第79話 ブラストリアの残火――地下牢からの軍勢
◆西側・城門前広場◆
「殺せぇぇぇ!!」
黒帝兵の怒号。
十の剣が、
一斉に振り下ろされた。
その刃が、
膝をついたロザリーナへ届く――
その刹那。
――ガギィィィンッ!!
金属がぶつかる、
凄まじい衝撃音。
ロザリーナの頭上。
黒帝兵の剣を、
粗末だが、分厚い鉄の剣が受け止めていた。
「……なっ?」
剣を弾かれた黒帝兵が、目を見開く。
そこに立っていたのは――
後ろから走り込んできた、
戦士囚人。
パラネライ。
第一牢区。
元王国軍兵士たちをまとめる男。
ボロボロの衣服。
泥にまみれた身体。
だが。
その黒い目に宿るのは、
闘技場の狂気ではない。
静かで、重い――
戦士の目。
「王都の剣姫様――」
「助けて頂き……感謝します」
パラネライが頭を下げる。
ロザリーナが、
荒い息を吐きながら見上げる。
彼女は剣を地に突き立て、
そこへ体重を預けた。
ゆっくりと、立ち上がる。
はぁ
はぁ
荒い呼吸。
腹を押さえる指の隙間から、
血が滲んでいる。
パラネライが隣に立ち、肩を貸す。
「……すまない」
ロザリーナは、
それだけ小さく言うと、
彼の肩を借りた。
横の建物の壁に背を預け、
静かに座り込む。
蒼の甲冑が、
血で黒く染まっていた。
その前へ――
戦士囚人たちが展開する。
元王国軍の兵士たち。
ロザリーナを守るように、
円を描いて立った。
「貴様らァ!!」
レッドバルムの声が裏返る。
「牢にいる仲間の命が惜しければ、
その女をやっちまえ!!」
卑劣な脅迫。
だが。
十。
二十。
さらに後ろから、
戦士囚人が駆けつけてくる。
「何をしている!!
仲間を見殺しにする気か!!」
レッドバルムが吼える。
パラネライは頭を掻きながら、
一歩、前へ出た。
「あのさー」
レッドバルムを睨み返す。
その時だった。
戦士囚人たちの背後。
パラネライも振り返る。
牢獄塔へ続く石畳の奥から――
低く、重い声が響いた。
「それは無理だな」
一拍。
「仲間は――」
「全部、出した」
空気が凍りつく。
戦士囚人たちが、
静かに道を空けた。
その中央を、
ゆっくりと歩いてくる巨躯。
上半身は裸。
背には無数の鞭の跡。
泥と血に汚れ、
分厚い胸には幾筋もの刃傷。
眉から頬へ走る、深い傷。
潰れた左目。
右手には、
身の丈ほどもある長剣。
その姿は、
闘技場の王。
だが。
今、その全身から放たれているのは――
狂気ではない。
かつて国を背負って戦った男。
白鋼の剣王。
名を――
ジーク・ヴァイスハイム。
元ブラストリア軍総大将。
今は――
《白鋼の牢獄独眼王》。
レッドバルムの顔が、
初めて青ざめた。
「……バカな」
狼狽。
「なんで、お前までも……
鎖がある限り、出て来れないはずだ」
ジークは、
レッドバルムを見ない。
ただ。
ロザリーナの前まで歩み寄ると、
そこで止まった。
青銀の瞳。
濃い紫色の独眼。
静かに重なる。
伸び放題の黒髪。
無精の顎髭。
ジークが言った。
「――剣姫」
一拍。
「あとは、俺たちが」
ロザリーナは、
ゆっくり顔を上げる。
青銀の瞳が、
独眼の男を見つめた。
そして。
小さく言った。
「――任せる」
ジークは、
ほんのわずかに笑った。
そして前へ向き直る。
長剣を、
ゆっくり構えた。
その切っ先が、
黒帝兵を捉える。
「貴様ッ――!」
レッドバルムの声が震える。
「この裏切り者め!!」
ジークが静かに笑う。
「裏切り、か」
独眼がレッドバルムを射抜く。
「俺たちは――」
一拍。
「――一度も、
この国を裏切ったことはない」
その言葉に。
戦士囚人たちが、
一斉に吼えた。
「おおおおお!!」
「ジーク隊、再び!!」
「ブラストリアの意地を見せてやる!!」
彼らは囚人ではない。
仲間の命を人質に取られ、
やむなく戦わされていただけだ。
かつて。
国と民を守るために戦った――
ブラストリアの誇り高き戦士たち。
その瞳に。
消えていた炎が戻る。
ジークが剣を振り上げた。
「――ブラストリア隊!!」
その名を聞いた瞬間。
戦士たちの目の奥で、
炎が燃え上がった。
「いけぇぇぇ!!」
「おおおおおおおおお!!」
百を超える戦士たちが、
ロザリーナを追い越し――
黒帝兵へ突っ込んだ。
ドンッ!!
鉄と鉄。
肉と肉。
火花。
血飛沫。
悲鳴。
戦場が、砕けた。
「殺せ! 殺せ!!」
レッドバルムが、
半狂乱になって怒鳴る。
だが――
黒帝兵は、
押し返されていた。
圧倒的な勢い。
ブラストリアの戦士たち。
死を恐れぬ、
再起の咆哮。
*
その時だった。
左側。
北門の方から、
大勢の足音が響いてくる。
ドドドドドドドドドド!!
石畳を打つ、
重い鉄靴の音。
「援軍か?」
黒帝兵が、
怯えながら振り向く。
そこに現れたのは――
鎧を纏った兵団。
ガルデン隊。
北門を守っていた黒帝兵を討ち、
城内を制圧して、
西門へ駆けつけてきた。
先頭に立つのは――
老将ガルデン。
大盾を担ぎ、
皺だらけの顔を歪めている。
息が荒い。
「ガルデン将軍!」
ソルディオが叫ぶ。
ニコルも、
血の中でふっと笑った。
ガルデンが、
西門前広場を見渡す。
目の前では、
巨躯たちが乱戦を繰り広げている。
囚人。
それを迎え撃つ――
ソルディオ隊。
ニコル。
マクレブの遊撃隊。
そして。
広場の向こう側。
黒い重層鎧の列。
その前で――
長剣を振るう、
一人の巨躯。
半裸。
独眼。
「……ガルデン?」
その巨躯が、
顔を向けた。
その瞬間。
ガルデンの目が、
大きく見開かれた。
「……バカな」
声が震える。
剣を握る手が、
小さく揺れた。
ガルデンは、
信じられないものを見るように、
その巨躯を見つめる。
「まさか――」
一拍。
「――ジークなのか」
半裸の巨躯が、
その声の方向へ顔を向けた。
独眼が、
老将を捉える。
敵の血に濡れた顔。
だが。
その残った片目も、
大きく見開かれていた。
小さく、
口の端が上がる。
「爺……生きていたのか」
ガルデンの瞳から、
涙が溢れた。
「生きて……」
「生きていたのかァ!!」
老将が、
声を上げて泣いた。
その異変に。
ニコルも。
マクレブも。
ソルディオも。
そして――アズも。
全員が、
その方向を見つめていた。
「チビっ娘に……半獣までいるとはな」
元ブラストリア軍総大将の目にも、
わずかに光るものがあった。
「貴様ら!」
レッドバルムが怒鳴る。
「これをグラ将軍が知ったら、
貴様らただじゃすまないぞ!」
ガルデンが、
怒鳴り返した。
「グラは死んだじゃろ!」
レッドバルムの唇が歪む。
額から汗が流れる。
「……なんだと?」
「グラ将軍が……死んだ?」
ニコルの前の囚人たちがざわめく。
そして――
「逃げるぞ!」
「こんな戦いやってられるか!」
巨漢の囚人たちが、
西門へ向かって走り出した。
「おまえら!」
レッドバルムの怒号が、
橋の向こうへ逃げる背中に響く。
――夜明け前の外へ。
「俺の――
俺の盤を壊しやがって!!」
髪が乱れ。
呼吸が乱れ。
レッドバルムの視線が、蒼を射抜いた。
「あららぁ~」
ニコルは剣を収め、
逃げる囚人たちの進路をあえて塞がなかった。
戦場に。
ブラストリアの。
かつての。
そして、新しい――
希望が。
今。
静かに、
生まれようとしていた。
その希望は、
夜明け前の空よりも、まだ暗い。
だが。
その熱は――
城を死なせるほどに、
熱かった。
――◇―― ――◇―― ――◇―― ――◇――
✦✦✦ 【新登場人物】Characters ✦✦✦
【◆ 西部方面城・ブラストリア城 最強の将 ◆】────────
✧ ジーク・ヴァイスハイム(43) ✧
《白鋼の剣王・(はくこうのけんおう)》
かつて西部方面城――ブラストリア軍総大将。
ヴァレンティスの父王に仕え、
ベニバラ、ガルデンら将軍たちを率いた
エルデンハート王国最強格の剣士。
それは――
剣技。
戦術。
兵の統率。
そのすべてにおいて、
ブラストリア王国最高峰と称された男である。
白鋼の重鎧に深銀の外套。
盾無し。腰には長剣一本。
短く整えた黒髪と無精髭。
そして濃い紫を帯びた鋭い瞳。
構えは低く、
剣は粗く重い。
だが――
その一太刀は、
無駄のない必殺。
寡黙で厳格な武人であり、
ベニバラの剣の原点となった師でもある。
当時、人々はこう語った。
「この男が立っている限り、西は落ちない」
「王国最強の英雄――
ライザリオンに並ぶ剣だ」
だが五年前の戦いにおいて、
ブラストリア城は陥落。
ジーク・ヴァイスハイムは城と運命を共にし、
戦場から姿を消した。




