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狸と瓢箪  作者: そる
6/8

その6

古来より、戦は緒戦が大事、という。

小牧・長久手の戦いで初の双方激突で勝った家康は、後の外交においても有利になった。


関ヶ原も、極端に言ってしまえば、宇喜田勢と福島勢の優勢が勝負を決めている。


「緒戦を勝ちで飾れば士気上がり、逆に相手は恐れが混じる。この差は容易に埋められない」

それが戦の常道の一つであった。


本来、大坂方は伏見でまず一戦して一勝している。

伏見に大した兵がなかったにせよ、まさか大坂方が押し出してきて伏見城を焼き払うなどとは誰も考えていなかったのだ。

これにより大坂は「意外に相手も手ぬるい」という印象を足軽までが持ったし、徳川方は「相手が突出してくることもありえるか」と

思わざるを得なかった。

そして、徳川譜代の者たちはその後の戦闘において敵方に一歩も踏み込むことなく無為に被害を拡大した。

こういう場合、負けている側は徐々に士気が落ちていき、気分が萎えてくる。


通常の場合ならば。


しかし、今回家康は全国の大名を総動員している。


本来、家康はこの戦で譜代を大いに働かせ、それに十分な論功行賞を行うことによって家臣団の強化を行う腹があった。

が、家康が危惧した以上に譜代の家臣団は戦慣れしておらず、三河武士の剛強さ、粘着さなどがなくなっていた。

ここで家康は、すでに負けて士気が大いに下がっている譜代を下げた。


つまり、士気がさがってしまった、ようはケチのついた部隊を引き上げさせて新鮮な部隊を戦線に投入したのだ。

家康が連れてきた大名達の多さが分かる一面である。


家康は旗本を叱責すると同時に、彼から見て十分な戦力と戦略を持った者たちに書状を送って部署換えを断行した。


(・・・妙な感じだ。こちらが圧倒的に攻めているのに、相手の掌の上で戦っているような)


家康はこの手の戦場の感の鋭さでは、当世随一であっただろう。

この手の能力で彼を凌ぐのは、故織田信長、あるいは故太閤秀吉くらいのものであろう。


家康は伝令を呼んだ

「今、大坂に向かっている、まだ着陣していない大名にたいし、急ぎ登りまいらせよ」

家康は部署換えからまだ戦闘が起こっていない時期に、この命令を四方に飛ばした。

なにか、ひっかかるものがある。

それがまだ何かわからぬが、とにかく打てる手を全て打つ必要がありそうだと感じていた。



前田利長。

加賀の前田家という巨大な家の主だが、外様であり、その母を徳川家に人質に取られている。

関ヶ原以来、徳川家にひたすらに従順に従っており、それだけが家を守ることだと考えている。

利長は、あるいはその父、前田利家以上の才覚があるかもしれない。

前田利家がその武辺で獲得した加賀という広大な土地を治め、かつ、天下人に対して難癖をつけられないように苦慮している。

そのために、わざわざ徳川家から家老を譲り受けている。本多政重である。

家老といっても、目付け役であり、豊臣に万が一にも走ることのないように上位者のように監視していた。

この戦闘でも、利長はやる気がなく、この政重に任せていた。

が、いつまでたっても真田丸に損害を与えることができず、加賀兵の損害ばかり増えていた。

そこに、家康からの使者が来た。

用件は二つ。

・本多政重は本営に戻ること。

・前田利長は全力で真田丸を抜くこと。


以上二点である。


こうして前田利長は戦場に出た。

真田丸を抜くことよりも、ここ数年、自分達に頭ごなしに命令してきたいけ好かない政重がいなくなることが嬉しかったであろう。


「しかし、真田丸か。六文銭の旗、かくの如し。よほどの準備がいるな」

彼はこの日から、真田丸に対して米俵、戸板、土塀などを真田丸の眼前に作り始めた。

真田丸に対して、近接要塞戦を行うつもりであった。





伊達政宗。

いわずと知れた奥州の竜。いまだ天下への野望を捨てていないと評判の伊達男。

彼の率いる東北兵は言わずと知れた強兵である。

戦にも慣れている。

政宗そのものが、この戦国時代の中で生まれる場所さえ中央に近ければ、英雄の一人として人生を送った男である。

が、時勢は彼に時間を与えなかった。奥州を統一している間に、いつのまにやら豊臣政権という巨大な”天下”が出来てしまった。

関ヶ原の戦いがあれほど短時間で決着がついたのも誤算だっただろう。

家康との口約束の百万石は反故にされた。別に怨んではいないが。

戦国時代などそんなものであろう。


「長宗我部盛親か。四国の覇者たる父を持つ男。何なら語ってみたい気もするが。

 しかし我らも奥州伊達軍。龍に率いられた者と土佐の豪傑か。絵巻物にでもなるか」

 重長! と政宗は一人の男を呼ぶ。

 「先鋒だ。ひと当てやってみろ」

 政宗は片倉重長に先鋒を任すことを決めた。

 

 


立花宗茂。

鎮西一。古今無双の勇将。

関ヶ原後に大名に戻った男でもある。

指揮能力はきわめて高く、同時代ではあの本多忠勝と並び称された。

「養父(立花道雪)が凄かっただけだ」としか彼は他人に語らなかったが、彼自身の才覚も大きかった。

彼はそれほど大人数を率いていない。が、天神橋方面で後方に下がった旗本を除く全部隊を家康は彼の指揮下に入れた。

「難しいこと・・・相手は、明石殿か」

そもそも、立花宗茂は大御所である徳川家康から「恩ある豊臣家に弓引くのはご勘弁願いたい」と申し出ており、家康も

その言を入れてあくまでも予備部隊として配置していただけだ。

しかし、この方面を任せられる歴戦の将は彼しかいなかった。

約束を破ることを詫びる書状が大御所本人から届いている。

「…しかたあるまい」

大坂城がある限り、正面からの力押しだけでは無理だと考えるのが普通である。

が、あえて宗茂は突撃体系を取らせた。

(機を見て押し込むことだ。相手は二重、三重の防御の中に退却できる。せめて大外の壁に張り付いている状況はなんとかせねば)

彼は采配を大きく頭上で円を描いた。

それに伴い、川を挟んで横に広く兵が展開した。

「では、まずはやろうか」




さて、後藤又兵衛と相対している武将である。

「毘」の旗が整然と並び、本営は歩哨すら身動き一つしない。

主、上杉景勝は極端に無口な男であり、一日一度も口を開かないことすらある。

戦場では全身に覇気をみなぎらせ、それを冷静に統御することに全力を傾けている。

その景勝の左に一人の将がある。

直江兼続である。

統率を景勝が、指揮を兼続が取るのが、この上杉家の軍法であり、それ以外は謙信時代より変化はない。

天下に隠れもない強兵集団であり、国力の差がなければ徳川家とすら戦えるといわれた家である。

「兼続」

短く景勝が言った。

「心得ております」

兼続がそう返して、全軍が一斉に動き出す。

「まずは様子見からですな。後藤又兵衛、我が上杉家の”車懸かり”をどういなすか、拝見しましょう」



短いですが、一応UPです。

次回は前田家VS真田丸の予定です。


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