騙して悪いが
消化不良な思いを抱えたまま宿を取り、早々にベッドへ潜り込む。本当はダンジョンに潜るための準備とか、バレッタ達と相談とかやることはあるのだが、正直に言って色々と限界だった。
そりゃあ年齢通りの子供じゃないから世の中が全て自分の思い通りになるなんて思っていない。それはチートがあっても揺るがない事実だ。だからそれなりに自由を謳歌するにも暴力以外の力が必要で、その為には仲間とか地位とか色々なものが必要になってくる。
(なんか、疲れちゃったな)
意識を手放しながらままならない現状にそんな事を思う。ファンタジーな世界に転生してチート能力まで貰ったのに世界はちっとも思い通りにならない。でも周りの迷惑を考えずに好きにやれるほど俺は図太く無いし、そうするには皆が大切過ぎた。ああ、いっそ、悪人だったらこんな風に悩まなくても良かったのかな、なんて思いながら眠りにつく。…絶対それが不味かった。
「どうも、お久しぶりです」
疲れた顔の冴えないおっさんがそんな声を掛けてくる。目の前には懐かしい事務用のスチール机。前世ではありふれたものだったそれに座ったおっさんは溜息と共に口を開く。
「困りますよ※※さん。ああ、今はアルスさんでしたか」
おっさんはそう言い直した。なんだ、今の?おっさんは以前の俺の名前を呼んだと思う、けれどそれが俺には理解出来なかった。だがそんな俺の混乱など気にすることなくおっさんは話を続ける。
「色々と勝手の違う世界ですから上手くいかない事もあるでしょう。ですがだからといって堕落されては困るんですよ」
堕落?
「転生する際に教えたでしょう?今まで通りに生まれ変わるには善行が足りていないと。貴方、このまま行けば次は人にもなれませんよ?」
次の転生は今の意識を持ったまま良くて動物、最悪虫だという。辛いですよー、特に不快害虫なんかになっちゃうと。なんてペンで額を掻きながら宣うおっさん。そりゃそうだろう、人間だった意識のままゴキブリになんてされてみろ、生活に適応出来る云々の前に絶対発狂する。
「うん、多少危機感は覚えて頂けたみたいですね。ではもう少しやる気が出る情報をお教えしましょう。あの世界、放置すれば後20年くらいで滅びますよ」
…は?聞き捨てならない言葉と共におっさんはズボンのポケットから懐中時計を取り出す。銀色の装飾も無いそれの蓋を開くと、それは針が一本しか無かった。
「アポカリプスカウンター、なんて名前で呼ばれているものです。私達は見たまま、滅びの銀時計なんて呼んでいますがね」
そんなことを言いながらおっさんは文字盤を指し示す。針は30の所にあった。
「50を超えると生態系に影響が出ます。植物や動物が魔界のものに置き換わり始める。この時点で弱い生物は今の姿も維持出来なくなります」
更におっさんは文字盤を指先でコツコツと叩きながら話を続ける。
「でもそこまではまだ大丈夫、時間はかかりますが影響を排せば世界は少しずつ元に戻る。ですが、70を超えてしまったら手遅れです。世界がそちら側に切り替わってしまう、魔界が普通になるんです」
そうなったらもう戻らない。寧ろこれまでの世界が異物として浄化の対象になるのだという。勿論それはその世界で住んでいた生き物も対象だ。
「大抵の生物は急速に変化する自身に耐えきれず発狂します。まあその後の生活を思えば狂ってしまった方がある意味幸せかもしれません」
おっさんは文字盤の頂点を指しつつ口を開く。
「100になれば境界が消失し完全に魔界になります。あちらの住人が自由に行き来するようになりますから、待っているのは家畜か玩具の一生ですね。魂の管理権限も向こうに移ってしまいますから、もうこちらでは手出しのしようもなくなります」
大半は低級な魔物に転生し別の世界へ尖兵として送り込まれる。そんな生活から抜け出す方法はただ一つ、悪徳を成して力ある魔族に転生するのだ。聞いているだけで目眩がしてきた。放置すれば俺も皆もそうなるのか?シアちゃんや父さんに母さん、バレッタやサリサ、ティアナ達がゴブリンになって別世界の人を襲う?何だよその地獄は!?
「勿論そんな事は我々も望んでいません。だから貴方のような人を送り込むのですから」
そう言って嗤うおっさんを見て、俺は頭を掻き毟った。安易に異世界転生なんかに釣られた過去の自分をぶん殴ってやりたい気分だ。何が異世界でチート無双だよ、世界の運命を背負うとかどう考えても割に合わないじゃねえか!
「大丈夫です、貴方が頑張ればそんな未来は訪れません、でもそれを忘れないようにこれは差し上げましょう」
おっさんがアポカリプスカウンターなるものをこちらへ放り投げると共に急速に睡魔が襲ってくる。
「我々は貴方を高く評価しています。どうか頑張って下さいね」
そんな無責任な台詞を聞きつつ、俺の意識は暗転した。
「アルス、大丈夫デスカ?」
まだ暗い部屋の中で飛び起きるとバレッタが心配そうに問いかけてくる。俺は一度深呼吸をすると彼女へ向かって笑う。
「ええ、大丈夫ですよ。ちょっと夢見が悪かっただけです」
そう言った瞬間、俺は柔らかいものに包まれる。嗅ぎ慣れた匂いでそれがバレッタである事には直ぐに気付いた。
「バレッタ?」
「私にハ、弱音を吐いてモ良いんデスよ?」
優しい彼女の声が頭上から掛けられ、愛おしげに頭を撫でられる。隣のベッドからは気を利かせたサリサが息を潜めている気配を感じる。その様子から、彼女達が本気で俺の事を心配していることが解った。
「大丈夫。本当に、大丈夫ですから」
その優しさに涙ぐみそうになった俺は思わず身をよじる。するとズボンのポケットから金属が擦れる音がした。恐る恐る指を伸ばして確認すれば、そこにはあの銀時計が入っていた。ああ、クソ。そうだよな、やっぱり夢なんかじゃないよな。
「アルス?」
抱きしめていたからだろう、俺が体を強ばらせた事をバレッタが察して聞いてくる。
「なんでもありません。大丈夫です」
「解りマシタ。デモ私がこうシたいカラ、暫くコノままで良いデスカ?」
そう繰り返すしか無い俺を見て、バレッタは強く抱きしめると耳元でそう囁いた。20年、普通に生きていれば彼女達も両親も、当然シアちゃん達だって生きているだろう。そしてこのまま俺が何もしなかったら皆魔物にされて誰かに疎まれる輪廻を送る事になる。それを他人事だと言い放てる程俺は強い人間じゃない。
「ありがとう、バレッタ」
そう言って彼女を抱きしめ返す。正直に言って不安だらけだ、けれどここで覚悟を決めなければ俺は一生後悔する。なんとなくだがそう感じるのだ。彼女の匂いに再び瞼を重くしながらそんな事を考えつつ俺は意識を手放した。
「ちょっと大胆にいこうと思うんです」
宿屋の一階に設けられている食堂で朝食を取りつつ俺は二人にそう言った。ギルドの直営店であるこの宿屋は獣人にも普通に食事を提供してくれる。尤も嫌がるハンターも少なくないからトラブルを避ける為に食器の色を変えるなんて事はしているが。
「大胆に、デスか?」
硬いパンを器用にちぎりながらバレッタが首を傾げる。そりゃそうだろう、昨日まで能力をひた隠しにしていた奴がいきなりそんな事を言い出せば不審に思っても仕方がない。けれど残念ながら俺には時間が無かった。今のところ世界は平穏だ、一般人よりそうしたことに敏感だろう貴族や教会の人間ですら異常事態に疑問は持っても魔界の顕在化に対する危機感なんて持っていない。つまり銀時計の指し示している30という浸食率はこの世界にとって普通の域を出ていないのだと思われる。なのにここからたった20年で世界が滅ぶとあのおっさんは言っていた。それはつまりここから状況が急激に悪化するということだ。そしてそんな世界が変容する程の変化をたった一人の暴力で止められると思える程俺は楽観的じゃない。第一それなら、俺のスキルが他人を簡単に強化出来るスキルである必要がないからだ。
「正直力も大分ついてきましたし、積極的にランクを上げていこうかと」
社会的な立場が強くなればそれだけで有利に運ぶことだってある。元々はティアナと結婚した際に他の貴族から足下を見られない為の実績作りだったが、逆に言えばその程度には権力者として振る舞えるという事でもある。
「なので暫くは二人の方を優先しましょう」
ダンジョンの突破はパーティーの総合力が高い方が有利だ。俺の能力を上げて無理矢理という手もあると言えばあるがそれでは二人が危険過ぎるし、ダンジョンの深層へはパーティーでなければ侵入許可が出ないらしい。そうなると選択肢は無いようなものだ。
「私は構わないよ」
「私もデス。あ、デモ」
「何でしょう?」
バレッタが口に含んだパンをスープで飲み込みながら言葉を続ける。
「そうなるト、アッチは暫く保留デスか?」
あっちとは“種生産”のスキル持ちの奴隷を探す事だろう。本当はそちらも並行して進めたいが如何せん手が足りない。そしてどちらかと言えばハンターランクを上げる方が活動の自由度は広げやすい。最悪稼いだ金で普通の人を雇うことだって出来るし、囲い込むにしても難易度が下がるからだ。
「そうですね、少なくとも深層まで行けるようになるまではこっちを優先したいと考えています」
俺がそう答えていると、後ろの席に座っていた男が立ち上がり近付いてくる。そして何ともいやらしい笑みともみ手で口を開いた。
「へへ、随分と羽振りの良い話ですね、ダンナ?」
「貴方は?」
一瞬無視しようかとも思ったが直ぐに思い直して返事をする。この手の人間は半端に放置した方が厄介事を招き寄せるからだ。そうして反応を待っていると、男は愉快な事を言いだした。
「あたしはダミアってケチなハンターですわ。どうでしょうダンナ、あたしを雇ってみませんか?」
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