表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/74

第66話 止まらない橋――ただ一つの誤算

◆北側・城門前◆


橋の袂。


重装備を脱ぎ捨てたガルデンたち七十が、駆け込んでくる。


だが――


橋は、すでに吊り上がっていた。


地面から離れ、

外濠の上で傾いている。


足元に広がる闇。


橋板までは、もう届かない。


「くっ……!」


ガルデンの拳が震える。


その時。


傾く橋の上。


アズが踏ん張っていた。


足を大きく開き、

鎖を掴み、体を低く構える。


その前。


「ポコラン!!」


少年が、橋の縁にぶら下がっている。


両手だけで、橋板を掴んでいる。


足は、ぶらぶらと空を蹴るだけ。


下は、深い外濠。


黒い水が、口を開けている。


「しぬしぬしぬしぬ。

 ――落ちるぅぅぅぅぅ!!」


ポコランの腕が震える。


血が引き、指が白くなる。


汗で、滑る。


指が、ずれる。


一本、外れる。


「掴まって!!」


アズが腹ばいになり、体を前へ投げ出す。

群青の髪が(まえ)にかかり、灰青の瞳が揺れる。


細い腕――片手を鎖に絡め、

もう片手を必死に伸ばす。


「アズぅぅ!!」


指と指が触れる。


絡む。


その瞬間。


橋がさらに上がる。


重力が一気に二人を引く。


「くっ、……!!」


歯を食いしばる。


腕が震える。


筋が浮き、

肩が軋む。


関節が悲鳴を上げる。


背後で遊撃二人が、

必死にアズの足を押さえる。


「アズ、離すな!!」


足が、ずれる。


鎖が、甲高く鳴る。


橋は、さらに立ち上がる。


二十度。


二十五度。


重力が、二人を前へ引く。


「くっ……こん、なっ……ろぉぉ……!!」


声にならない唸り。


最後の力。


アズが、体を後ろへ反らす。


肩が引き裂かれそうになる。


ポコランの腕が橋板にかかる。


ずるり。


肘。


肩。


半身。


さらに。


アズが引く。


歯を食いしばり、

背筋を震わせながら。


ポコランが、

斜めに傾いた橋の上へ転がり込む。


その体が前へ滑る。


アズが、咄嗟に抱き寄せる。


「アズぅぅぅ……」


涙目のポコラン。


震える小さな体。


それを、

さらに小さな身体が抱える。


だが。


橋は、止まらない。


さらに上がる。


「このままでは、潰される!」


先頭のクレセントが叫ぶ。


橋上は混乱。


滑る。


転ぶ。


鎖にしがみつく者。


城壁と、吊り上がる橋の間。


その狭間へ、

体が押し込まれていく。


踏み場を失い、

互いにぶつかり合う。


圧が増す。


骨が軋む。


あと数度。


このままでは――


城壁の内扉と橋に挟まれ、

全員が潰れる。


だが。


下では黒い水が、

静かに口を開けて待っている。


落ちるか。


潰れるか。


彼らの選べる未来は、二つだけだった。


――◇―― 


その時。


馬蹄。


乾いた音が、夜を裂いた。


それは――

戦場を知る者の音だった。


ロザリーナ。


馬を止めると同時に、

状況を一瞬で読む。


橋はすでに二十五度を越えている。


歯車は――巻き上げは止まっていない。


城壁上では、

ニコルたちが敵兵を食い止めている。


橋の上では、

挟まれかけた兵が悲鳴を上げている。


時間はない。


「ガルデン!」


老将が振り向く。


目が、わずかに見開かれた。


「……ロザリーナ?」


低い声。


驚きと、安堵と、期待。


だが、彼女の返事はない。


その瞬間には、もう動いている。


馬上で縄束を解く。


首に担いでいた大縄。


片手で解き放ち、

端を素早く回す。


迷いがない。


絶対に解けぬ結び。


輪を作る。


そこに――


ロートから借りた籠手を結び付ける。


鉄の重み。


即席の(おもり)


輪は、縄を緩めれば広がる結び。


引けば、締まる。


「……なんじゃ、それは」


馬の下から、ガルデンが声を上げる。


ロザリーナは答えない。


視線は、橋。


三十度。


三十五度。


歯車の音は止まらない。


ギリ……ギリ……。


鎖が悲鳴を上げる。


――時間がない。


その時。


「閉まったぞ!!」


中から敵の怒号。


内扉の閂が落ちる音。


退路は、断たれた。


ロザリーナは、ゆっくりと顔を戻す。


「剣を一本ほしい。

 敵の――折れない剣を」


ガルデンが、躊躇なく剣を放る。


「ほれ、受け取れ」


それは、

砦で奪った、黒帝軍の折れない剣。


空中で掴む。


重みを確かめ、背に差す。


「何をする気じゃ」


ロザリーナの視線は、

すでに城壁上へ走っていた。


鎖が通る、城壁に開いた石枠。


青銀の瞳が、細くなる。


「あれを止めてくる」


そう言うと同時に、


馬の背に立ち上がる。


目の前には、


吊り上がり続ける橋。


傾斜した板壁。


時間は、あとわずか。


それでも。


彼女の呼吸は乱れていない。


「ガルデン。

 兵の半分に鎧を着けて、西門へ回して」


どこに突破口ができるのか、

彼女にも分からない。


「考えでもあるのか?」


「選択肢は――増やす方がいい」


それは、

幾多の修羅場を潜ってきた者の言葉。


言い終わると同時に。

ロザリーナは馬の背を蹴った。


月光を裂き、

蒼の風を巻き込み、

宙を裂く。


傾きかけた橋の端へ――


掴む。


下は外濠。


黒い水。


「ロザリーナ様ぁっ!!」


後ろから歓声が上がる。


だが橋は止まらない。


ガルデンが振り返る。


「ソルディオ!

 半数に鎧を付けろ!

 お前たちは、西門へ回れ!」


「はっ!」


ソルディオが兵を率い、林の闇へ駆け戻る。


橋の上。


ロザリーナは両手で縁を掴む。


右足を掛ける。


体を引き上げる。


斜めに突き出た角。


そこに立つ。


目の前――遊撃兵たちが滑るように重なっている。


城門側へ押し込まれている。


鎖が鳴る。


橋の右端。


鉄鎖が橋に繋がる基部へ。


辿り着く。


背に担いできた“黒帝の剣(おれないけん)”。


力一杯に振り下ろす。


ガンッ!!


火花。


鎖はびくともしない。


こぶしより太い鉄。


もう一撃。


ガンッ!!


火花だけが散る。


斬れない。


ならば――


鎖の上を駆ける。


一本の動く足場。


揺れる。


踏み外せば死。


下から、アズとポコランが息を呑む。


「ロザリーナさん!」


クレセントの祈るような声が響く。


ロザリーナは城壁へ辿り着く。


鎖の上に立つ。


落ちないよう、壁に両手をつく。


「ニコル!!」


上を見て、声を張る。


「誰かをよこして!!」


城壁上。


ニコルの足元には、すでに四人。


だが――


前へ、出られない。


歩廊は、狭すぎた。


胸壁と石壁に挟まれた、逃げ場のない一本道。


左手に構える、鋼の円盾。


その奥から――


槍。


三本。


四本。


重なり合う穂先。


隙間が、ない。


ニコルが踏み込む。


速い。


誰よりも速い。


だが――


ギィンッ。


穂先が、壁のように並ぶ。


かわす。


だが次が来る。


さらに次。


速いニコルの動きが、地形に封じられていた。


ここでは、速さが“圧倒的な力”にはならない。


「アラン!

 ここはいい!

 ロザリーナを!」


ニコルが前を見たまま、怒鳴る。


「了解!」


遊撃の一人――

アランが槍を引き、駆ける。


城壁の上――

ニコル、マクレブと遊撃隊。


城門の外――

橋の上にクレセントと、アズ、ポコランたち。


その城門の上――北城壁の中央。

胸壁の隙間から、アランが顔を出す。


「アランです。

 ロザリーナさん!

 ――何を!」


ロザリーナは動く足元を見る。


城壁の穴へ引き込まれる鎖。


その輪の中へ、剣を突き刺す。


ギシッ――


少しずつ、剣が引き込まれる。


だが穴に引っかかる。


止まった。


だが。


ミシ……ミシ……


石枠が軋み、削れる音。


ぎり……ぎり……


折れる音が、そこに混ざる。


僅かな時間稼ぎ。


「アラン、これを投げるから、

 受け取って!

 輪を広げて、胸壁に――!」


「分かりました!」


ロザリーナは籠手を重りにした縄を伸ばす。


左手を壁につき。


右手で、回して投げる。


だが。


壁が近すぎる。


角度が無い。


弾かれる。


もう一度。


失敗。


三度。


壁にぶつかる。


「そこからは、無理じゃ!」


ガルデンの声。


両手を水平に広げ。


バランスを取って。


少し下がる。


だが。


鎖が揺れる。


足場が不安定。


とても投げられない。


その時。


足下の、橋の上から声。


「ロザリーナさん!」


アズ。


「縄をこっちに!

 私をそこへ引き上げて!」


一瞬。


迷わない。


ロザリーナは壁に戻り、縄を下へ垂らす。


アズが登る。


鎖の上へ。


ロザリーナの背へ。


足場が揺れる。


細い腕が、前の細い腰を掴む。


ロザリーナの足元の剣が軋む。


カチッ…カチッ…


石枠に、少しずつ引き込まれていく。


時間がない。


「私は身軽だから、肩に乗って投げてみる!」


アズが背から肩へ。


そして、壁に手をつき立ち上がる。


下から縄を受け取る。


その瞬間。


上から、アランの槍が伸びる。


刃先。


手を伸ばせば届く距離。


アズが、縄に結ばれた籠手の隙間に通す。


アランが慎重に引き上げる。


歓声。


城壁上。


アランが輪を緩める。


籠手を外す。


ぽい、と外へ放る。


「……あ」


ロザリーナの声。


籠手は、彼女の脇を通り過ぎて闇へ。


外濠の水音。


貸してくれたロートの顔が、一瞬よぎる。


「どうしたの?」


アズが足の下を見る。


「いや……なんでもない」


ロザリーナは顔を上げない。


アランが輪を胸壁へ掛ける。


固定。


「アズ、いいぞ!」


アランの声に、アズが上り出す。


その瞬間。


剣が、穴の縁で“くの字”に歪んだ。


ギンッ!!


ロザリーナの足元の剣が折れた。


一瞬、勢いよく鎖が引き込まれる。


「――ぅわっ!」


彼女の足が奪われる。


体が後ろへ傾く。


両足が鎖から離れる。


だが。


左手で、掴んだ縄。


持ちこたえる。


アズが城壁へ上がる。


次はロザリーナ。


壁を蹴り、一気に駆け登る。


城壁の上へ。


すぐさま縄を下へ落とす。


城門と、吊り上がる橋の狭間。


クレセントの前へ。


「これで!!」


縄がクレセントの手に届いた。



蒼が、そこに立った。


やっと立った。


城壁の上に。


東からは――


ルグが来る。


その先に、マクレブたち八名。


南。


ラグは丘へ。


王と、民の首を刈るために。


そして。


レッドバルム。


余裕の歩みで北門へ向かう。


すべて計算通り。


西部最大のブラストリア城。


その黒帝軍総指揮官。


半獣でもない彼が、

この城の総指揮に立っている。


それだけで、

実力を測るのは十分だった。


だが。


その知略の天才の冷徹な思考にも、


一つだけ、


予想していないものがあった。


『いい加減、分かれよ』と言われて、


世界が理解を諦めた。


その理不尽過ぎる化け物――


兄、ライザリオンと剣だけで渡り合った。


蒼。


この世界にとっての――とてつもない異物。


レッドバルムの、

知略の盤上に、存在しないはずの駒。


それが今、


戦場の中央――


はじめて敵の前に立った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ