第5話 「初めての依頼」
訓練を始めてから一週間が経った。
あかねの一日は、規則正しいリズムで刻まれていた。
夜明け前、まだ街が眠っている時間に起床する。簡単に顔を洗い、訓練着に着替える。
セリアも同じ時間に起きていて、二人で無言のまま訓練場へ向かう。朝の空気は冷たく、肺に心地よい。
訓練場に着くと、まずは準備運動。体をほぐし、筋肉を温める。
そして、短槍の基本動作。
突き。何百回と繰り返す。フォームを確認しながら、一回一回を丁寧に。
払い。左右に槍を振る。体の軸を保ちながら、槍の重みを利用する。
回転。槍を回して勢いをつける。手首のスナップが大事だと、セリアが教えてくれた。
「いいわよ、あかね。フォームが安定してきた」
セリアが声をかけてくれる。
「一週間前とは、別人みたい」
確かに、最初の頃とは違う。体が槍を覚えてきた。動きが自然になってきた。
でも、それだけではなかった。
密かに、能力の練習もしていた。
早朝、誰もいない訓練場で。夜、皆が寝静まった後の部屋で。
アイテムボックスの練習。
最初は短槍だけだったが、今では様々な物を出し入れできるようになった。服、食料、水筒、小物。
取り出す速度も上がった。戦闘中、瞬時に武器を取り出せるようになった。
鑑定能力も進化していた。
訓練場の藁人形を見れば、『訓練用藁人形。製作から2年。損傷度:中程度』という情報が浮かぶ。
セリアの木剣を見れば、『訓練用木剣。オーク材。重量:1.5kg。使用者:セリア・ブライトブレード』と表示される。
人の情報も読み取れるようになってきた。ただし、基本的な情報だけ。名前、年齢、大まかな健康状態。
試しに、セリアを鑑定してみたことがある。
『セリア・ブライトブレード。17歳。剣士。健康状態:良好。戦闘能力:高』
思ったより詳しい情報は得られなかった。おそらく、能力がまだ未熟なのだろう。
医学知識は、自分の体調管理に役立っていた。
筋肉痛を和らげるマッサージの方法。疲労回復に効果的な食事の組み合わせ。睡眠の質を上げる方法。
母の知識が、確かに役立っている。
聖魔法は、まだ練習段階だった。
夜、部屋で一人の時に練習する。
手のひらに意識を集中させると、淡い光が漏れ出す。温かく、優しい光。
試しに、訓練で擦りむいた膝に手を当ててみた。
光が傷に染み込んでいく。すると、痛みが和らぎ、傷が少しだけ小さくなった。
完全には治らない。でも、確実に効果はある。
この力を、もっと使いこなせるようになれば……
でも、誰にも話せない。
セリアたちへの信頼は、日に日に深まっている。
一緒に訓練し、一緒に食事し、一緒に笑う。
彼女たちは、本当に良い人たちだ。
でも、まだ「確信」には至っていない。
もし、能力のことを話して、それが誰かに漏れたら。
王家や貴族に知られたら。
首輪をつけられて、道具として扱われたら。
あかねは震えた。
まだだ。もう少し待とう。
もう少し、彼女たちのことを知ろう。
本当に信頼できると確信できるまで。
三日目の朝、訓練中にセリアが言った。
「あかね、そろそろ実戦形式の訓練をしましょう」
「実戦形式……?」
「ええ。私が本気で攻撃するわ。もちろん、怪我をさせないように手加減はするけど」
あかねは緊張した。
「準備はいい?」
「はい」
セリアが木剣を構えた。その目つきが変わった。訓練モードから、戦闘モードへ。
「来るわよ!」
セリアが突進してきた。速い!
木剣の連続攻撃。右、左、上段、下段。
あかねは必死に槍で受けた。でも、ついていけない。
一撃が、あかねの槍を弾き飛ばした。
「まだまだ!」
セリアの木剣が、あかねの喉元に迫る。
咄嗟に、あかねは体を捻った。木剣が頬を掠める。
そして、反撃。槍を捨て、セリアの懐に飛び込む。
手首を掴む。体重移動。回転。
背負い投げ!
セリアの体が宙を舞い、地面に落ちる。
でも、セリアは受け身を取って、すぐに立ち上がった。
「いいわ! 格闘技への移行が早い!」
セリアが笑顔で言った。
「でも、もっと早く反応できるようになりましょう。もう一回!」
何度も何度も繰り返した。
倒され、立ち上がり、また挑む。
体中が痛い。息が上がる。でも、止まらない。
「よし、今日はここまで」
セリアが言った時、あかねは地面に倒れ込んだ。
「お疲れ様。でも、いい訓練だったわ」
セリアが水筒を渡してくれた。
あかねは水を飲み干した。体が水を求めていた。
「あかね、本当に強くなってる。一週間前とは別人よ」
「ありがとう……」
「でも、まだまだ。これから、もっと強くなりましょう」
あかねは頷いた。
五日目の午後、エルミナから文字の読み書きを習っていた。
「これは『火』という文字。こっちは『水』」
エルミナが羊皮紙に文字を書いていく。
あかねは見よう見まねで、同じ文字を書いた。
「上手ね。もう基本的な文字は読めるようになったわ」
「ありがとうございます」
「ところで、あかね」
エルミナが真剣な表情になった。
「この一週間、ずっと気になってたんだけど……」
あかねの心臓が早鐘を打った。能力のことに気づいた?
「無理してない?」
「え?」
「毎朝、誰よりも早く起きて訓練してるでしょ。夜も遅くまで起きてるみたいだし」
あかねはホッとした。能力のことではなかった。
「大丈夫です。早く強くなりたいので」
「気持ちは分かるけど、無理は禁物よ。体を壊したら、元も子もないわ」
「はい、気をつけます」
エルミナは微笑んだ。
「あかねは頑張り屋さんね。でも、時には休むことも大事よ」
「分かりました」
「それと、もう一つ」
エルミナが声を潜めた。
「何か、悩み事がある?」
「え……」
「この一週間、時々、すごく暗い顔をしてる時があるの。何か抱え込んでない?」
あかねは動揺した。
悩み事。ある。能力を隠していること。
でも、それは言えない。
「少し……故郷のことを思い出して、寂しくなる時があるんです」
嘘ではない。でも、全てではない。
「そう……無理もないわね」
エルミナがあかねの手を握った。
「でも、あかねには私たちがいるわ。何かあったら、いつでも話してね」
「ありがとうございます」
あかねは罪悪感に苛まれた。
エルミナは、こんなに優しくしてくれているのに。
自分は、嘘をついている。
いつか、話さなければならない。
でも、今はまだ……
七日目の夜、リーナと二人で宿の屋上にいた。
リーナが、星を見ながら弓の手入れをしている。
あかねも隣に座り、短槍を磨いていた。
「ねえ、あかね」
リーナが口を開いた。
「慣れた? この世界に」
「少しずつ……」
「そう。でも、まだ不安もあるでしょ?」
「はい……」
リーナは弓を置き、夜空を見上げた。
「私もね、最初は不安だったわ」
「リーナも?」
「ええ。私、孤児だったの」
あかねは驚いた。
「両親は、私が五歳の時に魔物に殺された。それから、孤児院で育ったの」
「そんな……」
「孤児院を出て、冒険者になった時、すごく不安だった。一人で生きていけるのか、って」
リーナは遠い目をしていた。
「でも、セリアと出会って、エルミナと出会って。仲間ができた」
「今では、彼女たちが家族よ。血は繋がってないけど、本当の家族」
リーナがあかねを見た。
「あかねも、私たちの家族。だから、何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね」
「ありがとう、リーナ」
あかねは涙が出そうになった。
こんなに温かい言葉をかけてくれる。
でも、自分は秘密を隠している。
申し訳ない。
でも、まだ話せない。
「リーナ、私……」
「ん?」
「その……みんなに感謝してます。本当に」
「ふふ、堅苦しいわね。でも、気持ちは伝わったわ」
二人は、しばらく無言で星を見ていた。
そして、八日目の朝。
訓練を終え、ギルドに向かうと、セリアが一枚の依頼書を指差した。
「これ、どう思う?」
『依頼内容:薬草採集の護衛
依頼主:薬師ロレンツ
報酬:50シルバー
危険度:低
詳細:北の森で薬草を採集する。魔物の襲撃に備え、護衛が必要』
「薬草採集の護衛……」
「ええ。危険度は低い。あかねの初依頼に丁度いいと思うんだけど」
あかねは依頼書を見つめた。
初めての依頼。初めての実戦。
「やってみます」
「よし。じゃあ、明日の朝出発ね。今日は準備と、最終調整をしましょう」
その日の午後、セリアと最後の模擬戦をした。
「あかね、明日は本番よ。全力で来て」
「はい」
セリアが攻撃してくる。速い。でも、一週間前よりは反応できる。
槍で受け流し、反撃の突き。
セリアが盾で防ぐ。
何度も攻防が繰り返される。
そして、あかねは隙を見つけた。
セリアの攻撃を払いで逸らし、懐に飛び込む。
でも、セリアも予測していた。体を引いて、距離を取る。
「読まれた!」
あかねは追撃しようとしたが、セリアの反撃が来た。
木剣の一撃。受けきれず、槍が弾かれる。
セリアの木剣が、あかねの首に当たった。
「そこまで」
セリアが木剣を下ろした。
「惜しかったわ。でも、いい判断だった」
「負けました……」
「気にしないで。私は、五年以上戦ってるんだから。一週間のあかねが勝てるわけないでしょ」
セリアが笑った。
「でも、あかねは確実に強くなってる。明日、その力を見せてね」
「はい」
翌朝。
あかねは緊張で早くから目が覚めた。
左手首の紋章を確認する。今は見えないが、確かに存在している。
アイテムボックスに、短槍を仕舞った。他にも、水筒、簡易的な医療キット(包帯など)を入れた。
便利な能力だ。でも、誰にも知られてはいけない。
今日も、秘密を守り通す。
「あかね、準備できた?」
セリアが部屋に入ってきた。
「はい」
「じゃあ、行きましょう」
一階に降りると、リーナとエルミナが待っていた。そして、見知らぬ老人が一緒にいた。
白髪で、腰が少し曲がっている。しかし、目は鋭く、知性を感じさせる。顔には深いしわが刻まれ、長年の経験を物語っている。手には、大きな布袋と杖を持っていた。
「紹介するわ。こちらが依頼主の、薬師ロレンツさん」
「初めまして。ロレンツと申します」
ロレンツが丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。今日はよろしく頼みます、若いの」
ロレンツの目が、あかねをじっと見た。
「ほう……君が、セリアの言っていた新人か」
「はい」
「見たところ、まだ幼いが……大丈夫かね?」
「ロレンツさん、あかねは一週間でかなり成長したんですよ」
セリアがフォローした。
「ほう。それは頼もしい。では、期待しておこう」
五人は宿を出て、ギルドに寄ってから、街の北門へ向かった。
朝の街は、活気に満ちていた。商人が店を開き、職人が仕事を始めている。
「いってらっしゃい!」
マーサが手を振ってくれた。
「気をつけてね!」
北門に着くと、衛兵が立っていた。昨日見た、厳しい顔の衛兵だ。
「行き先は?」
「北の森です。薬草採集の護衛任務です」
セリアが説明した。
衛兵は依頼書を確認し、頷いた。
「北の森か。気をつけろ。最近、魔物の動きが活発だという報告が上がっている」
「承知しています」
「特に、森の奥は危険だ。昼間でも油断するな」
「分かりました」
門が開かれ、五人は外に出た。
平原が広がっている。遠くに、森が見える。
「さあ、行きましょう」
セリアが先頭を歩く。
あかねは、アイテムボックスから短槍を取り出した。
光の粒子が集まり、槍が手に現れる。
「おや?」
ロレンツが驚いた顔をした。
「それは……魔法の袋かね?」
「あ、えっと……はい」
あかねは誤魔化した。
「珍しいものを持っているね。魔法の袋は高価だぞ」
「これは……セリアたちに借りてるんです」
「そうか。大切に使いなさいよ」
あかねは内心、冷や汗をかいた。
アイテムボックスの能力は、魔法の袋として説明できる。でも、あまり注目されるのは避けたい。
平原を歩きながら、ロレンツが話しかけてきた。
「君、名前は?」
「あかねです」
「アカネ……変わった名前だね。どこの出身だ?」
「遠い東の国です」
「東か……私も若い頃、東方を旅したことがある。懐かしいな」
ロレンツは遠い目をした。
「東方には、この辺りにはない薬草が沢山あってね。特に、赤い実をつけるアカネという植物があった」
「アカネ……という植物?」
「ああ。根から取れる赤い染料は、布を染めるのに使われる。薬草としても、止血効果があってね」
ロレンツがあかねを見た。
「君の名前も、その植物から取られたのかね?」
「分かりません……両親に聞いたことがなくて」
「そうか。でも、いい名前だ。アカネは、生命力の強い植物でね。どんな環境でも根を張る」
ロレンツが微笑んだ。
「君も、強く生きなさい」
「はい……ありがとうございます」
一時間ほど歩いたところで、森に到着した。
木々が密集している。陽光が遮られ、薄暗い。空気が、ひんやりとしている。
「ここからは、警戒しながら進みます」
セリアが剣を抜いた。
リーナが弓を構える。エルミナが杖を持つ。
あかねも、槍を構え直した。
森の中を進む。
鳥の声が聞こえる。木々の葉が風に揺れる音。遠くで、何かの鳴き声。
あかねは周囲を警戒しながら、鑑定能力を使ってみた。
木々に視線を向けると、情報が浮かび上がる。
『オークの木。樹齢約80年。状態:健康』
『パインの木。樹齢約50年。状態:やや病気』
地面に生えている植物も鑑定できる。
『毒キノコ。食用不可。接触注意』
『薬草ハーブ。治癒効果あり。採集可能』
この能力は便利だ。でも、使っていることを悟られてはいけない。
「ロレンツさん、ブルーリーフはどの辺りに生えてるんですか?」
エルミナが尋ねた。
「水辺に多いんです。小川や湖の近くを探しましょう」
ロレンツが地図を見ながら答えた。
「この森には、小川が流れているはずです」
さらに奥へ進む。
突然、リーナが手を上げた。
「止まって」
全員が立ち止まる。
「何かいる?」
セリアが小声で尋ねた。
「分からない。でも、何か……視線を感じる」
あかねも周囲を見回した。
鑑定能力を使って、茂みを調べる。
すると――
『ウルフベア(幼体)。生後6ヶ月。状態:警戒中』
茂みの中に、魔物がいる。
「あの茂み! 魔物がいます!」
あかねが叫んだ瞬間、茂みから小さな狼のような生物が飛び出してきた。
体長は一メートルほど。牙はまだ短いが、目は赤く光っている。
「ウルフベアの子供!」
セリアが叫んだ。
「でも、子供がいるということは……親もいる!」
その言葉の直後、別の茂みから、巨大なウルフベアが現れた。
体長三メートル。筋肉質の体。鋭い牙と爪。
「親だ! 構えて!」
親のウルフベアが、低く唸りながら近づいてくる。子供を守ろうとしているのだろう。
「ロレンツさん、下がってください!」
セリアが前に出た。
ウルフベアが突進してきた。
セリアが盾で受け止める。ガキンッという音。
「リーナ!」
「分かってる!」
リーナが矢を放つ。矢はウルフベアの肩に刺さった。
「ガルルルッ!」
ウルフベアが悲鳴を上げ、怒りでさらに攻撃的になった。
「エルミナ!」
「『火よ、我が意志に従え――ファイアボール!』」
火球がウルフベアに向かって飛んだ。
しかし、ウルフベアは素早く避けた。
「速い!」
その時、子供のウルフベアが、あかねに向かって突進してきた。
「あかね!」
セリアが叫んだ。
あかねは短槍を構えた。
子供とはいえ、魔物は魔物。油断はできない。
父の声が聞こえた。
『落ち着け。呼吸を整えろ。敵の動きをよく見ろ』
深呼吸。
子供のウルフベアが近づいてくる。
あかねは槍を構え直し、タイミングを計った。
そして――
突き!
槍の先端が、子供のウルフベアの前足に当たった。深くは刺さらなかったが、動きを止めるには十分だった。
「キャン!」
子供が悲鳴を上げた。
その声を聞いて、親のウルフベアが激昂した。
「危ない! 親が来る!」
リーナが叫んだ。
親のウルフベアが、あかねに向かって突進してくる。
セリアが割って入ろうとしたが、間に合わない。
あかねは、鑑定能力を使った。
『ウルフベア(成体)。攻撃パターン:突進→噛みつき。弱点:前足の関節』
情報が浮かび上がる。
突進の後、噛みつきが来る。
そして、弱点は前足の関節。
あかねは決断した。
突進を受けるのではなく、避ける。
ウルフベアが迫る。その瞬間、あかねは横に飛んだ。
ウルフベアの巨体が、あかねのいた場所を通過する。
そして、予測通り、ウルフベアが振り返って噛みつこうとした。
その時――
あかねは槍を回転させ、ウルフベアの前足の関節を狙った。
槍が命中する。
「ガルルッ!」
ウルフベアが倒れた。前足が動かない。
「今よ!」
セリアが剣で止めを刺した。
ウルフベアが動かなくなった。
静寂。
あかねは息を切らしながら、槍を握りしめていた。
手が震えている。
「あかね、すごい! よく避けた!」
リーナが駆け寄ってきた。
「それに、弱点を的確に狙った!」
セリアも驚いた表情だった。
「どうやって、弱点が分かったの?」
「えっと……父から、動物の体の構造を少し習ってたんです」
嘘ではない。医学知識の一部だ。
「そうか……でも、実戦であれだけ冷静に判断できるなんて。素晴らしいわ」
エルミナが微笑んだ。
ロレンツが近づいてきた。
「見事だったよ、アカネ。初陣とは思えない動きだった」
「ありがとうございます……」
あかねは倒れたウルフベアを見つめた。
命を奪った。
二匹も。
胸が苦しい。
「あかね、大丈夫?」
セリアが心配そうに尋ねた。
「初めて命を奪うのは、辛いわよね」
あかねは頷いた。
「でも、これが冒険者の仕事。襲ってきた魔物を倒すことは、悪いことじゃない。私たちは、生きるために戦ってるの」
セリアが肩に手を置いた。
「それに、あかねは子供のウルフベアを殺さなかった。前足を傷つけただけ。優しい選択だったわ」
「でも……」
「気持ちは分かる。でも、ここで立ち止まってたら、次は私たちが殺される。強くなりなさい」
セリアの言葉は厳しかったが、温かかった。
あかねは深呼吸した。
そうだ。これが、この世界の現実。
生きるために、戦わなければならない。
「分かりました」
「よし。じゃあ、この魔物の素材を回収しましょう」
セリアとリーナが、ウルフベアを解体した。
あかねは、その様子を見ながら、医学知識が自動的に浮かんでくるのを感じた。
解剖学的な視点で、魔物の体の構造が理解できる。筋肉の配置、骨格、内臓の位置。
この知識は、今後の戦闘に役立つだろう。
でも、この知識も秘密だ。
あかねは、複雑な気持ちだった。
能力のおかげで、戦闘に勝てた。でも、それを誰にも言えない。
セリアたちは、あかねの実力を褒めてくれている。でも、それは能力のおかげなのに。
罪悪感が込み上げてくる。
「あかね、どうしたの? また暗い顔して」
エルミナが心配そうに見ている。
「あ、いえ……なんでもないです」
「そう? 無理しないでね」
あかねは頷いた。
でも、心の中では葛藤していた。
いつ、打ち明けるべきか。
もう少し。もう少しだけ、様子を見よう。
解体が終わり、一行は再び進んだ。
しばらくすると、小川の音が聞こえてきた。
「あった!」
ロレンツが声を上げた。
小川の岸辺に、青い葉を持つ植物が群生していた。
「これがブルーリーフです」
ロレンツが嬉しそうに近づいた。
「素晴らしい。こんなに沢山」
ロレンツは布袋を開き、採集を始めた。
「皆さん、護衛をお願いします」
「分かりました」
セリアが周囲を警戒する。
リーナが木に登り、見張りをする。
エルミナが結界魔法を張る。
あかねは、セリアと一緒に近くを見回った。
「さっきは、本当によくやったわ」
セリアが言った。
「ありがとう」
「でも、一つだけ注意」
「はい?」
「突進を避けた後、すぐに反撃に移ったでしょ? あれは良かった。でも、もし避け損ねたら、大怪我してたわ」
「……はい」
「次からは、もう少し安全マージンを取って。避けきれる自信がない時は、防御を優先して」
「分かりました」
あかねは反省した。
鑑定能力で弱点が分かったから、自信を持ちすぎた。
でも、能力は完璧じゃない。失敗することもある。
過信は禁物だ。
「でも、本当にすごかったわよ。一週間でここまで成長するなんて」
セリアが微笑んだ。
「あかねは、本当に才能がある」
あかねは複雑な気持ちだった。
才能……本当にそうだろうか。
能力のおかげではないだろうか。
「セリア……」
「ん?」
「私、本当はそんなに強くないです」
「何を言ってるの? さっきの戦闘、見てたでしょ?」
「でも……」
あかねは言葉に詰まった。
能力のことを話したい。でも、まだできない。
「あかね、自信を持って」
セリアが肩を叩いた。
「あなたは強い。それは、あなた自身の力よ」
あかねは、もう何も言えなかった。
ただ、頷くしかなかった。
採集が終わり、一行は森を出た。
帰り道、ロレンツが話しかけてきた。
「アカネ、さっきの戦闘だが……」
「はい?」
「君、動物の体の構造に詳しいようだね」
「少しだけ……」
「いや、少しじゃない。弱点を正確に狙った。あれは、知識がないとできない」
ロレンツが鋭い目であかねを見た。
「誰から習ったんだ?」
「母からです。母は医者で……少しだけ、教えてもらいました」
「医者か……なるほど。医学知識があるなら、冒険者として大きな強みだ」
ロレンツが頷いた。
「大切にしなさい、その知識を」
「はい……」
あかねは、ロレンツの言葉が心に刺さった。
医学知識。それは、母から受け継いだもの。いや、紋章によって授けられたもの。
でも、確かに自分の中にある。
この知識を、どう使うべきか。
街に戻ると、ギルドで報酬を受け取った。
「お疲れ様でした。依頼完了です」
マリアが笑顔で言った。
「報酬は50シルバー。それに、魔物討伐のボーナスで20シルバー追加です」
「ウルフベアを二匹も倒したんですね。素晴らしい」
マリアがあかねを見た。
「あかね、初依頼でウルフベアを倒すなんて。将来有望ね」
「ありがとうございます……」
セリアが報酬を分けてくれた。
「一人17シルバーずつね。あかね、これが初報酬よ」
あかねは銀貨を手に取った。
ずっしりとした重み。
自分で稼いだお金。
初めての報酬。
「どう? 冒険者の仕事」
リーナが尋ねた。
「大変だけど……やりがいがあります」
「そう。それが大事よ」
エルミナが微笑んだ。
「これから、もっと色々な依頼を受けましょう」
その夜、宿で四人は食事をしながら、今日のことを振り返った。
「あかね、初依頼は大成功だったわね」
セリアが言った。
「ウルフベアを倒して、怪我人もなし。完璧」
「あかねの判断が良かったわ」
リーナが付け加えた。
「弱点を狙ったのは、見事だった」
「でも、もう少し安全に戦えるようになりましょう」
エルミナが言った。
「避けるのは良かったけど、リスクも高かった」
あかねは黙って聞いていた。
皆、褒めてくれている。
でも、自分は能力を使った。
それを隠している。
罪悪感が、どんどん大きくなっていく。
「あかね、どうしたの? また暗い顔」
セリアが心配そうに見ている。
「いえ……今日、初めて命を奪ったから。少し、考えてました」
「そう……無理もないわね」
エルミナが優しく言った。
「でも、あかねは間違ってない。襲ってきた魔物を倒すのは、正当防衛よ」
「それに、子供のウルフベアは殺さなかった。優しさがあるわ」
リーナが言った。
「ありがとう……」
あかねは、三人の優しさが嬉しかった。
でも、同時に苦しかった。
彼女たちは、本当に良い人たちだ。
だから、嘘をつき続けるのが辛い。
でも、まだ話せない。
確信が持てるまで。
本当に信頼できると、心から思えるまで。
もう少しだけ、待とう。
「おやすみ、あかね」
セリアが言った。
「おやすみなさい」
部屋に戻り、ベッドに横になる。
天井を見つめながら、今日のことを振り返った。
初依頼。初戦闘。初めて命を奪った。
そして、能力を実戦で使った。
鑑定能力のおかげで、弱点が分かった。
医学知識のおかげで、戦い方が分かった。
でも、それを誰にも言えない。
あかねは、左手首を見た。
紋章は見えない。でも、確かに存在している。
そして、自分の中には四つの能力がある。
この力を、いつ明かすべきか。
セリアたちを、本当に信頼できるのか。
まだ、分からない。
でも、確かなことが一つある。
彼女たちは、良い人たちだ。
信頼できる仲間になれる、可能性がある。
もう少し時間をかけて、見極めよう。
そして、本当に信頼できると確信できたら、その時に全てを話そう。
あかねは、そう心に決めて、目を閉じた。
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