夜のオフィスにて
見切り発車で始めました。
当分は一話完結ですのでサクッと読めると思います。
初っ端からアクセル全開ぎみ。
夜九時、社内のオフィス。昼間は多くの人が忙しなく働くここに、今はわたしただ一人。
でも自分の仕事の進みが遅いせいだから文句は言えない。
「お腹すいたなぁ…」
終電までに帰れるかしら。いや、帰らなければならない。残業代をもらう分、しっかり働いて早く帰らなきゃ。給料泥棒になるわけにはいかない。
気を取り直してパソコンに向かう。気合を入れたからか先程よりサクサク進んでいく気がする。これなら十時には帰れるかも。
しばらくするとオフィスのドアが開いた。警備員さんかな? とそちらを見る。
「何だ、秋月。まだいたのか」
「あ、志田課長。お疲れ様です」
志田課長は四十歳で仕事ができて頼れる上司だ。しかもイケメン!
もしかしてこんなに遅くまで残業しているの、怒られるかも…。
課長が近づいてきて、背後からわたしのパソコンを覗く。
「まだこの資料を作っているのか。一体何時間やっているんだ」
「申し訳ありません。もうすぐ完成しますので」
慌ててキーボードを打つ手を早める。すると焦ったせいでエラーになってしまった。
頭上から課長のため息と呆れた声が降ってくる。
「…秋月、君は何年この仕事をしている。いつまで新人気取りだ?」
「…すみません」
課長の言っていることは正論だ。ドジでのろまなわたし…。駄目、駄目だ。
すると課長がマウスを握るわたしの上に自分の手を重ね、パソコンを操作し始めた。わたしよりもかなり大きな手にドキッとする。
「あ、あの、課長…」
「いいか、これはここをクリックして、ここに入力をして…」
マズイ。ドキドキしてしまったせいか、課長の説明が全く頭に入って来ない。
「秋月、聞いているのか?」
「は、はい」
嘘です。心なしか課長の声がすぐ耳元で聞こえる。バリトンの甘い声に、ついうっとりしてしまう。
課長はほぼ放心状態のわたしを無視して資料を完成させた。印刷ボタンをクリックし、保存をして仕事は終わった。
「今度からはもっとしっかりするように」
「はい、お手数をおかけしました」
資料を確認するために立ち上がりたいところだが、課長がどいてくれない。それどころかマウスを握る手には未だに課長の手が乗っていた。
「あの、課長…。資料の確認を…」
「必要ない」
え? どういうこと?
課長はマウスの手はそのままにもう一方の腕をわたしに回してきた。課長のサラサラの髪の毛がわたしの頬に当たる。
「課長…? あの…」
「さっきの説明、聞いていなかっただろう?」
わたしは固まった。ばれてた。マズイ、怒られちゃう。
「本当に出来の悪い部下だ。再教育が必要だな…」
課長の声色がいつもと違う。何か色っぽい…。
すると課長がわたしの首筋に唇を押し付けてきた。驚いてビクッとしてしまう。わたしの反応に課長が小さく笑う。
「感度はいいみたいだな。仕事はできないのに…。悪い子だ」
課長の言葉にドキドキしっぱなし。もう何が何だかさっぱりわからない。
「秋月…。お仕置きだ…」
そう言うと課長はわたしから離れ、椅子をくるっと後ろに向けた。視線を上げると課長の顔が目に入る。その顔は昼間に見る仕事中とは違う、獣の目だ。わたしという草食動物を狙う、肉食動物の…。
「か、かちょ…」
わたしの言葉を唇で塞ぐ。何度か軽くついばむような口づけ。一度離れると今度は深くわたしの唇を貪る。抵抗しようにも頭をガッチリ抑えられて逃れられない。キスの合間に必死で呼吸しようとするが、課長は許してくれない。わたしの唇の合間から舌が侵入し、わたしの口腔を犯す。歯列を舌でなぞられると身体が反応する。熱い、全身が、熱い。
「……ん、ふぁ……」
次第に抵抗する気も失せた。課長のシャツを握りしめ、自分から課長の舌に舌を絡めていく。課長の大きな手がわたしの背中をなぞり、次第に下に降りていく。お尻を通り今度はスカートの上から太ももを撫でる。
唇を離した課長がわたしの顔を見て笑い、耳元で囁く。
「そんなもの欲しそうな顔をして、いやらしい子だ…」
片手は太ももを撫で、もう片方の手はブラウスのボタンを外していく。わたしはそんな課長を呆然と見ながらされるがまま。
露わになった胸元に課長が顔を寄せる。首筋、鎖骨、胸元を順にきつく吸い上げる。
「…キスマーク。俺のものっていう証し」
課長が微笑むその顔が妖艶でわたしはもっと赤くなる。潤んだ目で課長を見上げる。
「課長…」
「何? 言いたいことははっきりと」
「課長が、……欲しいです」
そう言うと課長は微笑み、下着に手をかけた。
「いい子だ、明花。ご褒美だ。明花に俺をあげるよ…」
そして課長はわたしを裸にし、それから……
「ええーい、やめろ! それ以上は聞きたくない!」
「えーっ、ここからがいいところなのにぃ」
「そうよ、達彦くんの馬鹿! せっかくの明花の新作妄想が…」
耳をふさぐ目の前の男にわたしは頬を膨らませて抗議した。
ここは個室がある居酒屋。わたしの妄想話を友人に聞いてもらう時はいつも決まってこの店だ。個室であっても騒がしく、周囲に会話が聞こえないところがお気に入り。酒も料理もうまい!
わたしの名前は秋月明花、二十七歳。ごく一般的なメーカーの事務。三度の飯より妄想、妄想している時が至福の時。暇さえあれば妄想の世界へ旅立っている。
耳をふさぐこの男は香川達彦、二十七歳。同じ会社の同期で営業マン。黒縁眼鏡で線の細い男。
わたしと一緒に達彦に抗議したのは千種優奈、同じく二十七歳。商社で事務をしている。お色気美人。
わたしたちは大学時代からの親友。社会人になっても仲の良さは変わらない。人には言えない際どい妄想もこの二人には言えちゃう。だから定期的に飲みがてら聞いてもらっている。
自分一人で楽しむのもいいけど、優奈は一緒に萌えてくれるし、達彦はわたしの無茶苦茶な妄想に律儀にツッコミを入れてくれるから面白い。
「あのなぁ、それ以上は自分の脳みそで処理しろ。俺を巻き込むな」
「だって達彦のツッコミがないと変な感じがするんだもん」
「いいじゃない。達彦くんだって結構楽しんでいるでしょう?」
優奈と一緒に達彦を責める。いつも優奈はわたしの味方だ。
「じゃあ言わせてもらうが、志田課長は既婚者だろう。それに部署も全然違うし」
確かに志田課長は妻子持ちのよきパパさん。部署も全く違う。でもね、関係ないんだよ、そんなことは。
「平気。わたしの妄想の中では課長は独身。わたしの妄想の登場人物はみんな独身、彼女なし。不倫とか禁断の愛とか修羅場はごめんだもん」
わたしの妄想は誰も傷つかないし平和で甘々だ。つらいことも悲しいこともライバルも妄想の世界には存在しない。そしてすべてがわたしの意のままに動く。だからわたしは妄想をやめられない。
達彦は呆れながらしみじみ言った。
「そんなだからお前は男ができないんだよな」
「放っとけ!」
そう。わたしは生まれてこの方、彼氏がいたことがない。もちろん恋はした。ただ、この妄想癖は生粋のもので好きになった人も妄想で満足してしまった。リアルな恋愛よりも妄想の恋愛の方が楽しいし幸せ。
それに恋愛で悩む人を間近で見てきたことも原因。わたしの姉は恋愛体質で惚れっぽく、すぐに男にのめり込んでは浮かれたり怒ったり落ち込んだりと情緒が激しい人だ。そんな姉を見ているとリアルな恋愛って面倒だと思うようになってしまった。
だから最近は好きな人も作らない。ある特定の人よりもいろいろな人といろいろなシチュエーションで妄想するのが楽しい。登場人物はみんなイケメン。なんなら若返りもオッケーだ。現実ではありえない。
でもこの妄想にはある条件がある。親しい人や同じ部署の人で妄想しないことだ。もし妄想しようものなら日常生活に支障が出てしまう。それはさすがに避けなければならない。だからわたしは達彦で妄想したことはない。
「優奈はちゃんと彼氏持ちだし。お前も見習え!」
「何よ。そういう達彦だって彼女いないじゃない」
「俺はお前みたいに“いない”じゃなくて“作らない”んだ。一緒にするな」
「まぁまぁ、二人とも。落ち着いてよ。わたしは明花に彼氏ができて妄想しなくなったら寂しいな…」
「優奈…。大好きっ!」
わたしは優奈に抱きついた。ああ、理解者がいるっていいね。
達彦はじろっと優奈を睨みつけた。
「優奈はこいつの妄想を聞くのはたまにだからそう言えるんだ。俺なんて会社でも聞かされるんだぞ。たまったもんじゃない」
優奈は達彦に満面の笑みで応戦した。小さく呟く。
「…役得なくせに」
優奈の言葉に達彦の顔色が変わった。
わたしには二人のやり取りがわからなくて首をかしげる。
「優奈、どういう意味?」
わたしの問いに優奈は笑顔で言った。
「達彦くんも明花の妄想が楽しみだって」
「そっか。よかった。やっぱり達彦も聞いてくれないと悲しいもん」
笑って達彦にそう言うと、そっぽを向かれた。優奈はそんな達彦を見て、クスクス笑った。
「照れているみたい」
妄想は楽しい。そしてそんなわたしの妄想を聞いてくれる大好きな友達がいて、リアル恋愛なんてしなくても十分わたしは幸せだ。
ビバ、妄想! 妄想、最高!!
わたしはあした人類が滅亡するとしても、妄想はやめないぞ!!!
ついでに言えば、天国へ行っても妄想だっ!!!!
こんな感じで話が進んでいきます。
リアルな恋愛はまだまだ先の話…。




