王都が俺を呼んでいる
「随分と上手くやってるようですね」
「はい、お陰様で」
お茶を飲みながら周囲を見回すフォビオに笑顔でそう応じる。あの一件から凡そ2ヶ月、再び俺の所へ英雄候補様が訪ねて来たのだ。それにしても微妙に読み辛い期間だな、こちらを警戒しているとすれば悠長な気もするし、気に掛けていないなら呼び出さないだろう。案外向こうも持て余しているのか?
「まるで軍隊です。反乱でも企てているのですか?」
面白くも無い冗談を言ってくるフォビオに向かって、俺は肩を竦めて見せつつ口を開く。
「そんなに暇人じゃありませんよ」
「随分と亜人が多いようですが?」
「安いですからね。それに反乱を計画するならこんなに解りやすく戦力を準備しませんよ」
俺の返事に今度はフォビオが苦笑しつつ肩を竦めた。
「気分を悪くしたなら許して下さい。私も英雄候補ですから」
王国の守護者として不審なものには一応警戒するのだとフォビオは茶を飲みながら弁明する。俺も溜息を吐きつつカップへ口を付ける。まあその懸念は概ね間違っていないがな!大人しく従うのはあくまで王国がこちらに害意を示さない事が大前提、不利益になるような動きがあれば国外逃亡くらいはしてやろうとは思う。だがまだその時では無い、ぶっちゃけそれだけの準備が整ってないからな。
「それでフォビオさんが来たと言う事は、呼び出しがかかったのでしょうか?」
「ええ、報告しました所学園長が是非会ってみたいと」
あ、王様とかじゃないんすね。そりゃそうか、危険人物にいきなり国のトップが会ったりはしないよな。
「承知しました。向かうのは僕一人で良いでしょうか?」
「随分と素直に応じますね?約束は良いのですか?」
そう言ってフォビオは武器の手入れをしているサリサを見る。うん、俺もそのつもりだったんだけど。
「彼女から言い出した事でして。自分との約束は後回しで良いと」
何となくだが、サリサは故郷へ帰る事を渋っている気がする。もしかしたらゴブリンに連れ去られたら差別を受けるとか、そんなのがあるのかもしれない。だとしたら彼女の望み通りにするのが今の俺に出来る最善だろう。
「もう一人くらいは良いでしょうが、彼女は避けた方が無難でしょう。王都の住民はここほど大らかではありません」
言葉を濁したが、つまりは獣人への差別が酷いって事だな。となると連れて行けるのはバレッタくらいだが、彼女はウチのサブリーダーみたいなものだ。俺が居ない間こちらの諸々を取り仕切って貰う必要がある。つまり王都行きは俺だけと言う事だ。
「では僕だけでお願いします」
「スレイプニルは使えませんから、移動に2日程必要になります。明日迎えに来ますのでそれまでに準備をしておいて下さい」
スレイプニルと言うのは人間が家畜化に成功した魔物で足が8本ある馬みたいな奴だ。国内における英雄派遣に使われているのだが、速さはともかく燃費は最悪なうえ騎乗にはスレイプニルを屈伏させる必要があるなど色々と制約の多い移動手段だったりする。因みに馬車の方は主要な道路が整備されていることや、魔法による馬の回復があるため前世のそれより大分速かったりする。まあ乗り心地はお察しだが。
「承知しました」
「と言う訳でこれ、お願いしますね」
夕食後の自由時間、早々に部屋へと引き上げた俺はギリギリまで生み出した種の袋をバレッタに手渡す。久しぶりに限界ギリギリまで生産したから少しふらつくと彼女が慌てて支えてくれた。
「期間は一応2週間くらいだと思うんですけど、向こうの対応次第では伸びると思うんですよ、なのですみませんがその間パーティーをお願いしますね」
「大丈夫デスか?」
難しい事を聞いてくれる。
「何とかなりますよ」
今の所明確な敵対はされていない。本気で拘束しようと考えているなら英雄候補一人だけで迎えに来るなんて事はしないからだ。つまりフォビオが単独で来た時点で向こうは仲良くしようと考えている訳だ。…と、俺が推測する事まで想定済みだろうな。
「王都にはシアちゃんも居ますし、最悪でも僕一人なら逃げる事も不可能じゃありません」
まあ本当に最悪の状況になったらだけどね。けれどバレッタは深刻な顔で首に掛けていたロザリオを手渡してくる。
「万一の時ハそれを持っテ教会へ行って下さイ」
つまり国が敵対してきたら教会を頼れって事ですね。どちらも大差ない様に思えるが、少なくとも教会は俺に対して協力的だし、今の所勧誘はあっても強制的にどうこうしようという素振りは見せていない。そして万一が無くてもこれを身に着けているだけでも十分牽制になるだろう、教会と仲良くしている有力者を拘束するとか最悪神敵認定される可能性すらあるからな。
「有り難うございますバレッタ。ではお借りしますね」
そう言って彼女の手に乗ったロザリオへ触れた瞬間、その手を引かれて抱きしめられると同時にバレッタは俺ごとベッドへ倒れ込む。鼻孔一杯に彼女の匂いが流れ込み、頭上から先程とは打って変わって少し弾んだ声が届く。
「難しイ話ハここまでデス」
バレッタの腕に力が籠もり、密着した体は服越しでも彼女の体温と心音を届かせる。
「帰っテ来るマデ寂しくナイ様ニ、たっぷり愛してくれマスよネ?」
一頻り顔を擦り付ける様に頬ずりした後、バレッタは俺の耳元でそう甘く囁いた。
「夕べは楽しんだ様ですね」
「喧嘩売ってます?」
翌朝皆に別れを告げて馬車に乗った途端フォビオがそんな事を言ってきたもんだから、思わず半眼で言い返してしまった。何だテメエ、宿屋の親父かよ。それに対してフォビオは悪びれなく口を開いた。
「そうした気持ちが無いと言えば嘘になりますね、これでも私はシアの婚約者候補ですから。その思い人が寝不足になる程昨晩楽しんだなどと知れば嫌味の一つも言いたくなるというものでしょう?」
シアちゃんに手を出しておいて他の女と宜しくやってるのが気に入らないと。うん、まあこれは俺が100%悪いな。だがこのアルス、引きはせぬ。
「そうでしたか。大変ですね、望まれていない許嫁候補というのは?」
「君もシアに選ばれただけでしょう?立場に大差はありません。寧ろ王国民としてならば私の方が選ばれる可能性は高い」
そう言い返され無言でフォビオを睨む。暫くそうしていたが俺はため息を吐いて口を開いた。
「正直こういうの苦手なんですよ、要求があるなら回りくどいことをせずにはっきり言ってくれませんか?」
「おや失敬、アルス君はこちら側だと思ったんですが違いましたか」
「ただの庶民ですよ、貴族様の舌戦なんてついていけませんって」
俺が肩を竦めるとフォビオも体から力を抜き、本題を口にした。
「話は単純です。君が英雄候補になるつもりがあるか否か、その一点ですね」
「もう少し強硬に反対するかと思っていました」
「全くないわけではありませんよ。けれどあんなシアを見て名乗り上げる程私は無粋な人間ではありません」
眼鏡の位置を直しながらフォビオは苦笑する。曰く学園におけるシアちゃんは人当たりこそいいものの殆ど感情を表に出さずに過ごしているらしい。だから俺と会って感情を露わにする彼女を見て、フォビオは思うところがあるらしい。
「思い人と結ばれたいという気持ちは理解できますから」
そう言って彼は窓の外を見る。なんだなんだぁ?もしかしてフォビオ君、故郷に好きな人がいるとか?
「いえ、そのような…、その、許嫁がですね…」
ニヤニヤ眺めていると聞いてもいないのにそんな事を口走るフォビオ君。その時俺の腹が小さく鳴った。
「失礼、朝食が取れなくて」
そう言って俺はバッグから携帯食のエネルギーバーを取り出す。
「良かったら如何です?」
「いえ、結構。ああ、食べるのはどうぞ気にせずに」
「では失礼して」
断りを入れながらエネルギーバーを齧りつつフォビオを見る。彼は特に気にした風もなく視線を窓の外へと移していた。…うん、まだ俺の異常性は認識されていないみたいだな。少なくとも彼が知らないということは、上が認識していても現状は秘匿を選んでいると言うことだ。さて、どうなるかな?
「恐らくですが、学園長は君を英雄候補に勧誘するでしょう」
そうなるだろうね、そしてティアナみたいな理由でもない限り辞退は難しいだろう。尤も俺としては断るつもりは無かったりする。英雄になれば能力の秘匿は難しいだろうが、英雄を監禁するのは幾ら効率的でも外聞が悪すぎる。それにシアちゃんとの約束もあるし、ティアナとの身分差もある程度緩和される。その分高難易度の討伐を無償で行うことになるだろうが、まあ俺としては必要経費の範囲内だ。
「その場合僕の仲間はどうなるのでしょう?」
「恐らく全員が君の従者扱いでしょう。過去にそうした例が無かった訳ではありませんから」
非常に少ない事例だが、高い功績を示したハンターやそのパーティーを英雄として招聘する事はあるらしい。戦力を有効に活用するため、その辺りはかなり柔軟に対応しているようだ。
「アルス君の場合ですと、必要に応じて君が召喚される形でしょうね」
「結構自由なんですね、てっきり囲い込まれるものかと思っていましたが」
「僕達の様な生え抜きはともかく、君達は国が支援していた訳ではありませんからね」
それもそうか、いきなり力があるから英雄としての義務だけ果たせなんて言われても頷く奴はいないだろう。そう考えると幼少期に学園へ入学させるのは中々に悪辣なやり口だと思う。子供の頃に受けた恩や思想教育と言うのは尾を引くからな。
「まあ、あくまでも僕の推察です。正式な事は学園についてからですね」
「お手柔らかにお願いしたいところです」
言いながら俺は手にしていたエネルギーバーの最後のひとかけを口へと放り込む。窓の外には長閑な風景が流れていた。




