第1話:地味で無能な掃除女、公爵家を追い出される
「エルナ・ラングリス! 貴様との婚約を今この瞬間、破棄させてもらう!」
きらびやかな夜会の中心で、王太子レナードが声を張り上げました。隣には、いかにも「可憐」を形にしたような令嬢が寄り添っています。
「地味で無能、そのうえ暇さえあれば這いつくばって掃除ばかり……。公爵令嬢としての矜持も魔法の才能もないお前は、我が王国の恥だ!」
私、エルナは手に持った掃除用のクロスをそっと握りしめました。
幼い頃から、視界の端に映る「黒いもや」が気になって仕方なかったのです。それを拭き取ると、空気が澄み、花が咲き、人が健やかになる。だから私は、ただひたすらに磨いていただけ。
「……あの、レナード殿下。このお城の回廊も、私が毎日磨かないと、すぐに真っ黒になってしまいますわ」
「黙れ! そんなものは下働きの仕事だ。貴様の代わりなどいくらでもいる!」
レナード殿下は吐き捨て、私に一枚の書状を投げつけました。
「幸い、隣国のバシュタル帝国から『生贄の嫁』を寄こせと要求が来ている。呪いにまみれた暴君の掃除でもしてくるがいい。二度とこの国の土を踏むな!」
周囲から嘲笑が溢れます。私は静かに頭を下げました。
「……分かりました。お望みの通り、あちらで存分に掃除をさせていただきます」
翌朝、私はバケツと雑巾だけを手に、ボロボロの馬車で帝国へと向かいました。
誰も気づいていませんでした。
私が城を去った瞬間、王宮の柱の影から、どろりとした「黒い影」が這い出し始めたことに。
数日の旅を経て到着した帝国の城は、まさに地獄のようでした。
空は暗雲に覆われ、植物は枯れ果て、城壁にはドロドロの瘴気がこびりついています。
案内された皇帝の寝室。そこはさらに酷い有様でした。
「……これが、皇帝陛下?」
大きな天蓋付きのベッドに横たわっていたのは、全身を黒い鎖のような呪いに縛られ、皮膚まで黒ずんだ、見る影もない男性でした。
「ううっ……去れ……死にたく……なければ……」
弱々しい掠れ声が聞こえます。
しかし、私の目は彼よりも、その部屋の惨状に釘付けでした。
「なんてこと……。蜘蛛の巣だらけだし、床は埃で真っ黒。これじゃあ、治る病気も治りませんわ」
私は腕まくりをしました。
「よし、まずはこの部屋の『汚れ』を一掃して差し上げます!」
私はバケツに水を汲み、持参した布を浸しました。
隣国の運命を変える、エルナの一晩がかりの大掃除が始まったのです。




