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第80話 深淵の再会――止まっていた鼓動

◆ブラストリア城・地下牢獄最深部◆


少し前――


松明の灯に揺れる、

剥き出しの岩壁。


滴る水の音だけが、

一定の刻みで石床を叩いていた。


ぽたり。


ぽたり。


かび臭い空気。


鼻を突く、鉄錆の匂い。


地下三階。


最深部――第三牢区。


そこは、


言葉の通じぬ獣か、


あるいは。


何をしでかすか分からない――


存在そのものが戦場を狂わせる者が、


飼われ、光を奪われ、


閉じ込めておくための墓所だった。


牢の外。


薄暗い廊下には、


二人の監視兵が、

音もなく倒れていた。


黒い影が、


石の牢内へ

静かに踏み入った。


ロザリーナだった。


血の滲む腹を左手で押さえ、

蒼い鎧を覆う黒帝軍のマントを、

闇に溶かしながら、奥を見据える。


そこに――


一人の巨躯。


鎖に繋がれていた。


両足首は、

石床に打ち込まれた杭へ。


両手は、

左右へ引き裂かれるように、

天井から吊られた鎖に繋がれている。


肉体を、


十字に裂こうとする拘束。


わずかに動くだけで、

関節が軋む。


背中には、


癒える暇もなかったであろう、

無数の鞭の痕。


肉が裂け、


乾き、


また裂かれた跡。


艶を失った黒髪が、

剥き出しの肩に垂れている。


ロザリーナが、低く問う。


「……ジーク殿か?」


掠れた声。


吊られた男が、

ゆっくりと目を開いた。


「……誰だ」


低い。


地の底から響くような声。


ジークは、

首だけをわずかに後ろへ向ける。


だが。


視界は、背後を捉えることはできない。


ロザリーナは答える。


腰の鍵束に手をかけながら。


「私はロザリーナ」


一拍。


「王都のライオン――

 ライザリオンの妹だ」


ジークの口元が、


わずかに動いた。


(王都の……ライザリオン)


五年前。


黒帝軍に呑まれた王都。


援軍へ向かおうとして、


断念した、あの日。


その名は、


王国に生きる者であれば、

知らぬ者はいない。


その妹。


《王都の剣姫》。


「……王都の、蒼の剣姫か」


ジークが呟く。


その声に、


もはや狂気はなかった。


ただ――


長く沈められていた


戦場の男の、


静かな重さだけが残っていた。


カチャリ。

カチャリ。


鎖が、軋む。


ロザリーナは、


看守から奪った鍵束の中から、


錠前に合うものを一つずつ選び、


外していく。


ジークが、

自嘲気味に低く笑った。


「……皮肉だな」


一拍。


「王都を見捨てた不忠の将を、

 その王都の姫君が助けに来るとは」


「……何かの冗談か」


カチャリ。


ロザリーナは迷わず鍵を差し込む。


「見捨てたのではない」


静かな声。


「守れなかっただけだ」


一拍。


「それは、私も兄も同じ」


カチャリ。


「私に――其方を責める資格などない」


天井からの鎖が、


一つ、外れた。


ジークの右腕が、


重力に従って、


ゆっくりと垂れる。


「今の私は姫ではない」


「ただの流浪の剣士だ」


「ただの剣士、か……」


ジークが、

その言葉を噛みしめる。


「なぜ、俺を助ける……?」


虚空を見つめたまま、


ジークが問う。


ロザリーナは、

もう一方の手の鍵を回しながら、

静かに答えた。


「外で仲間が戦っている」


一拍。


「力を、貸してほしい」


ガチャンッ。


左手の鎖も、

床に落ちた。


ロザリーナは、

鍵束を、

ジークの手のひらへ預ける。


ジークは、

解放された自分の手首を、

赤黒い痕を擦りながら、

ゆっくりと、

足首の鎖の鍵を探す。


「……いいだろう」


低い声。


だが、

確かな意志が宿る。


「王国の兵なら――」


「力を貸さない理由はない」


最後の鎖が外れる。


ジークは足首の鎖を外すと、

冷たい石床を蹴って、

足の感覚を試す。


立ち上がったその背は、

あまりにも大きく、

あまりにも頼もしかった。


それは――


かつての王国が、


置き去りにしてしまった「誇り」。


「私は先に行く」


ロザリーナが、

出口へ向かって歩き出す。


「戦っているのは、西門だ」


「分かった」


ジークが背中で答える。


「俺は第一牢区の連中を出してから向かう」


一拍。


「あいつらも……まだ死んじゃいない」


ロザリーナは振り返らない。


その背に向けて、


ジークが低く呟く。


「……剣姫」


わずかな間。


「今度は、必ず助ける」


その言葉に、


ロザリーナの肩が、ほんのわずかに揺れた。


だが――


止まらない。


そのまま、


蒼の影は、


牢獄塔の階段へ消えていった。


――◇――


時間は――現在へ戻る。


◆西門前広場◆


壁を背に、


俯いたまま座るロザリーナ。


その上に、


大きな影が差した。


ゆっくりと、


顔を上げる。


黒い影は――


大きな盾を壁に立て掛け、


そのまま隣へ、


どっかりと腰を下ろした。


「よっこらしょ」


石畳が、


わずかに鳴る。


「……ガルデン」


ロザリーナが顔を向ける。


「老いには勝てんわい」


ガルデンが腰を叩き、苦笑する。


「もう、足腰が言うことを聞かん」


横目で、


ロザリーナの脇腹を見る。


滲む血。


「もう少し辛抱してくれ」


低い声。


「馬車が着けば、医者が――」


「大丈夫」


言葉は、


途中で遮られた。


ガルデンの口が、


わずかに開いたまま止まる。


青銀の瞳と、


目が合う。


「……相変わらずじゃな」


ガルデンが、ふっと笑った。


「戦いは?」


ロザリーナが問う。


「心配いらん」


即答。


「ジークがおるし」


一拍。


「背後から、ニコルたちも挟み込んでおる」


「……そう」


ロザリーナが、


小さく息を吐く。


視線を、


足元へ落とした。


「……よかった」


一瞬の静寂。


「ところで――」


ガルデンが顔を向ける。


「なぜ、ジークが牢におると分かった?」


ロザリーナは、


少しだけ目を伏せたまま答える。


「旅の途中」


一拍。


「立ち寄った村の酒場で、聞いた」


「各地の城から出した囚人を、

 《黒帝闘技場》で戦わせている、と」


ガルデンの眉が動く。


「その中に、元王国の兵もいると」


「……ふむ」


「そして――」


ロザリーナが続ける。


「現在の勝者・黒帝闘王が」


一拍。


「西部方面城の、

 《白鋼の牢獄独眼王》だと」


ガルデンの目が、細くなる。


「ここへ来る途中、馬車の中で」


「陛下たちと話していただろ」


「ブラストリア城の

 白鋼の剣王――ジークのことを」


一拍。


ロザリーナは、


ゆっくりと顔を上げた。


「だから」


「この城のどこかにいると考えた」


「白い鎧の剣士が……」


言葉が、途切れる。


ガルデンが、


ゆっくり頷いた。


「なるほどな」


「……それで、か」


風が、


広場を抜ける。


その時。


ガルデンの肩に、


コツン、と。


頭が触れた。


血と戦塵に汚れ、


鉄の匂いが染みついた、


栗色の長い髪。


額にかかり、


その隙間から――


固く閉じた瞳。


「そこまでせんでも……」


ガルデンが、


大きく息を吐いた。


東の空が、


わずかに白み始める。


夜の絶対的な支配が、


ゆっくりと、


終わりを告げようとしていた。


広場では、


まだ、


鉄と鉄がぶつかる音が続いている。


戦いは、


まだ終わっていない。

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