キャラメルソースを作ってと妻に頼んだ(三十と一夜の短篇第30回)
妻は夫を本物志向と評するが、夫にしてみれば妻だって本物志向を持っていると感じている。これは母親としての使命感なのかも知れないが、幼い娘に与えるおやつに市販品ではなく、手作りの物を食べさせようと、外で仕事をしているのに、ない時間を割いて一生懸命になっている。カスタードプディングやら、カボチャやサツマイモの潰したのを混ぜたアイスクリームなどなど、台所で奮闘している。
結婚前の交際していた時期に、手作りケーキを食べさせられた経験がある。美味しかった。でも、それだけの労力と時間を使うのなら、売っている品を買って食べたっていいと思った。全て手作りにこだわったら大変だし、共働きで収入があるのだから、それで時間の節約と金の節約、天秤を掛けたらどちらが重要か、自明の理である。
確かに手作りなら味付けが好みに調節できる、普段口にしている菓子がどんな材料で、どんな作られ方をしているか知るのは、現代人として大切なことだろう。しかし、それは娘が成長する過程で少しずつ教えていけばいいことだ。こだわり過ぎはいけないだろう。くたびれ果てて、ほかの家事に手が回らないとか、休日に疲れを溜めこんでしまったとかの結果になったら、心と体に余計悪い。しかし、夫は、もっと家の中のことをよく見て欲しい、わたしが家族の健康を考えているに理解がない、と妻に説教されそうで強く言えない。
「今度映画に行きましょうよ」
と、金曜日の夜に妻が提案してきた。大人向きの作品ではなく、子ども向け、娘がいつもテレビで観ているアニメ番組の映画版だ。
「アニメ番組の映画なんて、来年くらいになればテレビで放映するだろう。わざわざ行かなくてもいいんじゃないか?」
「ええ? 娘が行きたいとねだっているのよ。それに映画を映画館の大画面で観る楽しみを教えるのも大切なことだと思わない?」
「そんなに言うなら、行くよ」
妻に押し切られる格好で、親子三人で土曜日にアニメ映画を観に行った。
映画館で、売店で売っているポップコーンの匂いにつられて、アニメキャラクターの描かれた器に入ったポップコーンを買って、娘に渡した。娘は映画にもポップコーンの器にも満足して、家に帰った。
今度は夫の方が手作りポップコーンにはまってしまった。出来上がって売っているポップコーンは大した量が入っていない。爆裂種のコーンを買ってきて、家で作った方が安上がりだし、出来立てアツアツの方が美味しいじゃないか、作り方も簡単だと、張り切り、娘も父親の作るおやつに大喜びだ。
手作りおやつの味わいに目覚めた夫に、半ば喜び、半ば呆れつつ、妻は休日の親子の団欒を一緒に楽しんだ。ちなみに夫はポップコーンを作った後のフライパンを洗う。しかし、バターや塩、醤油が飛び散ったガスコンロは目に入らないらしく、それを拭き掃除するのは妻がしていた。
ある休日、夫は妻に言った。
「キャラメルソースを作ってよ」
「え? なんで?」
「だって塩味ばっかりでなくて、甘いのがいいって言われたんだ。映画館の売店でやってたようなキャラメル味がいいって。作れるだろう?」
妻は眉を顰めた。
「キャラメルソースは作れるわよ。でも、長いこと作ってないから上手くいくか自信がないわ。上手くいったとしても砂糖で作ったソースがカチカチに固まるから後片付けが大変になるから、嫌だわ」
妻が面倒そうに答えるものだから、夫も言い方がきつくなってきた。
「それくらいおれがやるから、作ってよ。お願いだよ」
夫の勢いに押され、その言を信じることにして、妻はキャラメルソースを作ると返事をした。
砂糖に水、小さなフライパンに入れて火を付けた。練乳が無いので、コーヒー用のクリームを代用して、焦げ始めたところにパッと混ぜ、火を止めた。砂糖の焦げた香りと、クリームが過熱された香り。夫と娘は香りだけで気分が高揚した。
「カチカチになっちゃうから早く掛けちゃって」
夫はスプーンでポップコーンに掛けた。しかし、雑だ。折角作ったんだからもっと丁寧に、と妻はスプーンで綺麗にすくって、フライパンを水に付けた。
「あま~い、おいしい!」
娘は大喜びだ。夫も嬉しそうだ。妻もいくらか摘んで一緒に楽しんで、食べ終えた。食休みとばかり、ゴロンとなった。
妻は台所を見詰めた。
「あのね~。わたしがフライパンを水に付けたからって、片付けた訳じゃないのよ。こびりついたキャラメルソースがカチカチにならないようにしただけよ。判ってる? わたしが晩ご飯の準備を始める前に台所を綺麗にしておくのを忘れないでね」
「判っているよ」
判っていて、そう返事したはずなのだが、すっかり頭から消え去っていた。三時間ほど後、夫は不機嫌な妻から睨まれながら、夕食の席に着いた。
夕食の片付けを終えた後、妻の心に歩み寄ろうとする夫に妻はすげない態度を貫いた。
「あなたの『判った、やっとくよ』はアテにならない」
妻は、ああ今日は本当に疲れたと言いながら、夫に背を向け、床に着いた。