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狸と瓢箪  作者: そる
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その4


徳川家の支配は、後に江戸時代として語られる時期と比べ、まだ完全に公儀として固まりきっていない。

領地、動員数は飛びぬけており、征夷大将軍を世襲しているが、世はまだ戦国時代の名残を残している時代である。

とはいえ、ほぼその支配も固まりかけている事は事実であり、最後の仕上げがかつての主家、豊臣家の処遇であった。

関ヶ原後、幕府を開いて天下の主となった徳川家だが、公式には豊臣家は徳川家に臣従していない。

二条城での会談もあくまで孫婿との対面というお題目をつけただけであり、秀頼が頭を下げて拝礼したわけではなかったのである。

徳川家としては、豊臣家が徳川の臣下として降り、今後は将軍を奉ります、と言ってくればかつての織田家の者のように適度な領地を与えて一大名として残す事も考えていた。

が、淀君を中心とする勢力は徳川家の下風に立つ事を嫌い、あくまでも自らが主家である、との立場を崩さなかった。

こうなれば、この日本で徳川家の天下を認めない勢力が大坂に巨城を構えているのは、はなはだまずい。

今は皆頭を垂れて家康の前で伏しているが、内心どう思っているかわかるものではない。

関ヶ原で大幅に領土を減らされた毛利、自らに責はなく非もないと恫喝交渉を仕掛けてきた島津。

北では関ヶ原の戦いの時期に、領土を切り取って拡張しようと策動していた伊達もいる。

伊達に到っては、「動かないこと、牽制に終始することが最も忠義である。戦が終われば特別に伊達には百万石を与えようと思っている」との空証文まで切っている。

その他、豊臣家子飼いの加藤、福島両家、前田家などは関ヶ原の謀略戦の一巻で一度は謀反の嫌疑を吹っかけて利家の正室である松を人質に取っている。

今は大人しく忠義の者として新政権に強力しているが、それは現当主、前田利長が政治的なセンスを発揮して新政権にうまく尽くしているからである。

もし、徳川家の支配が緩んで何事が起こるやもしれぬ、となった場合、彼らはどう動くか。

毛利・島津・前田などが豊臣秀頼を担ぎ、「悪逆なる徳川を誅すべし」とでもなれば伊達はすぐさま兵を退き、自国周辺で策動するだろう。

当然、それには徳川家の支配力が緩み、その威光が急速に衰えるような事が起こったのみである。

現状、そんな事は起こりそうにもなく、各大名はこぞって対大坂戦に参陣するために続々と国許を出立していた。


普通に考えて、圧倒的な兵力差に加えて相手は浪人。いくらか名の通った人物がいようとも既に伝説の武人となっている徳川家康の威光の前には全て霞む存在でしかない。

すでに二代である秀忠に将軍職を譲っているが、あくまで徳川家の最高権力者は家康であり、本人にその傾向が薄いとはいえ立派に独裁者である。


家康にとってみれば、今の豊臣家を潰すことになんの感慨もない。

元々、織田信長にとっての同盟者であった彼は、席次として当然織田家臣であった秀吉より上位であった。

それが奇術のような秀吉の手腕によってまたたくまに近畿一帯は秀吉の者となり、重臣筆頭の柴田勝家を破り、多くの味方を急速に増やした。

その間、家康は空白地帯となった信濃や甲斐を切り取り、不審に思った北条と交渉し、地道に石高を増やしていた。

その後、織田信雄の援軍要請に答える、との名目でやっと豊臣秀吉と対峙。

敵の中入り軍を打ち破り、秀吉の妹、実の母を人質に取ることでようやく上洛。

ぎりぎりまで自分の価値を高騰させて豊臣の中で最も重き立場を得たのである。

家康の中では秀吉など下賤の身からにわかに大名となった成り上がり者であり、本来なら自分の下風に立つべき者であった。

それでも天下のために豊臣政権下に入り、重臣として仕えてきた。

今、秀頼が当主の豊臣家など、本来であれば幕府を開いた時に列将と共に拝謁を受けさせてやる存在のはずであった。


しかし、一応彼は豊臣政権の大老という重臣の地位に居た。

たくみに乱を煽り、石田三成を思い通りに誘い込み、豊臣恩顧の大名を率いて合戦し、勝ったとはいえ、この公式の立場は消えない。


臣従しなければ滅ぼすしかない。


豊臣政権が北条家を攻め滅ぼしたように、自分達の幕府を認めぬ者は最早滅ぼして禍根を断つ。

それが家康に取っての、生涯最後の総仕上げとなる。


豊臣家がなくなれば、かつての主家はこの世から消える。

徳川だけでなく、他の大名にとっても同じであり、そうなれば全ての大名家は池に浮く浮き草のような存在となり、徳川家がどう扱おうが勝手である。

謀反気がある家や今後の治世に必要ない家は取り潰し、大規模な国替えを行い、直轄領をさらに増やして特に大坂などの重要都市の全てを直轄地にする。

そうすれば、最早どの大名も徳川家の下っ端役人すら恐れるようになり、石高の高い大名であっても譜代の一奉行程度で抑えられるようになる。


そのためにも、豊臣家をさっさと臣従させるのが一番の近道だったのだが、これは淀君のヒステリー気味な反対で消えた。

だから大義名分を用意し、全国の大名に大坂城を囲ませる事によって「かつての主家をお前も囲んでいる」との意識を共有させる必要がある。



その後、徹底的に豊臣家を断絶し、秀吉の墓を打ち壊してこそ社稷がたつであろう。

家康は自分が生きているうちに全ての問題事を片付けておくつもりであった。



一方で秀頼は"未来の知識"でこの大阪の陣、そして豊臣家の最期を知っている。

その未来を打開する方法は、現状ではほとんどないように思えた。

淀君の口出しを排除し、未来で語り継がれるほどの名将に戦略の全てをまかせても・・・勝ち目は薄い。

というか、ほとんど無い。

それは名将たち・・・真田幸村や後藤又兵衛や長宗我部盛親も分かっている。

分かっていてなお、全力を尽くして幾度かの幸運を物にすることによって、勝利に近い形を作ろうとしている。


戦略は彼らにまかせるしかない。

今は明石全登が率いた部隊の戦果を期待しつつ、城の防衛力を強化し、機会があれば討って出ることだ。

が、その前に徳川家康という人間を知らねばならない。


秀頼は大阪城の奥へと渡っていく。

渡りながら、自分の持っている知識での家康像をまとめていた。


徳川家康。

江戸幕府を開いた人物にして、天下人であり、稀代の謀略家という印象が強い。

あるいは忍耐の人、という評価が一般的であろうか。

幼少時代は波乱万丈の人生というにふさわしい。

今川家に人質として送られる際、織田信長の父、信秀によって奪われ、後に信秀の嫡男と交換で今川家に人質として入っている。

今川家では属将として育てられ、三河に傀儡政権を作るために利用されたという。

その後、桶狭間の戦いによって今川義元が死亡すると独立。織田と同盟し、外敵と戦っていく。

若い頃は血気盛んであり、自らの境遇に憤りを感じており、多分に博打的な戦を行うことも多かったという。

その性格の転機は三方原で武田信玄に大敗した事と言われており、その後の家康は耐え忍びながら好機を待つ将として成長していったという。

どこまでが真実でどこまでが虚飾なのか、それは遥か未来の歴史学者が判断することである。


戦についてはどうか。

野戦においてこの日の本で最も長い軍歴を持ち、その配下の三河武士軍団と合わせて強兵集団というイメージが強い。

事実、徳川配下の三河武士と、信州・甲斐などから召し上げた旧武田の武士は強力な兵団であろう。

野戦指揮官としても水準以上の者が多いが、この時期になっていると関ヶ原などで戦場を馳駆した古強兵は少ない。

大した戦場経験もない旗本が多くなっている。それでも、秀吉の親衛隊というべき組織よりは強いだろうが・・・。

徳川家、というもので見ればまずは徳川家康、次に評価は少し落ちるが十分に名将の器である秀忠。

連れてきている本多忠朝・井伊直孝・立花宗茂・伊達政宗・藤堂高虎等々、他の大名級も稀代の名将ばかり。


長宗我部盛親がいうには、旗本と大名には温度差がある、と言っていた。

忠義の形として、動員兵力限界の人数を連れてきた大名達。

正直、まだ国替え等で安定していない状況で出兵してきている大名もいる。

『損害を受ける前に、さっさと帰りたい』という大名達も多いらしい。

一方、旗本は手柄が欲しい。この戦が「総仕上げ」である限り、ここでの功名が最期の機会になる。

家康も大名たちよりは、自家の旗本に手柄をあげさせて、徳川家の所領を増やすほうがいい。

外様にはこれ以上の大封は与えたくない。

そういった情勢を踏まえて・・・どうにか徳川勢と大名達の戦意を削げないか。

援軍のない状況での篭城戦など、いくらでも手を打たなければただ衰弱して滅ぶのみである。



・・・だからこそ、家康の本質が知りたい。

世間で言われるような人物なのか、それとも真実の姿は天下泰平を願う人格者なのか。

その判断のために・・・合わねばならない。


秀頼は少し緊張しながら、それでも無作法に障子を開けて目的の部屋に入った。

突然秀頼が入ってきて驚いた女中が慌てて這い蹲るが、それに構っている暇は無い。

無視して奥へ進もうとすると、周囲の女中が止め始めた。

『この奥は千姫様の寝所。何用でありましょうか?』

この女中達は徳川家からつけられた千姫直属の者たちである。

彼女達から見れば、ここは敵地の真ん中で秀頼は敵総大将、という意識がある。

が、秀頼は彼女達に穏やかな口調で目的を告げた。

「我が妻に合いに来た。夫が妻の寝室に通うのがそれほど珍しいか?」

口調は穏やかだが、有無を言わせぬ迫力を含んでいる。

女中は引き下がった。これ以上止めれば斬られる、と思ったのかもしれない。



女中がいなくなった後、寝室の障子の前で秀頼は少し止まった。

・・・開ければ、千姫が、秀頼の正妻がいる。

が、結婚の儀以来、公式な場でしか対面していない。

およそ、夫婦と呼べるような関係ではなかった。

まともに話したことすらない。


・・・それでも聞かないとな・・・。


どんな情報でもいいから欲しい。徳川家康の情報が少しでもあれば何か・・・何か勝機が見えるかもしれない。



秀頼は、決心して障子を開けた。





千姫とは?

秀頼は考える。


徳川秀忠の娘であり、母は江。江は淀君の妹である。

つまり、秀頼にとっては妻であり、従姉妹でもある。

秀頼と結婚したのは、実に七歳の頃である・・・ロリとかそんなレベルじゃない。もっと恐ろしい何かだ。


別に戦国時代では珍しくもないことだが。


大阪の陣が終結した後、秀頼と側室の娘、奈阿姫を自分の養女にしてその命を助け、娘として育てている。

歴史は言う。

秀頼とは中の良い夫婦であり、彼女は出家後、天樹院と称したときに豊臣桐を家紋としてかかげていたという伝説まである。


情は深く、天性のものなのか、人に愛される気性であり、家康・秀忠から深く愛され、兄弟である家光との仲が良かったという。


その彼女が、今、自分の目の前に座っている。

綺麗な黒髪、大きな目が驚いたように見開かれている。



(美人だな。同世代の他の女性と比べても、やはり姫として育てられた気品が感じられる)



突然訪問してきた秀頼に驚いたようだが、すぐに灯りをつけて布団の上に正座した。


それ以来、喋っていない。秀頼から何か言われるのを待っているのだろう。


「千」


と秀頼は短く名を呼んだ。


「はい」


と千姫も短く返事をした。


それきり、秀頼も千姫も黙ってしまった。

秀頼は、何から話せばいいかをまとめられていないから黙るしかなく、千姫も秀頼が喋らないので、自分から喋ることも出来なかった。


「そなたの祖父、家康殿のことをな、聞きにきた」


結局、秀頼は素直にそう切り出した。


「お爺様の事を、でございますか?」


千姫は少し驚いていた。

最近はほとんど逢っていない夫が突然訪ねてきたと思ったら、自分のことではなく祖父の事を聞きたいという。


「あの、お爺様の事と言われましても、何をお話すればよいか・・・」


戸惑った声を出す千姫に、秀頼は苦笑しつつ「そうであったな」と呟いた。


「なんでもいいのだ。幼い頃に何かしてもらったとか、どういう雰囲気かとか、何が好物が何かなど、なんでも」


そういって話を促すと、千姫は少し首を傾けて考え、話を始めた。




「お爺様は・・・大きくてお優しい方です。私が幼い頃はよく膝の上に乗せて頂きました。

 鷹狩りや水練を好むとお聞きしたことがありますが、実際に見たことはありませんので・・・」

 

優しい・・・か。孫にはそうだろうな・・・。

千姫に聞いても、実生活の中での家康像は見えないか・・・可愛がられている孫だもんな。

 

自分は千姫からどんな情報が欲しかったのだろうか。

千姫は徳川家の武将でもなければ、家康の息子でもない。


人格や考え方が聞きたかったのだろうか? 徳川家康ともなれば、自らの感情を完全に殺して政治的な判断をしてのけるだろうに。


「もう何年も会っておりません。秀頼様は、二条城という城でお会いしたと侍女から聞きました」


「ああ、確かに会った。が、特に何かを話したわけではないからな」


儀礼として「会った」という、形式ばった対面である。

例えば家康から「徳川家に臣従しなさい」と言い出すわけでもなく、世間話をするわけでもない。


決められた手順に沿って対面し、時間が来たら退出する、そのまま互いに二条城を後にするというだけのものだ。



最も、そこでは、まだ、俺は秀頼ではなく、秀頼は俺ではなかったわけだが。



家康は・・・そこで何を秀頼に感じたのだろう?

後世では、一目見た秀頼を傑物だと感じ取り、討伐を決意したというが、それも創作のような気がする。


家康が・・・豊臣家を滅ぼすのは、豊臣家への恨みや自己満足のためではなく、あくまでも政略の一部だろう。

秀頼が愚物であろうが、傑物だろうが、滅ぼすことに変わりはあるまい・・・。

この「豊臣家に対する戦」によって、全国の武家に対して、徳川家のみが絶対の主君であると知らしめるための、戦争。

戦争だと思っているのは、豊臣側であり、徳川にしてみればこれは政治の範疇・・・なんだろうな。


「あとは・・・凄く偉いお人なのだ、と子供心にも思っておりました」


偉い、ね。

確かに、前征夷大将軍であり、幕府の最高権力者だ。偉くないわけがない。

関白であった豊臣秀吉は、公家や朝廷の中では頂点であったが、武家の頭領ではなかった。

本格的に形式を突き詰めれば、征夷大将軍は朝廷より賜るものであり、天子の代理人たる関白のほうが偉いとも言えなくもないが・・・。

武家社会を統一していくには、やはり征夷大将軍のほうがいいんだろうな。


家康は、信長が幕府を開かなかったのを見ていた。

秀吉が関白になったのを見ていた。


あるいは、それらを見てやはり政権を運営していくには幕府という形式が最もよいと判断したのかも・・・。

なんにせよ、今や『徳川幕府』が出来上がっており、豊臣家討伐はその総仕上げということなのだろう。


ますます、なぜ千姫とこんな話をしているのか分からなくなってきたな。

いや、千姫とこうして家康のことで会話することによって、自分の中で家康という人物像を作ろうとしているのか。



「あの・・・秀頼様?」


考えに沈んでいた秀頼を心配して、千姫が声を掛けた。


「ん、すまん。そっか、家康殿は優しい祖父だったか」


(その優しい祖父である家康も、必要とあれば可愛い孫である千姫をためらいなく見捨てるだろう。

 それが出来るからこそ、実際にそうしてきたからこそ、徳川家康なのだ)


「はい・・・あの、私からもお聞きしたいことがございます」


まっすぐに目を見つめて千姫は秀頼に聞いた。


「侍女や供の者が言います・・・秀頼様とお爺様が、戦いになると・・・」


「事実だ」


秀頼は被せるように言い放った。

ごまかしや嘘を言ってもしょうがない。そして、その事について議論や批評をする段階は既に過ぎている。


その言い様に、千姫の体がこわばる。


「遠からず、この大坂城にまで家康殿が率いる軍勢が押し寄せよう・・・そして、この秀頼は」


一度息を切って、秀頼ははっきりと言った。


「この秀頼は大坂方の大将である。つまり、お主の祖父と弓矢を交えることになる」


言ってから、秀頼は内心で苦笑していた。

現代では戦争など遠い世界の話でしかない。

それが、一丁前に徳川家康とやりあうと宣言しているとは。


豊臣秀頼。その名を持つ者として立たねばならないというなら。

せめて無様な真似はしまい、となぜか自然に思える自分がいる。


(秀頼の最期を知っているからか、それとも秀頼本来の気質がそうだったのか、それとも俺が錯乱しているだけなのか。

 なぜか恐怖や躊躇いを感じないんだよな)


「だがな、千。私はお前を巻き添えにしたくはない」


そう、千姫は政治の道具にされただけだ。

自分や浪人衆に付き合うことはない。


「・・・秀頼様」


千姫は目の前の夫を見つめながら、しかしはっきりと言った。


「私はあなたの妻です」


それは自分だけが戦いの前に逃げ出すことを良しとしない、はっきりとした意思表示であった。


(武人の妻、武家の娘として育てられただけのことはあるが、それ以上に本人の気質か)


その強い瞳に魅入られるように、秀頼は千姫から目が離せなかった。




秀頼が千姫と床を共にした日から数日後、明石全登からの伝令が大坂城に駆け込んできた。


「我が隊、伏見城を焼き払ったり! されど敵兵力すでに京へと迫っており、これより大坂に帰陣するとのこと!」

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