何処にでも一人は居るよね
彼女の向かった先は予想に反して道具屋街や工房街ではなく宿屋街だった。日が暮れて直ぐの時間帯だけあり何処の店も明々と灯りを放っている。時折聞こえてくる喧騒がこの街の様子を端的に表していた。雑踏の中を話しかけてきた彼女はすいすいと歩いて行く、時折立ち止まるのは俺達が離れすぎないように待っているのだろう。尤もサリサが居るから見失うことは無いのだが。
「こちらです」
暫く歩くと彼女は人気の無い路地裏へと足を向ける。本通りから離れたそこは幾つか経営している宿があるようだがあまり人は入っていないように見えた。加えて一夜の夢を売っているお姉様方も街灯の下にいたりするものだから、かなりアンモラルな空気を醸し出している。
「どうぞ」
そんな中にひっそりと建っていた宿屋の前で彼女は俺達に声を掛けた。外灯がついていないだけでなく中からも光が漏れ出ていない所を見るに経営しているようには思えない。ついでに言えば俺はアーティファクトが買える当てがあると連れてこられた筈なんだが。俺の疑問など全く気にせず彼女は店の中へと入っていく。一瞬悩むがここまで来たのだし最後まで付き合おうと考え店に入る。その瞬間サリサが顔を顰めた。
「くひゃい」
鼻を手で覆って涙目で訴えるサリサ。だろうね、俺でもこれは刺激が強い。
「あのバカ、またやりましたね」
先に入っていた黒髪の女性がそう呟くと真っ直ぐに奥の部屋へと向かう。そして躊躇無く扉を開け放つと、その瞬間異臭が爆発する。くっせぇ!?
「うっ、ゲホ!?」
「むひ!」
悲鳴を上げてサリサが逃げ出した。俺もたまらず外に出ると中から怒声が響いてくる。
「何度言ったら解るんですか!魔法薬の実験はするなと何度も言っているでしょう!!」
「誤解だよカフィ!私はお茶を入れようとしただけだねぇ!?」
そうはならんやろ。
「なら口を開けて下さい、その鍋で煮えているお茶とやらを流し込んで差し上げます」
「待ちたまえよカフィ!そんな事をしたら私が死んでしまうよ!?」
人を殺せるお茶ってなんだ、暗殺用か?この匂いをどうにかせんと速攻でばれると思うぞ?店内に入る気になれず外で待っていると、ドタバタと喧しい音が響いて暫くすると黒髪のカフィと呼ばれた女性が出てきた。
「失礼、お待たせしました。改めてどうぞ」
「ええと、はい」
サリサが心底嫌そうな顔をしているが、ここで帰ったらそれこそ臭い思いをしただけで終わってしまう。せめて有益な情報の一つも持ち帰りたい。そう思いながら店内にもう一度踏み込む。今度はランプが灯されていて室内を明るく照らしている。うん、間取りといいインテリアといい、普通の宿屋って感じだが。
「やあやあ、私に用事があるそうじゃないか!ささ、遠慮せず座ってくれたまえ!」
そう言って俺達を迎えたのは赤毛の女性だった。信じられねえ事に異臭の残る店内で優雅にお茶を飲んでいる。
「どうも初めまして。僕はアルスと申します」
「アグリーシュだ、それで?」
そう聞き返されて俺は黒髪の女性を見る、そういや名前すら聞いてなかったな。
「失礼、私はカフィ。この宿屋の店主兼そこの穀潰しの管理人です」
「酷い言いようだねぇ」
ケラケラと笑いながらお茶を飲むアグリーシュに冷たい視線を送りながらカフィと名乗った黒髪の女性は言葉を続ける。
「お話していましたアーティファクトの心当たりがこの馬鹿になります」
そう言われて俺もアグリーシュへ視線を向ける。着ている服から彼女が錬金術を生業とする人間である事が窺える、つまり伝手とは彼女自身なのだろう。
「思いっ切り馬鹿とか言われてる人の道具とか不安でしかないんですけど」
「ご安心下さい。残念なのは頭だけで腕は確かです」
率直に申し上げると即座にカフィが言ってのける。いやいや、コイツが作るならその残念な頭とやらが肝心だろう。
「ちょっと待ちたまえよ。そもそも私は仕事を請け負うなんて承知していないぞ?」
俺達の会話にアグリーシュがそう割って入ると、カフィは氷点下の目で彼女を見ながら口を開いた。
「ほう?では、滞納している宿泊費は直ぐ払って頂けるのですね?」
「…それで、どんなアーティファクトをご所望かな?」
成る程状況は理解したぞ。まあ正直目的に見合った道具さえ貰えれば俺としては問題ない。
「大容量のバッグです。ダンジョンの素材を多く持ち帰りたくて」
「ふぅん?」
そう言うと彼女は立ち上がり部屋の奥へ消える。そして一頻り荷物をひっくり返す音が響いた後、随分と大仰なバッグを片手に戻って来た。
「これは学園に収蔵されている無限の鞄を私が模倣したものだ。流石に本物に比べたら遙かに劣るけれどね」
え、そんなあっさり出てきていいの?伝説級じゃなかったんか?
「因みにどの程度入るのでしょうか?」
「試した限りだとアレが入ったね」
そう言ってアグリーシュが指さしたのは部屋だった。部屋?
「あそこの荷物は全てこのバッグで持ってきたものさ、尤も本物は城も運んだと言うからそれに比べれば大分能力は落ちるね」
「そんな、十分凄いじゃないですか!」
確かに城と比べれば随分少なくなったものだが、彼女が作ったと言うことはこれは量産出来るということだ。こんなものが出回れば間違いなく世界が激変する。
「あっはっは!そうだろうそうだろう!見たかいカフィ?解る人間には解るのさ、私の研究の素晴らしさが!」
「ええ、そうみたいですね。どうでしょう?今ならそんなバッグが驚きの宿泊費1年分でご提供です」
通販番組かな?
「ちょ、カフィ!?」
しかも本人は知らされてないし。
「因みにお幾らです?」
「ざっと400万ゼニーと言う所でしょうか」
ゼニーと言うのは王国の基本通貨単位である。この世界では希少鉱石や魔物素材など金より高価な素材が氾濫しているため早々に管理通貨制が採用されているのだ。因みに体感的に大体1ゼニーで1円。実に日本からの転生者に優しい仕様である。
「成る程、破格ですね。怪しい取引だと疑いたくなるくらいに」
これだけ凄いアーティファクトがたったの400万?大金の様に聞こえるが、一般家庭でも数年あれば十分作れる金額だ。稼ぎの良いハンターになればそれこそ一回の討伐で稼ぎかねない。ならば普通に魔法具店で取り扱っていても不思議じゃないし、そんな物を作れる錬金術師が宿代を滞納するなんて辻褄が合わない。笑顔で二人を見つめていると、アグリーシュが先に折れた。
「あー、その、だね。これが劣るのは、容量だけではなくてだね」
曰く無限の鞄は複数のエンチャントが重ね掛けされていたのだが、このバッグで再現出来たのは空間拡張と材質強化だけだったらしい。
「特に重量低下が再現出来なかったのが致命的でねぇ」
結果としてこのバッグは入れた物の重さがそのままなのだそうだ。それでも軽くて嵩張るものなんかに十分需要がありそうだが、そちらの理由はカフィが答えた。
「この馬鹿は以前英雄候補だったのですが、実験のために持ち出し禁止のアーティファクトを何度も無断で持ち出しまして。それで退学と実家から勘当されているのです。当然そうした店からは睨まれているわけで」
出入りも出来なければ素材の購入もままならない。かと言って正規でない商人などと手を組めば、今度こそお縄を頂戴する羽目になる。なので友人であるカフィの宿屋へ転がり込んでうだつの上がらない生活を送っているのだそうな。ほほう?
「アグリーシュさん。つかぬ事を伺いますが、ハンターライセンスはお持ちですか?」
「いや、持ってないね。それが何か?」
だろうね、じゃなきゃこんな風に燻っていないだろう。天佑っ…これは圧倒的天佑!
「ハンターには装備や魔法薬を自前で生産する権利があります。そしてこの中にアーティファクトを作るなという項目はありません」
まあ普通に考えればアーティファクトを作れる人間がハンターなんかやってないからなんだろうが、項目に無いということはやっても問題ないということだ。
「そして重要なのですが、ハンター同士ではギルドを仲介すれば装備の販売が可能です。因みにバッグの素材に希少な素材は必要ですか?」
「…レックスリザードの皮に中魔石があれば同じ物は作れるねぇ」
俺の意図を察したらしく、悪い笑顔を浮かべるアグリーシュ。カフィはなんだか凄く後悔した様な顔をしている。なんだよ、これじゃ俺が悪い奴みたいじゃないか。
「そちらのバッグは是非買い取らせて頂きます。ところで僕達は“白刃”というパーティーを組んでいまして、実に偶然なのですが現在中層を攻略中です」
中層の最終階である8階にはレックスリザードが少数ではあるが出現する。そして下層に到達すればレックスリザードは標準的な魔物として徘徊している。
「確かアルス君だったねぇ?」
アグリーシュはカップのお茶を一息で飲み干すと、嫌らしい笑顔で俺を見る。そして上機嫌な声でこう続けた。
「是非とも君のパーティーに入れてくれたまえ!あ、でもダンジョンには行かないよ?」
こうして俺達はパーティーに新たな仲間を迎えたのだった。
評価・感想お待ちしております。




