幼馴染みらんなうぇい
「最初はシスターの事だから、気にしすぎかなって思ったんだ。ほら、シスターってスキンシップが激しいから皆に相変わらずそうしてるのかなって」
防音の魔法は周囲に壁を作る魔法だ。中の音を外に漏らさない代わりに外の音も聞こえなくなる。そのせいかシアちゃんの声はやけにはっきりと聞こえ、ゆっくりと近付いてくる足音から身の危険を感じずにはいられない。ブリウザードベアと対峙した時ですらこんなプレッシャーは感じなかったぞ。
「でもそうだとしたらおかしいんだ。だって他の子達からはシスターの匂いがしないんだよ」
後退った結果俺はベッドに追い込まれる。反論のしようが無い俺に向かってシアちゃんは口角を釣り上げると耳元で囁いてきた。
「アルス君たら悪い子だなぁ。故郷にフィアンセが居るのに他の人に手を出すなんて」
目を見開いてシアちゃんを見た。相変わらず笑顔のままだが逆にそれが怖すぎる。と言うかなんで俺がティアナと婚約したことを知っている!?
「な、んで?」
「なんで?ああ、なんでティアナちゃんとの婚約を知っているかって事?簡単だよ、ロメーヌの森のダンジョン。攻略したの私だもの」
どうやら俺が町を出た後に討伐が行われたらしい。その際にゴルプ家の代表として立ち会ったのがティアナだったそうだ。
「大変だったよ、顔を合わせる度にアルス君との絆を語られるの。私に盗られると思ったんだろうね?」
言いながら彼女は左手のグローブを外す。そこにはあの日の願い糸がしっかりと巻かれている、そしてその下には俺が付けたあの傷も。
「まあでも許してあげる。私のことを忘れたわけじゃ無かったみたいだし」
言いながら彼女は俺をベッドへと押し倒して指を絡ませる。俺の指にも巻かれている願い糸を愛おしげに何度も指で擦りながらシアちゃんは話し続ける。
「勿論シスターの事も許すし、ティアナちゃんとの婚約だって許しちゃう。だって私とはそういう約束なんてしてないもんね?…ふふ、ねえアルス君。さっきの二人、私のこと随分と心配してたと思わない?」
シアちゃんは俺を見つめながら楽しそうに口を開く。
「私とあの二人は私達の代の英雄なの。知っているでしょ?スキルは受け継がれなくても、魂の強さは子供に受け継がれる。だから英雄同士での婚姻が義務づけられている」
俺が目を見開いたのが余程可笑しかったのだろう。シアちゃんは喉を鳴らすように笑うと俺の顔をのぞき込んだ。
「人生で一番恋い焦がれた人じゃなく、能力で適任と宛がわれた相手と体を重ねて子供を作るの。そうして出来た子供に愛を注いで、素晴らしいと称えられて“英雄”のシア・ハパルは皆の理想のまま死んでいく。女が英雄に選ばれた瞬間から定められる宿命だよ」
ゆっくりと、ゆっくりと顔を近づけながら彼女は語る。
「それが嫌だなんて言えないんだ、言えないだけの物を私達は皆から貰っているから。それに始まりは義務でも愛が育まれるかもしれない、子供を持つ幸せがあるかもしれない」
瞳いっぱいに俺の顔を映しながら、シアちゃんは嗤う。
「でもそれは最良であって最高じゃないの。一人の女としてのシア・ハパルは、そんな思いを胸に秘めて生きていくの」
絡めていた手をゆっくりと引き、彼女は自分の下腹部へと俺の手を導いた。
「ここがこれから先、相応しいとされる男との子を宿して育てる場所。そして愛する人の一番欲しい愛を貰えない場所だよ」
ゆっくりと俺の方へ倒れ込みながら、耳元で彼女が囁く。
「きっと私はそうした先で、自分の子供に入っていない愛の持ち主の事を考えて、一人狂うような気持ちを抱きしめたまま過ごすんだろうね。でもアルス君は悪くないよ?だって君は私のただの幼馴染みだもんね?英雄なんて面倒臭い肩書きなんて持っていない、好意を寄せてくれている女の子から好きに選んでも誰も責める事なんてない。だってアルス・マフスは“只の人”だから」
…これはあれだな、シアちゃん滅茶苦茶怒っているな。無理もないよな、自分の人生を狂わせた野郎がお構いなしで好き勝手にしていれば文句の一つも言いたくなるだろう。それが好意を持った相手なら尚更だ。…あの内容からして俺が好きって事で良いんだよな?全部文句の為の言葉だよ何本気にしているの?とか言われたら、今からする事が割と痛すぎるんだが。
「状況に流されているというのは否定しません。けれどただの幼馴染みと言うのは聞き逃せません」
そう口にするのと同時に自由になっていた片手を素早くシアちゃんの背中に回ししっかりと抱きしめる。俺の行動が予想外だったのだろう、シアちゃんは体を強ばらせたかと思えば顔を一瞬で赤らめさせた。それはそうだ、幾ら女の子の方が早熟だと言っても彼女も俺と同じ12歳。それも英雄候補という下手な貴族令嬢よりもそっちに関しては箱入りな環境で生活しているのだ。対して俺はと言えば毎日のようにバレッタと逢瀬を重ねるという割と爛れた生活を送らせて頂いております。端的に言って異性に触れられる事への免疫は俺が圧倒しているのだ。まあ割と一杯一杯だがな!
「僕だってシアちゃんの事を忘れたことなんてありません。それともこれはシアちゃんには小さい頃の思い出程度のものなんですか?」
「きゃっ」
ベッドの上を転がるようにしてシアちゃんと体の位置を入れ替える。同時に背に回していた右手で彼女の左手を握り、薬指に巻かれている願い糸を擽る。同時に下腹部に添えられていた左手で彼女の頬にも触れて俺の指にも巻かれていることを主張した。…自分でやっておいてなんだが、これって凄い糞野郎ムーヴではなかろうか?共通の知人であるお姉さんを抱いた上にご近所の金持ちと婚約しておいて、数年ぶりに再会すると勿論君のことを忘れてなんかないさと口説く。客観的に見て三方向から刺されても今の俺文句言えねえな?
「アルス君…」
「他人行儀ですね、シアちゃん。もうアルスって呼び捨てにはしてくれないんですか?」
頬を上気させ潤んだ瞳でこちらを見上げるシアちゃんを見て俺は勝利を確信する。勝った!第三部完!
「つまりそれは私もお嫁さんにしてくれる覚悟があるって事だよね?言質はとったよ?」
だが現実は非情である。俺が勝ったと思った次の瞬間、勝利の女神があっさりと手の中からすり抜けてシアちゃんへと向かう。そしてがっちりと肩を組んでサムズアップしている幻想を俺が見ている間にシアちゃんは悪戯に成功した子供の笑顔でそう言ってきた。
「パーティーの子達と握手した時点で解ってたんだ。ティアナもシスターも積極的だから、優しいアルスじゃ断れなかったろうなって」
俺の左手へ嬉しそうに頬を擦り付けながら彼女は続ける。
「他の子からはアルスの匂いがしなかったもの。自分から行ったのでなければ寄ってきた犬に噛まれたようなものでしょう?だからあの二人は許してあげる」
相変わらずの笑顔でシアちゃんはゆっくりと手を伸ばして俺の頬を両手で包む。そして可愛らしく言い放った。
「でも追加は許さないよ?そこはよーく肝に銘じておいてね♪」
女の子って怖い。その意味を今更ながらに俺は理解したのだった。
明けて翌日、ダンジョンの入り口へ向かうと既に他の面々は揃っていた。
「遅くなりました」
俺がそう頭を下げると英雄候補の青年達は特に気にした様子も見せず口を開いた。
「集合時間前です、問題ないでしょう」
「へっ、本当に来るとは思わなかったぜ。ハンターも案外骨がある奴も居るんだな」
言いながらライナスと呼ばれていた黒髪紅眼の青年は視線をカシュ達に送る。だがそこにはカシュと射手さんの二人しかいない。ライナスの口ぶりからして、残った一人は多分逃げてしまったのだろう。そしてそんな状況でも律儀にやって来た俺達にはそれなりの好感を抱いているらしい。雰囲気は粗野そのものだが案外根は良い奴なのかもしれない。
「もう一度手順を確認しておきましょう。我々はこれからポータルを利用し15階層に侵入、階層主の部屋まで捜索を行います。目標を発見できなかった場合折り返し15階層のポータルまで移動、成果の如何に関わらず今日の捜索はそれで終了とします」
「ヤツを、発見した、場合は?」
「対象を発見した場合、我々が対処します。討伐に終了後は16階層に移動しポータルを再起動し地上に帰還します」
「俺達はどうすりゃ良いんだ?」
「フォビオが言っただろ、俺達が対処する。大人しくしてろ」
「っ!」
明け透けなライナスの物言いにカシュが怒りの表情を浮かべるも、素早く動いた射手さんが肩を掴んで止める。まあ正直俺達物理組とは相性最悪に近い相手だからな。言い方は悪いがライナスは少なくとも俺達を囮に使うつもりはないようだ。負けることが許されない英雄としては甘い判断かもしれないが、少なくとも個人としては好感が持てる。何だよコイツ、あれか?ツンデレなのか?
「アルス氏の言葉通りなら対象は潜伏状態の際は探査の魔法にも掛からないとの事ですから、目視による索敵が重要となります。期待していますよ」
「うん、じゃあ行こうか」
フォビオと呼ばれた青年がそう締めくくると、シアちゃんが散歩にでも行く気安さで手を一つ叩いてそう告げる。俺達は無言で頷くとポータルの設置されている広間へと移動した。
「…アルス、その、悪かったな」
歩きながら小声でカシュがそんな事を言ってくる。意味が解らず見返すと決まりの悪そうな顔で彼は言葉を続けた。
「初めてお前らと会ったときだよ。お前の事を馬鹿にしただろう?今のうちに謝っておこうと思ってよ」
おい馬鹿止めろ。いきなり死亡フラグを建築し始めるんじゃない。
「馬鹿にしておいて、いざとなったら俺らはこの体たらくだ。俺もリーダーなんてふんぞり返っておきながら、アイツが逃げ出すまで俺一人で潜るなんて思いつきもしなかった。ガキだなんて笑ったお前には出来たのにな」
「止して下さいよ」
いやホントそれ以上口開くな。あれだぞ、最初に馬鹿にしてきたヤツが認めて謝罪するとか一級品のフラグだからな?今回は俺もギリギリなんだから自分からそんな危険なもん引き寄せんじゃねえよ!?
「帰ったらこの報酬で一杯奢らせてくれよ。勿論、お前のパーティー全員にな」
そう言うとカシュはポータルへと踏み込み粒子となって姿を消す。それを見て俺は自分が一番最後である事に感謝しつつ盛大に溜息を吐いた。
「…勘弁して下さい」
あれだな、ダンジョンって多分俺の鬼門だわ。この問題が解決次第サリサを連合へ送り届けよう。そう決心しつつ俺もポータルを潜るのだった。
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