足音
ダンジョンは魔界、この世界とは違う世界。その言葉を今日ほど痛感したことは無い。鬱蒼と広がる捻れた樹木に斜陽を思わせる赤い光源に照らされたそれらが俺達の眼前に広がっている。
「そういやそっちは15階層は初めてだったか。ここがロサイスダンジョンの本当の入り口、黄昏の森だ」
目を見開く俺達を前にカシュがそう笑う。14階層まではこちら側、そしてここからはあちら側。サリサが襟元を引き上げて口と鼻を覆いつつ眉を顰める。まあ俺達でも解るくらい空気が臭うのだ、鋭敏な彼女には辛いだろう。斥候は無理そうだな。
「サリサ、代わって下さい。カシュさん、こちらの指揮も受け持って頂けますか?」
「へえ、いいのかい?」
槍で肩を叩きながらカシュは愉快そうにそう聞いていくる。パーティーの指揮権を渡すということはかなりリスクを伴う行為だ。なにせ最悪の場合捨て駒にされる可能性だってある。だが、そこまで信用出来ないというならそもそも協力関係なぞ結ぶべきじゃない。
「これでも取引相手は信用することにしてるんです」
「甘いねぇ。良いだろう、お仲間もそう言う事で頼むぜ」
そう言って彼は手を上げて前進を指示する。俺はサリサに代わってパーティーの後方に付く、索敵能力は落ちてしまうが今の彼女に比べれば大分マシだろう。
それにしても魔界か、確かにこんな世界が当たり前になったら普通の人間には生きていけないだろう。ギルドが全員ランク3以上なんて制限を設けるのも納得だ。どんなに優秀でも、レベルを上げて魂を強化していなければ簡単に呑まれてしまうからだろう。
「来るぞ!」
カシュパーティーの斥候さんがそう叫ぶ。その言葉通り下生えを踏み潰しながら魔物が現れる。出会ったのはオウルベア、中々に懐かしい顔である。別に嬉しくもなんともないが。
「迎撃!」
カシュの言葉と同時にダミアとサリサがダガーを投擲、既にボウガンを構えていたバレッタが引き金を引く。殆ど同時に着弾したそれらは矢が心臓を撃ち抜き、ダガーがそれぞれ奴のでかい目に突き立っていた。
「うっさい」
絶叫を上げ狂ったように手を振り回すオウルベアの動きを意に返さず肉薄したサリサが不機嫌そうにそう言い捨てると同時に一閃、いっそ滑稽に思えるような勢いでオウルベアの首が飛びあっさりと命を奪った。因みにカシュパーティーの皆さんは身構えたままだった。ウチのパーティーメンバーが強すぎる件、まあ同じく直接殴る側の俺とカーマも一歩も動いてないんですけどね。
「他は居ないみたいですね」
ショートソードを構えて周囲を見回していたダミアがそう言って構えを解く。戸惑いながらもカシュが自分達の斥候に視線を送ると彼も困惑気味に頷き、それを見た全員が構えを解く。俺の方の探査魔法にも襲えそうな位置には反応が無いから大丈夫だろう。一応攻撃用の予備詠唱を済ませつつ俺も剣を鞘に収める。
「…」
俺と同じく後方の警戒を担当している射手さんも黙って弓を下げた。口元まで襟巻きで覆っているから表情は解りにくいが、なんとなく賞賛交じりであるようには感じる。
「よし、進むぞ!」
カシュが号令を掛けて再び移動を開始する。途中彼が休憩を宣言するまで更に2度程魔物と遭遇するが、どちらも同じように瞬殺されてしまった。おかげで休憩中もカシュは上機嫌に話しかけてくる。期待以上の働きだからだろう。
「とんでもねえ奴らだぜ!」
そう笑いながら彼は俺の背を叩く。
「もっと高難易度でも、お前達は、やっていけるだろう」
射手の人もそう褒めてくれた。まあそれ程でもあるけどね!
「にしてもよぉ、不思議なんだよな」
「不思議ですか?」
「ああ、お前らはまだ解るんだよ、アルスは元々強かったからな。けどあの二人だ」
そう言ってカシュは顎でダミアとカーマを指し示す。
「ダンジョンで直接見た事は無かったが、何度か会館じゃ会った事があるからな。あのてんで使い物にならない二人が、どうやったらあんなに化けるんだ?」
「これと言って特別な事はしていませんよ?」
俺は悩むような表情で嘘をついた。なにせユニコーンの角が手に入れば解散する間柄ではあるが、真面目な二人に俺はすっかり絆されてしまったのだ。だから二人だけのパーティーになっても問題が無いようにちょっと強化し過ぎてしまったかもしれない。
「因みに、普段は、どの様な?」
「そうですねぇ、レベルを上げてとにかく鍛錬ですね」
射手さんの問いかけに俺は事前に用意しておいた言い訳を口にした。事実レベルアップ後は上昇させた能力に馴染ませるため徹底して鍛錬をさせている。
「これはあくまで持論なんですが、多分レベルアップで上がる能力はご褒美みたいなものだと思うんです。そして魂が強化された分、肉体の鍛えられる幅も増えていると思うのですよ」
「つまり、レベルアップ以上に、成長の余地があると?」
射手さんの言葉に俺は頷く。
「実際以前親交のあった貴族の方は成長に伸び悩んだらレベルアップだと仰っていました。そして軍も鍛錬をしないなんて話は聞いたことがありません」
もしレベルアップの方が鍛錬よりも効率が良いなら、王国はダンジョンへもっと積極的に軍隊を投入しているだろう。幾らハンターに対する労働斡旋による治安維持と総生産能力の向上が見込めたとしても、喫緊の課題である魔物の脅威から国を守る軍事力を弱体化させてまで実施する内容ではない。
「成る程なぁ、…ハンターにゃ厳しい話だな」
ギルドは互助組織の体を取っているが、実際にはそこまでしっかりと機能しているとは言い難い。どちらかと言えばハンターが犯罪者に堕ちないよう監視するための組織という面の方が強いだろう。まあ毎年膨大な数の頭が足りない若者が押し寄せるのだ、ちゃんとした教育を与える余裕もなければ、強制力も無いギルドにそこまで求める方が酷かもしれないが。
閑話休題、ハンターが個人でそうした鍛錬を積むのも難しい環境はどうにかした方が良いかもしれない。けどその為にも鍛錬期間中に生きていけるだけの先立つものが要る。詰まるところ何処までも金の問題なのだ。またハンターを志した若者が全員ハンターに成れてしまうのも実は問題なのだ。ハンターの危険な現実を知った若者は、余程馬鹿でない限り低ランクのハンターで諦めるか、素直に故郷へ戻るのだ。この故郷へ戻った連中は重要な労働力になるのだ。新人ハンターの実に3割近くがこれに該当するのだから経済的に見て無視出来る数字じゃない、ハンターから供給される資源だけで生きていけるほど人間は強靱ではないのだ。
「難しいですねえ」
魔物という脅威が存在する以上、戦える人間への憧憬や敬意を失わせる訳にはいかない。義務感や責任感だけで魔物相手に命を懸けられる人間など一握りにも満たないからだ。
「だが、良い事は、聞いた」
「だな、少なくとも俺達はまだ行き止まっちゃいねえってことだ」
そう言って笑う二人を見ながら俺は少し嫌な感覚を覚え、それとなく周囲に視線を送ればその理由には直ぐ行き当たる。カシュと射手さん以外の三人が顔を顰めていたのだ。…確かカシュのパーティーはカシュと射手さんがランク4で彼等はランク3だった筈だ。ついでに言えばカシュが俺に突っかかって来た時に爆笑していた連中でもある。
「その辺りについてはよく話し合われる事をお勧めしますよ」
俺はカシュに注意を促した。ぱっと見ただけでもカシュのパーティーには温度差がある。カシュと射手さんは上昇志向というか、ランクを上げることに意欲的だが、残りの三人はどう見てもそうじゃない。彼等は今を相応と考えているように見える。事実この辺りの魔物から採れる素材は希少とまでいかなくとも良い稼ぎになるから、それなりに遊んでも十分蓄えを作れる状況だ。確かカシュは下層に潜って半年になると言った。恐らく三人は今の環境で十分だと思っている様に見える。それが諦めによるものかどうかによってこちらもこの協力関係を考えねばならない。仲間割れをしているパーティーに付き合ってダンジョンに潜るなんて危険な行為は御免蒙るからだ。
「そうしよう。尤もそれは今日を無事終えてからだけどな、そろそろ出発だ」
カシュがそう宣言し、俺達は腰を上げる。そこで少し気になって俺はカシュに問いかけた。
「そういえば、深層の魔物が下層に出没するって、それなりにある事なんですか?」
「上層や中層じゃ聞かないが、この15階層だとそこそこ聞くな」
15階層からは明確に魔界の領域だから、そうしたはぐれもあるのだろう。彼は特に気にした様子も無くそう続ける。そんな姿を見て俺は自分の中に疑念が膨らむのを抑えられなかった。
解りやすい境界線に、珍しいとはいえ異常と取られないはぐれ魔物。ダンジョンの攻略にセオリーは無い、地底へと潜っていく意外に共通点がないからだ。だから別のダンジョンと異なる事象が起きようとも、それはそのダンジョンの特徴だと受け入れられてしまう。
「考えすぎ、ですかね?」
杞憂だと思い込みたい俺をあざ笑うようにズボンのポケットからカチャリと金属音が聞こえた。手を入れれば確かにそこには滅びの銀時計があり、それは俺をこの世界に転生させた神様の言葉を思い出させる。
「あれも絶対ロクな神様じゃありませんね」
溜息を吐きつつ俺は気持ちを入れ替える。異常があったとして、目の前で起きるならまだ対処出来る可能性はあるのだ。ならば最悪に備えているくらいで丁度良い。そんな思考をしている自分に思わず笑いがこみ上げてきた。悲観的に世界を背負って戦おうなんて、全くチート主人公らしからぬ行動に思えたからだ。
「僕達もそろそろちゃんと話し合うべきですかね?」
まあそれもカシュの言葉通りダンジョンの異変を確認した後でも遅くは無い。間抜けにも俺はまだそんな余裕があると思い込んでいたのだ。
「…へ?」
それは唐突だった。
「っ!?」
ダミアが生き延びたのは完全に偶然だった。もし隊列が逆だったら、死んでいたのはカシュパーティーの斥候さんではなく彼だっただろう。探査魔法の中に突然周囲を覆い尽くす程巨大な反応が現れるのと同時に、俺達の目の前へその石の巨人は姿を晒す。たった一歩踏み出した足で斥候さんを肉塊へと変えながら。
「な、なんで…。なんで階層主がこんな所に居るんだよ!?」
誰かの叫びがダンジョンに木霊する、だがそれに答えられる人間は誰も居なかった。
評価・感想お待ちしております。