表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/92

第70話 軍神の残火――丘はまだ答えを持たない

◆南側・丘の下◆


月明かりに縁どられた巨大なブラストリア城。


その影の先。


砂塵が、低く這う。


白髪が揺れる。


ダルパスが走る。


「こっちじゃ、化け物!」


わざと大きく叫ぶ。


黒い巨躯が、


倒れた老人の腕を、


無造作に踏み折る。


そこへ。


槍を突き出す。


――ガキンッ。


乾いた拒絶。


刃が、通らない。


全身、黒銀の重量甲冑。


鈍く光る、分厚い鋼。


とにかく――重い。


ラグは、歩いているだけだ。


ゆっくり。


だが、確実に。


大斧を振るう。


ブォンッ!!


土が爆ぜる。


老人たちが横へ転がる。


「逃げろ!」


「散れ!散れ!」


ダルパスが、わざと背を向ける。


追わせる。


時間を、買う。


だが。


ラグは追わない。


視線は、丘。


常に。


獲物は、上。


そのとき。


林の闇に――


一瞬、紅。


月光を裂いて。


――ヒュン。


鋭い風切り。


槍。


一直線。


迷いのない軌道。


ラグは、避けない。


胸へ。


ガキンッ!!


重甲冑が鳴る。


鋼は軋まない。


鈍く、重い音。


槍は――


刺さらない。


鋼に、止められる。


胸で受け止めた。


わざと。


嘲るように。


弾き飛ばす。


槍が宙を舞い、


くるり、と回転し、


土へ突き立つ。


ラグが、口の端を上げる。


「……ほう」


丘の上。


紅い髪が、風に揺れる。


ベニバラ。


左腕は吊られたまま。


右手で、剣を抜く。


その姿は、満身創痍。


だが、立っている。


「爺さんたちは、もういい」


声は、低い。


震えない。


「ここからは、私がやる」


ダルパスが振り向く。


一瞬。


目が合う。


言葉はいらない。


互いに、理解している。


頷く。


「わしらは退くぞー!」


怪我人を肩に担ぐ。


血を引きずる。


足をもつれさせながら、


それでも。


老人たちは、


ベニバラに振り返って、


深々と一礼した。



砂塵の向こうで、


紅と黒が、対峙する。


ラグは、目を細めた。


「……お前」


一歩。


ドン。


地面が、沈む。


「ボロボロじゃねぇか」


左腕は吊られ、


鎧もない。


白いチュニック。


脇腹に、濃く滲む赤。


立っているのが、不思議なくらいだ。


「私がやる、だと?」


鼻で笑う。


「――その無様な格好で、何をやるつもりだ?」


嘲りは、低い。


重い。


ベニバラは、答えない。


息を整える。


肋骨が、きしむ。


肺が、焼ける。


それでも。


前へ。


一歩。


踏み出す。


その瞬間。


ラグの視線が、止まる。


紅い髪。


紅い眼。


「……思い出したぜ」


片眉が吊り上がる。


「聞いたことがある」


低く。


「八将を、一人落とした女」


空気が、ぴたりと止まる。


「紅の軍神、だったか?」


月光が、二人を照らす。


ラグの瞳に、初めて色が宿る。


獲物を見つけた、色。


「……いいねぇ」


斧を肩に担ぐ。


鉄が、軋む。


「お前を殺せば、俺の名が上がるぜ」


一歩。


ドン。


「八将殺しの女を倒したラグ、ってな」


名を、刻むように。


誇示するように。


「八将にもなれない奴が――」


ベニバラの瞳が、


見上げるほどの巨躯を、射抜く。


「よく吠える」


薄く、笑う。


鉄仮面の奥。


ラグの目に、わずかに怒りが混じる。


「……ほざくな」


首に吊られた小指が、揺れる。


乾いた音。


「この指はな」


一本、揺れる。


「お前ら王国の“勇者”どものもんだ」


鎖が、鳴る。


「逃げ惑う英雄気取りの首は、よく飛んだぜ」


そして。


踏み込む。


ドンッ!!


地面が、沈む。


斧。


横薙ぎ。


空気が裂ける。


ベニバラ、受ける。


ガギィンッ!!


凄まじい衝撃。


右腕が、痺れる。


骨が、軋む。


折れている肋骨が、悲鳴を上げる。


肺が潰れ、


息が、漏れる。


「ぐっ……!」


足が、半歩、下がる。


砂が、削れる。


ラグは、止まらない。


縦。


横。


振り下ろし。


振り抜き。


重い。


速い。


一撃一撃が、処刑。


受けるたびに、


衝撃が骨を叩く。


ベニバラの剣が、左右へ弾かれる。


火花。


砂。


血。



丘の上。


ロートが叫ぶ。


「将軍!」


届かない。


ラグが嗤う。


「どうした、軍神さんよ」


振り下ろし。


ドォンッ!!


地面が抉れる。


「お前も名ばかりか?」


ベニバラは、立つ。


踏みとどまる。


食いしばる唇から、赤がしたたる。


ラグが、さらに笑う。


「折れてんだろ?」


一歩、近づく。


「いろんなとこが」


斧を胸に振り切る。


ガツンッ!!


空気が抜ける。


「ここも――」


腹を打つ。


「ここも――」


ガツンッ!!


ベニバラは剣で受ける。


衝撃が腕に――

そして肋骨へ走る。


息が、抜ける。


視界が、白む。


膝が、揺れる。


それでも。


退かない。


「死にぞこないが!」


もう一撃。


上から。


斧が振り下ろされる。


受ける。


衝撃。


膝が、地面に触れる。


ドサッ。


砂が舞う。


腹から、


血がしたたり落ちる。


新鮮な赤。


生きている色。


それが月明かりの下で、黒く光る。


だが。


目は、死んでいない。


ラグが、斧を振り上げる。


影が、覆う。


「終わりだ」


その時。


丘の上。


ブオォォォ――ッ!!


けたたましい、遊撃の角笛。


夜気を裂く。


続けて。


松明が、横へ三度、振られる。


合図。


罠、完了。


ラグの視線が、わずかに上を向く。


ほんの、一瞬。


ベニバラは、


剣を杖代わりに体重を預け、


顔を上げる。


だが。


「うっ……ぶはっ!」


血を吹き出す。


胸の奥が焼ける。


視界が、揺れる。


(頑張ってくれ……もう、少しだけ)


自分に、言い聞かせる。


立つ。


膝が、震える。


それでも、立つ。


ラグから視線を外さず、


ゆっくりと、


丘の上へ。


背を見せない。


一歩。


剣を前に。


また一歩。


「将軍!

 大丈夫ですか!」


我慢できなくなったロートが、


丘の中腹まで駆け降りる。


ベニバラが顔を上げる。


呼吸を整える。


喉が、ひくりと鳴る。


「……ロート」


「はい」


声が、近い。


「指先の感覚がない。

 剣を……強く握らせてくれ」


一瞬。


ロートの喉が詰まる。


「将軍……」


震える両手で、


彼女の右手を包む。


剣の柄を、


無理やり握らせる。


力を、


押し込む。


「すまない」


ベニバラは、ほんの僅かに笑った。


ロートの肩を借り、


斜面の上の大型馬車の方へ。


砂に、血の跡が残る。


ラグは、走らない。


大斧を肩に担ぎ。


ゆっくりと、歩く。


重い足音。


ドン。


ドン。


(もう少しで――)


(八将殺しの紅を、俺が斬る)


ラグの頭にあるのは、


それだけだった。



丘の上。


静かに、


獲物を待つものが、素知らぬ顔で迎えている。


三台の馬車は縄で張られ、


その下に大型馬車。


石は積まれ。


穴は、隠された。


計算通り。


すべて――整った。


だが。


夜風が、ひとつ、強く吹く。


ラグの足は、


本当に罠の“下”へ来るのか?


誰が、誘導する。


そして、どう逃げる。


それは。


誰にも、分からない。


崩れるのは、


奴か。


こちらか。


丘は、


答えてくれない。


だが、血は確かに流れている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ