陽椥の森
陽椥の森。
高貴な身分の者がその森へ赴けば、美しい女達が、舞い、歌い、そして音色を奏で一時の安らぎをもたらした。
毎夜毎夜、姿の違う貴人へ宴をあげるその隅には常に傘持ちが出で立った。
見かけは不格好ながらも剣の腕がたつ、傘持ちを兼ねた用心棒。
誰とも会話をせず、誰に視線をくれてやらず、誰の幸せにもならず、誰からも愛されることはなく。用心棒達は、女達とは対照的なものだった。
その男は、頭が上がりすぎないようかがみながら蛇の目傘を差した。
かたわらで演奏を聴く貴人とはやしたてられる者を守るのが、男の仕事だった。
腰に携える黒の鞘をきゅっと握りしめ、何時でも抜刀できるように身構えていた。生ぬるい風が、両目を覆う男の包帯をゆらす。
(わたくしの姿は……見えていないのでしょうか)
琴を演奏する女が心の内でひとり呟いた。
男の姿はここ数ヶ月、よく目にするようになった。今、女が音色を響かせている貴人の傘持ちとして役目を負っていると、風の伝えでたびたび聞いた。
けれど女達とはもちろん、貴人とさえ言葉を交わす姿はあまり見ない。
いつからだろう、男の素顔を見てみたいと思い始めたのは。いつからだろう、こんなにも男の声を聞いてみたいと思ったのは。
一方的な想いとわかっている。わかっていながら、黙黙と主を守るその姿に見惚れる日日が続いたのだ。
いつのころからだったか。女が男にひそかな恋心を持ってしまったのは。
頭を支配する感情を振り払うよう、女は手を休めることはなく爪をたくみに操り儚い音を奏でた。
蛍が、淡い光をまとい舞う中で音を奏でる女に合わせ数人の女が口を開いた。
静かな琴の音色と同調するように静かな、心地の良い歌をうたった。琴歌と云う。
女がふっと琴から視線を外し傘持ちの男を見ても、男は乾いた地面をじっと見ているだけだった。いや、始めから地面も、女も、川辺の蛍も、木木の青青と茂った木の葉も、己が守る貴人の者も。
何も見えてはいないのだろうか。
目を伏せて女は演奏に集中した。失敗は許されるものではないのだから。
今はただ、目の前の貴人の御方にゆるやかで、たおやかな音を奏でることに全霊をささげることが第一だ。
しかし琴の音が辺りに響く最中、時として呼ばれのない客人が来る時もある。
奏でる腕に影が重なる。それは、貴人の命を狙う者の影。貴人の、絶対的な権力を奪うための暗殺者。
貴人を囲む女が目を覆う中、琴の音を休むことはない。それは歌をうたう者とて同じ。
貴人の首に刃がいまかいまかと突き刺さらん時、蛇の目傘が鞘と共に宙へ放られ、男の姿が空を舞う。
キィィイイイン!
刃物から、甲高い音が空に響く。同時に嫌な、独特の香りが周辺を漂う。すぐに風に運ばれてはいったが。
首を狙った刃は水底へ突き刺さり、魂のない骸は川辺へと転がり赤赤とした鮮血を水へ流した。身体を覆った布は無残に切り裂かれ川の澄んだ水を赤黒いものへ変えた。
一瞬の出来事。
空を舞った姿が貴人の背中へ降り立つと、空を泳いでいた鞘に刀を納め、風に運ばれた蛇の目傘を手に取り、何もなかったかのように、再び貴人より頭を下げ、静かにその身をかがめていた。
蛇の目傘を差したまま。
男が傘持ちとなってからは、実に様様な女達を見て来た。はごろもを纏い踊る女、清んだ声で歌をうたう女、三味を弾く女。
皆が主にへつらい安い誘いを飛び交う時を後ろで聞くのは嫌なものだ。妙に癪に障る言い方が耳によく残った。
主との管の役割を負ってもらうためか、それとも単なる物好きなのかは図ることはできないが、不格好な姿をしている男に近寄ってきた女もいた。
何を企んでいるのかと、傘持ちとして拾ってくれた初期は戸惑ったこと。だがそれはもう昔の話。
女を連れる主が今宵のもて成しの合間、そっと男に耳打ちをした。
「そなたも、よき音色だとは思わんか?音色を、歌を……しかと。聞いておくのだ」
「……承知」
「それに、なかなか麗しい者が琴を弾いている」
主のその言葉に、男は何も言わず。がくっと首を項垂れさせた。
「よき音色であった」
女が深く頭を下げ、見下ろす貴人の言葉に相槌を打ちその後ろ姿を眺めた。
相手は貴人。何か失態を犯せばこの森を追放されるのではないか……と。そのような考えばかりが脳裏に浮かぶものだから、演奏の際は肩に力を入れ過ぎてしまったらしい。
余計な緊張を女は背負っていたためか、終わったと同時にどっと疲れ果てていた。
暗殺者の骸は魚につっつかれていったのか、それとも川の流れに流されてしまったのか、今は赤黒い水は通らず、澄みきったいつもの川辺。
女は、すっと川のほとりに歩み澄んだ川をすくい上げた。
ぱしゃり。
飾らない女の顔を冷たい水が緊張の糸を断ち切らせた。
「一重、という者か」
女の後ろで声が聞こえた。
水が女から滴り落ち川の水と溶けあい波紋を残して消えてゆく。
やわらかな布で川の水を拭いとると、女は振り向き、淡いあめ色の瞳を大きくさせた。
閉じた状態の蛇の目傘を持ち、腰には黒い鞘を携えた、不器用な包帯を目に巻く男の姿。先ほどの貴人の用心棒としてそばにいた男だ。
女の姿を見ていない、見えているのかさえわからない、用心棒の瞳があるだろう包帯が巻かれたか所へ目をやった。
「は……はい、一重にございます」
「先の御方、樹洛様より邸宅への招待の旨を伝えるべく参った」
「それは……御足労をかけたことでしょう」
「大したことではない」
男は懐から取り出された証、滑らかで光沢のある、小さな紙を差し出した。大ざっぱに包帯の巻かれた指先だった。
金箔で彩られたそれはシンプルながらもどこか煌びやかなそれを、女……一重は遠慮がちにも受け取った。
「邸宅へ招待された者の証、といった所だ。五日後、邸宅よりそなたの元へ使いが向かおう。……では、私は去ろう」
「お名前は……」
「……・・なんと?」
背を向けた男の肩を、一重は白く細い腕で掴んだ。頭一つ分以上も大きなその男に、一重は声をつっかかえながらも再度、問いかけた。
「お名前は、なんと……なんと仰るのですか」
「……焔という。樹洛様が、私に与えた名だ」
ぽつりぽつりと呟くように言いながら、男……焔は一重へ向き直る。
黒い髪を巻き込んで巻かれた包帯が風に揺れ、一重は薄く微笑んで焔を見上げた。しかし焔に一重の表情は窺えない。
一重もまた、どのような瞳の色を焔が持つのかも知らず。
一重は続けた。
「樹洛様と、焔様はいつもご一緒なのですね」
「腕が立つ今は、傘持ちとして傍にいさせてもらっている。それと……私は誰かに、様と呼ばれる身分ではない」
「あら。それでは、わたくしは焔……と呼べばよいのですか?」
「好きにして構わない」
「そう……ですか。では貴方も、わたくしのことを一重と呼んでくださりますね?」
「……あぁ」
くすくす。小さく笑う声が焔の耳に付きまとい離れない。
一重の調子に焔は短く息を吐くと、見えぬ空を仰いだ。一重も真似るように、空へ視線を向けた。
「今宵は、樹洛様は満月だと言っていた。……満月とは、綺麗なものか」
「えぇ。とても、綺麗なものでございます。満月に少しの雲がかかっていますが、それもまた、とても美しいのです」
「そうなのか」
消え入るような焔の声が空に消え、その様子に一重は、あっと息をのんだ。
「私の目が見えなくなったのはもう何年も昔……気にする心さえ忘れた」
乾いた焔の唇から囁かれた言葉に、一重はしばし俯き、沈黙の後に焔を見上げた。
「焔。焔は、いつからこの陽椥の森へ?」
「目が見えなくなってからだ。樹洛様に拾われた」
「そうなのですか?」
「拾われる前、私は剣術を扱っていた。それゆえに拾ってくれたのだ」
「用心棒として、ですか?」
「ああ」
焔の顔は一重へと向けられているはずなのに、一重の瞳には焔が映っているのに、焔の瞳に一重が映されることはない。
あぁ、これが、切ないという感情なのだろう。
顔は向きあっているはずなのに。言葉は通じているはずなのに。声は届いているはずなのに。
「焔」
「なんだ」
「また、わたくしとこうして、話をしてくれますか?」
「話?……一重は私と話を、していて楽しいものなのか?」
「ええ、とても。焔は、わたくしと話をすることが嫌なのですか?」
にこやかに笑う一重の瞳には、戸惑いながらも口元を緩める焔の顔が映った。不格好な包帯だらけの顔だった。
一重が焔の垂れた包帯にそっと添えるように手で掴むと、「包帯がゆるんでいます」巻きなおした。
痛くはないか、窮屈ではないか、包帯を取り換えなくても大丈夫か。
気遣う一重の言葉にひとつひとつ、痛くはない、ちょうどよい、包帯は大丈夫だ、と答えた。
耳の前で包帯の端と端を可愛らしい蝶結びにした所で、一重はくすくすと笑い声をあげた。
落ち着いた声音で笑う一重に、焔は小首を傾げ……蝶結びにされてしまった包帯を掴む一重の手に、固くごつごつとした焔の手が覆った。
「一重?」
「可愛らしいでしょう、この結び方」
「一重……。結んでくれたはいいが、その……なんだ。かた結びにしてはくれないか」
「焔はわたくしの結び方が気に入らないのかしら?」
「いや、気に……・・入った。といっておく」
「ふふ」
嫌と言わせぬ一重の物言いに、焔は首を項垂れて、再三見えぬ空を仰いだ。
「そろそろ」
「焔?」
「時間だ。……五日後、向かえに行く」
一重のすべらかな手から離し、川幅を飛びこえ焔は消えるように、夜の闇に身をくらませた。
つい先ほどまであった焔の体温を感じては、一重は雪のような白い肌を紅潮させた。
五日後となった、今宵。
向かえにくると残した焔の言葉を信じ、彼岸花の咲く丘に、大きく鎮座する大木の幹へ背を向け座り込む一重の姿を月が照らした。
一重の手元に握られる紙は折れた形跡もなく、綺麗に保たれていた。
ふっと、一重の栗色の髪に影が重なる。暗くなった視界、一重はばっと、勢い良くして見上げた。
「一重様でございますか?初めてお会いいたしますね。流燥、にございます。樹洛様の邸宅へご案内いたします」
見たこともない姿。鬼を模した面をつけている、男とも女ともとれぬ声色に、性別を隠すような、身体よりも大きいであろう着物をつけるその姿。
(……焔……焔ではない……)
一重はすくっと立ち上がり、握る紙を目の前に立つ姿へ差し出した。
くしゃり、と握ってしわのついたそれを。ほんの数秒前まではつややかな光沢を放っていたというに。
「はい……一重と申します」
「焔を気にしておられるようですが?残念ではありますが、焔は邸宅への出入りを禁止されていますゆえ。
今宵は、会えませぬぞ」
「さよう……にございますか」
影の差した一重の顔に、流燥は仮面越しに息を吐くと、差し出された一重の手を、押し戻した。
「ゆくか、ゆかないか。それは一重様にも、決める選択はございますが」
川辺にて。
鞘を杖のように叩きながら、その音を頼りに数日前の場所に赴いた。いや、足が勝手に動いた……と。
焔は誰にいうでもなく、言いわけのように呟くと仁王立ちをして人を待とうかと、思ったのだ。……誰を待っているのか?
(この陽椥の森で、私に知り合いなどいただろうか?)
樹洛様は知り合いと呼べる間柄ではない。護衛を頼まれた主だ。いや、主様といえばよいか。
今宵は樹洛様の邸宅で宴が開かれる。五日前のあの女、一重も呼ばれていた。
同じく樹洛様に仕える流燥が迎えに行ったはずだ。
愚かな考えを持つようになった。
「焔!」
「一重?」
背後から女の、一重の透き通った声が、辺り一帯によく響いた。
振り向こうかと思いをはせた途端に弱いながらも、足が揺らいだ衝撃を背に受けた。
刀の入った鞘が川の周辺に咲く花の中へ埋もれ、散らされた数枚の花弁が川の水へ呑まれていった。
「やはりここに……」
「邸宅へは……伺わなかったのか?」
「はい。焔が、邸宅へは出入りできないと聞いて。……貴方は何故ここに?」
「……一重と、話がしたくなった」
「わたくし、と?……ありがとうございます。焔」
背に寄り添う一重のほどよい温かみに、焔もまた、頬を熱く紅潮させていた。
前方に気配を感じると同時、背中の温かみが消えたとすれば、目の前にいる存在は一重だろう。
見えぬ一重の肩を、焔は力を込めず抱き寄せた。一重もまた、焔の背に細い腕を回した。
あぁ、久しぶりに人の体温を感じた。殺伐としたものではなく、こんなか弱き体温は。
一重と焔は、幾度も逢瀬を重ねた。
「焔は、好きなものはあるのですか?」
「好きなもの……今は一重の奏でる音が好きだ。しかし、目がある内は、何もなかった」
「何もですか?」
「見えてくるものがあれば、人の目を気にしなければならなかった。
一重には言っただろうか?私の父は厳格でな。小さな虫の音さえ私は好きだった……が。
父は、それを恥だと笑ってな。……そのような何もならない、音なぞを好いてどうすると」
「何にもならない。ですか?」
「私はそう思ってはいない。一重の奏でる音は、私を癒してくれる。私は好きだ。……父が、嫌うだけでな」
「……それでは。わたくしは焔の父上様に嫌われていたでしょうか?」
「そうとは限らん。一重は美しい、と樹洛様より訊いた。だから、女に弱い父は何も言わないだろう」
「まぁ。では、焔も父上様に似て女の御方には弱いのかしら?」
「私は……女にもてはやされたことはないのだぞ」
「冗談ですよ、本気になさらないでくださいな」
もう少し涼しくなれば、焔と一重のよりそうこの樹にも金の色が見られるだろう。
猫の瞳孔ほどもないほっそりとした月を見上げ、一重は焔の手を取った。
「焔、月には、うさぎが住んでいるのですよ」
「うさぎ?……月にか?何故そう言えるのだ?食べ物はあるのか?」
「ふふ。大丈夫ですよ。月ではうさぎ達がお餅を臼と杵でついているのですから」
「うさぎは……餅を食べるのか?」
「どうでしょう?」
一重の曖昧な返事に焔は、言葉をつまらせ妙な唸り声をあげた。一重に取られた手を、強く、けれど力を入れすぎないよう握り返す。
「あまり私をからかうな」
「まぁそう、かっかしないで」
耳元で「うふふ」と笑う、一重の無邪気な笑い声に焔は「はぁ……」と、息を吐いた。ため息にも似た息だった。
なんとなくもどかしい気持ちはあるが、これもまた一重と話をする以前には気付かなかった感情。
茶化すような言い方の一重の言葉は耳に障ることもなく、嫌ではなかった。
「一重。また、会えるだろうか」
「どうしたのですか?そんな、弱腰の貴方が見られるなんて。珍しい」
「……ほうっておけ」
焔の握る一重の手が弱い力で握り返した。
「じゃあほうっておきましょうか。……また会えますよ」
一重のその言葉を、焔は信じた。いや、当然のことだと思っていた。
また、今宵も会えると思って川辺へ足を運んだ。流れる水のせせらぎは一定の音を保っていた。
何も変わらぬいつもの音。ただ……少し妙な匂いが鼻をついた。独特の……血の匂いだ。ここで、用心棒が暗殺者を斬ったのだろう。そう思っていた。
もう、そろそろ……一重が来るころだ。
ふと背中に気配を感じる。きっと一重だ。いつも一重は焔の背中に無邪気にぶつかって笑う。それが毎夜のあいさつのようなもの。
弱弱しい衝撃が背中を襲うのだ、と口元に笑みを浮かべた。しかし今日は待てど暮らせど衝撃が来ない。
どうしたものか。腰に携えた鞘に収まる刃は必要ない。そう踏んでいた。
「一重?一重……どうし」たのだ。
焔の声が紡がれるより先に、焔の背中から胸にかけて何かが突き刺した。赤い血が、川の水をいっそう汚していることだけは、安易にわかった。
また、何かが焔の肩を突き刺した。鋭利なものだ。身体に食い込んだ鋭利なもの―――刃が次次に突き刺さる。腕に、胸に、腰に、足に。
首に。
白く薄汚れていた包帯が息をのむ間もなく赤黒い色に染められてゆく。
(何が、起こった)
鮮血に塗れた焔の身体が、川の水しぶきを上げて倒れた。鞘に収まる刃がじわじわと、錆に侵されだんだんと使い物にならなくなっていった。
今の、焔のように。
焔が倒れる川辺に一つの人影が重なった。
「焔……お前は光が見えないその身、妙な真似をしないと思っていたが。買いかぶりすぎたようだ。哀れな末路よ。樹洛様のお嘆き、お前にはわからんだろう」
鬼を模した仮面を被る姿。片手にいくつものくないを持っていた。焔に突き刺さるそれと同じ形をしていた。
「お前は腕が立っていた。一重様と出会うまでは。盲目と言う枷をつけているはずなのに、お前はまるで見えているように使者を殺め続けた」
仮面越しに覗く黒い瞳が焔から、その下に水底で髪を流水に合わせて揺らす姿を見た。
「哀しきこと。樹洛様はお前も、一重様も気にいっていたというのに……一重様までも用心棒などでその心を満たしてしまうなんて。しかし美しい者の最期は、美しいままなのだな」
流燥が呟いた言葉は、重ねて倒れる一重と焔の耳には届かないだろう。足元に咲き誇る花から、花弁を数枚失敬し、流燥は二人の背中へぱらぱらと、落とした。
「せめて黄泉の国で落ち合うことを」
ぼんやりと白いもやが辺りを囲み、以前と同じく寄り添った樹に腰をかける影が二つ、存在した。
片方は髪の長い女の影、もう片方は髪の短い男の影。肩を寄せ合い握りしめる手は、以前よりもずっと強く握りしめられていた。
男の手には相も変わらず不格好な包帯が巻きつけられていたが、顔を遮るものは何もなくなっていた。健康的な肌色に、赤の優しげな瞳が女を見下ろしていた。
女もまた、あめ色の瞳で男を見上げている。
『一重。お前の云っていた、月を見ることができるようになった。十五夜……とは、何をするものなのか?』
『月見のおだんごを食べて、栗や芋などを食べるのです。それから、ススキや秋の草花を飾って』
『……うさぎは、いるのか?』
『あら?焔はわたくしのことを信じていないのですか?』
『い、いや、そんなことは断じてない!……信じている。一重を』
『そうですか?ほんとうなのですか?目が見えるようになって、焔はわたくしにも疑うような素振りを見せてくれるようになった、気はいたしますけれど?』
『本当だ!あまり私をからかうものではない。……一重、また、琴を弾いてくれるだろうか?』
『うふふ。どうして、そのようなことを?』
『いや……主様や他の者を見なくなってからというもの。一重は琴を弾いていないだろう。なんといおうか、また…音色を聞かせてほしい』
『そうですね。わたくしも焔のために弾きたいと思っていたのです』
蛍の漂う川辺、涼しい風の吹く中で。微笑を浮かべながら琴を弾く女の姿と、女を見下ろす男の姿がやわらかい月夜の光に照らされていた。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
陽椥の森とは、いわゆる貴人様御用達のハーレムです。
皆様の気が少しでも紛れられたら幸いです。