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第63話 北門奔流――夜はもう隠せない

「――北にも敵襲!!」


北の静寂が、裂けた。


城壁上の兵が、一斉に振り返る。


黒帝兵が矢筒を捨て、

怒鳴りながら、背を向けようとした。


「北の城壁――」


その瞬間。


ニコルは、すでに動いていた。


中腰のまま。


倒した兵の弓を拾い上げる。


弦を引く。


狙わない。


撃つ。


――ヒュン。


矢は一直線に闇を裂き、


叫んだ兵の胸を、正確に射抜いた。


声が、途切れる。


「……に、てき――」


目が見開かれたまま、

体が後ろへ弾かれる。


足が石を滑り――


城内側へ落ちる。


――ズドォーン!!


鈍い衝撃が、石壁を震わせた。


城壁の隅。


かがり火の真下。


大の字。


胸に矢を立てたまま。


赤い炎が、その死を容赦なく照らす。


東と西の城壁上。


兵の視線が、一斉にそこへ吸い寄せられた。


空気が、張り裂ける。


音のない、硬直。


「――チッ」


ニコルの喉から、

低く、舌打ちが漏れた。


崩れかけた。


だが――まだ。


一瞬で、判断。


マクレブが吼えた。


「敵襲!

 ――敵襲!

 北側にも敵襲!!」


即座に続ける。


「弓の攻撃だ!

 外から矢が飛んでくるぞ!

 ――伏せろ!!」


“外から”。


その一言が、方向を決める。


兵たちは反射で伏せた。


城壁上に混乱が走る。


誰も――


“内側”を疑わない。


南は、騒いでいる。


北は――


今、騒ぎ始めた。


だが。


主導権は、まだ。


こちらにあった。


――◇――


◆北城門前◆


少し前――


北側に広がる林の奥。


夜露に濡れた枝葉が、わずかに重なる。

湿った土の匂い。

息を潜めた九十の影。


その中心で。


ガルデンが、短く頷いた。


「……やっと着いたな」


低く、押し殺した声。


「あとは合図を待つだけじゃ」


林から北城門までは、弓一射半ほど。


走れば届く。


だが今は――遠い。


ほんの百歩足らずの距離が、

戦場では、千里にも等しい。


視界の先。


北門は、静かに開いていた。


堀に架かる吊り橋は、降りたまま。


外側は、塞がれていない。


城門の中へ入る手前。


観音開きの頑丈な内扉。


閂も――抜かれているはず。


月に縁取られた城門は、

黒く、口を開けている。


まるで――


侵入者を呑み込む奈落の亡霊のように。


「城内に入れば、すぐに住居区じゃ」


迷いのない声。


「そこは有事のための住まい。

 ――平時は、無人のはずだ」


一瞬だけ。


老将の視線が、門の奥へ沈む。


かつて。


この区画に、

彼自身も家族を置いたことがある。


石畳の角。


茶色い屋根の家。


朝に聞こえた子らの笑い声。


すべて、覚えている。


道も。


曲がり角も。


井戸の位置も。


だが今は――


風だけが、通り抜ける。


「殿下の陽動で、敵は南へ寄っておる」


声が、刃のように鋭くなる。


「わしとソルディオは主力七十を率い、

 住居を抜けて南側へ一気に駆ける」


ソルディオが、無言で頷く。


握った槍の穂先が、

わずかに月光を弾いた。


「クレセントは遊撃二十を連れ、城壁へ上がれ。

 ニコルたちと合流しろ」


「了解です」


クレセントの瞳が、夜を切り裂く。


「質問は――」


(……一拍)


「あの~」


間延びした声。


九十の視線が、一斉にそちらへ向く。


ポコランだった。


張り詰めた空気が、ほんのわずかに緩む。


「僕とアズは?」


「……おまえたちは遊撃と――」


その時だった。


「敵襲!

 ――敵襲!

 北側にも敵襲!!」


怒号。


北城壁の方角から。


夜気を裂く、鋭い叫び。


「弓の攻撃だ!

 外から矢が飛んでくるぞ!

 ――伏せろ!!」


全員の首が、弾かれたように跳ね上がる。


風が、止まる。


「――マクレブの声?」


ソルディオが、低く呟く。


ガルデンの目が、細くなる。


(……見つかったか)


一瞬。


ほんの刹那。

老将の脳裏を、状況が疾走する。


(――外から矢?)


違う。


あれは、偽装だ。


即断。


迷いはない。


「弓兵!」


声が、鋼のように夜を裂く。


「城壁上を狙え!」


間髪入れず、続ける。


「絶対にニコルたちには当てるな!」


「上だ! 上を越せ!」


マクレブの嘘に、

本物の矢を重ねる。


弦が、一斉に鳴った。


――ビンッ。


ヒュン――

ヒュン――

ヒュン。


闇へ放物線。


城壁を越え、


石の上へと落ちる。


乾いた衝撃音。


東と西の城壁上の兵が、反射で伏せた。


だが。


混乱の中。


ひとりの兵が、見てしまう。


北城壁。


内側の、かがり火の真下。


胸に矢を立てたまま、


大の字に倒れている兵。


視線が、ゆっくりと横へ滑る。


北門。


斜めに見える城門の奥。


観音開きの内扉。


その中央。


あるはずの――


太い横木。


鉄の留め具。


閂。


――ない。


闇の中で、


扉が、わずかに開いている。


空気が、凍る。


理解が、遅れて追いつく。


(内側に――敵がいる)


「北の閂が外れているぞ!!」


叫びが裂ける。


声は、恐怖に裏返っていた。


その瞬間。


北西角の見張り塔へ。


五名。


鉄靴が石を打つ。


螺旋階段を、駆け下りる。


ガン、ガン、ガン――


石壁に反響する音。


そして。


ブオォォォ――ッ!!


北城壁上。


遊撃の角笛が鳴り響く。


短く、鋭く。


露見の合図。


林の奥。


ガルデンの目が、細くなる。


「まずい。見つかった!」


間を置かない。


「全員、鎧を脱げ!!」


「剣だけ持て!!」


「全速で橋へ走れ!!」


甲冑が投げ捨てられる。


金具が鳴る。


革紐が裂ける。


重さが消える。


次の瞬間。


闇から一斉に飛び出す。


土を蹴る音。


息。


足音。


橋へ。


城門へ。


「――行け!!」


「――止まるな!!」


走りながら、


ソルディオの怒号が夜を裂く。


ガルデンを追い越し、


クレセントと遊撃が前へ出る。


計画は崩れた。

もう、隠密ではない。


これは――


突破だ。


北の静寂は、終わった。


だが。


まだ。


城は、完全には理解していない。


一瞬の差。


その差を――


掴み取れるか。


――◇――


◆南側・城壁◆


(……なんだ、あの角笛は)


腹の底を震わせる、短く鋭い音。


南ではない。


北だ。


レッドバルムの眉が、ぎり、と吊り上がる。


(――北で、何が起きた)


一瞬。


ほんの刹那。


思考が、戦場を駆ける。


陽動は南。


だが、角笛は北。


(……内側か?)


嫌な符合。


次の瞬間――


「半数は北門へ走れ!!」


怒声が石壁を叩いた。


躊躇はない。


下で待機していた兵四十が、一斉に動く。


鉄靴が石を打つ。


ガン、ガン、ガン――


鎧が擦れ、槍が鳴る。


「――急げ、急げ!!」


隊列を崩しながら、北へ走り出した。



敵が、先に着けば――

門は、閉じる。


北門が完全に封鎖されれば。


侵入の余地は、消える。


鎖が唸り、

吊り橋が跳ね上がれば――


観音の内扉が閉ざされて、

閂が、落ちれば――


それで終わり。

もう手立ては、なかった。


――内を走り、北へ向かう敵兵たち。


――外を走り、北へ突入するガルデンたち。


夜の中で、


二つの奔流が、同じ一点を目指していた。


北門。


間に合うか。


橋を渡り切れるか。


閂が落ちるのが、先か。


重い扉が閉まるのが、先か。


跳ね上がる鎖の音が、夜を裂くのが、先か。


息が焼ける。


喉が裂ける。


足が軋む。


だが、止まれない。


闇に沈む巨大な亡霊――ブラストリア城。


七百年の歴史を抱えた石の怪物は、


今はまだ、


何も応えてはくれない。


ただ、


見ている。


誰が、この夜を掴むのかを。

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