知らない君と言えないぼく
物心ついたころから、ぼくとそいつは「お似合いねえ」なんて言われていた。「いつ付き合うの?」とも。
ドラマの見すぎだ、と思う。男女で、幼馴染で、仲がいいからといってお似合いだとは限らない。ましてや、簡単にそーゆー仲になったりもしない。
大体、ぼくとこいつの場合は事情が違う。
「お前、なんで僕っ子なの?」
目の前でもしゃもしゃとクッキーを食べている男が、今更な質問をしてきた。
「べつに」
床の上に転がっていた、マッチョなフィギュアを手に取る。結果にコミットしたような腹筋と胸筋。これのどこがいいのだろう。
あらゆる角度から観察していると、「お前それ汚すなよ、大切にしてるんだから」と部屋のあるじ兼フィギュアの持ち主が注意してきた。だったら床に転がすなよ、と思う。それから転がっていた場所を確認して、それがベッドに近いことも確認して、なんとなく様々な妄想をする。なんとなく。
男は眉を顰め、もしかしてと続けた。
「お前、ベッドの上では『男役』か」
ぼくがベッドに視線をやった理由をすっかり勘違いしたらしい。異性相手とは思えない、デリカシーの欠片もない質問をしてきた。もっと他に訊き方はなかったのだろうか。訊く相手を間違えたら、ひっぱたかれていただろう。
「そんじゃ訊くけど。『そっち』の『女役』は、自分のことを『あたし』とか言ったりするわけ?」
マッチョなフィギュアを元の位置に転がして、ぼくは言う。馬鹿な質問のせいで、思った以上に棘のある声が出た。
「……いや、ないな。ソレとコレとはやっぱ違うじゃねえか。そこら辺はお前も分かるだろ」
だというのにこの男は、ぼくの声色の変化にも気づくこともなく、真面目に真剣に真摯に答えてくれる。気づけ馬鹿。ぼくが不機嫌になってることに気づけ。マッチョなフィギュアにクッキーの油を塗りたくるぞ。
けれどやっぱり何も気づいていない男は、真面目に真剣に真摯に、そして無邪気にお菓子を頬張るのであった。
お似合いとか言われるぼくたち二人がくっつかない理由は、複雑なようで至極簡単だった。
お互い、同性愛者だから。
俗っぽく言うと、ぼくがレズビアンで、こいつがゲイだからだ。
だからぼくたちは絶対にくっつかないし、十八歳のこいつの家に十七歳のぼくが遊びに行ってもなんの危険もない。だって、襲われないから。女のぼくはこいつにとって、「そういう対象」に入っていないし入らないのだから。
お互いの事情に気づいたのがいつだったのかは忘れた。けれど、家族にも相談していないことをお互いに知っていて、だから気楽だった。気楽だからこそ頻繁に会ったり話したりするだけで、仲がいい以上の関係になることはあり得ない。ぼくたちは、「そういう関係」なのだ。
ただ。今の話には若干の誤りがある。男はそれを知らない。
「つーかお前、最近この部屋によく来るな。暇人か?」
「別にいいでしょ。そっちに恋人ができたら、こないようにするし」
これはいつものことだ。男に恋人ができたら、ぼくはこの部屋に遊びにこないようにする。つまらない喧嘩の原因にはなりたくないから。
そして今現在、この男はフリーで、けれども片思い中だ。相手は「ノーマル」。しかも彼女がいるっていうんだから、厄介極まりない。
……諦めればいいのに。
男は、白いお皿の上に新しいチョコチップクッキーをざらざらと載せた。さっきからよく食べる。こいつは基本、恋をすると大食いになるのだ。
青色のモンスターみたいにクッキーを食べる男が、ふいっとこちらに目を向けた。
「そういやお前、最近恋人つくらねーな。気になる女は?」
「いない」
「なんだ、十七歳ですでに干からびてんのか」
この男は、ぼくの神経を逆なでするのがうまいらしい。知ってたけれど。
ぼくは頬杖をつき、挑発的な目で男を見た。一心不乱にクッキーを貪る男を。
「……ところで、君」
気づけ、ばか。
「今日はホワイトデーなんだけど、バレンタインのお返しはないの?」
「えっ!?」
――忘れてたな。馬鹿だから。あるいは用意しなくていいと思ってたな。馬鹿だから。
男はテーブルの中央にあったクッキーのお皿を、こちらにそそそっと寄せた。これがお返しのつもりか。馬鹿だ。こいつ馬鹿だ。間抜け面に拍車のかかるその表情もやめろ、馬鹿。
「……いや、要るか? お返しとか」
「要るよ。だってぼくはあげたじゃん、チョコレート」
「コンビニで三十円で売ってるチョコだし、お前からのって明らかに義理チョコじゃねえか」
「チョコの値段とか関係ないし、義理かどうかなんてわからないでしょ」
ぼくの言葉に、男は吹いた。
「わかるだろ。だって、お前も俺も『ノーマル』じゃねーし」
――ノーマルって、なに。
「……そうだけど」
けれどぼくは、今日も言えなかった。
この男は知らない。
ぼくがどうして、この部屋に頻繁にやってくるのか。
男の恋愛相談にのってる時、どういう想いでそれを聞いてるのか。
三十円のチョコレートを渡すのに、どれだけの勇気を要したか。
ぼくが本当は両性愛者で、バイセクシャルで、男の子も女の子も好きになること。
君からは除外されても、ぼくにとっては君も恋愛対象に入ってしまうこと。
いつの間にか、入ってしまったこと。
気になる女の子はいない。
本当は、君が好き。
ぼくは今日も、言えなかった。