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第85話 不折剣の代償――炉に縛られた命

◆山麓・黒帝軍武具鋳造所◆


山の麓を削るように築かれた鋳造所(ちゅうぞうじょ)は、

粗い丸太と鉄帯の柵に囲まれていた。

小さな砦のように。


出入口は一つ。

厚い鉄板を打ち付けた門。

見張り台からは、外も内も見渡せる。


その門の内側――


黒帝兵が、あちこちに倒れている。


矢が、地面や柵に突き立ったまま残り、

踏み荒らされた土、

折れた槍、

引きずられた血の跡が続いていた。


つい先ほどまで、ここが戦場だったことを物語っている。


柵の内側に並ぶ建物の中央には、

柱と屋根だけで覆われた半屋外の作業場。


その奥で、巨大な炉が、

いまも赤い息を吐いている。


ごう、と低く唸る炎。

焼けた鉄の匂い。

焦げた空気。


――火だけが、まだ死んでいなかった。


その炉の前に――


十五人ほどの鍛冶職人たちが並ばされている。


手首を後ろで縛られ、

煤に汚れた顔を伏せていた。


老いた者。

若い者。

火傷を負った腕。


誰も、戦う目をしていない。


ただ――


怯え、

疲れ、

長く火を見続けた者の目をしていた。


その前に立つのは――

ザイラス軍に抗う、もう一つの勢力。


最北端の地――ブルームロアの谷。


ストームクラッシュ兄弟、

双頭の重槍を背負った巨躯の兄――ダリウス(23)。


床に転がる黒帝兵の死体に、

一瞥もくれない。


熟した赤ワインのようなバーガンディの瞳が、

ただ、職人たちを貫く。


「……膝をつけ」


低い声。


だが、

炉の唸りより重く、

その場の空気に沈み込んだ。


「生かしておけば、また敵に武器を作る」


誰も、すぐには口を挟まない。


弟のキリク(17)が、

血の付いた短剣をくるりと回し、肩をすくめる。


「えー……でもさぁ」


軽い声。


「そんなに悪い人たちには、

 見えないけどなー?」


ライムグリーンの長髪が揺れる。

少年の残る顔には笑みがある。


だが――

兄と同じバーガンディの瞳“だけ”は、

きちんと全員を見ていた。


「見た感じ、兵士でもないし。

 ほら……“無理やり働かされてました”って顔してるじゃん?」


「顔では測れん」


ダリウスは即答した。


「脅されようが、命じられようが――

 奴らが武器を打てば、こちらの民が死ぬ」


その言葉は正しい。


あまりにも正しく、

冷たい。


キリクが、少しだけ口を尖らせる。


「でもさー、だからって全員ぶっ殺すの、

 兄貴らしくないっていうか」


「らしさで殺しはしない」


一拍。


「殺すときは、

 守るべきものを――守るときだけだ」


短い。

断定だった。


その時。


ベルが、

門の方から二人の兵を伴って歩いて来た。


「思ったよりも敵が少なかったね」


「はい」


ベルは足を止める。


「……何してるの」


低い声。


キリクが肩をすくめる。


「兄貴がさ。

 全員殺すって……」


「どうして?」


一拍。


「――この人たちは、戦士じゃない」


翡翠の瞳が、

縛られた鍛冶職人たちを、

一人ずつ、なぞる。


その視線の奥に

無意識に、残っている。


――蒼。


この絶望の世界で、

初めて見た“見捨てない”――

その光景が、ふと脳裏をよぎる。


ダリウスの眉が、わずかに動く。


「……珍しいことを言うな」


ベルの視線が、

ほんの一瞬だけ止まる。


ダリウスが、続ける。


「生かしておけば、また武器を打つ。

 それで谷の民が死ぬ」


その言葉を――


「それは無い」


静かに、断ち切った声。


列の中から、

一人の男が一歩、前へ出た。


「この者たちだけでは、

 “折れない剣”は作れない」


声は低い。

よく通る。

無駄がない。


長い髪を後ろで束ね、

水晶めいた淡い緑の瞳が、炉の火を映して透けるように揺れる。


太い腕には幾筋もの火傷痕。

首元には――緑色の葡萄石(プレナイト)を嵌めた首飾り。


ベルが視線を向けた。


「……あなたは?」


「センサク」


一拍。


「――センサク・グランフォルジュ。

 ここの作業を取りまとめている」


その名に、


ダリウスの眉が、わずかに動いた。


「……グランフォルジュ?」


ベルが横目で見る。


ダリウスは視線を外さず、低く言った。


「聞いたことがある」


一拍。


「エルデンハート王国があった時代、

 王都へ直に武器を献上していた鍛冶師の名だ」


キリクが目を丸くする。


「え、マジ?

 あの“伝説の”?」


ダリウスは頷かない。

だが否定もしない。


「嘘をつくな。

 そんな鍛冶師が、敵に剣を打つはずがない。

 自ら炉へ飛び込む――そういう男だと聞いている」


鋳造所の空気が、わずかに揺れた。


ベルの視線が、センサクへ戻る。


「……なら、聞くよ」


声は静かだった。


「どうして、あなたが黒帝軍の武器を作ってるの?」


センサクは、すぐには答えなかった。


炉の赤が、頬の皺に沈む。


そのとき。


背後の職人の一人が、耐えきれず呟いた。


「……センサクさんの娘が……」


「……娘?」


ベルがわずかに首を傾げる。


センサクは、深く息を吐いた。


「娘が、一人いる」


低く、続ける。


「グラ=シャルンに連れ去られた。

 村を焼かれ、職人ごとここへ連れてこられた時――」


喉が、わずかに掠れる。


「武器を作れ。

 従うなら、娘は殺さず――年に一度、“会わせてやる”と」


キリクの笑みが消えた。

ダリウスは動かない。


センサクは続ける。


「この鋳造所は、

 グラ個人の持ち物だ」


「黒帝軍のものではない」


ベルの瞳が細くなる。


「……どういう意味?」


「“折れない剣”は量産がきかん」


センサクは炉へ視線を落とした。


不折剣(ふせつけん)にするための、

 希少な霊鉄粉(れいてつふん)を使い、

 一振りごとに――鉄の癖も、火の機嫌も違う」


一拍。


「この剣は、

 黒帝軍全体では、まだ一割も行き渡っていない」


そして。


「だが――ブラストリア城だけは別だ」


鋳造所の暗がりに、声が沈む。


「あそこは、グラの城。

 兵の半数は持っている」


ダリウスの目が鋭く細められる。


キリクが口笛を鳴らしかけて――やめた。


その時、列の端にいた若い職人が、

おずおずと口を開いた。


「……あの」


全員の視線が向く。


男は、肩をすくめるように身を縮めた。


「最近……守りの兵が減ったのは……」


喉が鳴る。


「西で、大きな戦があるからだって……

 そっちに駆り出されたらしい、って……聞きました」


鋳造所の空気が、もう一段、重くなる。


ダリウスは黙ったまま、その情報を飲み込んだ。


キリクが、ぽつりと呟く。


「この世界で……

 ザイラスと戦争するやつが、まだいるんだ……」


「やはり――西で、なにかが動いてる」


ベルも、低く言った。


脳裏に、

グラの町から、夜を裂いて消えた“蒼”がよぎる。


沈黙。


その中で、センサクが振り返った。


「この者たちは――」


煤に汚れた男たち。

怯える若者。

俯いたままの老人。


「皆、村から無理やり連れてこられた。

 私の指示で……言われるまま、働かされているだけだ」


深く、頭を下げる。


縛られたまま。


「どうか……この者たちは、解放してやってくれ」


沈黙。


若い職人がすすり泣き、老人が目を閉じる。


だが――


それを断ち切るように、ダリウスが前へ出た。


「駄目だ」


即答。


「この者たちを逃がせば、

 また脅され、また武器を作らされる」


バーガンディの瞳が、職人たちを貫く。


「グラの手が届く限り――

 同じことの繰り返しだ」


ダリウスが冷たく言い放つ。


それは、迷いのない言葉だった。


「これは戦争だ」


断言。


ブルームロアの谷――二百の民の顔が浮かぶ。


そして、その先頭に立つ、若き谷の王。

ベルの兄――レヴァンの顔が。


誰も、口を開けなかった。


ただ一人、ベルだけが、翡翠の瞳を伏せなかった。

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