第86話 緑の瞳の少女――繋がる命の行方
◆山麓・黒帝軍武具鋳造所◆
制圧された鋳造所。
まだ、炉の火だけが生きている。
「戦争だって――」
ほんのわずか、
言葉を選ぶような間。
ベルが、静かに言った。
「守りたいものがあるんだよ」
翡翠の瞳は、
一切、揺れない。
「誰にだって、大切なものがある」
一拍。
「非力で、無力でも」
さらに一拍。
「母親に必死にしがみつく、
小さな子供にだって」
息を吐く。
「こんな世界を無理やり押し付けられて――」
わずかに、声が低くなる。
「それでも、みんな生きてるんだよ」
細い手が、
巨躯の胸ぐらを掴む。
ぐい、と引き寄せる。
体格差など、関係ない。
視線が、ぶつかる。
ダリウスが、上から見下ろす。
「……だからどうした」
短い。
冷たい声。
「あの武器は圧倒的だ」
一拍。
「また脅されて、
奴らが打てば、こちらが死ぬ」
それが、現実だった。
職人たちは、
ただ、下を向いていた。
否定も、
弁明もない。
そのとき――
「違う!」
不意に、
センサクが声を張った。
「……それは違う!」
鋳造所の空気が止まる。
肩で息をしながら、
それでも、続ける。
「折れない剣には、十二の工程がある」
一つ一つ、噛み締めるように。
「鉄を選ぶ。
不純物を抜く。
火を入れる。
叩く。
冷やす。
削る。
✦霊鉄粉を食わせて焼きを戻す。
芯と皮を馴染ませる。
歪みを読む。
刃を立てる。
重心を取る。
しなりを残す」
そして。
「その中の七番目――」
一拍。
「“希少な霊鉄粉を、焼きと鍛打の中で鉄に食わせる”
表面ではなく、内部そのものを変えるその工程だけは……
私にしかできない」
キリクが眉を上げる。
「なにそれ。
めっちゃ重要じゃん」
「重要だ」
センサクは、まっすぐ言った。
「他の者が同じ形を真似ても、
ただ硬いだけの刃になる。
強く打てば欠ける。
受ければ割れる。
折れぬ剣にはならない」
ベルの翡翠が、静かに細められる。
「……つまり」
「私がいなければ、この鋳造所は死ぬ」
言い切る。
「だから、他の者は放してやってくれ。
グラが必要なのは、私だけだ」
ダリウスが、低く息を吐いた。
「なら――お前が一緒に来い」
「無理だ」
即答。
「お前をここへ残せば、
またグラの剣になる」
センサクは、
ゆっくりと首を振る。
「私が逃げれば――」
ほんのわずか、
声が落ちる。
「娘を、生かしておく理由が無くなる」
その言葉に。
誰も、
すぐには返せなかった。
ベルが、ゆっくりと口を開く。
「……その子は」
センサクが顔を上げる。
「あなたと同じ、目の色をしている?」
センサクの緑の瞳が、見開かれた。
喉が、ひくりと鳴る。
「……そうだ」
かすれた声。
「同じだ。
私と同じ、緑だ」
ベルは、静かに息を吸った。
そして、断言する。
「なら――もう、グラの手にはない」
その場の全員が、
ベルを見る。
「娘さんを助け出した者がいるの」
センサクの顔から、血の気が引いた。
「本当か……」
手が、震える。
「そう」
一拍。
――あの酒場で、
“逃げたガキ”の話を、少しだけ聞いた。
「あの娘だと思う」
「だけど、確証はまだない」
視線を逸らさず、
続ける。
「だから、グラの町に行って確かめる」
ダリウスが、即座に口を開いた。
「待て」
低い。
指揮官の声。
「お前が動く必要はない」
ベルは、その声に真正面からぶつかった。
「あるよ」
一歩も引かない。
「俺たちの任務は達成した。
このまま谷へ戻る」
「センサクさんにとっては、
娘さんの生死の方が重い」
「それでも優先は撤収だ」
一拍。
空気が、張る。
ベルの声が、冷える。
「上官だからって、
全部押し切れると思わないで」
「命令だ」
沈黙。
ベルの瞳が、わずかに細くなる。
「私を従わせたいなら――」
低く。
静かに。
「その重槍で倒して、
縛って連れていくしかないね」
ダリウスの表情が歪む。
「なっ――」
「でも」
一拍。
「その槍が、私に当たったこと――あった?」
火花が散る。
ダリウスのバーガンディが沈む。
ベルの翡翠は、揺れない。
その間に、
キリクが、するりと割って入った。
「はいはい、そこまで」
にっと笑う。
「兄貴は“全体”を見てる。
ベルは“急所”を見てる」
軽く、肩をすくめる。
「どっちも間違ってないって」
さらに、軽く刺す。
「それに――
兄貴の攻撃がベルに当たったことがないのも、
それも間違ってないなぁ~」
ダリウスが睨む。
キリクは、笑ったまま手を振る。
「だからさ」
一瞬だけ、視線が真面目になる。
「俺も一緒にグラの町に行ってくる」
「お前まで――」
「聞いて」
ベルの声。
二人が、同時に振り向く。
「これは偶然じゃない」
一拍。
「全部、繋がってる」
「繋がってる?」
「その娘を助けた人」
「センサクさん」
「そして――私たち」
言い切る。
ダリウスが、無言で弟を見る。
キリクは、小さく肩をすくめる。
「だから、私は行ってくる」
言い切る。
沈黙。
長い。
重い沈黙。
ダリウスが、ゆっくり目を閉じた。
レヴァンの顔が、頭をかすめる。
そして――
ダリウスが、低く息を吐いた。
「……キリク」
「はい、は~い」
「ベルを死なせるな」
一瞬。
間。
キリクが、吹き出した。
「兄貴、それ本人の前で言うと怒るやつ」
「黙れ」
短い。
ダリウスの耳たぶが、
わずかに赤くなる。
だが――
その場の空気は、
ほんの少しだけ、
柔らいでいた。
ベルは、
そこでようやく視線を外す。
そして、センサクへ向いた。
「この状況を見たグラが――」
一拍。
「あなたたちを生かしておく理由はない」
静かに、断言する。
「私が確認してくる」
「だから――」
わずかに視線を落とす。
「まずは谷へ」
センサクの緑の瞳が、
炎を映して揺れる。
長い沈黙。
やがて――
その喉から、
かすかな声が零れた。
「……分かった」
掠れている。
だがそこには、
先ほどまでの“諦め”だけではないものがあった。
ベルが続ける。
「その子の名前は?」
「イーサリア。六歳だ」
ベルは、
わずかに頷く。
脂汗を流して、
喚いていた店主の醜い顔がよぎる。
「グラの手に無いと分かれば――」
「すぐに戻る」
言い切る。
「よし」
キリクが、ぱん、と手を叩く。
「決まりだね」
ダリウスは、
しばらく何も言わなかった。
やがて鋳造所の奥、
そして馬車の列へ視線を流し――短く命じる。
「武器を積め」
「職人は解放しろ」
一拍。
「同行を望む者のみ、連れていく」
「谷で保護する」
ブルームロアの兵たちが、一斉に動き出す。
折れぬ剣。
未完成の刃。
鍛造途中の鉄塊。
そして――希少な霊鉄粉。
鋳造所の“力”が、
次々と馬車へ積み込まれていく。
「撤収だ」
センサクへ、視線を向ける。
「あなたは、あの馬車へ」
そのとき――
「……待ってくれ」
センサクの声。
全員が振り返る。
彼は、鋳造所の奥へ歩いていった。
炉の影。
焦げ、煤に覆われた石壁。
その一角で、足を止める。
――ご、と鈍い音。
壁の一部が、
わずかに、ずれた。
隠し場所。
センサクは、その奥へ腕を差し入れ――
ゆっくりと、引き抜く。
双剣。
深い蒼を帯びた刃。
鞘から抜かずとも、
冷気が周囲の熱を奪う。
白い柄には、蒼い宝石。
蒼い鞘は灯りを吸い、
光を返さない。
まるで、
眠ったままの“夜”のように。
長く、
誰にも触れられぬまま、
そこにあったもの。
センサクは布で包み、
胸に抱えて戻ってくる。
ダリウスが問う。
「それは?」
センサクは答えない。
ただ一度、
双剣を見て――
「……五年前に打ったものだ」
それ以上は、語らない。
だが。
その声音だけで分かる。
――これは、“ただの武器ではない”。
キリクが、目を細める。
「へぇ……」
軽口は、出ない。
ベルもまた、何も言わなかった。
ただ一瞬だけ、
視線を落とし――
すぐに、外へ向き直る。
「……行くよ」
キリクが、小走りに後を追う。
「了解」
炉の裏手。
二人は馬に跨る。
朝の冷たい風が、
頬を打つ。
キリクが、手綱を軽く引いて笑う。
「ベル、競争する?」
「しない」
即答。
「目的は一つ」
「無駄は要らない」
「はいはい」
苦笑。
「その顔、怖いって」
次の瞬間――
二頭は門を蹴った。
向かう先は、グラの町。
――あの酒場。
真実を確かめるために。
その背を、
ダリウスは黙って見送る。
(ベル……
お前、少し変わったな)
(……悪くない)
やがて、振り返る。
「……出るぞ」
短い命令。
馬車が軋む。
武具が鳴る。
「鋳造所に火を放て」
職人たちは、
迷わなかった。
師であるセンサクが行くならば――
全員が、同行を望んだ。
センサクもまた、
双剣を抱えたまま、
静かに荷台へ上がる。
そして――
馬車の後ろで炎が上がる。
鋳造所が、
ゆっくりと燃え始める。
二つの流れが、
ぼんやりと白み始めた朝の中で、分かれた。
ひとつは――
奪った“力”を、谷へ運ぶために。
ひとつは――
まだ消えていない希望の、
“確証”を掴むために。
そのどちらも、
選んでしまった、
――“守る”ための道だった。




