第65話 盤を割る者――吊り上がる絶望
◆南側・城壁上◆
北で怒号が渦を巻いている。
だが――
レッドバルムは、ゆっくりと顎に手を当てた。
「俺たちはどうする」
その左右に立つ、“破壊の処刑人”――ラグとルグ。
レッドバルムは、即座に割り振る。
「ルグ」
短く呼ぶ。
「増援十名が、西から北城壁へ向かった。
お前は東から挟め」
一拍。
「北を押さえれば、
そこから城内へ射掛けられる」
挟み撃ちの、布陣。
「分かった」
ルグが、斧を肩に担いで、城壁上の歩廊を歩き出す。
巨躯の重い足音が石を鳴らし、松明を揺らした。
「俺はどうする?」
ラグが、僅かに見下ろすように言う。
レッドバルムはすぐには答えない。
胸壁に両手をつき、
北とは逆――南の丘を見ている。
月明かりの下。
微かに。
馬車列。
松明。
揺れる影。
――いるな。
敵の“核”が。
「……愚かだ」
口の端が、わずかに歪む。
北門に全力を寄せる。
ならば南は手薄。
頭と腕を分けたのなら、
迷わず首を落とすまで。
(戦は――)
(敵が、一番嫌がることをすればいい)
「ラグ。
お前は、敵が一番嫌がるところに行かせてやる」
「嫌がるところ?」
「南門を開けろ。
橋を下ろせ!」
ラグがわずかに首を傾げる。
「開門、だと」
「聞こえなかったか」
城壁上の弓兵を睨む。
声は、冷たい。
迷いはない。
南城壁から五名の兵が、
跳ね橋の巻上げ機へ向かって駆け下りる。
やがて――
跳ね橋が軋む。
鎖が鳴る。
門が開き、
ゆっくりと、橋が下りていく。
北では激戦。
南は、静寂。
その静寂の中。
「お前は、あの丘の上だ」
顎で示す。
「馬車の数から、
おそらく民もいる」
一拍。
「そこに大将もいるだろう。
残っているのは、ほぼ非戦闘員だ」
ラグの巨躯が、一歩、前へ出る。
「皆殺しでいいか」
「ああ」
「ガキもか」
「好きにしてこい」
鋳鉄の仮面。
黒い覗き穴。
匂ってきそうな首に絡む干からびた指が、
かすかに揺れた。
黒いタトゥーだらけの太い腕で、
斧の柄を握り直す。
ラグは、監視塔の螺旋階段を降りていった。
夜風が吹き抜けた。
(最善の防御は、攻撃だ)
北門を押す敵は、
背後で悲鳴が上がれば止まる。
頭が死ねば崩れる。
民が死ねば躊躇う。
心を壊せば、身体は止まる。
それが、戦。
南城壁の下。
跳ね橋の上を、
処刑人が歩き出す。
ゆっくりと。
急がない。
逃げ場はないのだから。
丘の上。
まだ、何も知らぬ灯。
馬車。
子供の影。
レッドバルムは、北へ視線を戻す。
「さて次は」
薄く笑う。
「……北を潰すか」
東城壁の上。
ルグが北へ進む。
ゆっくりと。
戦場は、二つに裂けた。
北門。
そして、王のいる丘の上。
北は、何も知らぬまま、
激突音だけが、夜に響いている。
――◇――
◆南側・丘の上◆
両側の松明に照らされる、
南門が、ゆっくりと開いた。
軋む。
重い鉄と木の音が、夜を裂く。
「……?」
丘の上で、オルフェンが眉をひそめる。
月明かりの中。
城の南側。
跳ね橋が、下ろされている。
「なぜ――」
ヴァレンティスが目を細める。
攻めていない門が、開く。
その意味を。
二人は、同時に悟った。
橋の上。
黒い巨影が、ひとつ。
鉄塊のような肩。
担がれた処刑斧。
その仮面の奥の目が。
ゆっくりと。
丘を見上げた。
視線は合わない。
だが。
オルフェンの背中の産毛が逆立った。
「……あれは?」
巨躯が歩き出す。
走らない。
急がない。
だが。
確実に、近づく。
鋳鉄の仮面の縁が。
月光を受け、鈍く光る。
破壊の処刑人――ラグ。
「刺客か」
ヴァレンティスが低く吐く。
その背後。
千の民の乗る。
馬車列。
まだ何も知らぬ者たち。
馬車の中――
笑い声。
子の泣き声。
火を囲む灯。
無防備な背中。
ヴァレンティスが、剣に手をかける。
腰にあることを確かめるように。
「ここに来るな」
「ええ」
オルフェンが、眼鏡を押し上げる。
処刑人の一体は北へ。
そして、もう一体は――ここに。
ロザリーナは、いない。
蒼は、北へ向かって走っている。
「……どうしますか」
オルフェンが低く問う。
ヴァレンティスは、目を逸らさない。
迫る鉄の仮面の怪物を見据えたまま。
「ロート!」
「はっ!」
近衛たちも駆け寄る。
「敵が、ここに来る。
すぐに馬車を反転させろ。
全て後退だ」
ロートが息を呑む。
「殿下、列が長すぎます。
――道を塞いでおります。
後退は最後尾から順に……」
「かなりの時間を要します」
オルフェンが補う。
ヴァレンティスは短く頷く。
「それでもやるしかない」
「御意!」
ロートが近衛と共に走る。
混乱が、じわりと広がる。
処刑人の足音が近づく。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
ヴァレンティスは振り返る。
周囲を見渡し、
馬車列を一瞥する。
丘の斜面。
傾斜。
道幅。
「オルフェン」
「はい」
「大型馬車を一台、斜面に置け。
馬を外して、砂袋を積め」
「……何を?」
「片側の車輪を外れやすくしておけ」
一瞬の沈黙。
オルフェンの瞳が鋭く細まる。
「横倒しにして、道を塞ぐのですね」
「違う」
ヴァレンティスは、振り向かない。
巨躯を見据えたまま。
低く、言った。
「あいつを――潰す」
風が、止まる。
理解が走る。
「承知しました」
オルフェンが、
松明を掲げる民兵へ走り出す。
その先。
丘の下。
処刑人の影が、歩いて来る。
夜気が重くなる。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
戦は。
盤上の争いから――
命の防壁へと変わった。
――◇――
◆北側・城門◆
扉が、軋む。
ギギ……ギ……
湿った木と鉄の擦れる音が、橋上に響く。
「押せぇぇぇ!!」
クレセントの怒号が夜を裂いた。
橋の上。
遊撃隊、二十名。
だが――
扉の横幅いっぱいに肩を並べられるのは、
せいぜい十人。
前列の十。
後列の十は、背を押すしかない。
押せる者は限られている。
それでも。
敵は、内側に五名。
「うぉぉぉぉぉ!!」
体当たり。
肩。
背。
脇腹。
足を踏ん張り、歯を剥く。
ギリ……ッ。
内扉が、わずかに開く。
石畳の隙間から、
冷たい城内の空気が吹き抜けた。
あと、わずか。
人ひとり、通れる幅。
その――瞬間。
南から駆けつけた四十名が門道を埋めた。
「着いたぞ!
――扉を押せ!!」
鉄靴が石を打つ。
ガン、ガン、ガン――!
門道が一気に黒く染まる。
「押し返せ!!」
敵が内側から扉に張り付く。
圧が、跳ね上がる。
ドン!!
扉の外。
橋が震えた。
木板が軋み、
衝撃が足裏を突き上げる。
「ぐっ……!」
クレセントが歯を食いしばる。
前列の一人が弾かれ、
体勢を崩す。
隙間が、縮む。
閉じる。
「まだだ!
――諦めるな!!」
声がかすれる。
横幅は狭い。
全員では押せない。
前列の十が潰れれば、終わる。
「ここが閉ざされたら、
終わりだぞ!!」
後列は、前列の背を押すしかない。
だが――
内側からの圧が増す。
二十名の体が、
逆に橋板へ押し戻され始めていた。
その時。
内側からも怒号が上がる。
「橋を、吊り上げろ!!」
左右二基の巻取り機。
二人ずつが飛びつく。
歯車が噛み合う。
ギリ……ギリ……。
鈍い金属音。
カチッ。
――カチッ。
歯車の固定の爪が鳴る。
鎖が、軋む。
次の瞬間。
橋が――動いた。
「なっ……!?」
足裏の感触が、変わる。
橋板が、わずかに傾く。
「橋だ!
吊り上げている!!」
ゆっくり。
カチッ。
――カチッ。
だが、確実に。
橋が、地面から浮き上がる。
角度がつく。
身体の重みが、
足元から奪われる。
押していた者たちの足が滑る。
木板の上に、靴底が鳴る。
ズリッ。
「踏ん張れぇぇ!!」
クレセントが吠える。
だが。
橋の上は狭い。
下は外濠。
黒い水面が、月光を吸い込んでいる。
「うわっ!」
端にいた一人が、体勢を崩す。
指先が空を掴む。
次の瞬間――
落ちた。
水飛沫が闇に消える。
橋が、さらに上がる。
ギリ……ギリ……。
止まらない。
角度は十度。
さらに十五度。
腰の高さへ近づく。
重力が、前へと体を引く。
踏ん張る足が、震える。
体が前へ――前へずるりと流れた。
肩にかかる圧。
内側からの押し返し。
下からの傾斜。
「押せ!押せ!
踏ん張れぇぇぇ!!」
クレセントの叫びは、
悲鳴に近い。
だが。
確実に――
橋に留まれる限界が近かった。
盤は割れた。
割ったのは――あの男だ。
そして、
吊り上がるのは希望じゃない。――命だ。




