第81話 断罪の残響――丘の上に消えた紅
◆西側・城門前広場◆
戦場は――
一変していた。
「ブラストリアを我らの手に――!!」
パラネライが、剣を突き上げる。
五年間。
牢の中で、元王国兵を束ね続けてきた男の声が、広場に響く。
その脇を――
巨躯が、躍った。
元ブラストリア軍総大将。
白鋼の剣王――ジーク・ヴァイスハイム。
長剣が振り下ろされる。
「――道を空けろォ!!」
ガギィィィンッ!!
重装の黒帝兵が、
盾ごと、
叩き割られた。
鉄が歪む。
骨が砕ける。
肉が裂ける。
一撃。
ただの一撃で、前列が消し飛ぶ。
「……ッ」
黒帝兵の足が止まる。
その“間”を――
元王国兵たちが突き破る。
「押せ!!」
「押し潰せ!!」
円が、広がる。
戦線が、逆流する。
*
その反対――西城門側。
ソルディオが剣を振るう。
「逃がすな!」
黒帝兵は、すでに包囲されていた。
背後。
側面。
正面。
逃げ場はない。
「遅れるな、遊撃隊!」
「応ッ!!」
ニコルの号令。
アズとクレセントが走る。
目の前で――
ジークが、巨漢を薙ぎ倒す。
「……信じられない」
クレセントが呟く。
アズは、言わない。
ただ、見ている。
ジークの背を。
「……総大将……」
五年前。
十歳の自分が見た背は――
もっと、
大きかった気がした。
「ぼーっとしてないで、クレセント!」
「は、はい!」
逃げ腰になった黒帝兵を、
クレセントが慌てて追う。
*
数分後。
怒号は消えた。
残ったのは――
黒帝兵の死体。
そして、
跪かされた敗残兵。
「……ここまでか」
レッドバルムが、膝をついている。
後ろ手に縛られ、
石畳に押さえつけられていた。
その周囲。
わずかに残った、黒帝兵。
五人。
それだけだった。
「城は落とした」
ガルデン軍副将。
ソルディオが振り返る。
「全軍――収容を急げ!」
即座に指示が飛ぶ。
「そこの二人!」
「丘にいる陛下へ合図を送れ!」
「制圧完了の報せを!!」
兵が走る。
その瞬間――
「……く、ふ……」
笑い声。
低い。
湿った。
「……はは……ははははは!!」
レッドバルムだった。
「……何がおかしい」
ソルディオが見下ろす。
「やはり丘にいるのか」
口角が吊り上がる。
「……恨むなよ」
「これも――戦争だ」
空気が、冷える。
「何を言っている?」
レッドバルムが、顔を上げた。
目が笑っている。
「そういえば……ルグはどうした?」
一拍。
「まさか、貴様らに倒されるとは思えんが」
「ルグ?」
ソルディオが眉をひそめる。
「鉄仮面の重装戦士だろ」
マクレブが吐き捨てる。
「俺は歯も立たなかった」
「それで?」
ニコルが問う。
「そいつはどうした」
「……彼女が、討ち取った」
「――ロザリーナが?」
空気が止まる。
レッドバルムの笑いが、
ぴたりと止まった。
「はは……馬鹿な」
鼻で笑う。
だが。
視線が動く。
広場を見渡す。
いない。
あの巨躯が――
どこにもいない。
「……じゃあ、なぜいない」
マクレブの声が刺さる。
「ルグの死体は、北門の上だ」
沈黙。
レッドバルムの顔から、
血の気が引いた。
(まさか――さっきの蒼が)
だが――
まだ、崩れない。
唇が歪む。
「……そのルグが、どうした?」
その時。
ドン。
ドン。
重い足音。
ジークが歩いて来る。
独眼が、広場を掃く。
探している。
紅い髪。
――いない。
「“処刑人”は二人いるぞ」
レッドバルムの声。
ジークが続けた。
「……ラグと、ルグか」
「総大将、知っているのか」
マクレブが問う。
「西域の怪物だ」
低い声。
「物理は、ほとんど通らん」
「止まらん」
「殺すまで」
レッドバルムの笑みが戻る。
「やはりな」
言葉が弾む。
「丘には非戦闘員しかいないんだろ?」
ジークが、ソルディオを見る。
「丘にいるのか――王子が」
一拍。
「……ベニバラはどうした」
空気が変わる。
「将軍は、陛下と共に丘の上です」
ソルディオが答える。
その時。
ガルデンが歩み寄る。
「ベニバラは重傷じゃ」
「馬車で寝ておる」
「爺――」
ジークが目を細める。
「五年ぶりか」
「おまえもしぶとい奴じゃな」
周囲が見守る中。
しわくちゃの手が差し出される。
――ガシッ。
分厚い手が、強く握り返す。
さらに、力がこもる。
「まだまだ、じゃな」
ジークが、わずかに力を抜く。
目を細めた。
その瞬間――
レッドバルムの口元が、歪む。
「……はは」
「それなら、丁度いい」
顔を上げる。
「“処刑人ラグ”を、丘へ向かわせた」
一拍。
「今頃はもう、誰も生きてはいないだろうがな」
愉悦。
「奴は、動くもの全てを粉砕するまで止まらん」
「なにッ!!」
ソルディオが剣に手をかける。
「馬を!」
瞬時、ニコルが叫ぶ。
「遊撃隊、準備しろ!」
「丘へ走るぞ!!」
「ははは……無駄だ」
レッドバルムの声が、
夜風に溶ける。
「もう、手遅れだ……」
ジークの独眼に、
静かな―― だが凄まじい怒りが灯った。
その時――
「丘から――馬車が来ます!!」
南側の城壁上から、叫び声。
南へ駆け出す。
西門前広場から、
捕縛したレッドバルムたちも
兵に引きずられながら移動させられる。
南。
丘の斜面。
一台。
二台。
馬車が――降りてくる。
「陛下の馬車か!?」
ガルデンが怒鳴る。
「いえ……!」
「大型馬車は――見えません!」
空気が凍る。
ヴァレンティスとベニバラが乗っていた、
あの馬車が――
いない。
風が吹く。
誰も、動けない。
そして――
三台目の馬車が、現れた。
――◇――
◆南側・丘の上◆
少し前。
薄闇の中。
松明の灯が、揺れる。
横倒しに積み重なった、
四台の馬車。
砕けた木。
歪んだ車輪。
崩れた斜面。
その先を――
松明の灯を頼りに、
近衛兵五名が、上がってきた。
先頭。
ロート。
足取りは、重い。
肩で息をしている。
そして――
顔が、死んでいた。
「……陛下」
声が、かすれる。
ヴァレンティスが振り向く。
ロートは、
その場で膝をついた。
「下には……いませんでした」
途切れる声。
喉が、震える。
「……そうか」
短い返答。
それ以上は、無い。
オルフェンが、俯く。
そして――
首を振る。
ゆっくりと。
否定するように。
現実を、切り捨てるように。
風が吹く。
誰も、動かない。
その沈黙を――
砕いたのは、
笑い声だった。
「……ハハハハハ」
低い。
濁った声。
荷車の下敷きのまま、
ラグが笑っている。
「生きてる訳がねぇよ」
歯を見せる。
血を吐きながら。
「硬ぇ俺でも――このざまだ」
自嘲。
だが、そこに、
わずかな愉悦。
「女の体なんか、潰れて骨も形も残らねぇよ」
言葉が落ちる。
丘の上に。
重く。
確実に。
“勝手な終わり”を、
押しつけるように。
ロートの肩が、震える。
自分が――
あの綱を、切らせた。
あの一声で。
あの合図で。
拳が、地面を掴む。
砂が、食い込む。
爪の間に、血が滲む。
「将軍は……死ぬはずがない……」
かすれる声。
だが――
その奥で、
別の声が、囁く。
(……俺が)
(落とした)
喉が、締まる。
「だって……」
息が、うまく吸えない。
「だって、……死なないって……言ったんだ」
崩れる。
視界が、歪む。
それでも、
泣かない。
泣けば、
認めてしまう気がした。
歯を食いしばる。
奥歯が軋む。
誰も、返さない。
返せない。
その沈黙が――
何よりも重かった。
その時――
「陛下!!」
叫びが、
夜を裂いた。
全員が、振り向く。
斜面の上。
かつて大型馬車があった辺り。
その暗がりから――
小さな影が、飛び出す。
ポコラン。
息を切らしながら。
全力で、
必死に、
ブラストリア城から走ってきた。
*
その混沌の中で。
紅が消えた。
あの崩落で。
生きている保証は、
どこにもない。
だが――
死んだと断じる証も、
まだ、
存在していなかった。




