第十二話 黒い獣と白い獣
クズハに教えられた結界の要を破壊するため、俺は建物の影に隠れながら集落を進む。クズハがかけてくれた気配遮断がどれぐらいの効果があるかはわからない以上慎重に進んではいたが、特に見つかるようなことはなく、集落の中心に位置する祠の近くまでくることが出来た。そもそも外敵の心配をしていないのか、見回り事態ほとんど見受けられない。
「やっぱり、そう簡単にはいかないよなぁ……」
祠を見つけるが、思わずぼやいてしまった。重要だとわかっているところを無防備にするわけがなく、首輪をつけた獣人が三人程警備についている。目は虚ろであり、とても望んでやっているようには見えない。
「何やってんの?」
うんうんと唸っていたら、不意に肩を叩かれ思わず振り返る。つぶらな瞳の人形の姿ではあるが、そこには頼れる相棒がいた。
「びっくりしたぁ……。ルシも来てたのか」
「何よルシって? 意趣返しのつもりかしら? この人形だってあんたが用意させたんでしょ?」
「ぷぷっ、似合ってるよ、ルシルシ? ってごめんって、帰らないでー!」
さすがに敵地なので小声で話してはいるが、ちょっと声を荒げそうになってしまった。無言でルシファーが帰ろうとするのをしがみついて止める。心細いのでまじで帰らないで欲しい。
「こんなことで怒るほどわたしの器は小さくないわよ。神域に戻ったら何か出してね。それで? 状況を教えて」
さらっとおやつの催促をしてきたよ。まぁいいけどさ……。俺は今までのことをルシ……に伝える。ヴァイスとノワールも無事ハクアと合流し、バオとミミを捕縛することに成功したようだ。どうやらあのお香は匂いをつけて追跡するための物だったらしい。迎撃できたから良かったものの、逃げられたときのことも一応考えているあたり面倒な相手だ。ソールとアウレも来ているらしい、頼もしい。早く結界を解いて合流しないとな。
「そういえば、気配遮断の魔法をかけてもらってるんだけど、よくわかったな」
「大した魔法みたいだけど、補佐のわたしが見失う訳ないでしょ。隠れて悪さなんてさせないわよ?」
「しないって!」
どこにいてもわかるってちょっと怖いが、頼もしくもあるので今は置いておこう。そもそも魔法事態もそこまで強力な物でもないのかもしれないしな。コソコソしておいてよかった。
「出たのはいいけどノワール達ですら今度は入れなくなってね。気乗りはしなかったけど人形に憑依してみたらあっさり入れたのよね」
「するとやっぱり、俺たちも一度出たら入れなくなる可能性が高いかもな。結界を破壊する前に出るのは危険か。あの祠が結界の要らしいんだけど、警備がきつくてさ、何かいい案ない?」
「そうね……。あんたさ、死ぬ覚悟ある?」
「へ?」
軽い感じで俺に尋ねるルシ。覚悟を見せたいところだけど神様が死んじゃだめでしょうよ。
「あぁ、言い方が悪かったわ。物理的に一回死んで頂戴」
質問から命令になってますよルシさんや。人形なので表情は変わらないはずなのに、三日月のように口角をあげ笑顔で俺を見つめているように感じる。俺が固まっている間にルシは言葉を続ける。
「なに、簡単なことよ? グリムに自爆してほしいの」
すごく可愛い声でお願いしているが、内容はひどく物騒なのだった。
俺はというと、人形の身体の周囲に爆薬をくくりつけている。どこからそんなものをと思うだろうが、ルシの人形の体内にしまっていたというのだから驚きだ。チャララッチャラーと言いながらいきなり腹を掻っ捌き始めたのは軽くホラーだった。
「こんなことだろうと思って爆薬をソールに創ってもらってよかったわ」
「どんなことだろうと思ってたんだよ……。それにしても爆薬か、鉱石っちゃ鉱石だけど、そんなものも創れるようになったのか」
「鉱山を掘るのに必要だったらしいわよ」
「でもさー、体内に入れてたならルシのほうがよかったんじゃね?」
「あんたの依り代ほとんどウィルがないじゃないの。遅かれ早かれ動けなくなるなら、有意義に使いなさいよ」
言ってることはもっともだが、俺一応神様なんだけどな。それに今すごく小さい声で、自爆なんてごめんよって言ったよね?
「ここまで全然気づかれないのな」
「多分、祠を攻撃する者を撃退しろとか、半径何メートルに近づいた者を攻撃しろとかじゃないかしら。守るものから離れちゃったら本末転倒だしね。それに気配遮断も効いているんだと思うわ」
「なるほど、さすがルシだな。すぐに看破するなんて」
「褒めたってなにもでないわよ」
正直俺は見つからなくてラッキーぐらいに思ってただけだったからな。素直に褒めただけなんだが、そっぽ向かれてしまった。照れてるんだろうか。
さて、あとはどうやって近づくかだな。あの警備をなんとかしないと捕まってしまったら終わりだ。さすがにこのまま近づいたら捕まりそうだ。
「わたしがあいつらをなんとかするから、動き出したら突貫しなさい」
「よくわからないけど、了解。気を付けろよ」
「あんたじゃないんだから大丈夫よ」
ルシがふよふよと上空に飛んでいくと、氷の塊を創り始めた。
「うわー、えげつないな……」
飛ばせないなら落とす。実に効率的だ。それに、上から攻撃がくるなんて思ってもいないだろう。気づいたり迎撃しようとすれば、自ずと上を見上げることになるから、周囲の警戒も緩む。
「くらいなさい。氷塊墜撃」
拳大程の氷の塊が降り注ぐ。祠を壊すような威力はないだろうが、生き物なら別だ。突然の攻撃に獣人達は混乱に陥り、頭部に直撃を受けた者は唸りながら地面を転がった。俺はここぞとばかりに祠の中に飛び込み。爆薬に着火した。
爆発とともに祠は崩れ、俺の身体は打ち上げられ――少年の笑顔の華が咲いた。
「これ? 花火じゃね?」
「たーまやー」
俺の呟きはルシの声と集落の喧騒に打ち消されるのだった。
祠が破壊されたことにより、結界が霧散していくのがなんとなくだがわかる。しかし、これだけ派手だと人を集めてしまうのではないだろうか。
「合図替わりよ!ヴァイスがあんたを回収するから神憑しなさい!」
ルシが俺に向かって叫ぶ、結界近くで待機していたのだろう。ヴァイスが猛スピードで駆けつけてくるのが確認できた。対して俺はボロボロの焦げ人形になっており、落下中だ。
「うわー!グリグリがやべぇ!死ぬな―!」
見事にヴァイスがキャッチするが、本気で心配してくれているのか、涙目だ。
「すまん、ヴァイス。説明は後だ。神憑」
「任せろ!ルシから聞いてるぜ!」
俺が命名した恩恵なのだろうか。依り代には適正がなければ憑依できないが、抵抗なくヴァイスに憑依をすることが出来た。
「ウォォォォォォォ!」
ヴァイスが雄たけびを上げると、身体が眩く輝き、周囲にグリムウィルが纏わりつくように集まってくる。
憑依することで獣人についての情報が流れ込んでくる。生き残ることが難しい環境では、人間の庇護される期間は長すぎた。無意識化で望んだ意志によって、その身体は世界の意志を取り込み、成長を促進することに特化した。個々の適性や望みによって、特徴化する部位や能力が分かれていったのだ。
そのため、獣人は数カ月で成人に近いほどの成長を果たし、人間を凌駕した身体能力を得ることに成功した。その反面、精神の成熟は身体的成長に追いつくことができない。更に、その周囲の世界の意志を取り込む特性に付け込まれたことにより、奴隷化という悲劇が起こってしまったのだ。
神が憑依することにより、ヴァイスの身体はより世界の意志と呼応し、本人の望む形へと身体を創りかえていく。
より強く、より逞しく成長を遂げたヴァイスは、銀色の髪を腰まで伸ばし、腕や足はより獣へと近い形に変貌を遂げていく。体つきも二回り程大きく、顔つきも大人びてゆき、青年から成人へとその姿は成った。
太陽の光をキラキラと反射させながら、銀色の長髪をたなびかせ、ここに霊獣ヴァイスが誕生した瞬間だった。
「行くぜ。グリグリ。オレがグリグリの仇をとってやるぜ」
いつもの神憑との感覚の違いに気づく。憑依といっても、神である俺の意識と、憑依先の意識に分かれる。だが、今回はまるで一体になったような感覚だ。
「おぅ、グリグリ。力を貸してくれてるんだな。力が湧いてくるぜ!」
っというより主導権がヴァイスにある? いやいや、ちょっと待て。しかも何か勘違いしてないか?
「今オレは最高に怒ってるんだ。あんな奴ら叩きのめしてやるぜ!」
俺の言葉を遮るように、ボロボロになった人形をヴァイスは懐にしまった。あぁ、これ完全に勘違いしてるパターンだな。生まれたときからあの姿でしか接してないしなぁ。
「ヴァイス、狐の獣人を探しなさい。また結界を張られたらもう捕えられないかもしれないわ。今のあなたなら出来る。グリグリもきっと力を貸してくれるわ」
「おっしゃぁ! オレに任せろ!」
「わたしはハクアたちと合流するわ。陽動は任せて」
ルシの野郎、あえて勘違いするように誘導してやがる。ルシが見上げた方を見ると、集落の数か所で同じような花火が打ちあがっているのが見えた。
「こうゆう指示がないと全く動けないような相手には、状況がわからないまま混乱を誘ったほうが効果的なのよ。指示を出す奴が明確な指示を出せないようにね。きっと今頃自分自身の身の安全を優先しているはずよ」
人形だから表情が動くことはないはずなんだが、すごく悪い顔してるように見えるぞ。ルシだけは敵に回さないようにしないとなぁ。
「他は相手にせず、狐の獣人だけを狙うの。いいわね?」
「おぅ! バオとミミみたいにふんじばればいいんだよな?」
「そうよ、さすがヴァイスね。えらいわ」
「へへへ、もっと褒めてもいいんだぜ。それじゃ、行ってくるぜ」
どうやら身体は成長しているが、精神のほうはまだまだのようだ。このままだと残念イケメンになってしまうな。
ヴァイスの感覚が伝わってくる。なんとなくクズハの所がわかるようだ。直接乗り込んで倒すつもりだ。
ルシ達が騒ぎを起こしてくれているおかげで、集落の中は大混乱だ。あちこちで人が獣人達を怒鳴りつけて周囲を守らせたり、家の中にひきこもったりしている。
その集落の中を、建物の影や隙間を縫うように疾風のように駆けていく。元々高かった身体能力が更に高まっている。あとは魔法に対してどう対処するかだが、なんとなくいけるような気がしてるんだよな。約束したしな。待ってろよ。クズハ。俺たちが解放してやる。
混乱の渦中にある集落を駆け抜けると、ディマとクズハが首輪をつけた獣人達と、前に捕まりかけた家の前にいた。よし、まずは身を隠して相手の様子を窺おうか……
「この狐野郎! 今度は負けねぇぞ!」
この馬鹿ヴァイスはぁ! ちっとも考えずに目の前に飛び出しやがった!
「はっ、この前取り逃がしたっていう獣人か? 向こうからのこのこやってくるとはな。思ったよりも身体は一丁前みたいだが、まだまだガキか。クズハ。今度こそ捕まえろ」
「はい」
ディマがニヤニヤしながらクズハに命令している。クズハも感情の無い表情でそれに答えた。まずい、あれがくるぞ。クズハがゆっくりと、手をこちらに向けるのが見える。
「世界の慟哭」
「同じ手を食うかよ! ガアアアアアアアアアアアアア!」
ヴァイスを目を通して見える。クズハの魔法は、周囲のグリムウィルを揺さぶって、相手のウィルを乱して行動不能にするようだ。揺さぶられたグリムウィルを、雄たけびだけで揺さぶり返して無効化。滅茶苦茶な力業だ。だが、行ける!
「いっくぜぇぇぇぇ!」
「なっ、クズハの魔法が効かない? お前ら! 俺を守れ!」
ヴァイスはクラウチングスタートの姿勢を取ると、地面を思い切り蹴りクズハに向かって一直線に走り出す。ディマは自分が狙われていると勘違いして自分の守りを固めたようだ。これはチャンスだ。周囲のグリムウィルを揺さぶりが収まるまであの魔法も連発は出来ないようだ。この速度ならいける。
クズハは感情の無い瞳でじっとこちらを見つめている。抵抗する気すらないようにも見える。
「とったぁ!」
「気配遮断解除……」
届いたかと思った拳は、クズハが呟くと同時に目の前が歪み、突然現れた獣人に受け止められた。気配遮断か! ってか姿形見えなくなるほどの効果があるのかよ。
「くそっ! どけよ、このやろー」
間髪入れずに放った蹴りも、新手の獣人はクズハを抱えると後ろに飛び退き、空を切る。おいおい、ヴァイスの身体能力はかなりの物なはずだが、なんなく受け止めた上に回避までされたよ。
ヴァイスは唸りながら相手を睨みつける。新手の獣人ををよくよく観察すると、何見覚えがあった。ボロボロの衣服に爛れた皮膚。獣人というより獣に近いそれは、クズハの記憶で垣間見た。ノワールとヴァイスの母親だった。
「馬鹿か、護衛も何も置かないと思ったかよ。おいっシル。クズハと一緒にその獣人を捕まえろ。ボコボコにしても構わねぇ。やらないとお前の大事な子供が攫われちまうぞ!」
「そう簡単にやられるかよ!」
「ウゥゥゥガァァァ!」
シルと呼ばれたボロボロの獣人は、その痛々しい姿から想像もつかないほどの速度で襲いかかってくる。怪我だらけなのになんでそんな素振りもなく動けるんだよ。
攻撃は蹴りやひっかき、噛みつきと人よりも獣に近い攻撃だ。口角からは涎が垂れ流しになり、皮膚はジュクジュクと膿んだようになっている。見ているこっちが痛々しい。
「うおぉ、こいつはやっ、力つよっ!」
「世界の慟哭」
「ちょっ、まっ……ガァァァァア――がはっ!」
相殺しようと雄たけびを上げようとしたところに強烈な蹴りを浴び、魔法を相殺しきれずに浴びてしまい、めまいを覚える。
「グルルルルルルゥアァアアア!」
シルという獣人が攻撃を仕掛け、合間を縫うようにクズハが魔法を放ってくる。相殺しようと雄たけびを上げようとすれば、隙を狙うかのようにシルが妨害するため、相殺しきれない上に攻撃をもろにくらってしまっている。ハウリングボイスが連発できないことだけが救いか。
一対一なら負けないだろうが、この組み合わせはまずい。シルがいる限りクズハを狙い撃ちにできないし、シルを倒そうにも、クズハの援護でまともに戦えない。
「ぎゃはは、最初の威勢はどうしたよ。お前も奴隷にしてこきつかってやるから覚悟しろよぉ?」
「やっべぇ! どうしよ……。ガアアアアアアアアア――げふっ!」
吹き飛んだ先から飛び起きると、ヴァイスはディマに向かって走り出す。
「こっちならどうだ!」
「はいっ残念。クーズーハ―?」
「意志誘導」
「――なっなんで!」
ディマのほうに攻撃を移し、動揺を誘おうとした、クズハが魔法を呟き手を鳴らすと、強制的に向かう先がクズハのほうに引っ張られる。援護に回られるととなんて厄介な相手だ。結局シルと対峙する形になり、膠着状態に陥る。このままじゃ負ける……。
少しづつヴァイスの動きも鈍くなり始めている。俺自身の力も出やしない。
「ぎゃはははは! 俺に逆らったことを後悔しやがれ!」
信仰も何もあったもんじゃないしな。そもそも祈られたくもないが……。ディマのほうに意識を少し移すと、後ろのほうから黒い影が飛び掛かるのが見えた。
「……死ね」
ディマの後ろから飛びかかった影は、周囲を護衛していた獣人に取り押さえられてしまう。あれは……ノワールだ。なんであんな無茶を。
「おっと、しっかり守れよ。獣人共~。いきなり後ろから攻撃するなんて酷いやつもいるもんだなぁ?」
「この……クズ! みんなを、お母さんを解放して!」
「ふ~ん、猫の獣人か? まだまだガキだが……。もう少ししたら使い物になるか。顔はいいな。胸はもう少し欲しいところだな」
「触るな!」
獣人達に地面に組み伏せられたノワールの身体をディマが弄る。ノワールは母親に気づいている?
「てめぇ! ノワールに触るんじゃねぇ!」
「ほぉほぉ、ノワールっていうのか、恋人か? 家族か? いいねぇ」
「ひっ……やめっ……」
ディマはノワールの身体を弄り、手慣れた感じで服を破り始める。胸糞悪いがこっちで手一杯だ。
「てめぇぇぇ!」
「ク~ズ~ハ~?」
「意志誘導」
ヴァイスが助けに入ろうとするが、すぐに方向を変えられてしまい手が出せない。どうやらあの魔法はある一定の時間対象を固定されてしまうようだ。
「ぎゃははは、いいねいいね。目の前で酷いことしちゃおうかな~?」
「やめろぉぉぉ!」
おかしい、こんなのおかしい。ヴァイスは母親と戦うはめになり、クズハもこんなのは望んでいない。ノワールまでこんな目にあって……。守るべき、守られるべき者同士が戦い。本当に倒さなければいけないやつがのさばるなんて。俺はこんな人類に願われなければ力を出せず、加害者側が守るべきものだなんて……そんなの……
「――リフジンダ」
「あっ? なんだって?」
俺の心を代弁するかのように、ノワールだとは思えない程の低く冷たい声が響く。
『禍津神憑』
「うおっ!」
ノワールの周囲に黒い霧のようなカオスがまとわりつき、ディマや獣人達を跳ね飛ばした。結界によってカオスも遮断されていた? 結界が解かれたことで集まり始めたってことか? カオスによってノワールも魔物化? さっきから悪い方向に向かいすぎだ!
「くそがっ! いいところだったのに何だってんだ!」
黒い靄が晴れると、そこには一人の美しい女性が立っていた。その瞳の奥に赤黒い炎を称え、両手をダラリと下げた美女は、冷たい声で一言呟いた。
「コロス……」
長かった髪は肩ぐらいまでになり、黒く美しい髪はまるで吸い込まれるような漆黒。胸は見違えるほど大きくなり、露出の多いアサシンのような服を着ている。口元は赤いマフラーのような物で隠れており、表情が読みづらい。だが、その瞳には、怒りと憎しみがありありと浮かんでいるようだった。
周囲が驚きで一瞬固まっていると、ノワールが急にナイフを何もない空間に突き立てた。
「ミエミエ……」
「ぐあ…あ」
誰も居なかった空間から獣人が現れると、その場に倒れ込む。ナイフは的確に獣人の首元を切り裂いており、血しぶきが舞った。気配遮断で隠れていた伏兵のようだ。
「おい……ノワール。お前、殺すことはないだろうがよ……」
「た、ためらいもしないだと……なんだこいつは、獣人は仲間なんじゃないのか!」
ヴァイスとディマの問いかけにノワールはコテンッと首を傾げると、言っている意味がわからないという感じで、冷たい声で答える。
「イキルタメニハ、コロスデショ……?」
当たり前のように答えた言葉に、背筋に寒い物を覚える。今までと状態は違うし、自我はあるようだが、明らかにカオスの影響を受けているのは確かだ。ノワールは合理的な考えの持ち主だったが、感情がない訳じゃなかった。
ノワールはナイフを振って血しぶきを飛ばすと、ディマのほうに静かに歩き出す。その歩は静かだが、重い。ディマには死神が近づいているようにも思えているだろう。
「う、うわぁぁ、お前らそいつを殺せ! もう捕まえなくていい! クズハ!」
「意志誘導《手の鳴る方へ》」
「ヴァイス、イクヨ」
「えっと……オレはどうしたら……」
ノワールの矛先をクズハが魔法によって自分の方向へと変える。突然の事態にヴァイスは戸惑ってどう動いたらいいかわからないようだ。
「キコエタノ、カナシミガ、オカアサンノ、サケビガ、オワリニスルヨ? ヴァイスダッテ、ワカルハズダ……ヨ?」
「母ちゃんの叫び? やっぱり、そうなのか?」
「ソウ、ゼッタイマモル、マモリヌク、ダレニモウバワセナイ、イキテ、イキヌイテッテ」
「あの狐の姉ちゃんを子供だと思ってるんだな」
「アノクズニ、オモワサレテル、ネ、オカアサンヲアンシン、サセヨ?」
「――そうだな、手加減なんて、いらないよな。俺たちの母ちゃんだもんな」
シルは終始クズハを守ることに徹していた。なんとなくだったことが確信に至ったようだ。家族がここに対峙する。立ちはだかる敵として。
さっきまでと同じくクズハが魔法を放ち、妨害をシルが防ぐような陣形で襲ってくる。ノワールがヴァイスを後ろに下がらせ前に出る。
「暗黒鎮静」
ノワールが呟くと、周囲のグリムウィルが停止、クズハの魔法による干渉を、文字通り塗りつぶした。すぐさまヴァイスが攻撃に転じるが、シルはことごとくその攻撃を受け止めいなしていく。それどころか、防御しているにも関わらず、シルの攻撃にヴァイスは押され気味だ。
「くそっ、つっええ!」
「ドイテ」
ノワールがヴァイスの影から飛び出し、躊躇なく首にナイフを突き立てるが、その攻撃は空しく空を切る。体勢の崩れたところにシルが蹴りを放つが、ノワールはそれを紙一重でかわした。しかし、頬に一筋の切り傷が残り血が滴る。たまらずノワールが後退すると、シルが追撃をしかけてくる。
「させっかよ!」
「ガアアアアア!」
ヴァイスが間に入り、シルの引っ掻きを手首辺りに打撃を加えて反らし、懐に入り込むと渾身の力でボディブローを叩きこむ。ノワールが好機とばかりにヴァイスの背を踏み台にして、シルの背後にくるりと飛び、背からナイフで追撃を加える。しかし、手のひらを叩き合わせる音が聞こえると、検討違いの方向にナイフが振り回される。
「意志誘導《手の鳴るほうへ》」
「チィッ、ジャマ」
ノワールが致し方なしと、クズハのほうへ走るが、それを見越したかのようにシルが圧倒的なスピードで先回りし、唸りをあげる。ヴァイスのほうはというと、思い切り頭突きをくらい、頭を抑えていた。
「シッカリ、シテヨ」
「無茶言うなって、滅茶苦茶つええぞ。さすが俺らの母ちゃんだな」
「カンシンシテル、バアイジャナイ」
ノワールの言うとおりだ。シルだけでも規格外に強い。そこにクズハの援護が入ることで膠着状態に陥っている。これがただの戦いなら悠長に戦って機会を窺うこともできるかもしれないが、ここは敵地だ。時間をかければかける程不利になる。だからこそルシは目的のクズハだけを狙うようにヴァイスをけしかけ、陽動で敵の分散を計っている。
「ラチガアカナイ、ソレニ、ヴァイス」
「なんだよノワール?」
「イイカゲン、チカラヲツカッテ」
「はっ? 俺は本気だってさっきから!」
「ホンシツハ、ソコジャナイ……ハァ」
ノワールは、あからさまに溜息をつくと、ヴァイスの額に人差し指を立てて呟いた。
「畢竟寂滅」
「んな!」
気づくと俺は、真っ白な空間の中でヴァイスと対峙していた。それも憑依する前の姿だ。
「おっさん誰だ?」
「おっさんって……グリムだよグリム。グリグリだ」
「おぉっ、確かに声がグリグリだ! ってことはオレ死んだ?」
「勝手に殺すな、そして死ぬな!」
全く、緊張感のないやつだ。しかし、一体これはどうゆうことだ。精神世界みたいなものなんだろうか。俺からは全く干渉できなかったというのに。外の様子が壁にモニターのようになってみえる。うわ、微動だにしなくなったヴァイスをハウリングボイスの盾にしてるよ……。
「うわっ! なんか色々流れ込んでくる! あん時みたいだ!」
「うぉっ、まじか。これは……きっついなぁ」
魔法の直撃をくらうと、獣人達のされてきた仕打ち、苦しみ、悲しみ、憎しみなどの黒い感情が流れ込んでくる。そこには、母親であるシルの物もあった。これがあの時動けなくなった二人の理由か。あの時点で感受性の高いノワールは、母親の存在を知ったんだな。された仕打ちも含めて。なるほど、慟哭か。
「あれっ、でも……」
「どうした?」
「あの時みたいに気が遠くならない」
「ふむ……」
俺たちの頭にノワールの声が響く。
「ホンシツニ、キヅイテ、ワタシハ、クロ、スベテヲヌリツブス、クロ」
「力の本質……? 命名か!」
「ソウ、タマワッタチカラ、オクリモノ」
「俺は……シロ。何物にも染まることのないシロ」
だから憑依しても、ヴァイスは俺にすら主導権を握らせなかった。俺はあくまでヴァイスという白いキャンパスに落ちた一滴にすぎない。
「そうだ、だけど白はそれだけじゃない」
だが、自分の力に意識を向けた今はそれだけじゃないはずだ。俺が名に込めたのだから。
「他の色を受け入れ、彩られるのもシロ。そして、その色を」
俺は言葉を続けヒントを与えるが、ヴァイスが俺の方に視線を向け、困った顔で言葉をねだる。やれやれ。手間がかかる息子だ。
「映えさせることもできるさ」
「オレは……」
「お前は」
俺たち二人の声が重なりあう。
「ヴァイス」
今までヴァイスという真っ白なキャンパスに、神という色がただ塗られていた。しかし、力を意識したことにより、ヴァイスと神は混じり合い、真っ白なキャンパスの上に、新しい色として誕生したのだった。
意識が一気に覚醒すると、ヴァイスは飛び起き、一気にシルのほうに駆けだす。さっきまでぴくりとも動かなかったヴァイスにシルは面食らったようで、身構える。
「どうして、気づかなかったんだろうな」
今や一体と化した俺にはわかる。本当だ。どうして気づかなかった。最初から、敵じゃないのにって、自分でも思ってたのにな。
攻撃をするどころか、ヴァイスは全くの敵意を見せずに、シルを抱きしめた。当然シルは驚きながらも強力な顎でヴァイスに噛みつく。もちろん大量の血が流れ、牙が食い込んでいくが、お構いなしだ。
「チョット!」
「聞こえないなら、聞けばいいんだ。大好きなら、そう伝えればいいのにさ。なぁ、グリグリ、力を貸してくれよ。……神々の進軍」
「ココジャソンナノ、イミガ……ウソ?」
そう、力が湧いてこないから、意味がないって思っていた。苦しくても言えないんだから、無理だって思っていて、聞こうとしなかったんだ。声なき声を。今なら聞こえてくる。ヴァイスの研ぎ澄まされた超感覚を通して、憎しみや悲しみだけじゃない。シルがそうであったように、希望や優しさが、ささやかであっても、強い願いが聞こえてくる。
神である俺自身すら、人間が起こしたこの事態から目を背け、聞きたくないとどこかで思ってしまっていたんだ。逃げていたんだ。
思えばシルは、一方的に攻撃してくることはなかった。さっき動けなくなったヴァイスを攻撃することもなかったし、子供と思っているクズハを害そうとしたときにのみ攻撃を加えてきた。そう、守りたいだけだったんだ。
力が湧き上がってくる。圧倒的な差があった力も、ヴァイスに力が溢れたのか、シルから力が抜けたのかはわからないが、大人しく抱きしめられている形になっていた。
「ノワール、来いよ」
「ウン」
何かを察したのか、ノワールも敵意を消し、シルに歩み寄り、ふわりと抱き着いた。
「共鳴調心」
ヴァイスが呟くと、鈍色の首輪はボロボロと崩れさる。共鳴調心は、周囲のウィルを混ぜ合い、調和し、一つとする。抱き合う引き裂かれていた親子のウィルが、今ここに一つとなった。ほぼ獣と化していたシルが、ヴァイスとノワールの面影のある、優しい女性の姿となり、二人の頭を撫でる。
「大きく……なったね……」
眩く輝く光の中、そこには優しく微笑む母親と、泣きじゃくりながら縋りつく、二人の子供の姿があった。
二人の手の中から、シルの身体がボロボロと崩れ去っていく。それを名残惜しそうに見つめながら、ノワールが呟いた。
「ヴァイス、キツネハ、マカセタ」
「おうっ、さっさと終わらせて帰ろうぜ」
ヴァイスが腕で涙を拭いながら答えると、ノワールはヴァイス後方をナイフで切り裂き、ヴァイスはノワール後方を思い切り蹴り上げた。いつの間にか迫っていた獣人達は呆気なく倒れる。圧倒的だ。ディマが後方で走って逃げているのが見える。時間稼ぎに使って自分は逃げるのか……本当に救いようがないな。
「混沌の進軍」
ノワールが濃厚な混沌に包まれると、全身がまるで怒りや憎しみの炎を宿したかのように燃えあがり、両腕は黒いかぎ爪のように変異した。息が荒く、さっきまでの冷静な様子が見られない。
「アアアアアア! 暗黒鎮静ウウウウウ!」
「ちょっ!」
ノワールが雄たけびをあげながらヴァイスをつかむと、回転して遠心力を利用しながら、クズハのほうに放り投げた。すかさずクズハがハウリングボイスを放ってくる。しかし、それは、ヴァイスが雄たけびを上げ無効化。クズハが腕を振り上げ何かをする素振りが見えたが、何も起きることなく肉薄した。
「魔法付与? さすがノワールだぜ! おっしゃぁぁぁ!」
「かはっ……!」
守る者も、指示する者もいなくなったクズハは、ヴァイスの一撃に呆気なく意識を手放した。よし、ヴァイス、選手交代だ。
「おうよ! 任せたぜグリグリ! 神継!」
ヴァイスの身体から、クズハの身体へと憑依する。意識を手放したことで、操られている状態でも抵抗なく憑依が可能なはずだ。そして、いくらあの首輪が強力だったとしても、神である最上位の意志を。
「操ることはできない」
首輪がバラバラに砕け散る。何かが行動を強制させようとするが、頭を振り払うだけでそのどす黒い意志は霧散した。そして、ヴァイスは大人から青年の姿に戻り、その反動で気を失ったようだ。俺は、クズハの身体で優しくヴァイスを抱きしめると、ゆっくりと地面におろした。
「さてと、天罰のじかんだ」
俺はディマを追いかけるノワールの背中を見据えると、6本の尻尾を揺らしながら後を追いかけた。