第9話 「森の道」
街を出てから、三日が経った。
五人は、東の森を進んでいた。
木々が密集し、陽光が遮られる暗い森。足元には、落ち葉が厚く積もっている。獣道を辿りながら、慎重に進む。
「この森、どれくらい続くの?」
あかねが尋ねた。息が少し上がっている。三日間の徒歩移動は、体力的にきつい。
「あと四日くらいね」
セリアが答えた。彼女は、地図を確認しながら先頭を歩いている。
「森を抜けたら、平原がある。そこを三日歩けば、自由都市連合の最初の街、リベルタに着くわ」
「リベルタ……どんな街なの?」
「商業都市よ」
エルミナが説明した。
「東西の交易の中継地点。様々な国の商人が集まる、活気のある街」
「自由都市連合って、エルドランド王国とは全然違うの?」
トムが尋ねた。
「全く違うわ」
セリアが振り返った。
「エルドランド王国は、王と貴族が支配する封建国家。でも、自由都市連合は、各都市が独立していて、商人や職人のギルドが統治してる」
「つまり、民主的ってこと?」
「そうね。権力が分散してるから、一人の貴族が好き勝手にできない」
「それなら、安全ね」
「ただし」
リーナが弓を構えたまま、周囲を警戒しながら付け加えた。
「自由な分、危険も多いわ。犯罪者も集まりやすいし、法の執行も緩い」
「魔物も多い」
エルミナが続けた。
「王国みたいに、定期的に討伐隊を出さないから」
「でも、今の私たちには、そこしか行く場所がない」
セリアが言った。
「エルドランド王国内にいたら、いずれ捕まる」
五人は、黙々と歩き続けた。
昼過ぎ、小川のほとりで休憩を取った。
全員、疲れている。特に、トムは牢屋で弱っていたため、長距離の移動がきつそうだった。
「大丈夫?」
あかねが、トムに水筒を渡した。
「ああ、ありがとう」
トムは水を飲み、木の幹に寄りかかった。
「しかし、久しぶりの長旅だな。体が鈍ってる」
「無理しないで。ゆっくり行けばいいから」
「すまないな。足手まといで」
「そんなことない」
あかねが首を横に振った。
「トムがいてくれて、心強いよ。同じ日本人だし」
「そうか……」
トムが微笑んだ。
「久しぶりに日本語で話せて、俺も嬉しいよ」
「日本語……」
あかねは、懐かしさを感じた。
この世界に来てから、日本語を話す機会はほとんどなかった。この世界の言葉が、不思議と理解できるようになっていたから。
「なあ、あかね」
トムが尋ねた。
「日本のこと、覚えてる?」
「うん。でも、もう一ヶ月以上経つから、少しずつ遠くなってる気がする」
「そうか……俺は、三年だ」
トムが遠い目をした。
「最初の一年は、毎日日本のことを考えてた。家族、友人、仕事……全部、思い出してた」
「二年目は、だんだん忘れ始めた。顔が思い出せなくなったり、声が聞こえなくなったり」
「三年目の今は……もう、別の世界のことみたいだ」
トムの声には、寂しさが滲んでいた。
「家族は……?」
「両親と、妹がいた」
トムが空を見上げた。
「俺が突然いなくなって、どれだけ心配したか……」
トムの目が、潤んでいた。
「でも、もう戻れない。それは、分かってる」
「トム……」
「大丈夫」
トムが涙を拭った。
「もう、泣かないって決めたんだ。この世界で、前を向いて生きるって」
あかねは、トムの強さに感動した。
三年間、一人でこの世界を生き抜いてきた。
家族を思い、それでも前を向いてきた。
「私も、そうする」
あかねが言った。
「この世界で、しっかり生きる」
「ああ。一緒に頑張ろう」
二人は、拳を合わせた。
休憩を終え、再び出発した。
森を進みながら、あかねは鑑定能力で周囲を調べた。
木々、植物、小動物。様々な情報が浮かび上がる。
すると、茂みの中に動物の気配を感じた。
鑑定する。
『森ウサギ。食用:可。味:良好。栄養価:高』
「あそこ」
あかねが小声で指差した。
茂みの中に、ウサギのような生物がいる。体長は40センチほど。灰色の毛並み。
「食べられる?」
リーナが小声で尋ねた。
「うん。鑑定したら、食用可って出た」
「よし、任せて」
リーナが弓を構えた。
息を止め、狙いを定める。
ウサギは、まだこちらに気づいていない。草を食べている。
リーナが矢を放った。
シュッ!
矢が、ウサギに命中した。ウサギは、一声上げて倒れた。
「ナイスショット」
セリアが褒めた。
「ありがと」
リーナが、ウサギを回収した。
「今夜の夕食ね」
その後も、あかねの鑑定能力で、食べられる木の実や薬草を見つけた。
赤い実を鑑定すると、『レッドベリー。食用可。味:甘酸っぱい。ビタミン豊富』。
緑の葉を鑑定すると、『ミントリーフ。食用可。効果:消化促進、リフレッシュ』。
「すごいわね、その能力」
トムが感心した。
「これがあれば、森でも飢えることはない」
「でも、魔力を使うから、あまり連続では使えないの」
「それでも、十分すぎるくらいよ」
エルミナが言った。
「私たちだけだったら、食べられる植物と毒のある植物の区別に苦労してたわ」
夕方、五人は野営地を作った。
開けた場所を見つけ、テントを張る。
セリアとリーナが薪を集め、エルミナが魔法で火を起こす。
あかねとトムは、周囲を警戒した。
「この辺り、魔物は出る?」
トムが尋ねた。短剣を手に、周囲を見回している。
「出るわ」
セリアが答えた。
「東の森は、魔物の巣窟。特に夜は危険」
「じゃあ、夜は交代で見張りだな」
「ええ。二人一組で、三交代にしましょう」
セリアが提案した。
「最初は私とリーナ。次はエルミナとトム。最後はあかねと私」
「了解」
夕食の準備が始まった。
リーナが、ウサギを解体する。手際が良い。
エルミナが、魔法で火の温度を調整しながら、肉を焼く。
セリアが、木の実とパンを配る。
あかねは、小川から水を汲んできて、ミントリーフを入れてハーブティーを作った。
「いい匂い」
エルミナが言った。
「ミントの香りって、癒されるわね」
夕食は、焼いたウサギの肉、パン、木の実、ハーブティー。
質素だが、美味しかった。
「美味しい」
あかねが、肉を食べながら言った。
「リーナの狩りの腕も、エルミナの魔法の火加減も、完璧ね」
「当然よ」
リーナが得意げに笑った。
「何年も冒険者やってるんだから」
トムが、肉を食べながら言った。
「こういう野営、久しぶりだな。牢屋にいた時は、食事なんてほとんど出なかったし」
「牢屋では、何を食べてたの?」
「パンと水だけ。一日一回」
トムが苦笑した。
「三日間、それだけだった」
「酷い……」
「まあ、牢屋だからな」
トムが肩をすくめた。
「でも、こうして外で食事できるって、本当に幸せだ」
五人は、焚き火を囲んで座った。
炎が、ゆらゆらと揺れている。
「なあ、自由都市連合に着いたら、どうするんだ?」
トムが尋ねた。
「冒険者として、また活動するわ」
セリアが答えた。
「他に、できることもないし」
「でも、エルドランド王国での実績は使えないんだろ?」
「ええ。向こうでは、私たちは犯罪者扱い。実績を持ち出せば、身元がバレる」
「じゃあ、一から?」
「そう。新人として、登録し直す」
エルミナが言った。
「大変だけど、仕方ないわ」
「でも、実力はあるんだから、すぐに上がれるわよ」
リーナが前向きに言った。
「そうだな」
トムが頷いた。
「俺も、一緒に頑張るよ」
「ありがとう」
セリアが微笑んだ。
「トムがいてくれると、心強いわ」
夜、最初の見張りが始まった。
セリアとリーナが、焚き火の前に座り、周囲を警戒した。
他の三人は、テントで休んでいる。
森の夜は、暗く、静かだった。
時々、遠くで動物の鳴き声が聞こえる。
「静かね」
リーナが呟いた。
「ええ。でも、油断はできない」
セリアが剣の柄に手を置いた。
その時、茂みが揺れた。
「何か来る」
リーナが弓を構えた。
茂みから、狼のような生物が現れた。
体長は一メートル以上。黒い毛並み。目が赤く光っている。
「シャドウウルフ!」
セリアが立ち上がった。
シャドウウルフが、低く唸りながら近づいてくる。
一匹だけではない。茂みから、さらに二匹現れた。
「三匹……」
「みんな起きて!」
セリアが叫んだ。
テントから、エルミナ、トム、あかねが飛び出してきた。
「魔物!?」
「シャドウウルフ! 三匹!」
五人は、すぐに戦闘態勢に入った。
セリアが前衛。剣と盾を構える。
トムも、短剣を持って前に出た。
リーナが弓を構える。
エルミナが杖を持ち、魔法の準備。
あかねも、アイテムボックスから短槍を取り出した。
シャドウウルフが、襲いかかってきた。
一匹目が、セリアに飛びかかる。
セリアが盾で受け止める。
ガキン!
シャドウウルフの爪が、盾に当たる。
セリアが剣で反撃。
しかし、シャドウウルフは素早く避けた。
二匹目が、トムに向かう。
トムが短剣を構えて待ち受ける。
シャドウウルフが飛びかかる瞬間、トムが横に避け、短剣で斬りつけた。
シャドウウルフの脇腹に、傷がついた。
「ガルルル!」
シャドウウルフが、怒って再び攻撃してくる。
三匹目が、あかねに向かってきた。
あかねは、短槍を構えた。
密かに、鑑定能力を使う。
『シャドウウルフ。攻撃力:高。速度:高。弱点:目、喉。特性:夜間視力、群れで狩りをする』
情報が浮かび上がる。
弱点は目と喉。
シャドウウルフが突進してくる。
あかねは、医学知識を思い出した。
狼は、飛びかかる時に喉が無防備になる。
その瞬間を狙う。
シャドウウルフが飛びかかってきた。
あかねは、槍を突き出した。
槍の先端が、シャドウウルフの喉に刺さった。
「キャン!」
シャドウウルフが悲鳴を上げて倒れた。
「やった!」
リーナが、矢を放った。
矢が、セリアと戦っているシャドウウルフの目に命中した。
「ガルルル!」
シャドウウルフが暴れる。
セリアが、その隙に剣で止めを刺した。
残るは、トムと戦っている一匹。
エルミナが魔法を唱えた。
「『火よ、敵を焼け――ファイアボルト!』」
火球が、シャドウウルフに命中した。
シャドウウルフが燃え上がる。
トムが、短剣で止めを刺した。
三匹のシャドウウルフが、全て倒れた。
五人は、息を切らしながら周囲を警戒した。
「他には……いない?」
セリアが尋ねた。
「いないみたい」
リーナが答えた。
「良かった……」
あかねは、地面に座り込んだ。
緊張が解けて、体が震える。
「大丈夫?」
セリアが心配そうに尋ねた。
「うん……ちょっと、緊張しただけ」
「初めての夜戦だったものね」
エルミナが微笑んだ。
「でも、よくやったわ。あの一撃、見事だった」
「ありがとう……」
トムが、あかねの肩を叩いた。
「俺も驚いたよ。あの冷静な判断、すごい」
「トムも、すごかったよ。短剣だけで、よく戦えたね」
「三年間の経験だな」
トムが苦笑した。
「さて、死体を片付けましょう」
セリアが言った。
「このままだと、血の匂いで他の魔物が来る」
五人で、シャドウウルフの死体を森の奥に運んだ。
そして、焚き火の周りに、エルミナが結界魔法を張った。
「これで、小型の魔物は近づけないわ」
「ありがとう」
五人は、再びテントに戻った。
でも、興奮していて、すぐには眠れなかった。
翌朝、五人は早めに出発した。
昨夜の戦闘で、この森の危険性を改めて認識した。
できるだけ早く、森を抜けたい。
昼過ぎ、あかねはトムに話しかけた。
「トム、ちょっといい?」
「ん? どうした?」
「実は……話したいことがあって」
あかねは、少し離れた場所でトムと二人きりになった。
そして、能力のことを打ち明けた。
紋章、アイテムボックス、鑑定能力、医学知識、聖魔法。
全てを、正直に話した。
トムは、驚いた表情で聞いていた。
「そんな能力が……」
トムが、あかねの左手首を見た。
紋章は見えないが、確かに存在している。
「すごいな。異世界人でも、能力を持つ人と持たない人がいるんだな」
「トムは、本当に何も?」
「何もない。普通の人間のまま」
トムが肩をすくめた。
「でも、それでもいい。自分の力で、ここまで生きてきたんだから」
「トムは、強いね」
「君もだよ」
トムが微笑んだ。
「能力があっても、使いこなせなければ意味がない。君は、ちゃんと訓練して、実戦で結果を出してる」
「それは、君自身の努力よ」
「ありがとう……」
あかねは、トムの言葉に励まされた。
「でも、お願い」
「ん?」
「この能力のこと、秘密にしてほしいの」
「当然だ」
トムが真剣な表情で言った。
「その能力、知られたら危険だ。特に、聖魔法は」
「やっぱり?」
「ああ。聖魔法を使えるなんて、教会や貴族が放っておかない。あかねを『聖女』として、利用しようとするだろう」
「聖女……」
「歴史上、聖魔法を使える女性は何人かいた。でも、みんな不幸な最期を遂げてる」
トムが暗い顔で言った。
「権力者に利用されて、最後は殺されたり、幽閉されたり」
「だから、絶対に秘密にしろ。俺も、口外しない」
「ありがとう、トム」
あかねは、トムを信頼していることを改めて感じた。
四日目の夜、五人は再び野営した。
今夜は、あかねとセリアの見張りだった。
二人は、焚き火の前に座り、周囲を警戒した。
「ねえ、セリア」
あかねが小声で尋ねた。
「何?」
「私たち、本当にこれで良かったのかな」
「また、その話?」
セリアが苦笑した。
「うん……街を出て、追われる身になって……」
「後悔してる?」
「いや、後悔はしてない。でも、不安で……」
あかねが正直に言った。
「これからどうなるのか、分からなくて」
セリアが、焚き火を見つめた。
「私も、不安よ」
「セリアも?」
「ええ。自由都市連合に着いても、受け入れてもらえるか分からない。一から冒険者として始めるのも、簡単じゃない」
セリアが、あかねを見た。
「でも、あの時、トムとリリィを見捨てることはできなかった」
「うん」
「それが、答えよ」
セリアが微笑んだ。
「正しいと思ったことをした。結果がどうなろうと、後悔はしない」
「そう……だね」
あかねも、微笑んだ。
「それに、私たちには仲間がいる」
セリアが、テントを見た。
「リーナ、エルミナ、トム、そしてあかね。みんな、信頼できる仲間」
「一人じゃない。だから、何とかなる」
「うん」
あかねは、セリアの言葉に勇気づけられた。
二人は、しばらく無言で焚き火を見つめた。
炎が、ゆらゆらと揺れている。
森の音が、静かに響いている。
風の音、木々の揺れる音、遠くで鳴く鳥の声。
「ねえ、あかね」
セリアが口を開いた。
「能力のこと、トムに話したんでしょ?」
「うん。話した」
「良かったわ。トムも、仲間だもの」
「セリアは、トムのこと、どう思う?」
「いい人よ。信頼できる」
セリアが頷いた。
「能力がなくても、三年間この世界で生き延びてきた。それだけで、尊敬に値するわ」
「私も、そう思う」
あかねが言った。
「トムは、強い。心も、体も」
「ええ。これから、良い仲間になるわ」
二人は、再び焚き火を見つめた。
未来は不確か。でも、仲間がいる。
それだけで、何とかなる気がした。
七日目の朝、五人はついに森を抜けた。
木々が途切れ、開けた平原が広がっている。
遠くに、山々が見える。
「やった! 森を抜けた!」
リーナが叫んだ。
「長かったわね……」
エルミナが、疲れた表情で微笑んだ。
「でも、無事に抜けられて良かった」
「ここから、リベルタまではあと三日ね」
セリアが地図を確認した。
「平原を真っすぐ行けば、着くわ」
「じゃあ、行きましょう」
トムが言った。
「新しい生活が、待ってる」
五人は、平原を歩き始めた。
草原の風が、心地よい。
空は青く、雲が流れている。
あかねは、前を向いた。
新しい街。
新しい生活。
新しい未来。
不安もある。でも、希望もある。
仲間がいる。
それが、何よりも大きな支えだった。
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