第十一話 人と獣
色々あってだいぶ間が空いてしまいましたが、がんばります。
すでにルビを振っていた語句のルビ振りをやめました。初期のほうは気分が乗ったら修正します。
「おかえりー」
「ただいまっと」
地上の様子をある程度見てからワンルームに戻る。異変を見逃さないために、日課となっている。帰ってきておかえりを言ってくれる存在がいるのはいいことだ。
「どう? 何かあった?」
「いんや、特に異変はないかな。人里にもチラホラドワーフが見られるようになったぐらいかな。狩りのことでちょっとエルフとドワーフが揉めたりすることもあるみたいだけど、特別仲が悪いわけではなさそうだしな」
「そ、順調に馴染んでいってるようで何よりね」
「それでも、上から見ても、下から見てもわからないような小さな異変だと、見逃しちゃうだろうしな。神様だってのに、やってることはほんと地味だよ」
「管理者って意味合いの方が強いわね。なんでも積み重ねが大事ってことよ」
ルシファーとロールケーキを食べながら、現状の報告を行う。途中飲むコーヒーの苦みが甘さをリセットさせてくれる。ルシファーはコーヒーが苦手らしくカフェオレを創ってやった。こうやって食べながらの報告も、もはや日課となっている。
はじめはルシファーが,どうしてもとねだるので出していたのだが、どうせなら俺も楽しもうとおもって今に至る。美少女がおいしそうに食べている姿を見れるのも役得だしな。調子に乗るから本人には言わないけど。
いままでの経緯から、神様というのは自ら動くって言うのはどうにもできない傾向にある。概念であるせいなのか知らないが、願われたりでもしない限り、間接的にしか手を出せない。つまり、結局は後手に回ってしまうのは否めないのだ。気づくか気づかないかの違いだけで、巡回はあくまで自己満足なのかもしれない。
「食べないならもらうわよ」
考えを巡らせていると、ルシファーが俺のロールケーキにまで手を出してくる。幸せそうに頬張る姿を見ていると、考えすぎなんじゃないかと肩の力が抜ける。
「なに? じろじろ見たってもう食べちゃったわよ?」
「いや、頼りになる相棒だなって思って」
「ふふん、もっと敬っていいのよ」
いつも助け舟を出してくれる相棒に、俺は心の中で静かに感謝した。俺が小難しく考え込んでしまっていると、ちょっかいをかけて気を紛らわしてくれる。意図的にやってくれているんだと思う。多分……。
そんな日常が続くある日、アウレが突然やってきた。
「神様! 大変だよ! ハクアおねぇちゃんが大変なの! 早く来て!」
どうしたって向こうからトラブルはやってくるみたいだ。
俺は急いで地上に降り立つ、ハクア自身が来ないことに疑問を覚えたが、それだけ事は大事だと思うと、考えるより先に身体が動いた。
グリムキーパーの居場所はわかる。なんとなくだが、繋がっている感じがするからだ。目指すはエルフの里、世界樹の根元にある洞の前に降り立った。
久々にきたので、見て回りたい気もするが、今は後だ。まだ明るい時間なので、木々の隙間から除く陽の光がまるでカーテンのようで美しい。
洞の前にエルフ達が困惑した表情で集まっている。その中で、糸目のエルフがこちらに気付いた。
「グリム様! 来てくれたか! 良かった!」
誰もいないところに話しかけるエルフに、周囲は怪訝そうな顔をしている。概念としての俺は、ある程度適正のあるエルフにしか見ることができないらしい。俺はハイエルフと呼んでいる。
「えっと、君は?」
「あっ、ベラだよ。あの時はハクアをありがとうね。って、神様にこの口調は失礼か」
なるほど、目の悪かったおばあさんがエルフになったんだっけか。見た目が変わりすぎて全然わからなかった。何より姿が見えて、声が聞こえるのは助かる。
「いや、大丈夫だ。変によそよそしいのも話しづらいな。それよりも状況を教えてくれないか?」
「直接ハクアとお話したほうがいいね。こっちだ。案内するよ。あたしたちでも取り合ってもらえなくてね……」
俺は首を傾げながらも、ベラの後ろをついて行く。切迫しているというより、困っているいう感じだ。
世界樹の洞にとりつけられた、簡素な木で出来た扉をベラがノックする。ってか世界樹に扉つけていいのだろうか。
「誰が来てもいれませんよ! この子たちはわたしが守ります!」
ん? この子たち? 中に誰か一緒にいるのだろうか?
「ハクア! グリム様が来てくれたよ!」
「えっ! うそっ! あっ、ちょっと待ってください!」
中から慌てた様子のハクアの声が聞こえ、しばらくガサゴソと音が聞こえていたが、しばらくすると音がやんだ。
「ど、どうぞ、グリム様なら鍵があっても入れますよね?」
「あぁ、ベラ、案内ありがとう。後は任せてくれ」
「いや、会えてよかったよ。よろしくお願いね」
正直許可なしでも入れたのだが、女性の部屋に無断で上がり込むのも気が引ける、何よりハクアに嫌われたくないしな。
中に入ると、物らしい物なんてないこざっぱりした部屋という印象だった。これだけ物がないのに何を片付けていたんだろうか? と疑問さえ覚える。
ベッドの端に座るハクアは、緊張した面持ちで二人の赤ん坊を大事に抱きしめていた。きゅっと結んだ唇は、何か強い意志を感じる。まるで、何かを覚悟したかのような表情だ。
えっと……そういうことなのか? いきなり問いただすのもな。疑問はまず隅に置き、出来るだけ笑顔を心がけ、とりあえず言っておくことにした。
「おめでとうハクア!」
「――へ?」
ハクアから気の抜けたような声が聞こえる。全く、俺をなんだと思っているんだろうか。さてはいきなり咎められると思ったんだな。俺はそんな器量なしに思われていたとは心外だ。こんなおめでたいことを祝わないとでも思っているのか。
「相手は誰なんだ? 全然気づかなかったよ。言ってくれればお祝いの言葉の一つでもかけてやれたのにさ。気恥ずかしいのはわかるけど、ちょっと寂しいなぁ」
「えっ? えっ?」
神格化されているハクアの事だ。里の連中に、赤ん坊まで祀られそうになって守っていたのだろう。相談してくれれば神託とかをつかうのもやぶさかでもないのに。よくよく見てみれば、ハクアは里での衣装なのか、白を基調としたドレスのような服を着ている。神々しさを感じつつも、母性すら感じる。立派になったんだなぁと思うと目頭が熱くなる。
「大丈夫だ! 俺が親子共々守ってやる! 神になると時間の流れが早すぎたりとか曖昧でさ。妊娠していたのなんて気づかなかったよ。そうか、ハクアがお母さんか……」
「えっ! ちょっ……!」
「そうだなぁ、ソールに頼んで旦那さん用の装備なんてどうだろう? ハクアには服とかアクセサリーとかかな。赤ん坊にも色々入用だろう? 俺が頼んだらやってくれないかな」
「グリム様! わたしは結婚なんてしませんし、してません!」
顔を真っ赤にしてハクアが叫ぶ。結婚していない……だと。俺は顔が青ざめていく。洞の周りを心配そうに囲んでいたエルフ達。困惑していたベラ。ハクアが俺に知らせずに隠していた。まさか……そんな……。
「ハクア……。父親がわからないのか……? 望んだことじゃなかったりしたから隠してたのか? 相手は……どいつだぁ!」
「きゃっ!」
洞の中にグリムウィルの奔流が吹き荒れる。ショックだったが、今は怒りで我を忘れそうになる。ハクアを悲しませるような屑は、神の権限を駆使してでも絶対に天罰を与えてくれよう。
「グ、グリム様! 落ち着いてください! わたしの為に怒ってくれるのは嬉しいんですけど、違うんです!」
「かばう必要なんてないぞ! ハクアが優しいのは知っているが、これは話が別だ! 絶対に責任を取らせてやる! ルシファー! 天罰の時間だ!」
「落ち着きなさい、この馬鹿!」
「ぷぎゃっ!」
後頭部に強い衝撃を受けたと思ったら、俺は地面に顔面から突っ伏して、ルシファーに踏まれていた。静まり返った洞の中で、ただ赤ん坊の泣き声が響いてた。
俺は今正座をして、ルシファーとハクアの前に座らされている。ハクアは赤ん坊を抱えたままオロオロしており、ルシファーは不機嫌そうに俺を睨みつけている。正直怖い。
あの後、頭を踏まれて少し冷静になった俺は、体勢を直そうと上を見上げてしまい、エルフルックのルシファーのパンツを見てしまった。それだけなら黙っていればよかったのだろうが、思わず、あっ紐パ……と、口走ってしまったのである。
「すいませんでしたー!」
「声がちいさーい!」
「ごめんなさーい!」
神様が堕天使に向かって土下座。シュールである。ジャンピング土下座から寝下座のコンボを併用したが、ヘイトがあがるのみでなかなか許してもらえなかった。パンツを見られたことは不可抗力として、何とも思っていなかったようだが、色々と先走ってしまったことに怒っていたようだ。
「急ぐのは仕方ないとしても、事情くらい聞いてからいきなさいよ」
「深く反省しております」
「はぁ……、もういいわ」
ものすごく深いため息をついたあと、事態の説明を受ける。アウレはエルフから、神様に助力を乞うようにお願いされたらしい。魔物らしき赤ん坊を抱いたハクアが、家から出てこなくなってしまったからだ。俺はハクアに問いただす。
「それで、一体どうゆうことなんだ? 説明してくれるか?」
「はい……」
里の見回りをしていた際、二人の赤ん坊が捨てられているのを見つけたそうだ。まじまじと見てみると、赤ん坊には耳と尻尾が生えているのがわかった。どうしようか、悩んでいるところに、他のエルフ達が気づき、声をかけたところ、耳と尻尾に気付いて騒ぎになってしまったそうだ。
「で、思わず逃げて家にひきこもったと?」
「はい……、守らなきゃって思って」
「どうしてすぐに知らせなかった?」
「無防備になってしまいますし、それにこの子たちが寂しがると思って……」
ハクアは慈愛に満ちた表情で抱いた二人の赤ん坊を見つめる。これだけを見れば、まるで本当の母親のようだ。俺には眩しすぎるな。
「そうか、やっぱりハクアは優しいな。俺にも赤ん坊を見させてもらってもいいか?」
「怒ったりしないんですか?」
「小さな命を守ろうとしただけだろ? 怒ったりしないさ」
「グリム様……」
別に普通のことを言ってるだけだと思うが、涙ぐまれてしまう。やれやれと思いながら、そっと赤ん坊を覗かせてもらう。
一人は黒い耳とシュッと伸びた尻尾、もう一人は真っ白な耳とふさふさな尻尾のある赤ん坊と、はっきりと目が合った気がした。
すごいな、正に獣人だ。どういった経緯で生まれて来たんだろうか。エルフやドワーフのように俺が関与したわけじゃないしな。さっきまでわんわん泣いていた赤ん坊はぴたりと泣き止み、天使のような笑顔を見せている。もふもふしたいな。可愛い。
「わ、すごいです。グリム様が顔を見せただけで泣き止みましたよ」
「んー? たまたまじゃないか? そもそも見えてないだろうし、俺は子供とか赤ん坊苦手だしな」
「興味津々で見に行くぐらいだから好きだと思ったわ。でもなんで苦手なの?」
「まぁ、いろいろとな」
大人になると色々心とか穢れてしまった気がして、純粋な子供を見てると胸が痛くなるんだよな。そんな汚れっちまった自分が近づいて悪影響が出ないか心配なんだよ。それが理由で近づくのをためらってしまうなんて、説明してもわかってはもらえないだろうと思いお茶を濁した。
「この子たちどうしましょうか……」
「そうだなぁ、親はわからないんだろ?」
「はい、手掛かりはなにも」
「追憶も、さすがに赤ん坊相手には無理ね」
「じゃぁ、エルフの里で育てるしかないんじゃないか?」
「えっ! いいんですか?」
「まぁ、エルフ達がいいならってことになるんだろうけど」
「文句があっても黙らせます!」
ふんすと鼻息荒くハクアが意気込む。混乱していたから引き籠ったものの、半ば神格化されているハクアの一声があれば、里のエルフもとやかくは言わないだろう。ってか、最初からそうすれば良かったんじゃと思うが、いきなりだったから気が動転してたんだろうな。
「それじゃぁ名前ぐらい決めとかないとな」
「うーん、クロとシロとかどうでしょう?」
「安直すぎでしょ。アルファとベータとかどう?」
「いやいや、それはそれでどうかと思うぞ?」
あーだこーだとハクアとルシファーが名付け合戦をしている。長くなりそうだと二人の赤ん坊に目を移すと、やはりこちらをじっと見つめている気がする。不意に手を伸ばしてきたので、俺もなんとなく手を伸ばすと、小さな手が俺の手に触れた気がした。
「黒い方がノワールで、白い方がヴァイスとかどうだ?」
「あっ!」
ルシファーが驚いたかのように大声を出すと、赤ん坊は淡い光に包まれた。
「あれ? 俺なんかやっちゃった?」
「神が命名するって、結構重大なことなのよ?」
ルシファーが苦い顔をしてこめかみを押さえる中、二人の赤ん坊はきゃっきゃっと笑い合っていた。
「二人が言い合ってるから、俺も案を出しただけなんだけどな。そもそも、命名したというより、どうだろうって尋ねた感じだぞ?」
「命名は、神が対象に対して名を授けて、それを相手が了承したら有効となるのよ。赤ん坊のほうが気に入っちゃったみたいね」
「そうなのか。ってか聞こえてんのかこの子ら?」
「小さい時って見えない物が見えたりしてるっていうし、そんな感じじゃない?」
「うーん、全くの予想外だ。すまんハクア。提案のつもりが名付けになってしまったみたいだ」
「あっ、いいんです。グリム様に名付けてもらったなんて、光栄なことですよ!」
「そういってもらえると助かる」
思いがけず命名というものをしてしまったようだ。喜んでくれたならいいのかな。あー、でもこれだけは確かめておくか。
「命名ってさ、デメリットとかあるの?」
「神の加護を得るようなものだから、メリットはあってもデメリットはないと思うわ。まぁ、メリットに関しても何がどうなるって決まってる訳じゃないのよね」
よかった。少なくとも悪いことにならないのならよしとしよう。
さて、いろいろと謎が多いが、まずはこの子らをどうしていくかだな。どこから来たのかも調査をしていかないといけないし、どう成長していくのかも気になるしな。
「とりあえず、ハクアが面倒みるってことでいいか?」
「はいっ! お任せください!」
「上から見てたり、見回りしてても異常を感じなかった訳だし、概念のままだと色々見落としそうね」
「でも、依り代なんてそうそうないだろ?」
神が世界に干渉する際、概念よりも依り代に憑依したほうがより強く力を行使することができる。ウィルの流れも、案山子に憑依していた時の方が色々と気づくことができた。ただ、依り代となりうる人や物には、適正のあるウィルが宿っていることが条件としてある。そうそうその辺に転がっているものではない。
「あぁ、それなら……」
ルシファーが答えようとしたとき、半開きだったクローゼットからはみ出していた物がドサッと落ちて出てきた。自然と視線を向けると、思わず俺は目が点になる。
「ふふふ、あれでいいんじゃない?」
ルシファーがニヤニヤしながらそれを指さす。
そこには、随分と精巧になった、魔法少女ハクアのお供をしていた人形があり、俺はそのつぶらな瞳と獣人の赤ん坊の時のように、見つめ合うのだった。
隣でニコニコしながらハクアが座っている。視線はエルフの里の広場で駆けっこをしている二人の獣人を追いかけている。
「こうしていると、ふ……夫婦みたいですね」
「あー、うん? そうか?」
たまにこちらをチラ見しながらそんなこと言っているが、どこからどうみてもそうは見えないだろうと思う。なんたって俺は所詮少年の人形だから。はたから見ればハクアの隣に小さな人形が座っているだけにしか見えないだろう。言葉を発する奇妙な人形ではあるが。
俺は結局ハクアが作った人形に憑依することになった。ハクアが心を込めて作ったというだけあって、ウィルを内包しており、動くことに事欠くことはない。むしろ、こんな小さな翼でどうやって飛んでるんだ? って思うが飛ぶこともできる。
グリムウィルを振動させるように干渉することで、会話を行うことも出来ることになった。案山子のときに出来なかったことが悔やまれるが、過ぎたことは仕方がない。何故こんな芸当を覚えることになったかというと……。
「おーい、グリグリ―! こっちきてくれよー! ノワールの奴捕まんないんだ!」
「む、グリグリに頼むのは反則。一緒に逃げる側。グリグリ」
「それじゃぁ、ずっと捕まんないだろーがよ!」
「ずっと、追いかけていればいい」
「むがー! 絶対捕まえてやる!」
「ノワール、ほどほどにして交代してやれよー」
「む、了解する」
獣人の赤ん坊はすっかり大きくなった。数カ月しかたっていないのに、走り回ったり、普通に会話をすることができる。だが、概念の状態で会話は出来なかったのだ。魔法少女ハクアのお付き状態でない人形では、会話を行うことができなかったため、俺が考えに考えて、なんとか会話らしいことが出来るようになった。
この二人の出自はいまだに謎であり、エルフの里で面倒を見ているのだが、成長が早く、身体能力が非常に高い。言葉もすんなりと覚えている。それだけだったら奇妙に思われ、疎まれやしないかと危惧していたが、二人の明るい性格あってか、今やエルフの里に馴染み、周囲のエルフも慈しむような表情を向けている。ハーフエルフの件があったあと、ハクアが意識改革を行った努力の結果もあるだろう。
「ふふ、二人とも楽しそうですね。グリム様は行かないんですか?」
「また腕が取れるのは勘弁だよ」
今度はノワールが追う側になったようだが、ヴァイスは遊ばれているようだ。あいつらは身体能力が高い。人形の身体では一緒に遊んでいると腕がとれたりところどころがほつれたりと大変なのだ。
「何かわかった? グリグリ?」
クスクスと笑うような声が聞こえ、ルシファーがいつの間にか側に立っていた。
何回グリムと教えても、獣人の二人は俺のことをグリグリと呼んできてはいるが、呼ばれ慣れた訳ではない。諦めてはいるが、すすんで呼ばれたい訳じゃないんだがな。
「ルシファーまでその呼び方はやめてくれよ……」
「あら? 可愛くっていいじゃない。その姿にぴったりだと思うけど?」
「ルシファーさん! グリム様をあまりいじめないでください!」
「はいはい、それで、どうなの? あの二人は?」
俺は追いかけっこを続ける二人に目を移す。
「ちくしょー! 木に登るなんて反則だぞ!」
白い耳と、ふさふさ尻尾の男の子がヴァイスだ。狼の獣人であり、多少口が悪いが、根が真っ直ぐのいい子ではある。髪は白色の短髪であり、目の色は青色、正直イケメンの部類に入ると思う。身体能力は高いのだが、小回りという点ではノワールに一歩及ばず、いつも遊ばれている。
「ある物を使ってるだけ。使わなかったり、使えないほうが悪い」
次に黒い耳としゅっと伸びた尻尾が特徴の女の子がノワールだ。猫の獣人であり、少し言葉がたどたどしく、思ったことを口に出してしまうところがある。残念ながら語尾はにゃんではない。大事なことなのでもう一度言うが、語尾はにゃんではないのだ。黒く長い髪は腰のあたりまで伸びており、目の色は金色、かなりの美人だ。力はヴァイスには劣るが、その分俊敏さは類を見ない程高い。
おしめを変えたり、哺乳瓶でミルクを上げたりしたせいか、二人とも子供のようなものだ。いつか巣立ってしまうのではないかと目頭が熱くなることがある。このまま何事もなく、この二人がこの世界で生きられたらいいんだけどな。
「ちょっと! 何感慨にふけってるのよ。情報を共有しなさいよ!」
「おっと、ごめんごめん」
いかんいかん、気を取り直して状況の説明をしなければ。
「どうもあの二人は、ウィルとグリムウィルが、混在しているみたいだ。取り込んでいるっていう表現が正しいかもしれない」
「どうゆうこと?」
「魔法の逆だよ。ウィルを使ってグリムウィルに干渉することで魔法を使うよな? あの二人は、ウィルをグリムウィルと融合させて取り込むことで、獣としての身体能力を得ているみたいだ」
「それって……」
「――神の意志ではなく、世界の意志が生み出したんだと思う」
この世界で人間は、ウィルを体外に放出、グリムウィルを支配して事象を起こす。これがカオスを生み出す原因になっている訳だ。
獣人に至っては、ウィルを体外に放出するところまでは変わらない。しかし、グリムウィルと融合させ、望んだ形、力として再度取り込むということを行っている。
「代償と言えばいいのか、結果と言えばいいのかはわからないけど、魔法が使えない。そして、獣人化という形で表面上に現れているみたいだ」
「自由に事情を起こせるグリムウィルを利用して、身体を作りかえたって訳ね。魔法が使えないというより、身体強化魔法とでもいうのかしらね」
「そうだな、エルフやドワーフが神為的進化だとしたら、これは世界が自発的に起こした進化なのかもしれないな」
これはすごいことだと思う。手を加えないと滅びる運命だった世界が、自ら進化を促すことで、なんとかしようとしている。世界が俺の手から離れて動き出そうとしているのだ。
「なんだかワクワクするな」
「楽しそうね。自分の知らない所で勝手に動いてるのよ? 心配にならないの?」
「子の成長を見ているようで楽しみだよ」
ルシファーが呆れたような目でこちらを見てため息をついている。でも、なんだかルシファーも楽しそうだ。表情は明るい。なんとなくだが、同じような気持ちなのかもしれない。
「でも、この子たちの親はどうしたんでしょう? エルフ達に周囲を探索してもらっていますが、あれから見つかったという報告がないんです」
「世界そのものを取り込んでいるようなものだし、気配を隠すのが上手いのかもしれないな」
「じゃぁどうするの? ワンルームから見ていても異変が感じ取れないわよ?」
「探索しつつ様子見しかないんじゃないか? ルシファーは,とにかく遠くの方まで見てみてくれるか?」
「いいけど、近くに隠れてるかもしれないわよ?」
「自発的に進化せざるを得ない状況になったとしたら、武器や道具の普及が出来ていない場所、エルフの影響の範囲外である可能性が高い。なんでここに赤ん坊を置いて行ったのは知らないが、遠くに獣人の集落などがあるかもしれない」
「わかったわ。期待せず待ってて」
「わたしもエルフ達に少し探索範囲を広げるように言っておきますね」
ルシファーは手をひらひらとさせながらワンルームに帰っていった。
特に発見らしい事も出来ず、それからまた数カ月の時が流れる。ヴァイスとノワールは、子供というよりも、少女と青年と言えるほどにまで大きくなっていた。今では、エルフ達と狩りにも参加できるようになっている。
エルフの里で平和に過ごす日々、いつまでも続けばいいなと思いつつも、そうはならないのが世の常のようだ。ハクアの家で過ごしていると、ルシファーが神妙な表情で現れた。
「見つけたわよ。集落があったわ」
「おっ、とうとう見つかったんだな」
「あんたの言った通り結構遠かったわね。ハクアに頼んで偵察をお願いしたんだけど、あんまりいい報告じゃなかったわ」
「一体何があったんだ?」
「問答無用で襲われたわ。すぐに撤退したら追ってこなかったらしいけどね」
エルフを警戒している? それにしても問答無用っていうのは引っかかる。赤ん坊を預けたぐらいだしな。
「何か変わった様子だったのか?」
「えぇ、首輪をつけているのよ」
「首輪? なんでそんなものを……いやまさか……」
ファンタジーで考えると定番ではある。だが、一体どうしてそうなったのかがわからない。直接確認しに行くしかないか。あまりいい予感はしないな。
「ん……?」
ふと物音がして扉に目を向けると、ノワールが真剣な表情でこちらを見ている。
「私、連れてって」
「連れてけって言われてもな。ノワール、聞こえてるのか?」
「ちょっと前から、聞こえるようになった。グリグリが、独り言喋ってるとき、意識したら、聞こえた」
「だってさ、どうするの? グリグリ?」
「だからルシファーもグリグリって言うなよ……」
どうしたものか、話を聞いた限りでは碌なことにはなっていない気がする。だが、連れていかないと言ってもこっそり付いてくるだろうな。あの目は。
「しょうがないな。危ないと思ったらすぐ撤退するぞ? ヴァイスも行くのか?」
「それでいい。一緒、当たり前。一連托生」
「どこで覚えたんだそんな言葉」
鼻息荒くノワールが目を爛々と輝かせている。仲間に会いたかったのかもしれないな。何かあっても二人の事は必ず守ろう。俺はそう誓って旅支度を整えるのだった。
俺は、ノワール、ヴァイスと共に集落に向かう。大人数で動くと警戒されてしまうので、俺たちだけだ。ハクアは先に偵察に向かっていたので現地合流。ルシファーには、念の為ソールに救援の依頼をお願いした。
「ふーん、それで、そこに俺たちの親がいるかもしれないのか?」
「親がいるかはわからないが、獣人がいるのは確かだな」
「そう、仲間、困っていたら、助ける」
「今更親とか仲間とか言われてもピンとこないんだよなー」
「グリグリが、ぼろ雑巾に、なっていたら、どうする?」
「そりゃやべーな。助けるに決まってるだろ!」
「つまり、そうゆうこと」
「そうゆうことか! 助けねーとな!」
「どうゆうことだよ……」
ノワールよ、何故例えとして、俺がぼろ雑巾になっていることをあげた。それでやる気になってくれるのは嬉しいが、ヴァイスは素直なんだか馬鹿なんだかわからん。
「グリグリ、これは?」
「あぁ、お守りみたいなものだ。気にするな。この方が警戒されないだろうしな」
「グリグリが楽したいだけなんじゃねーの? 重い訳じゃないからいいけどさ」
現在俺は、ヴァイスの首に紐で吊り下げられ、ストラップと化している。ノワールの首には、黒い翼の生えた女の子の人形が吊り下げられている状態だ。ハクアにお願いして、作ってもらった特注品だ。非常時にはルシファーにも憑依してもらおうと思っている。なんだかんだ俺と同じ力を使えているし出来るはずだ。それに、俺ばっかりとか理不尽だしな。こっちが主に本音だが。
「擬態だよ擬態。いざという時は守ってやるから安心しろ。家族なんだからな」
「……うん、あんがと」
「おっ、おう。助けなんていらないと思うけどな!」
俺は思ったことを言っただけなんだけどな。二人ともちょっと口元がにやついているぞ。赤ちゃんの頃から面倒みていたからな。子供みたいなもんだ。
ノワールは木々の上を跳ねるように移動し、ヴァイスは木々の隙間を縫うように駆け抜けていく。すごい身体能力だ。今やエルフ達ですらこの子達についていける者はいないだろう。
「グリム様! こっちです!」
そうこうしているうちに、ハクアとの合流地点についたようだ。思ったより離れていなかったな。ならなぜ見つからなかったんだろうか。
「ご苦労様、ハクア、怪我はないか?」
「大丈夫です! あちらから攻めてくることはありません。警戒はしているみたいですが」
「わたしたちなら、警戒、されないかも?」
「仲間だってんなら大丈夫じゃね? いっちょいってみようぜ!」
「こら! ヴァイスもノワちゃんも慌てないの! あなたたちに何かあったら、わたしもグリム様も悲しんですよ?」
「うー、そういわれたら、反論できない」
「わ、わかったよ。じゃぁどうすんだ?」
こいつらハクアには弱いんだよなぁ。お母さんみたいなものだししょうがないかもしれないな。しかしどうしたものか。ルシファーとソールと合流するのを待ったほうがいいかもしれないが、ノワールがソワソワしているし、一度偵察にでもいかないと飛び出してしまいそうだ。
「よし、ならもう一度偵察に行こう。ハクアは姿を見せないようにして、ノワールとヴァイスが耳と尻尾を隠さず前に出れば、違うアクションがあるかもしれない」
「グリグリが、いてくれる?」
「あぁ、人形のふりをしてついていくから安心しろ。初めに言っておくが、獣人達の身に何か起きている可能性が高い。普通に歓迎とは行かないだろうから警戒しろよ」
「任せておけよ! 何かあってもそこらの奴になんて負けないぜ!」
「何かあっちゃ困るんだが……。もしもあったらハクアは待機して、ルシファー達と合流するのを最優先にしてくれ」
「わかりました。グリム様がついているのであれば、わたしはわたしに出来る事をします」
俺たちが先行して森の中を進んでいく。ハクアは俺たちに場所を教えた後、後方で周囲を警戒してくれている。存在を察知されてはいけないためそこそこ離れているが、いてくれるというだけで安心できる。
しばらく森の中を進むと、村のような物が見えてきた。ここまでくるとさすがに獣人達の姿が視認できる。確かに首輪がチラリと首元に見えたが、こちらが獣人であることを確認すると、襟を正すようにして隠すのが確認できた。襲いかかってくるかと警戒していると、犬と兎の獣人と思われる二人組が、笑顔でこちらに向かって話しかけてきた。
「ようこそ! 獣人の村へ! 歓迎するよ!」
明るい声とは裏腹に、その表情はどこかこわばっているように感じた。
手を振りながら犬の獣人と思われる男性と、兎の獣人と思われる女性がゆっくりと近づいてくる。警戒させないためか、もう片方の手も何も持っていないことをアピールしている。身体能力の高い獣人が、無手で安心できるかというと疑問ではあるが。
『なぁ、どうするよ?』
『歓迎ムードである以上一度撤退したら次は警戒されるだろうな』
『じゃぁ、このまま、行ってみる?』
『気は乗らないが、それしかないだろうな、少し予想外だ。罠の可能性が高い』
『単純に獣人だけしか仲間って認めないってだけじゃね?』
『どのみち、状況がわからない、内部まで行くしか、ない』
俺は骨伝導の要領で、ウィルを振るわせるようにして発することで、人形に手を触れている二人だけに会話をしているので声が聞こえることはない。ノワールとヴァイスも触れてさえいれば、喋ることなく会話が可能だ。
「おいおい、そんなに怖がることはない。俺の名はバオ。我らは仲間だ。辛い目にでもあってきたのか? ここなら安心だぞ」
「そうよ、おねぇさんたちと一緒に行きましょう? 私はミミよ。ふふ、二人して人形を握りしめるなんて、あなたたち可愛いわね」
ノワールとヴァイスに関しては、人形を握りしめて会話を行っているようにしか見えず、意図せず相手の獣人からは、警戒を薄めることに成功したようだ。
ミミはヴァイスの腕に腕を絡める。ミミの豊満な胸がヴァイスにあたっている。しかしあれはあたっているのではない。あてているな。どうせ下着の感触だろと負け惜しみを思いながら、視線がわからないことをいいことにまじまじと観察する。腕に沿うように形を変えているだと! 全くうらやま……けしからん!
殺気じみたものを感じてノワールのほうに目をやると、バオに手を引かれながら俺のほうを睨みつけていた。女性陣の勘が怖い今日この頃です。大丈夫だ。ノワールのぺた……控え目な胸も十分需要があるさ。――なぜか殺気が増した気がしたが気のせいだな。
ここから先は未知の領域だ。概念としてルシファーが調査しようとした結果。弾かれるようにして侵入を拒まれ、遮蔽物なく見渡せる目でも、何も無いようにしか見えなかったそうだ。気を引き締めねば。
なんの問題もなく集落の門を通り抜けていく。活気らしいものが感じられず。静まり返っているのが不気味だ。
「一人で、歩ける。離して」
「あ、あぁ……すまない。同胞に会えたことで気急いてしまったようだ」
「どこに、向かってるの?」
「長の所だ。まずは紹介しようと思ってな」
ナイスだノワール。明らかにバオはヴァイスと引き離そうとしていた。手を離すと、ノワールはそそくさとヴァイスのほうに寄ってきてミミを引き剥がす。
「あら? 二人ってそうゆう関係なの?」
「わたしたち、家族、産まれてから、ずっと一緒」
「なぁなぁノワールって女だよな? なんでミミについてるもんがないんだ?」
「ヴァイスの馬鹿、アホ、黙る」
「うふふ、なるほどー、ノワールちゃんがお姉さんみたいなものなのね」
「いやいや、だってこんなに差があったら気になるだろー!」
「ぁ……ひゃん……」
「――えっ」
ちょっ、ヴァイスが全くの無造作にミミの胸を片手で掴む。指の形に沈み込むほど柔らかいようだ。一方の手でノワールの胸をぺしぺしと叩いている。バオに関しては生唾を飲み込みながらミミの胸を凝視してるよ。ふむ、ヴァイスよ。君の事は忘れないよ。合掌。
「……ヴァイス」
「あん?」
「おすわり」
氷のように冷たいノワールの声が響くと、片手でヴァイスの髪を掴み、地面に叩きつけた。ミミに対して土下座するような形でヴァイスが突っ伏している。何故かバオも土下座している。まぁ、気持ちはわからんでもないぐらい怖い。
「ごめん、なさい、ミミさん。しつけて、おくから」
「あ、あはは、気にしてないから、ほどほどにね?」
しばらくヴァイスが目を覚ますまで待ってから行動を再開した。ヴァイスは耳と尻尾が垂れ下がり、年相応の怯える少年のように、人形である俺を握りしめ、震えながらバオの後ろを歩いている。
意図せず二人の距離が離れてしまったことに、俺はため息をつくのだった。
ハクアからそういったことを説明するのは難しいだろう。女性の象徴であり、男性が物理的にも間接的にも軽々しく触れてはいけないことを俺が説明しておいた。
「おっぱいは危険……おっぱいは危険……」
ぶつぶつとヴァイスが忘れないように呟いている。ちょっと間違った方向に覚えたようだが、まぁ今はこれでいいだろう。同じような事故が起きたら大変だからな。夢だっていっぱいつまっているんだぞ?
それはともかく、そろそろ目的地っぽいな。一番大きい家につきそうだ。
『ヴァイス、何か違和感みたいなものはないか?』
『う~? そういやぁ、なんか変な匂いがして鼻が利きづらいかも、あの家から匂ってくるな』
獣人の利点の一つでもある嗅覚を潰されたと思ってもいいだろうな。ただ香らせてるだけですってこともあるまい。
「長よ! お客様をお連れしました!」
集落でも一番大きい家の、両開きの扉の前に立つ獣人に、ミミが手を挙げて合図をすると、ゆっくりと扉が開かれていく。匂いも流れてきたのか、ヴァイスが明らかにしかめっ面になっている。ノワールの表情は見えないが、おそらく同じような感じであろう。
開ききった扉の奥には、愁い気な表情をした美しい女性が椅子に座っていた。巫女装束のような服を着ており、黄金色と言ってもいいほど鮮やかな黄色の耳と、ふさふさの尻尾が三つもある。狐の獣人のようだ。瞳は真紅であり、美しいがどこか冷たい印象を受ける。椅子の横には、お香のような物が焚いてあり、それが匂いの原因であろう。
ゆっくりと女性が立ち上がると、片手を無造作にこちらに向け、呟いた。
「――世界の慟哭」
女性が呟いたと同時に、ノワールとヴァイスが耳と尻尾を逆立て硬直する。何が起きた? ノワールとヴァイスのウィルがかき乱されている? いつの間にやらミミとバオが首輪のような物を手に持ちノワールとヴァイスに肉薄している。まずい! 俺たちの注意は完全に目の前の女性に向いてしまい、ミミとバオへの注意が疎かになっていた。その隙に取り出したのだ。俺がやるしかない!
「ウォーターからの……アイスバーン!」
「えっ? 人形? きゃっ!」
「なんだこいつ! うぉっ!」
急に動き出した人形にミミとバオは呆気にとられ、バオが凍らせられた足元にバランスを崩す。人形である俺では、獣人に力では敵わないからな。
ヴァイスに歩み寄っていたバオは、バランスを崩してヴァイスを突き飛ばす形となる。突き飛ばされたヴァイスは、滑ってふらついていたミミの胸にダイブする形となった。
男なら天国かもしれんが、今のヴァイスには地獄かもしれんな。柔らかい胸の感触に、ヴァイスは覚醒した。
「おっぱい怖い!」
主にトラウマによって……
時間稼ぎのつもりだったが、ヴァイスの再起動に成功したようだ。胸からがばっと顔を起こすと、ミミをバオのほうに投げ飛ばした。チラリと狐の獣人のほうに目をやるが、驚いたような表情をして俺を見ている。まだ動かないでくれよ。
「ヴァイス! 全力でノワールを抱えて走れ! 一度離脱するぞ!」
「任せとけ! おらー!」
全力疾走での速度や力であれば、ヴァイスの右に出る者はいない。このままトンズラさせてもらおう。ただで逃がしてくれそうにはないがな。狐の獣人がこちらに向かって手を向け呟く。
「世界の慟哭」
「うるさい黙れ!」
「なっ!」
一瞬ヴァイスのウィルが揺らぐものの、すぐに俺が中和して見せる。周囲のグリムウィルを振動させて、相手のウィルをかき乱す魔法のようだが、曲がりなりにも神が負けてやる訳にはいかない。即興で対抗として創り出した魔法だが、どうやら少しは効果があったようだ。
さすがに人形では相手の地力には到底及ばないようだ。さすがにまずい。ずっと抑えることはできそうにない。押しつぶされそうな負荷がかかる。
「ぐっ……いっけぇぇ!ヴァイス!」
「うぉーーーー!」
ヴァイスがノワールを肩に担いで全速力で森に向かって駆ける。その時、ヴァイスの首にかかっていた俺をつないだストラップが千切れてしまった。
「グリグリ!」
「構うな! 行け!」
「くっそぉぉおーーーー!」
狐の獣人の魔法を抑えるのに精いっぱいで飛ぶことが出来ない。飛ぶことや逃げることに意識を割けば、又ヴァイスは再起不能に陥って逃げることは敵わないだろう。それがわかっているのか魔法は常にヴァイスのほうに向かっている。頭も切れるなこいつは。
あっという間にヴァイスの姿は見えなくなり、俺は地面に転がったまま狐の獣人を見やる。ヴァイスとノワールへの興味は失せたのか、俺のほうへゆっくりと歩いて近づいてくる。切り刻まれるならそれでよし、人質とする気なら憑依を解除すればいい。このまま見逃してくれないかな。ちょっとウィルを使いすぎた。
狐の獣人は俺を優しく拾い上げると、愁い気だった瞳を大きく見開き、一度目を閉じると目尻に涙を溜め微笑んだ。
「お会いしとうございました。神様」
それは、聞き取るのもやっとなぐらいの呟きであり、その首元には、鈍色の首輪が光っていた。
なんで俺の名前を、会ったこともない獣人が知っているのか戸惑っていると、家の奥から人間の男が出てきて狐の獣人に話しかける。
「おいっ! クズハ! 新しい獣人共はどうした?」
いきなり出てきて男は大声で怒鳴り散らす。狐の獣人の名前はクズハというのか、しばらくおとなしくして情報を得よう。クズハと呼ばれた狐の獣人は、袖で涙をそっと拭うと、感情のない瞳で、怒鳴る男に振り返り答える。
「申し訳ございません。力及ばず逃げられてしまいました」
「お前の魔法で力が及ばないだと? まさか逃がしたんじゃないだろうな?」
「あの魔法で動けるとは思わず。不意を突かれて逃げられただけです。次こそは必ず」
クズハは男の質問に答えながら、ミミとバオに黙っているように目配せを行っているようだ。
「うん? その小汚い人形はなんだ?」
「先程の獣人達がもっていた人形です。きっとまだ精神は幼いのでしょう」
「獣人は身体の成熟だけは早いからなぁ。そうか、まだ幼い獣人か……くくっ、しつけやすい時だから需要があるぞ。次は必ず捕まえろ。お前らもいつまで休んでるんだ! さっさと探しに行け!」
「仰せのままに……」
男は、気持ち悪い笑みを浮かべ命令する。表情に嫌悪感を隠せていなかったミミとバオは、命令されると途端に無表情になり、森のほうへと走っていった。
「さてと、失敗したらお仕置きが必要だよなぁ? クズハ?」
「はい……うっ……」
男はためらいもなくクズハの胸を掴み、揉みしだく。大きく形の整った胸は男の欲望で歪められていく。俺を持つクズハの手に力が込められ、震えている。首輪の効果なのか、逆らえないようだ。男もすっかりお楽しみモードで油断している。悪いが、お邪魔させてもらおうか。これだけ至近距離なら効果はあるだろう。これでもくらえ。
『意志攪乱』
「うん? なんだ……気持ち悪……」
ハウリングボイスの劣化版だ。所詮至近距離で気分を悪くするぐらいしかできない。嫌がらせ程度かもしれないが、こうゆう時には効果的なはずだ。
「くそっ……いいところだってのに、なんだってんだ……。おいっ! その気持ち悪い人形は捨てておけ! 俺は少し休む」
「承知いたしました。ご主人様」
クズハが震える声で答えると、男は家の中に戻っていった。クズハは、俺を見つめると、ゆっくりと歩きだし始めた。
歩き出したものの、その歩みはひどくゆっくりだ。クズハが俺に語りかけてくる。
「良かった。燃やせとかでなくて、本当に良かった……。この首輪がある限り、逆らうことが出来ないのです。わたくしは危害を加えたにも関わらず、先ほどはありがとうございました」
逆らえない……。つまり捨てることはしないといけないから、時間を稼いでいるのか。
「気にするな。結果的に俺がポカしただけだしな」
「口を聞いて頂けるのですね。グリム様の御慈悲に感謝いたします」
「ところで、なんで俺が神だってわかった?」
「世界の意志に触れたその時から、お会いできる日をずっとお待ちしておりました。人形に触れたその瞬間に、グリム様であるという確証を得たのです」
「よくわからないけどわかったって感じ?」
「そう……ですね。そのような感じです」
困ったような表情で首を傾げるクズハは、とても先ほどまでの愁いを帯びていた女性とは思えないほど表情豊かだ。声色も柔らかい。こっちが本当のクズハなのだろう。
「あまり話したくないだろうけど、あの男は一体なんなんだ? その……いつもあぁいったことを? 言いたくなければいいんだが」
「お気遣い頂きありがとうございます。問題はありません。あの方はディマと言いまして、この集落で一番の獣使いでした。動物がグリムウィルを用いて身体能力を高めていることに注目し、自らの意志を介入させることで意のままに操る術を身に着けたのです。この集落は獣使いの里なのですよ」
「その術は獣人にまで効果があるのか?」
「グリム様ならご存知かと思いますが、我々獣人はグリムウイルを取り込み、身体を変化させています。その際にウィルを混在させ、逆らえないようにしているのです。そしてあのような行為ですが……、貞操は守っております。ここが察知されないように結界を張ったり、強力な魔法を使用できなくなると話してありますので、精々嫌がらせぐらいですよ」
気丈にしているが、瞳が泳ぎ手が震えている。好きでもない男に逆らうことが出来ず、好きなようにされるなんて、恐怖以外の何物でもないだろう。
「時間がありませんので、詳細はこれで……追憶伝心」
――
魔物に怯えて暮らしていた。ある程度弱い魔物であれば、大人たちが倒してくれるけど、時々現れる大型の魔物に、死者が出ることは度々あった。私達集落の人間は必死だった。土地を広げれば魔物に遭遇する頻度が増し、ある程度広げなければ年々集落は寂れていく。
子供も大人も関係なく魔物と遭遇すれば生きるために戦わなければいけない。そんな環境が起こした奇跡なのか、集落の赤ん坊に、獣の耳と尻尾を持つものが産まれるようになった。気味悪がる者も多かったが、彼らは成長が早く、身体能力に優れ、集落には欠かせないものたちとなっていった。
そんな中、ディマという男性が新しい魔法を完成させたという。彼は分け隔てなく集落の人間に教えて回った。それは私にも例外ではなかった。その魔法の名は……
「使役操心」
幼い獣であればすぐに手懐けることができ、大型でも弱らせたりすればかけることができるという強力な魔法だった。それぞれが力を合わせ、獣人と獣と人は、上手くやっているように思えた。少なくとも私はそう思っていた。
私は何の力もないただの女の子だった。魔法を使って使役していたのは小さな狐であり、いつも一緒に過ごす友達だった。私では大きな獣を使役することが出来なかったからだ。いつの間にやら尻尾が増え、三又になっていたが、その他に変わった様子は見られなかったので、特に気にしていなかった。
だけどあるとき、私は突然森から走ってきたカオスボアに轢かれ吹き飛んだ。体中が冷たくなっていく中、懐に潜り込んできた暖かい感触。私の友達の狐だった。死にたくない、この子を一人にしたくないと思った時、一人の男性が微笑みかけ、狐の頭を撫でる姿が見える。まるで狐と会話を交わしているかのように見え、男性が頷いたところで私は意識を手放した。
ふと気づくと私は先程の所に倒れたままだった。どうやら死は免れたようだが、身体中が痛くて動くことが出来ない。狐はどこへ行ったのだろうか、そんなことを考えて呻いていると、ディマがやってきた。
「お前……クズハか? 災難だったな、って、その耳と尻尾! 獣人に……なったのか?」
朦朧とした中気づく、あぁ、ディマが追っていた魔物に轢かれたのか。耳と尻尾? 確認が出来ないが、どうやら私は獣人になったらしい。それよりも今は助けて欲しい。
「そうだ、試してみたいことがあったんだよ」
ディマの口角が吊り上がっていく。瀕死の私に手を当てて呟いた。
「使役操心」
何を馬鹿なことをと思ったが、どす黒い感触が身体を駆け巡っていく。この男に、ディマに、ご主人様に逆らってはいけないと心が支配されていく。私は絶望した。
そこから先は地獄だった。ご主人様は、獣人を毛嫌いする者の一人だったのだ。自分たち人間が、獣人に守られている現状が気に入らず、その末に魔法の発現に成功した。
そして、その成果は最悪の形として実ってしまったのだ。獣人さえも使役するという形として……。
初めのうちは、まだ産まれたばかりの獣人を狙い、獣人を毛嫌いする人々と画策して次々に魔法をかけていった。ある程度成長し、身体能力の高い獣人は魔法に抵抗があるためだ。私という駒を手に入れはしたものの、身体能力よりも魔法特化だったため、慎重だった。
そのうちご主人様は、ドワーフという種族と会ったらしく、物体に意志を宿す術を身に着けていた。首輪にテイミングハートを宿すことで、弱らせたりなども関係なく使役することにも成功してしまった。
そこから私の魔法を利用して、集落中の獣人は使役されることとなる。人の心とは脆い物で、今まで友好的だった人々も、使役できる環境となってしまえば、奴隷のように獣人を扱った。一部の反対していたものも、次々に同調していく人々が増えていくなか、口を閉ざしてしまっていったのだ。
身体の成長は早いが、精神が幼いため、欲望の捌け口にされることも多かった。首輪さえつけていれば言いなりであり、どんなこともさせられる。私も成長するにつれ、対象として見られるようになったが、せめてもの抵抗として、結界や魔法の使用の条件として必要であるとちらつかせると嫌がらせ程度にとどまった。私は、最低だ。自分の身だけを守ったのだから。
そんな最悪の日常の中、ある獣人が脱走したと話を聞いた。赤ん坊二人を抱え、首輪の束縛に抗いながら脱出したというのだ。数日後、その名の通りぼろ雑巾のようになった女性がひきづられながら村に戻ってきた。
思わず私は近づき、メモリアで記憶を読み取った。彼女は人を捨て、種を生かすという本能のみに意志を埋め尽くすことで、精神を焼き切られるような痛みに耐え抜き、エルフの里に赤ん坊を届けたのだ。
目的を終えたことで力尽き、幽鬼のように首輪の制約に操られ集落付近まで戻ってきたのだ。
せめて私も……わたくしも、心だけは高貴でいよう。いつか出会う神との謁見の為に、この懐に残る、暖かな感触を忘れることのないように。
――
なんということだ。世界が生み出した進化に対して、人間は共存するどころか利用し、その可能性を潰してしまっている。まるで物のような扱いをしているのだ。
「わたくしの結界がある限り、再度の侵入は難しいでしょう。お香により匂いの追跡もされているはずです。まずは結界をお壊し下さい。村の中心にある祠が結界の要となっております。気休めですが、気配遮断で見つかりづらくしておきましょう」
ゴミ捨て場のようなところにつくと、魔法を俺にかけ、クズハは俺をそっと置いた。振り返り顔は見えない中話す。
「厚かましいお願いだとはわかっています。どうか、我らをお救い下さい。わたくし達を……助けて……」
ぽたぽたと地面を涙が濡らす。俺たちは、どうにもならない状況に来た、僅かな希望なのだろう。
「やれるだけのことはやってみよう。君の願いはこの神、グリムがしかと聞き届けた」
クズハは振り返ることなく歩いて去っていった。俺の存在が、少しでも彼女の希望になれればと思う。もう少しだけ……耐えてくれ。
願いにより分け与えられたウィルにより力が漲る。あくまで人形なので大したことはできないだろうが、さっきまでと比べると幾分もましだ。目指すは集落の中心にある祠だったか。なんとなく周囲のグリムウィルと同化しているような感覚を受ける。彼女の魔法の効果だろう。狐の獣人だけあって、幻術のような類に優れているのかもしれない。
中心に向かって隠れながら進んでいると、訪れた際は静かだったが、獣人の悲鳴や人間の怒声や笑い声が至るところから聞こえてくる。正直言って気分がいいものではない。あの時は総出で隠れていたのか、新しい獣人を迎え入れるために。
集落の様子を伺いみると、獣人が殴られ蹴られ、ボロボロになったところに使役操心テイミングハートをかけられている。どうやら首輪は大量にあるわけではないらしい。魔法だけでは定期的にかけ直す必要があるようだ。
「ぎゃははは、まじで最高だよな。狩りも魔物狩りも、ストレス解消もやりたい放題だぜ、俺たちにリスクないんだもんな」
「ほんと、ディマ様様だよな。いや、感謝すべきは獣人様か? ぎゃははは」
くそっ! 待っていろ。必ず解放してやるからな。