動こうとするオウルベアに向けて、俺はわざと強く地面を蹴って大きな音を出した。そう、先程目を失った音である。咄嗟に奴は俺へと向き直り、その間にティアナ嬢は剣士さんに辿り着く。そして即座に詠唱を開始した。
「お姉さん!」
更に状況は好転する。混乱から立ち直った魔法使いさんが再び魔法を放ったのだ。今度こそ命中したそれは、オウルベアの毛皮を突き破って手傷を負わせる。突然の痛みに奴は再び絶叫するが、それを俺は嗤って受け止める。
「随分と余裕がないじゃないですか。狩られる側は慣れていませんか?」
そうしている間にティアナ嬢の回復魔法が発動、強力な回復によって強制的に意識を覚醒させられた剣士さんはうめき声と共に立ち上がる。
さて、ここまで来れば奴を仕留めるのは難しくないだろう。そう判断した俺は決着をつけるべく体に力を溜める。
(今っ!)
周囲を囲まれた事でオウルベアに迷いが見られた。恐らく逃走を考えたのだろう。一瞬周囲を見回すために俺から視線が外れたのだ。その隙を逃してやるほど俺は優しい人間ではない。
「殺そうとしたんです。殺されもしますよ?」
最初の注意を引くような大きな足音は立てない。低い姿勢から脚のバネを限界まで使っての加速。フクロウの名を冠する通りオウルベアはとても目が良いのだろう、こちらの動きに奴は咄嗟にこちらへと向き直る。俺の狙い通りに。
「“ライトニング”!」
残っていた左目にナイフを突き立てる。即座に手へと堅い感触が返ってきた。同時に詠唱を終えていた魔法を解き放つ。使ったのは初級の雷系魔法、但し魔力を過剰に込めた上でだ。これは魔法の練習中に偶然発見した方法だった。シアちゃんを見ていて、消費魔力が多くなれば魔法の威力が上がるのなら、普通に使用する際にも余計に魔力を込めれば威力が上がるんじゃないかと考えたのだ。
結果から言えば半分は成功した。魔力を込めれば込めただけ確かに威力は上がるのだが、同時に全くと言って良いほど制御を受け付けなくなってしまうのだ。詠唱と魔力量とは長年の研究によって最適化された技術なのだなと感心したものである。だが今のような状況ならば、制御など必要ない。
「熱っ」
放たれた魔法はナイフを通してオウルベアの体を駆け巡る。凶悪な出力の電流は瞬時にナイフを加熱させ、俺の手のひらも焼いた。当然そんなものを直接体の内側に流されて無事な訳がない。脳を直撃されたオウルベアは即座に絶命、更に余波で沸騰した体液によって頭を弾けさせる。そして誰の目にも解る形で死体となったオウルベアはその場にゆっくりと崩れ落ちた。
「い、いてて。“ヒール”、“ヒール”!」
焼けて張り付いたナイフを手から剥がすと俺は自分に回復魔法を掛ける。うん、一撃を狙ったとは言えこの方法はリスクが大きすぎるな。そんな事を考えていたら、周囲から何とも言えない視線を感じた。見回せば護衛の皆さんがオウルベアに向けていたのと同じ視線を俺に向けていた。
「ティアナ様、彼にも回復を」
そんな視線を無視して俺はまだ倒れているシーフさんを指さしてそうティアナ嬢に告げる。彼女は頷くとシーフさんに駆け寄って回復魔法を唱え始めた。見た限り彼も問題なく助かるだろう。
そんな事を考えていたら俺の体が淡く光り始めた。そして全身にゆっくりと熱が広がるような感覚を覚える。それが魂に合わせて肉体が変化しているのだとなんとなく察した。
「これが、レベルアップ」
根拠のない全能感に襲われながら俺はそう呟いたのだった。
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